160.廊下にあるもの②(怖さレベル:★★☆)
その日は結局、ほぼ一日中、起きては寝て、のくり返し。
夜になり、ちょっと怯えつつ廊下やドアをチェックしましたが、
幸い、盛り塩も崩れていないし、カギも開いてないし、怪しい影もありません。
次の日からまた激務に放り込まれるのか、と思うと憂鬱になりつつ、
その夜、私はなにごともなく眠りにつきました。
(あー……イヤだなぁ)
翌日。相変わらずの長時間残業をこなしてから戻った、アパートの部屋の前です。
家のカギを取り出して、私は長い長いため息をつきました。
ここのところ、ドアを開けて部屋に入った途端、こけしと遭遇しています。
盛り塩もしてあるし、昨日どっか行ったはずだし、もう大丈夫。
そう思ってはいるものの、連日の恐怖の記憶が、ドアを開けることをためらわせました。
(早く寝ないとだし……ジッとしても仕方ない。よし、入ろう)
私は思い切って、カギ穴にカギを差し込み、回しました。
ガチャッ
カギが、閉まりました。
「……えっ?」
ガチャ、とノブを回しても、当然ドアは開きません。
朝、閉めて出て行ったはず。
いや、もしかして、閉め忘れて出勤していた?
朝の記憶をグルグルとたどるものの、
毎日のルーティンとなると無意識で、まったく思い出せません。
うっかり開けたままだったら、泥棒に入られているかもしれない。
でも――もし。ちゃんと閉めていたのに、開いていたとしたら?
脳裏に、こけしの無機質な顔が、ポン、と浮かびました。
昨日の恐怖がぶわっと全身に戻ってきて、私はまた、呼吸が乱れ始めました。
(で、でも……このままにしておくわけにも……)
もしかしたら、泥棒に入られているかもしれせん。
それに、本当にただ、カギをかけ忘れただけかもしれない。
私は、残業疲れでヘロヘロになっている頭で、
とにかく家の中を確認しなくちゃ、と思いました。
万が一を考えて、わずかに部屋のドアを開けて
逃げられるようにしつつ、慎重に玄関へ上がりました。
シン――
家の中は、静まり返っています。
玄関の電気も消えていて、少しだけその場で立ち止まっていても、物音は聞こえません。
「…………」
暗い玄関で、私はそっと、廊下の照明を入れました。
(……なにもない)
いつぞやのように、こけしがいることはありません。
ただ、なんてことのない、普段の廊下があるだけです。
私は念のため、さらに、その場で小さく声を上げました。
「た、ただい、ま~……」
――シン
奥からは、なんの物音も聞こえてきません。
(……泥棒がいたら、慌てるよね……?)
ある意味、賭けではありました。
もし泥棒に待ち構えられていたら、帰宅を知らせるようなものです。
だから私は、ちょっとわざとらしく携帯電話を耳に押し当てると、
「……あ、もしもし? うん、これからうちに来るんでしょ? もちろん、何人でもいいよ。五人でも六人でも。……あ、あと五分くらいで着く? わかった、待ってるよ~」
と、部屋中に聞こえるように、大きめの声で言いました。
これで、もし中に誰かが侵入しているなら、慌てるはず。
あと数分で、大勢の人が来るとわかれば、絶対に。
こんなド深夜に、そんなに大勢を招くことがあるか? という違和感はあるでしょうが、
なにも対策せずにいるよりは、よっぽどマシなはず。
私は通話のフリを終えると、また、玄関で少しの間、耳をすませました。
(……なんの音もしない)
やっぱり、朝、カギをただ忘れただけだろうか。
ほんの少し気が抜けて、カバンを玄関へと下ろしました。
完全に警戒を解いたわけではないものの、
私はそのままカーテンを抜けて、部屋に向かいました。
部屋はまっ暗のまま。
壁の電気スイッチを探り、パチン、と照明を入れます。
――そして、すぐに後悔しました。
「……ひっ……!?」
部屋の、テーブルの上。
そこに、あるはずのない物体があったんです。
「どう……して……」
ひざが、ガクガクと震えました。
玄関に入ったとき、盛り塩はしてあったはず。
形もくずれず、真っ白いまま、そこにあったのに。
テーブルの上に鎮座する、おかっぱ頭の木彫りのこけし。
それは、無表情で無機質な独特な顔で、ただただ、私を見つめていました。
「ひゅっ、か、ひゅっ……!」
あまりの恐怖に、私はまた、過呼吸状態に陥りました。
ドサッとその場にうずくまり、ゲホゲホと咳き込みます。
呼吸がうまくできなくて、胸が苦しくて、涙が浮かんできました。
どうして、なんで、こんな目に遭っているの。
ただでさえ仕事でいっぱいいっぱいなのに――。
と、恐怖と苦しさと悲しみで、ダンッと床を叩いた時。
「……ん? あれ、おかえりぃ……」
と、突然、間延びした声が聞こえてきました。
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