158.病院の待合室②(怖さレベル:★☆☆)
熱を出した妹に車でつきっきりの、母が恨めしくてなりません。
もはや何度目かわからない、番号札に目を落とした瞬間、
トサッ……
背後で、物音がしました。
(えっ……)
今度はいったい、なんなのか。
硬直して、しばらくはディスプレイを見つめていたものの、
すぐ真後ろで聞こえた物音に、恐怖心は極限まで達していました。
少しだけ。
ほんの少し、見るだけ。
見てなにもなかったら、空耳なんだと安心できる。
見て、なにかいたら。なにか、いたら――、
(あ……)
振り返って見えた光景に、
私は思わず、肩の力がふにゃふにゃと抜けました。
そこに居たのは、ひとりの男性。
それも、さっき待合室から診察室に入って行った、あの男の人です。
(ビックリした……もっと、音させて戻って来てよ……)
ギリギリまで張り詰めていた恐怖がちょっと和らいで、
私は固まっていた両手両足を、ゆるゆると伸ばしました。
男性はうつむいていて、真っ白い顔をしています。
目は落ちくぼんでいて、うつろ。いかにも体調が悪そうです。
彼の後ろにある空気清浄機は稼働中で、赤いランプがついています。
きっと、この男の人が診察室から出てきたことで、空気が動いて反応したんでしょう。
私はひとりじゃなくなった心強さで、
シャンと座りなおしました。
いい加減、そろそろ順番になるはず。
今か今かと待っていると、ようやく、ディスプレイに番号が表示されました。
「よかった……!」
私は勇んで立ち上がり、駆け足で受付に向かいました。
支払いを終えてクスリを受け取り、後は車に戻るだけ。
出口は、ちょうど受付と待合室の間になります。
私はそのまま、出口に向かおうとして――あれ? と思いました。
(さっきの男の人……どこ、行ったんだろう)
待合室はガランとしていて、人っこひとり見当たりません。
私が受付している間に、トイレでも行ったんでしょうか。
誰もいない待合室は静かで、
うす暗さも相まって、なんだか不気味に思えました。
(……帰ろう……)
ゾワッと腕に鳥肌が立ったので、
私は速足で、母と妹の待つ車へと向かいました。
母にクスリとお釣りを渡し、
助手席に座って、シートベルトをつけていると、
「……あら? あんた、忘れ物でもした?」
母が、急に病院の方を見つめて言いました。
「え? ……なにも、忘れてないと思うけど」
スマホもある、カバンもある。心当たりはなにもありません。
「え、でも……だってほら。あの男の人」
と、母は入口に向かって指さしました。
私が、つられるようにその方向を見ると、
(あれ……? さっきの待合室の……)
見覚えのある男性が、入口のところに立っていました。
両手に、なにか白い紙のようなものを持っていて、
ボーっと、私たちの車を凝視しています。
「お母さん、あの人、さっき診察受けてた人だよ。でも話もしなかったし……私に用はないと思うけど……」
「あ、診察を……? それにしては……変ねぇ」
母は、私と入口に立つ男の人を見比べながら、首をかしげました。
「駐車場、他に車がないのに……」
「……あ」
母に指摘されて、ハッとしました。
こんな深夜、当然バスなんてないし、電車だって走っていません。
体調が悪いなら、歩いてきたり、自転車ということもないでしょう。
「た、タクシーとか……誰かが送ってきてくれたのかもしれないし」
と、まっとうな返事を返しつつも、
目の前で立ち尽くす男性に、じわじわと恐怖が浮かんできます。
いつの間にか、診察室から出てきた男性。
彼が来た瞬間に、稼働し始めた空気清浄機。
受付が終わった後、誰もいなかった待合室。
いったい、あの男の人は。
あの人は――?
「こんな深夜だから、ちょっと不気味ね……まあ、待合室にいたってことは不審者じゃないんでしょう。忘れ物がないなら、出発するよ」
「あ……う、うん……」
すでに興味を失った母が、車のエンジンを入れている間に、
私はチラチラと男の人を見ていました。
彼は、白い顔のまま、ただただボーっと突っ立っています。
迎えの人を、待っているんだろうか。
車が動くに合わせ、私が男性から視線を外そう――とした瞬間、
一瞬、男性の顔が、ぼやけて大きく歪みました。
「え……?」
ハッとして視線を戻すも、すでに車は走り出していて、
男性の姿は小さくなっていったんです。
(今の……見間違い……?)
彼の顔の部分が、まるで霧のようにブレて、
まるで、人間の顔じゃないように見えました。
私がゴシゴシと顔をこすっていると、
ふと、スマホから通知が入っていることに気づきました。
こんな深夜に、いったい誰から?
どうやら、通知はメッセージアプリから来ているようです。
さっきのDMが頭をよぎったものの、放置しておくのも気味が悪い。
思い切って開くと――通知は『妹』からでした。
(え……妹……?)
私は思わず、後部座席でグッスリと眠りこける妹を凝視しました。
間違いなく嘘寝ではないし、携帯を手に持っている様子はありません。
私に、他に妹はいません。
じゃあ、この、妹からの通知は?
本文がたった一文字『あ』だけの、
気色悪い文章は、いったいなに――?
私がおそるおそるメッセージアプリを開くと、
「……ひっ!」
スマホが、手から滑り落ちました。
『あ』とだけ打たれた本文の後に、画像が添付されていたんです。
黒っぽくブレた写真が、4枚。
それからはもう、うちに帰るまで、私はスマホを触ることも、
妹を起こすことすらできませんでした。
次の日、熱が落ち着いた妹に、私に変なメッセージを送ったことを尋ねましたが、
「そんなことしてない」と、当然ながら否定されました。
証拠を見せようとしたものの、
あの『あ』のメッセージも、気味の悪い4枚の写真も、
キレイさっぱり、初めから送られてすらいなかったかのように、消え去っていたんです。
なんというか……キツネにつままれたというか……よくわからない体験でした。
あ、でも、妹が、ちょっとだけ妙なことを言っていたんですよね。
病院で診察を受けているとき、変なものを見た、って。
診察を受けていたとき、
その先生の後ろ、看護師さんが立っていた隣に、
顔色の悪い男性が立っていた気がする、と。
男性の看護師さんにしては服が私服だし、
やけに顔色も悪いし、てっきり熱で幻覚でも見たのか、
って思ってたって。
私……あの男性のこと、ただの不審者か怪しい人だと思ってたけど、
もしかしたら、幽霊とか……そういう類だったのかも、なんて思いました。
幸い、妹はその後元気になったし、
あれ以来、緊急外来に行くことはなかったので、
あの男の人がなんだったのかは、わからないままです。
まあ……願わくば、もう二度と会いたくはないですけど。
話を聞いてくださって、ありがとうございました。
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※ 次回更新 → 7/21(月) ~ 3話




