157.サクラ十字の子ども②(怖さレベル:★★☆)
ヒュウ、と背後から冷たい風が吹きつけて、
ボーっとその場につったっていた僕が、慌てて身を翻そうとすると、
「……歌って……いっしょに……」
と、耳元でささやくような声がしたんです。
歌って、というわりに、まるで感情のないゾッとするような静かな声でした。
――すぐ真後ろに、いる。
なにかが、子どもが――いる。
「……いっしょに……ねえ……」
甲高い子どもの声なのに、発せられるトーンは低く、
どこか機械的なまでに単調です。
まるで、子どもの皮をかぶったなにかが、無理やり声を発しているかのような――。
「……いっしょに歌おうよ……ねえ……」
あまりの緊張と、恐怖。
これから逃れるためなら、いっそ、頷いてしまおうか。
子どもと一緒に、この物悲しい歌を歌うのは、
案外、とても幸せかもしれない。
そうだ。このまま。この、壮絶なまでに美しい桜の下で、
僕もいっしょに、ずっと、いっしょに――。
ププーッ
「……っ!!」
と、一台の車が、路肩で駐車している僕の車にクラクションを鳴らし、
そのまま走り去っていきました。
ハッ、と僕は正気に戻り、
弾かれたように一目散に、自分の車へ飛び込みました。
(今、なに考えた……?)
さっき、クラクションを鳴らされなければ、なにかとんでもないことになっていた。
そんな予感に僕は慌ててエンジンを入れました。
この場所に、いてはいけない。
いっさい十字架の方を見ないようにしてエンジンをかけ、
無事に車を走らせることができて、ホッと気が緩みました。
そして、そんな気のゆるみから――
チラッと、車のミラーごしに、十字架の方を見てしまったんです。
「う、わ……」
あの桜に囲まれた十字架は、
相変わらず、まるで異世界ような壮絶な美しさでした。
しかし、僕が声を上げたのは、そのキレイさからではありません。
舞い散る美しい桜の下。
あの巨大な十字架の下に――なにか、黒いものが見えたからです。
まるで、霧のような。
黒く、もやのよう薄い、なにかの影。
それは、僕が見つめているうちに、
うつむく子どもの姿を、ぼんやりと形作りました。
(……ウソ、だろ……)
呆然とする僕の視界の先で、
黒い子どもは、その口とおぼしき部分をポッカリと開き、
なにか、ぼそぼそとしゃべるように口を動かしました。
「……ララ……ラララ……ララ……」
薄く開けた窓のスキマから、
子どもの歌声と、オルゴールの音色が聞こえてきます。
ふわふわと、まるで夢心地になるような、不思議な音色。
再び、ぼうっと聞きほれそうになって――ハッ、としました。
(マズイ……早く逃げないと……!)
僕は慌てて窓を締めると、背後から迫る悪寒に耐え切れず、
ただひたすらにアクセルを踏み込みました。
タイヤが砂利を噛み締める音が、
悲鳴のように、暗い夜に響き渡ります。
ハンドルを握る手には汗がにじみ、
ひたすら無我夢中で、車を走らせ続けました。
十字架から離れればきっと大丈夫、
そう自分に言い聞かせ、結局宿に到着したのは、
深夜零時を回った頃でした。
僕は宿のベッドに倒れこむと、バサッと布団をかぶりました。
あの、桜に囲まれた十字架の場所で感じた恐怖。
未だに、あの子どもがどこからか僕を見つめているんじゃないかという不安。
暖かい布団の中でも恐ろしい気配は絶えず僕を苛んで、
結局、一睡もすることなく、朝を迎えることになったんです。
翌日、僕はさんざんな気分で、結婚式会場へと向かいました。
危惧していた幽霊現象はなかったものの、
だからといって、もう安心、なんてとても思えません。
憂鬱な気持ちでスーツに着替え、
朝の光を浴びながら、結婚式会場へと向かいました。
式が行われるのは、教会です。
この季節、桜に囲まれるように建てられた教会はとても美しく、
記念にと撮影をしている参列者たちの姿も多く見かけました。
(……十字架、か……)
僕は、教会の頭上に鎮座する銀色のそれを見上げ、
内心の動揺を抑えきれずにいました。
十字架と桜。
暗闇の中にたたずむ子どもの、黒い影。
(め、めでたい席なんだし……考えない、考えない……)
僕は十字架から目を逸らすと、
無理やり笑顔を作って、他の友人たちに話しかけました。
祝うべき、友だちの結婚式です。
僕が暗い顔をしていたら、せっかくの晴れの日が台無しになってしまう。
荒れ狂う心をどうにか話をすることでごまかし、
僕は気を落ちつけつつ、式場の中へと入って行きました。
滞りなく結婚式は進行していき、
いよいよ、最後のシーンになりました。
ブーケトスは屋外で、となったので、
参列者たちはゾロゾロと教会の外へと移動になります。
教会の裏側へ回ると大きな階段があり、
そこから、新郎新婦たちが姿を現すことになっているようでした。
(あ……十字架と、桜……)
裏手には、表よりもさらに桜並木が広がっていて、
白い教会と赤い桜のコントラストが、目にまぶしいほど鮮やかです。
ボーっとそれに見とれていると、
教会の階段からつながる扉が、音を立てて開きました。
新郎新婦が現れ、ゆっくりと階段を下りてくるのを、
僕は他の友人たちといっしょに、拍手で出迎えます。
讃美歌が流れ、神聖なメロディに感動しつつ、
そのまま拍手を続けている、と――。
「……ララ……ララ……ラララ……ラ……」
ぴたっ、と。
拍手する手が、止まりました。
急に固まった僕のことを、他の友人たちがふしぎそうな顔で見てきます。
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