142.体育館のバスケットボール②(怖さレベル:★★★)
「え……だ、誰……!?」
あたしは思わず、カバンを床に落として叫びました。
広い体育館内に声が響き渡って、わんわんとこだまします。
しかし、ついさっき聞こえた笑い声は、パタリとやんで、
館内はシン、と静まり返りました。
(おかしい……たしかに、声がしたのに……)
クスクスと忍び笑いをもらす声は、聞き間違いとはとても思えません。
だって、一人や二人、じゃなかったんです。
もっと大勢。何人もの人たちが、クスクスと笑いあうような、
そんな声だったんですから。
もしかして、他の部活の人たちがイタズラしている?
ふと、そんな考えが浮かんで、あたしはムッとしました。
うちの学校は部活動が盛んであったので、
外でテニス部や陸上部が、夜遅くまで練習していることはよくありました。
さすがに今はかなり遅めですが、
もしかしたら、まだ電気がついている体育館が気になって、
ちょっと様子でも見に来たのかもしれません。
トイレから出てきたあたしを見て、
ちょっと驚かそう、なんて思っているのかも。
そう思うと、あたしはがぜん、勇気が湧いてきました。
もともと、バカにされたらやり返さずにはいられないタチです。
サッと落としたカバンを拾った後、ぐるりと周囲を見回しました。
「ちょっと! どこに隠れてるか知らないけど、出てきなさいよ!」
静まり返った館内に、あたしの挑戦的な声が響いて、
またもわぁんわぁんと反響します。
気の弱い生徒なら、これで出てくるか、きっと逃げていくでしょう。
あたしは物音を聞きもらさないように、ジッと耳を澄ませました。
すると。
クスクスクス……
また、あの笑い声が聞こえてきたんです。
(クソ……笑ってる……!)
また、バカにされた!
あたしはカッと血がのぼって、
ぐるぐるとうなりながら、あたりを見回しました。
(いったいどこに……!!)
笑い声はたしかに聞こえてくるのに、いっこうに姿が見えません。
あたしはイライラしつつ周囲を見渡して、
とある事実に気づいた瞬間、上っていた血の気がサーッと引きました。
(この、笑い声……すぐ、近くから聞こえてきてる……!)
クスクスと笑う声は、さっきと違い、止まらずにずっと聞こえています。
いくら広い体育館内とはいえ、
小馬鹿にするような笑い声は、そう遠くから聞こえてはいません。
むしろ、すごく近くに。
かなり、近く。
ジッと耳を澄ませたあたしの耳は、
その声の出どころに、ようやく気付きました。
(これ……ボール……いや、ボールカゴの方から、聞こえてきてる……?)
みっちりとバスケットボールが詰め込まれた、カゴ。
その中から、クスクス笑いは聞こえてきています。
――まさか、この中に人がいる?
いや、そんなわけがありません。
だって、ついさっきまで。
あたしはこの中のボールを使って練習をしていたんです。
バラまかれたボールを入れているときだって、
中に人が入るスキマなんてありませんでしたし、
いたらとっくに気が付いているはずです。
――じゃあ、これは?
あたしが思考停止で固まっている間にも、
クスクス笑いはドンドンと大きくなってきて、
ゲラゲラと騒々しい笑い声に変わっていきます。
体育館の中に不気味な笑い声が反響して、
頭がおかしくなりそうなほどに。
「だ……誰!? で、出てきなさいよ……!!」
あたしはもう、怒りと恐怖がごっちゃまぜになって、
思わず怒鳴るようにして叫びました。
一瞬、シン、と静まり返る館内。
数秒、沈黙が空気を包みます。
あたしがゴク、とつばを飲み込んだ、次の瞬間でした。
「ここだよ」「ここ、ここ」「ほら見て」「ねぇねぇここだよ」「目の前にいるぞ」
いっせいに、声が聞こえ始めました。
一人じゃない。二人、でもない。
もっと大勢の、男女問わない数々の声が、目の前から。
そう、ボールカゴの中から、いっせいに聞こえてきたんです。
「え……え……??」
あたしは、がくがくと震えつつ後ずさりました。
すぐ目の前の、カゴの中に入っているボールたち。
それが――いっせいに、しゃべり始めたのですから。
いえ、それは正しくありません。
ボールだったもの――それがほんの一瞬の間に、
さまざまな人間の頭部に、姿を変えていたんです。
「ねぇ、気づいたよ」「ほんとだ、見てるのぉ」「ねぇねぇどうだった?」「ぼくらの頭で遊ぶの楽しかった?」「ちょっとー、聞こえてるのかい?」
さっきまで、さんざんゴールに投げ入れたり、
ドリブルに使っていたボールたち。
それが、子どもだったり老人だったり、
女性だったり男性だったり。
多種多様な人間の首から上だけの部分になって、
ひっきりなしに、あたしに向かって話しかけてきました。
幻聴、幻覚、これは夢。
必死でそう思いこもうとしても、
延々と話しかけてくる声は止まりません。
「ねえねえ、今度は体を交代しようよ」「いいわねぇ、だってさっきまで、私たちが遊ばれていたんだし」「ああ、いいなぁ。若い体だなぁ」
「よし、誰が最初にあの体をもらう?」「それはあたしでしょ。女だし」「いいや、私だよ」
ボールたち、いえ、頭たちは、
大きな声でそんなことを話し合っています。
体を、もらう?
いったい誰の――あたし、の?
(に、逃げ、ないと……!!)
足はすくみ、体は震えてまったく力が入りません。
でも、このままじゃ、いったいどうなるか。
ガクガクと震えて進まない足を、もはや気合いだけで動かして、
あたしは頭たちがしゃべっているスキに、ジリジリと後ずさりました。
しかし、
「あっ、逃げようとしてるよ」「ダメだ、ダメだ逃がさない」「大事な体た、大事な大事な」「よし追っかけようか」「そうだな、捕まえよう」
と、彼らに気づかれてしまったんです。
(ヤバイ、どうしよう……!!)
怯えるあたしの前で、突然、
ボールカゴがガタガタと震え始めました。
「え、ちょっ……!?」
あたしは、悲鳴を上げて腰を抜かしかけました。
カゴの中に満杯につめこまれていたボールたちが、
突然、ボトボトとカゴの外にあふれ出してきたんです。
幻覚でも、幻聴でも、見間違いでもない。
確かに、ボールたちが自発的に話して、動いている――!
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