三題囃(お風呂、ビール、結婚)
今回のお題は「お風呂」「ビール」「結婚」。
かかった時間は2時間33分でした。
「ちくしょうふざけんじゃねえよおういぃ」
そう悪態をついておれは缶ビールに口をつけた。
時刻は終電も終わった深夜で、会社から帰っているところだった。と言っても会社を出たのは昼過ぎだからかれこれ10時間以上外をうろついている。最初は居酒屋にでも行こうと思ったのだが、昼間っからやっている居酒屋が見つからなかったのでコンビニで缶ビールを買い込み、飲みながら駅に向けて歩いていたところ、徹夜続きで疲れていたからか早々に酔いが回って公園のベンチで一休み。そのままベンチで眠ってしまい気がついたら終電も終わった深夜だった。まったくびっくりだ。どんだけ疲れてたんだよおれ。ともかくタクシー捕まえて帰宅だ。と思ったがまったくタクシーが見あたらない。もういい。歩いて帰ってやらあ。幸い会社から家までは歩いてなんとか帰れる距離だった。ついでに残っている酒を飲んでやる。なんだよぬるいじゃねえか。ビールは冷えたものに限るってのによ。とかなんとか言っているうちにまた酔っぱらって、気がついたらコンビニでビールを追加していて、こうしてべろんべろんになりながら家に向けて歩いているのだった。
どうしてこんな事になったのか。
話しは会社での昼の事件までさかのぼる。
我が社ははっきり言ってブラックだった。まっくろくろすけだった。今日にいたるまでもう何日も徹夜が続いていた。
そのうえ上司がうざかった。なんやかんやと仕事が遅いだの、敬語がなっていないだの、これだからゆとり世代はだの、体調を整えるのも仕事のうちだのと、いったい誰のせいで体調を崩していると思ってんだバカヤロー、ゆとり世代を生みだす政策を進めたのはいったいどこの世代なんだバカヤロー、だのと思いつつこの就職難の中なんとか入社した会社だ、そう簡単に辞めるわけにはいかない奨学金の返済や親への仕送りだってあるんだと思って口を出さずに「イエス」「イエス」でここまで来たのだが、このたび、口を出さずに我慢していたら、とうとう手が出てしまった。
上司を殴ってしまったのである。
「貴様……、いますぐこの会社から出て行け! 二度とおれの前に現れるな!」
それがおれに吹っ飛ばされた上司の放った言葉だった。
「ああ、出てってやらあ!」
というわけでおれは昼過ぎに会社を飛び出し、ヤケ酒をあおりながらの帰路につき、なんやかんやで深夜の道を千鳥足で歩いているのである。
これがおれのいまの状況。
おわかりいただけたであろうか。
ってあれ? ここはどこだ?
おれは辺りを見回した。気がついたら家への道から外れていた。っていうかお寺の境内にいた。誰だおれをこんなところに連れてきたやつは! もちろんおれだった。少し冷静になって、おれはだいぶ歩き疲れている事に気がついた。
っていうかビールが重いんだよ。誰だこんなに買ったのは。もちろんそれもおれだ。なんで6缶も7缶も買っちまったんだ。ああ、捨ててしまいたい。でもポイ捨てはいけませんって先生が言ってた。何先生だっけ? まあいいや。おや?
おれは小さな池の前に小さな祠がある事に気がついた。
いいところにいるじゃねえか、神様が。
おれは持っていたビールを祠に並べはじめた。
お供え物である。
おれは手を合わせて神に祈った。
お酒でございます。どうぞ、お納め下さい。
いえいえ、お礼などいりません。
でも、できれば。ほんとうにできればでいいんですが、ブラック企業を駆逐して下さると幸いです。
これでよしっと。
おれは軽やかな気持ちで家に帰った。
目が覚めたら会社じゃなかった。
そうだ、昨日は帰ったんだっけ。
時計を見た。出社時間を大幅に過ぎていた。おれは慌てて立ち上がってから昨日の事を思い出した。
そうだ、上司にもう来るなって言われていたんだっけ。
会社からの「出社しろ!」という類いの連絡は一切来ていない。ほんとうに昨日の時点でおれはクビになってしまったのかもしれない。
おれはため息をついた。
まあいいや。とりあえず、風呂にでも入ろう。
おれは帰ってすぐにベッドに倒れ込んでしまったらしく、体中がなんだか気持ち悪かった。っていうか心身ともに気持ち悪かった。シャワーで済ませる手もあったが、熱い湯に浸かりたかった。
ピンポーン。
湯をはっている途中で玄関のベルが鳴った。
もちろん無視だ。出る気分じゃない。
ピンポーン、ピンポーン。
無視継続。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
しつこいな。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピンポーン、
「うるせえ、どんだけ連打してるんだよ! 頭に響くだろうが!」
おれは玄関のドアを開けて叫んだ。
「お主が出ないのがいけないんじゃろうが」
「は?」
おれは目を丸くした。
和服に身を包んだ美女がドアの前に立ち、おれを見上げていた。
「えっと、どちら様です?」
「何を言うておる」和服の美女は恥ずかしそうに少し顔を赤らめてから言った。「お主から求婚して来おったくせに」
「は? え? なに? 球根?」
頭がお花畑になってしまったんだろうか。球根だけに。
「お主が献上してくれた酒、うまかったぞ」
「お酒?」
「とと様もかか様も大喜びじゃった。これなら聟に迎えても問題なかろうとな」
「むこぉ?」
「というわけで結婚の儀の準備はできておる。早うわしらの国に来ておくれ」
和服の美女はそう言うといきなり部屋に入ってきて、おれの手を引っ張りだした。
「おいおい! 勝手に入るな、手を引っ張るな!」
っていうかなんで入ってくるんだよ!
おれは抵抗を試みた。しかし、か細いその腕のいったいどこから湧いてくるのか、彼女は恐ろしい力でおれを引っぱり、とうとう風呂場にまで連れていかれてしまった。
「ってかなんで風呂!?」
「わしらの国は水の先」
和服の美女が湯の水面を手でなぞると、とつぜん湯が光出した。
「ゆくぞ」
「どこえええええええええ?」
おれが訊ねようとしたその瞬間、彼女はおれの手を引っ張ってお風呂へとダイブした。おれは頭から湯に突っ込み、とっさに目をつむった。こんな狭い風呂にふたりで入ったら窮屈でしょうがないはずなのに、湯船にも彼女にもぶつかる様子がない。おれは目を開いた。周囲は真っ暗な空間でどこまでも広がっているようだった。もうどちらが上でどちらが下かもわからない。一カ所だけ四角い窓があって光が漏れているが、どうやらそれがおれたちが入ってきた湯船らしかった。四角い窓はどんどん小さくなっていく。おれたちは吸い込まれるようにどこかへ向かっているようだった。
「もう少しじゃ」と和服の美女が言った。水中のはずなのに声が聞こえた。
その瞬間、彼女の見つめる先にトンネルの出口のような光りが見え始め、あっという間におれたちを包み込んだ。
「ぶはっ!」
おれは水から浮かび上がり、大きく息を吸った。そこは池のようだった。おれは慌てて縁まで泳いだ。そこに小さな手が差し伸べられた。とっさに手をつかむと、その手の主はおれを池から引き上げた。
おれを引き上げたのは、やっぱり和服の美女だった。
「ようこそ、わしらの国へ」
「お前らの、国?」
おれは息を整えてから周囲を見回した。
そこは極彩色のオリエンタルな建物に囲まれた広場で、おかしな姿をした人々で賑わっていた。