二十九話 戻ってきた平穏
【よくぞ! よくぞ参った! 人間よ!】
学園ダンジョンの下層。百階。
曇天が覆う荒廃した大地が、どこまでも、どこまでも続く亜空間だ。
学園の創立者以外でここにたどり着けたのは、歴史上でも数えるほど。
そしてこの魔王に打ち勝ったのは、これまでたったひとりだけだった。
【我こそがこの迷宮の魔王! アルター=オラクル!】
その百階に轟く大音声。
おぞましいそれを放つのは、この世のものとは思えないような怪物だった。
さまざまな生き物を溶かして固めて、無理矢理人間の形を作ったようなシルエット。
肌は死人のような白さで、至るところに真っ赤な血管が浮き出して、どくどくと鼓動を刻んでいた。
身の丈百メートルはくだらないだろう。
まさに異形と呼ぶに相応しい風貌だった。
ダンジョンの最奥には、そのダンジョンを統べる魔王がいる。
当然ながら学園ダンジョンの最奥にも、この大ボス――魔王アルター・オラクルが存在していた。
それに対峙するのは私、ロザリアただひとりだ。
(へえ……やっぱリアルで見ると、けっこうグロいのねえ)
ゲーム中でも、こいつはかなりの難敵だった。
かなり仲間を育てても、MP回復薬や蘇生薬を大量に消費するほどの長丁場になる。
だが私はそんな相手を前にして、ただ平静に構える。
やることはひとつだけだった。腰をわずかに落とし、右手をゆっくりにぎりしめ――。
【その力……確かめさせてもらう!】
魔王が巨大な腕を振り下ろす。
シンプルな直接攻撃。しかし、ただの人間がくらっては一発でミンチ確定だ。
対する私が放つのは――。
「せいっっっ!!!」
【る゛っ!?】
バゴォッ!!!!
渾身の正拳突き。
その一撃が魔王の腕を、肩を、腹部を、頭部を、脚部を瞬く間に砕いてしまった。
哀れ、魔王は断末魔さえ上げることなく、光に包まれ消えてしまう。
私の脳内ではゲーム内の勝利ファンファーレが流れた。
己のこぶしを見下ろして、引きつった笑いをうかべるしかない。
「ラスボスをワンパンとか……ちょっとデタラメすぎない?」
さすがは腕力999999。
学園中に響き渡るチャイムの音。
それと同時に、アロイス先生が板書の手を止める。
「では、本日の授業はここまでだ」
先生の言葉に、あちこちからため息がこぼれ落ちた。
『冷徹伯爵』の二つ名は伊達じゃない。
今日の授業も、まるで戦場のような緊迫感が満ちていた。
それがようやく緩む。
生徒たちは雑談をはじめたり、急いで教室を出て行ったりする。
これで今日の授業はすべて終わりだ。
私はほうっとため息をこぼし、涙の浮いた目元をこする。うう……眠い。
(はあ……ちょっと昨日は夜更かししちゃったもんね……)
ともあれこれで授業も終わり。
私もまわり同様に、帰り支度をはじめるのだが――。
「ベルフェドミナ」
「はい?」
そこでハッと顔を上げる。
見ればアロイス先生が人差し指だけで私を呼んでいた。
あわてて向かえば、もちろん周囲の視線は私に釘付けだ。
ええ……居眠りは我慢してたんだけどな。
「な、なにかご用でしょうか。授業はちゃんと聞いてましたよ」
「そんなことは百も承知だ」
アロイス先生はにべもなくそう言って、じっくりと私を見つめる。
「あれから一週間だ。どうだ、変わりはないか」
「どう、って……」
「先日きみが先日討伐した、キマイラ。やつの推奨レベルは15だった」
アロイス先生は淡々と告げる。
だが、その声には隠しきれない興奮がにじんでいた。
「それをきみは、たったレベル1で討伐してしまったという」
「あ、あのときは無我夢中で、よく覚えてなくて……」
「ああ。そうらしいな」
あのキマイラ事件から一週間。
私はすっかり、元の日常を取り戻していた。
とはいえすべてが元通り、というわけにはいかない。
例の少年たちはすべての悪事を認め、半年の自宅謹慎処分になった。
おそらくそのまま退学するのではないかとも言われている。
少年はどうしようもない悪ガキだったが、どうやら家の人たちはまともだったらしい。
私たちへの丁寧な謝罪と、二度とこんなことが起こらないように性根を叩き直すという、分厚い手紙が届いていた。
そして、もうひとつ変わったことがある。
それは――私を見る、周囲の目だ。
あたりからはヒソヒソと話し声が聞こえてくる。
いわく。
「すごいよな、ベルフェドミナさん……俺たちなんか、まだダンジョンの一階にもぐるのも怖がってるっていうのにさ」
「ああ。俺たちの学年の英雄だよ」
「素敵……私もロザリアお姉様と一緒に冒険してみたいな……」
聞こえてくるのは、どれもこれも熱っぽい話し声。
興奮と尊敬を孕んだ眼差しも、教室のあちこちから飛んでくる。
すべてのルートで死亡する『時報姫』ことロザリア・ベルフェドミナ。
それがどういうわけか……すっかり有名人になってしまっていた。しかも好意的な意味で。
私がヨハネたちを助けるためにダンジョンに向かったことも、たったひとりで強いモンスターを倒したことも。あっという間に学園中のみなが知るところとなった。
「ふむ、もう一度ステータスを確認させてもらうぞ。《鑑定》」
アロイス先生が指をパチンと鳴らせば、メッセージウィンドウが私の前に浮かび上がる。
そこに記載されているのは見慣れたステータスだ。
ロザリア・ベルフェドミナ
レベル3
【体力】28
【精神力】36
【筋力】10
【耐久力】9
【魔力】23
【俊敏】15
【幸運】9
【所持スキル】なし
ひどく平凡な数字の羅列。
しかしその文字に、かすかなちらつきが走ったのを、私は見逃さなかった。
続きはまた7/16更新します。
二章は短めで十話か九話予定。平日は一日一回、休日は二回更新……できたらいいなと思います。
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