死神と双子
死神は狼狽していた。
眼前に横たわる死体。うつ伏せのまま全身を地に預け、瞳からはすでに光が失われた少年の亡骸。それは死神にとってありふれた光景のはずだったが、その傍らで亡骸に抱きつくように泣く双子の弟の姿が、死神の心を激しく震わせていた。
「——こんなはずではなかった」
死神は呻くように小さな声を上げた。その右手には冴え冴えと輝きを放つ長柄の鎌が握られていた。すでに役目を終えた鎌はだらりと死神の手にぶら下げられ、その鋭い切っ先が辺りの空気を冷たく締め上げていた。
側から見ても全く見分けのつかない瓜二つの双子の兄弟。しかし、よもや死神が間違いを犯すなど天地がひっくり返っても在りえぬものを、それがどうしてこのような結末を招いてしまったのか。本来命を刈り取られるはずだった双子の片割れは、いまなお兄の傍らで泣き続けている。
双子の弟の目に死神の姿は決して映らない。突然心肺を停止させ、後に心臓麻痺であると検死結果が告げられることになる兄の身体に、弟はすがりついて泣くほかなかった。
振り下ろされた鎌はたしかに兄の命を奪っていた。それは無慈悲なまでに確実で堅牢な死の執行であり、それを今さら覆すことは、いかに死神といえど叶わぬ願いだった。いつまでも止まぬ弟の慟哭と重苦しい死神の沈黙が辺りを包んでいた。
◆◇◆
死神は密かに双子の弟を見守ることを決めた。なぜそう決めたのか、死神自身にもよく分からなかった。ただそうすべきだと死神は固く信じていた。
双子の弟だった男は、心に深い傷を負いながらも無事に歳を重ね、やがて青年になった。幼馴染と結婚し、可愛い二人の女の子を授かった。しかしある時、職場からの帰宅途中に不慮の交通事故に巻き込まれ、男は息を引き取った。
死神は男を蘇らせることにした。
自らの鎌で刈り取った命でないならば、それを再び元の形に戻すことは容易いことだった。
蘇った男は何事もなかったかのように歳を重ね、やがて壮年になった。妻とは変わらぬ固い絆で結ばれ続け、二人の娘達は成人してそれぞれ家を出ていった。しかしある時、一人で釣りに出掛けた渓谷で急流に足を掬われ、男は息を引き取った。
死神は再び男を蘇らせることにした。
蘇った男は何事もなかったかのように歳を重ね、やがて老年になった。妻は病で先にこの世を離れ、二人の娘達はそれぞれ可愛い孫達を産んだ。
老年になった男は幸福だった。兄の分まで人生を謳歌するように、満ち足りた余生をおくった。
◆◇◆
暗い病室の中で、男は最後の刻を迎えようとしていた。
ベッド脇に据えられた心電図のモニタからは何本ものケーブルが伸び、男の胸や腕へと繋がれていた。男の残り少ない命の灯火は電気信号に変換され、モニタへと絶え間なく送り続けられていた。
男の傍らには寄り添うように死神が立ち、黙って男を見下ろしていた。他には誰もいなかった。
「——そこにいるんだろう?」
男の嗄れた声が病室の空気を微かに震わせた。死神は驚き、立ち竦んだ。男の目は白く塗られたモルタルの天井を見ていた。
「最初は君を恨んだりもした。君は知らないだろうが、何度生き返っても死ぬ間際の記憶は消えずに残るのさ。私はそれを毎夜夢に見た。それがどれほど耐えがたい責め苦だったか、君には決して想像も付かないだろうな」
死神は言葉を返すことができなかった。
「だがいまは感謝している。君のおかげで最愛の妻の最期を看取ることができた。おまけに可愛い孫達までこの手で抱けたのだから」
男の両手が病室のなにもない空間を撫でるように当てどなくさまよった。その手はあるいは幻の中で孫を抱いているのかもしれなかった。
「もし許されるなら、最後にひとつだけ頼みを聞いてくれないか?」
男のか細い声が虚空に吸い込まれていった。死神は言葉を返すことができなかった。構わず男が続けた。
「私の意識があるうちに。殺してくれ」
男はたしかに一度、死神の方をはっきりと見つめ、それから静かに瞼を下ろした。ベッド脇のモニタが、男の命が次第に失われていくその軌跡を、緩やかな曲線で映し出していた。男は両目から一筋の涙を溢し、一度苦しそうに咳払いをしたが、やがて微かな寝息を立て始めた。
死神はじっと男の姿を見つめ続けた。男の顔はどれだけ歳を取ってもやはり双子の兄のものと瓜二つのように思えた。もしかしたら、双子の兄弟は魂の形まで瓜二つだったのかもしれないと、死神は思った。
「さようなら、双子の片割れ。兄と弟、そのどちらでもあった者よ」
鎌をゆっくりと持ち上げ、下ろした。