148.母化け②(怖さレベル:★★★)
固まる僕の前で、女は再び田んぼへ中腰になり、
びしゃっ、びしゃっ、と水を切りながら、
稲を次々と口へ入れ始めました。
その、あまりにも一心不乱で、狂気すら感じる仕草!
僕はもう、とてもその場にいることなどできませんでした。
「…………っ!!」
懐中電灯を抱きしめるように抱え、
僕は回れ右をして、慌てて祖父母の家へと逃げ帰りました。
しかし、部屋に戻っても、
窓の外からはびしゃっ、びしゃっ、という音が聞こえてきます。
結局その音は、朝方になるまで鳴りやむことはありませんでした。
次の日。
父に「お前ヒドい顔してるぞ」とからかわれつつ、
田植えの作業は始まりました。
田植えの作業を手伝うかたわら、
僕はおそるおそる、昨晩女がいたあたりをチェックしてみたんです。
隣の田んぼなのでかなり遠目ではありましたが、
やはり、その付近は稲がちぎれたり、バラバラになっているのが見て取れました。
僕がジーっとその付近を見ていることに気づいたらしく、
祖父が声をかけてきました。
「ああ、ありゃあ獣にやられたんだろう。あまり気にするな」
「……。じいちゃん、うちの田んぼは平気なの?」
「おお。一応、クイを打っておるからな」
「……クイ?」
「まぁ、いわゆる獣よけじゃな。ほれ、うちの田んぼの四隅を見てみ。打ってあるだろう?」
言われるがまま、田んぼの隅をチェックしてみると、
たしかに、金属製の小さなクイが撃ち込まれていました。
何度も田んぼの手伝いをしてきましたが、
今まで、まったく気づいていなかったのです。
少しだけ感心するのと同時に、疑問も浮かびました。
「じいちゃん、こんなんで獣よけになんの?」
「獣は本能で生きておるからな。……危ないモンには近寄ってこないんだよ」
植える稲の準備をしつつ、祖父はサラリと流しました。
しかし、電流が流れていたり、薬液が塗ってあるわけでもない、
こんな小さなモノが、ふつう、獣に効果があるわけがありません。
それでも、昨日の光景を見なかったら、
僕自身、そういうものなのか、と流していたでしょう。
でも、昨晩のアレを見た後となると、
もしや、と感じるものがありました。
僕はほんの少し迷ったものの、祖父に近づき、小声で言いました。
「実は昨日……あの田んぼを荒らす、女の人の姿を見たんだけど」
すると、祖父は「んんん」とうなった後、静かにうなずきました。
「まぁ……お前たちはいつもよりだいぶ遅くきたからな。もしかしたらとは思ったが……」
「あれ……なに? ふつうの人じゃないの? その……幽霊、なの?」
「気にするな。……気が済めば、そのうちいなくなる」
と、質問に対する答えは返ってこず、
ひたすら「気にするな」としか言ってくれません。
しかし、隠されると気になる、というのが心情。
僕は、昼食を持ってきたくれた祖母に、
それとなく小声で尋ねてみたんです。
「ねぇ、ばあちゃん。昨日眠れなくってさ、外を見たら田んぼに女の人がいたんだけど……あれって大丈夫なの?」
祖母は一瞬ピクッと頬を引きつらせた後、
ユルユルと長くため息をつきました。
「……あたしもねぇ、詳しく知らないんだよ。ただ、たまに出るらしいんだよね、田んぼに女が」
「知らないの? ほら、よくあるじゃん。昔この辺で死んだ女の人の怨念が~とか」
「そりゃあ、この辺りは古くからこんな感じだからねぇ。飢饉はあっただろうし、そりゃあいっぱい人も死んでるだろう。でも、稲を食う女がひとりだけ出てくる、ってのも……幽霊話としちゃおかしいだろう?」
「じゃあ……あれ、生きてる人なのかな」
「さあねぇ……ま、あまり深入りしないにこしたことはないよ。アレを見たところで、別にとり殺されるわけでもないけどね」
祖母は、ポンポンと僕の背中を叩いてから、家へ戻って行ってしまいました。
結局、昨晩の女性がなんだったのかはわからずじまい。
ただ、祖父が『クイを打っている』と言うからには、
なにか霊的な存在であることは確かなような気もします。
