162.外れの神社②(怖さレベル:★★★)
ガランと広いスペースには何も置かれておらず、
獣と思われる泥のついた足跡や、抜け毛のかたまりがあるくらいです。
(やっぱり何もない……あれ?)
寺の床から壁、そして天井をぐるりと見回した時でした。
「うわ……すごい!」
思わず、息を飲みました。
朽ちた天井を見上げると、
広がっていたのは度肝を抜かれるような光景です。
広い天井を一面に使って描かれた、巨大なコウモリの絵。
人間をはるかに量がするほどの大きさで、
真っ黒なその獣は、逆さまに頭を垂れるような姿で羽を広げていました。
まるで、このお寺そのものが、
この巨大な影の住み家のようにも思えるほど。
(ものすごい迫力の絵……でも、お寺にコウモリなんて、どういうこと……?)
こういった天井絵は、ドラゴンや鳳凰、
虎などの縁起のいいものが一般的でしょう。
コウモリは風水では幸運を招く象徴ではあるらしいですが、
こんな陰鬱な、重々しい雰囲気で描かれているなんて。
崩れかけた天井に、真っ黒く浮かび上がるコウモリの絵。
明るい昼間の光が差し込んでいるというのに、
それはまがまがしく、見たものの心を凍らせる、
底知れない恐怖をはらんでいるように見えました。
ぼうっと見上げる私の目が、吸い寄せられるようにそのコウモリの瞳に移ります。
どす黒い赤で描かれたその瞳が、なぜか、ジーッと私のことを見つめている。
そんな錯覚すら感じました。
「…………っ」
私は、そっと周囲を見回しました。
山の中ということもあり、鳥の鳴き声もすれば、
少し気が早いセミの鳴き声も聞こえてきます。
いたって普通のなんてことない風景に、
少しだけ恐怖が和らいだ私は、スマホを取り出して、
何枚かその天井絵を撮影しました。
(バチ当たりかな……でも、このまま消えちゃうんじゃもったいないよね)
撮影を終えた携帯をしまい、私は崩れた場所から離れ、
再び寺の周りを散策することにしました。
「なんで廃寺になっちゃったのかな……」
山の中だし、人が来るのに便利な場所とは確かに言えません。
でも、お寺自体はかなり立派ですし、
天井にはあんなにハッキリと絵が残っている状態です。
跡取りがいないのか、他に理由でもあったのか。
文化財として保管しておけばいいのにな、なんて他人事で考えつつ、
寺を一周し、また入り口へ戻ろうとした時です。
「あれ……石碑?」
来た時に、見落としていたのでしょうか。
寺の入り口わきに佇む、小さな石碑が目に留まりました。
コケがあちこち生えて、掘られた文字がつぶれていたものの、
かろうじて、なんとか文字が読み取れます。
「く……び、首塚……」
よくよく見ると、首塚と書かれた石碑の裏手には、
まったく手入れがされていない、いくつもの墓石が見えました。
花すらなく、長い雑草に隠れるように置かれた、いくつもの墓。
そして、首塚と書かれた石碑。
無知な私でも、なんとなく察しがつきました。
埋められているのはきっと、名のある人ではないんでしょう。
でも、きっと。
この柄の下には、かつて罪人として処罰された人の骨が埋まっている。
そう思うと、このぼうぼうに茂っている雑草たちも、
まったく手入れのされていないただ朽ちるだけのお寺も、
なんだか急に、恐ろしいもののように思えてきました。
(ば、罰当たりな考え方しちゃダメだ……お寺なんだから、お墓があるのなんて当たり前だし……!)
いくらそれが、首塚であったとしても。
私は後ずさりしつつ、自分自身に言い聞かせました。
しかし、理性ではわかっていても、
感情というか、もっと本能に近い感覚的な部分で、
じわりじわりと恐怖が染み出してくるんです。
私はそのまま、小走りで首塚の前から立ち去ると、
お寺の正面に再び戻ってきました。
(お賽銭箱がないから、お賽銭は……とりあえず、ここに置いておこう)
財布から小銭を何枚か取り出して、
もともとは賽銭箱が置かれていたであろう場所にそっと供えました。
そして、お寺を不気味と思ってしまった自分の考えを打ち消すように、
パァン! と大きく柏手を叩きます。
(ニ礼二拍手……は、お寺だからいらないのか)
私はそのまま、深々と頭を下げました。
顔を伏せた耳には、山の鳥の声と、
どこからか聞こえてくる虫の音だけが、静かに響いています。
(さ、終わった……帰ろ)
なんだかホッとした私は、そのまま顔を上げて軽く目礼した後、
お寺に背を向けて、立ち去ろうとしました。
しかし、
ポタッ
「……え?」
腕に、つめたい感触。
雨でも降ってきたのかと空を見上げ、
その瞬間、私は悲鳴を上げました。
「ヒッ……あ、あぁ!」
頭上、お寺のひさしにあたる部分。
そこから液体がにじみ出て、私の腕に当たっていたのです。
でも、それがただの水だったら、私も驚かなかったでしょう。
そのひさし部分から滴り落ちてくるものは、
赤黒く、やけにねっとりした、まるで血のような液体だったんです。
「な、なにこれ……!?」
腕にヘバりついた、やたらドロドロネバネバした液体を払い落し、
いそいでお寺の段差を駆け下りました。
ポタッ、ポタポタッ
すると、まるで私が逃げたのを見計らったかのように、
後ろからボタボタと液体がこぼれる激しい音が鳴ります。
とっさに振り向くと、たった今お賽銭を置いた場所の上に、
あのドロドロした赤い液体が、雨のように降りそそいでいました。
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