ばーじょんあっぷ②
お盆にコーヒーを二つ乗せたリノが急ぎ足でこちらへ近付いて来る。
って、ふらふらしてるというか、よろよろしているというか、何だかやたらと危なっかしい。
まあロボ娘が、すっ転ぶなんてドジっ娘じみたことするわけ……、ん?
「……ドジっ娘?」
「――ひゃあっ!?」
自分の言葉に引っ掛かりを覚えたのと、リノの悲鳴が聞こえたのはほとんど同時だった。
リノが、自分の脚に躓いて転ぶ、なんてベタな転び方の見本みたいな転び方で、派手にすっ転ぶ。
当然手にしていたお盆は勢いそのままに進行方向――つまり僕に向かって一直線に飛んでくる。二杯の、熱いコーヒーと共に。
……あ、こういうときに風景がゆっくり感じるって本当だったんだ。
時間が引き延ばされた気のする世界で最後に僕が思ったのは、ミルク付けてもらうの忘れてた、なんて今更なことだった。
そして、時間が加速する。
「――っ! あっ……つっ……っ!?」
最初に頭へ真上からコーヒーが降ってきた。続けざまに、胸元へいい具合に拡がったコーヒーがヒット。そして熱さで仰け反った顔面へ、止めとばかりにお盆が直撃で3ヒットコンボ成功。
正直に言おう。死にそうです。
服を脱ごうとしても熱さでまともに身体が動かない。お蔭で痛みも熱さも治まらない。
泣くぞ。
「はわ、はわわわわっ! も、申し訳ありません、ご主人様っ!」
派手に転んだわりに傷一つないリノが、大慌てといった風で圧し掛かってくる。
そのまま剥ぎ取るように上着を引っこ抜こうとする。
「ちょっ、待って……! お、落ち着い――って、そっちはいい! そっちはいいってばっ!」
服が破けそうな勢いで上半身を裸にされると、当たり前のようにリノの手はズボンのベルトを緩め始めた。
「ダメです、このままでは火傷してしまいます! 早く脱いでくださいっ!」
「……あー、リノ。とりあえず落ち着いて現状を確認してみたらどうだ?」
見るに見兼ねたのか、姉さんが救いの手を差し伸べてくれる。
「で、でもっ! ……、あ」
尚も反論しようとしていたが、それでも一息吐いたのか、リノがようやく今の状況に気付いてくれる。
つまりは、自分が僕を押し倒し、服をひん剥き、パンツまでずり下ろそうとしているということに。
「~~~~っ!!」
瞬時にリノの顔が沸騰し、ロボらしさを遺憾なく発揮して高速バックステップ。
が、途中に落ちていたお盆を踏んで、今度は派手に後ろに転がった。
何か嫌な音を後頭部で奏で、リノが仰向けに倒れる。
「うむ、見事なドジっ娘ぶりだな」
「見事じゃないですよ……って言うか大丈夫!?」
くたりと横たわったリノはぴくりとも動かない。
「心配するな。ドジっ娘という属性はどんなに派手にドジを踏んでも傷一つ負わないという、無類の耐久性も兼ね備えているものだ」
そんな馬鹿なと思ったが、実際にふらふらしながらも傷一つない様子で起き上がったリノを見てしまえば、何も言えなくなる。
「はぅー……、あ、あ! ご主人様、今すぐお着替えをお持ち致します!」
どうやら痛みよりも恥ずかしさのほうが問題なのか、僕を見るとそう言い残して逃げるように部屋を出て行ってしまった。
とりあえず脱げ掛かったズボンを直し、姉さんに向き直る。
「で、あれは一体何なんですか? ……あ、ドジっ娘メイドだ、なんて説明は要らないですから」
「分かっている。さっき言っていた後付けプログラムがアレだよ」
「……ご主人様と呼びながら事ある毎に派手に転んで、人の頭にコーヒーぶっ掛けるプログラムですか?」
……改めて言葉に直すと凄いね。
「それも含めて、だ。要するに口調も行動も『ドジっ娘メイド』仕様になるプログラムだよ」
「……」
「ふふん、素晴らしすぎて言葉もないか? ま、当然だろう」
姉さんは優越感に浸っているように何度も頷いている。
確かに、言葉もない。姉さんの想像とは百八十度、違う理由だけど。
「それは……どういうメリットがあるんですか……?」
「うん? それは勿論色々あるが……さしあたって、今のお前には“夜の生活”が豊かになる……どうした、机に突っ伏して」
差し当たって思いつくメリットがそれ……。
「今のリノで十分ですから豊かになんなくていい――」
「馬鹿を言うな! いいか? 確かに今の自分というものを認めることも大切だ。だが、だからと言ってそれに甘えて歩みを止めてしまうと言うのなら話は別だ。そもそも――」
怒鳴られた上に、説教をされている。
えーと……物凄くいいこと言われてる気がするけど、その発端が“夜の生活”云々だというのは哀しすぎて泣けてくる。
頭痛を感じて思わず頭を抱えていると、行きと同じで慌しくリノが戻ってきた。
「お、お待たせいたしました! ご主人様、お着替えとタオルをお持ちしましたっ!」
「あぁ……うん、ありがと――って、別にわざわざ拭いてくれなくてもいいから」
戻ってくるなり、僕の前に跪いて頭やら身体にタオルを押し当ててくるリノ。
その感覚が何ともむず痒く、制止するもリノは変わらず――というかより身体を近付けるようにして拭いてくれる。
と、何故か悪寒が走った。
この状況で、そんな状態を引き起こす人は一人しかいない。
首を巡らせれば、明らかに何か思いついた顔をした姉さんが口を開く。
「リノ」
「は、はい! 何でしょうか!?」
「性格プログラム変更だ。プログラム『つんでれ』」
その言葉で、表情豊かだったリノがいつも通りの無表情へと戻る。
「了解しました。……、変更完了」
一時、眠るように瞳を閉じ、変更完了の言葉と同時、またすぐ開く。再起動、みたいなものだろうか。
プログラムが変更されたらしいリノと間近で目が合う。
……ん? で、変更後のプログラムがツン――。
「な、何でアンタなんかの顔を私が拭いてやらなくちゃならないのよ!? 自分で、か、勝手に拭けばいいじゃないっ!」
半ば弾かれるように身を引いたリノに、物凄い剣幕で怒鳴られながら、持っていたタオルを顔に投げ付けられた。
「いや、何でって……。そもそも頼んでないし、コーヒー零したのリノだしさ……」
「うるさいっ! 男だったら男らしく自分が悪かったって言うものでしょう!? それなのに人のせいにするつもりなのっ!?」
「えぇー……人のせいも何も、実際リノのせい――って、痛い痛いっ!」
尚も言い募ると思い切り足を踏まれた。予想はしていたけど理不尽だ。
「……姉さん」
リノのあの表情は、普通に怒ってる顔だ。間違いなく照れ隠しとかじゃない。
「うむうむ。よい出来だな。ナイスツンデレっ」
「全っ然よくないですよ? あれの何処にデレがあるって言うんですか」
あとナイスツンデレって何。
「いや、あれでいいんだ。今回はスタンダードなツンデレに設定してあるからな」
「ツンデレの標準って一体……」
「ま、これもまた百聞は一見に如かず、だな。ちょっと席を外すぞ」
「え? 何処行くんですか?」
僕の質問に手だけで答えて部屋を出て行ってしまった。
今一つ意図が分からずに首を傾げていると、いきなりリノに呼ばれた。