スープ評論家
子育ても終わり、時間をもて余していた私の目に飛び込んできたのは、近所の料理教室のチラシだった。
若い頃なら習いたかったけど、今の私に必要かしら?と思いつつ、主人に相談してみた。
主人は、楽しみが増えるのはいいじゃないかと私の背中を押してくれた。
三ヶ月もたつと、料理のバリエーションも増え、主人も目新しい料理が食卓へ並ぶので、とても喜んでくれた。
その日、料理教室の先生から課題が出された。
スープ評論家の方が来るので、いつも家庭で作っているスープ料理を来週作りましょう、とのことだった。
私は困った。
いつも作っているスープ料理と言ったら、お味噌汁位しかないし、それでいいのかと悩んだ。
でも、先生は家庭で作っているものといったし、きっとそれでいいんだろうと自分を納得させ、スープ評論家が来る日の料理教室にのぞんだ。
私のスープ料理は里芋の茎を干したものと、じゃがいもと、白菜の味噌汁だった。
周りを見渡すと、お味噌汁は私だけで、皆は、洋風のスープを作っていた。
しまった…!
そう思いつつ、いつもの通りお味噌汁を作った。
出来上がると、皆、スープ評論家と呼ばれた紳士を期待の目で見つめている。
皆、自信のある料理なのだろう。
スープ評論家は火加減がとか、具材の火の通り方がとか、辛口で評価していく。
私の番になり、お味噌汁を差し出すと、スープ評論家の紳士は、ゆっくり飲み干した。
「美味しいけどね、迷いがあるね、これを元々作っていた人とはちょっと違う味付けにしたんじゃないの?」
「あ、はい、元々祖母が作っていたメニューですが…。」
「なるほどね、幸せになって欲しいって味がするのは、きっとお祖母さんの気持ちだね。あなたの味付けには、本当にこれでいいのかって迷いがあるんだね。」
スープ評論家の紳士が何を言いたいのかわからなかった。
「これを教えてもらった時と、あなたがにたような状況にあるけど、あなたには次に教える相手に迷いがあるんだね。」
正直、背中がゾクッとした。
このお味噌汁は、私がお嫁にいくときに、祖母が教えてくれた唯一の料理だった。
そして、今、私は一人娘の結婚に直面している。
しかし、娘が選んだ相手が、本当に娘を幸せにしてくれるか不安でいっぱいだったのだ。
「これは教えていいものでしょうか…。」
スープ評論家の紳士は少し悩んで、
「スープの味は、よくも悪くも、気持ちが伝わってしまうからね、よく考えてからの方がいいでしょうね。」
と答えた。
あれから、5年。
私は娘に味噌汁の作り方を教えなかった。
共働きの娘は孫娘を私に預け、仕事にいく。
孫娘は、ばあば大好きと言ってくれるが、寂しいんじゃないかと、いつも心配してしまう。
「ばあば?ママのお味噌汁とばあばのお味噌汁って何で同じ味なの?」
ある日孫娘が言った。
私は驚いた。
料理の本は買い与えたけれど、お味噌汁どころか、料理すら教えたことはなかった。
「ママのお味噌、ばあばと同じ味なの?」
孫娘に聞くと、笑顔でうなずいた。
「どんな味なの?」
孫娘はしばらく考えたあと、
「幸せの味!」
と答えた。
その一言だけで、娘が幸せな結婚生活を送っていることは容易に想像できた。
私は、何を心配していたのだろう。
私は、何を頑なに決めつけていたのだろう。
私は孫娘の頭を撫でながら、
「あなたがお嫁にいくときは、このお味噌汁の作り方、教えるからね。」
と言った。
「パパがお嫁さんになっちゃダメって言ってたよ?」
「そうね、ふふふ。」
私は、娘にちゃんと伝わっていたんだな、そう思った。