僕は今まで、幽霊やお化けやらを見たことはありません。
だから、少しだけ怖かった反面、あれだけハッキリ見えるのなら、
写真にも映るかもしれない、なんてイタズラ心がわいたのです。
チャンスは、今日の夜の一度きり。
明日になれば、昼過ぎには自宅へ向かわなければなりません。
田植えを終えてヘトヘトになった僕は、
昼寝と称してたっぷり夕方のうちに体力回復を図りました。
よく寝るなぁ、なんてからかわれつつ夕飯を終え、
部屋にもどって一度床についた後、
深夜、あの女の撮影のために起き出しました。
「……音が、しない……?」
せっかく起きたはいいものの、昨日と違い、
外はカエルの鳴き声以外、なにも聞こえません。
窓に近づき、そっと外を見回してもみましたが、
うす暗い夜の景色の中には、動く人の姿はありません。
(あちゃー……毎日いるわけじゃないのか……)
念入りに、しばらく耳を澄ましてみたものの、音は聞こえてきません。
時計を確認してみても、時間は昨日と同じくらい。
条件が一緒でも、ダメか。
もしくは、なにか他に女が出るトリガーがあるのか。
ワクワクしていた分、正直、僕はガッカリでした。
しかし、あきらめて寝なおすにしても、昼寝と仮眠をしたせいか、
眠気はまったく訪れてはきません。
こうなったら、散歩も兼ねてちょっと近くを探してみようかと、
再び、懐中電灯と携帯を片手に、家の外に足を踏み出しました。
聞こえてくるのはゲコゲコガエルの大合奏と、夜の虫の声。
六月の夜は蒸し暑く、ジメジメと重い空気を感じます。
じんわりと汗が浮いてくるものの、田舎の夜の風が、
ひゅう、と肌を撫でていきます。
祖父母の田んぼを懐中電灯で照らしてみると、
昼間説明された小さなクイが、キラキラと光を反射しました。
僕はなんとなくスマホを構え、パシャリ、と一枚クイを撮ってみたのです。
(こんなんで獣よけになるわけないよな……)
やはり、コレは幽霊よけ、なんでしょうか。
ぼんやりと懐中電灯でクイを照らしていると、
なんだか無性に、それを引っこ抜きたいという衝動にかられました。
刺されているものを引き抜きたい、という人間のサガなのでしょうか。
ちょっとくらい、抜いたって。
どうせ、またすぐに刺しなおしておけばいいし。
無意識のうちに手が伸びて、僕の指先がクイの取っ手に触れました。
「……っ、冷たッ!!」
と、瞬間、クイのあまりの冷たさに、パッと手が離れました。
僕は一歩二歩、ズズッ、とクイから距離をとり、
震える手を握りしめました。
(今……なにを??)
ついさっきまでの、無性にクイを引き抜きたかった気持ちは消え、
今は、なぜそんなことをしようとしたのだろう、と自分自身にすら恐怖を感じます。
寸でのところで正気に戻ったからよかったものの、
あの冷たさがなかったら、確実に引き抜いてしまっていたでしょう。
僕はフラフラとクイから距離をとって、
自分の頬をパシッとたたきました。
(なんだったんだ、今の……変な感覚だった……)
自分の意思なのに、まるで自分でないものになったような感覚でした。
僕はザザザッと田んぼから離れ、
しっかり懐中電灯を握ると、周辺を見回しました。
誰も、なにもいません。
虫の声と、遠くから聞こえる鳥の声と、木々のざわめきが聞こえる、ただ、それだけ。
(寝ぼけて、ボーっとして変なことしそうになっただけ、それだけだろ……)
自分をそう納得させながらも、
僕はなんだか、うすら寒い気分になってきました。
どうして自分は、幽霊を撮影することにこだわっているのか。
サッサと寝てしまって、明日に備えた方がいいに決まっているのに。
頬に当たる風が、妙に生ぬるく、
気味の悪いものに思えてきます。
もう、いい。
祖父母の家に帰って、適当に動画でもあさって夜を明かそう。
僕が気持ちを切り替えて、
田んぼに背を向けた、その時でした。
びしゃっ……びしゃっ……
後ろから、あの、音がしました。
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