三題囃(パンダ、窓、文章)
今回の三題は「パンダ」「窓」「文章」でした。
かかった時間は2時間27分。
……時間をかけすぎた。
文章量を減らしてでも時間を削減しないと生活に響く。
それは学校から帰る途中の道ばたでの出来事だった。
とつぜんぼくの行く手をコートとハットを被った巨体遮った。とうぜんぼくは避けようとした。しかしハットの下にある顔を見て思わず立ち止まってしまった。
パンダだった。
たぬき顔とかきつね顔とかそういう動物に似ている顔という意味じゃなくって。
正真正銘のパンダだった。
「文章の書き方を教えていただきたい」
パンダは言った。
「は?」
何を言っているんだこいつ。と同時にぼくはすっかり気が動転していた事に気がついた。本物のパンダなわけがない。コートや帽子を着込んで二足歩行をし、あまつさえ日本語をしゃべるパンダなど存在するわけがない。何かのマスコットキャラ。ユルキャラだ。もふもふの外見は着ぐるみで、おっさんかお兄さんかはたまたお姉さんかなんだか知らないが中には人間がいるに違いない。見た事のないキャラだったがこの辺りで何か催し物やらキャンペーンでもやっているのだろう。まったく、持ち場を離れて何をやっているんだ。ダメじゃないかこんなところで油を売ってちゃ。君には君の仕事がある。
ぼくはため息まじりに息を吐いてからにこやかに笑い、そのままパンダの横を通り過ぎようとした。
君には君の仕事があるようにぼくにはぼくの仕事がある。と言ってもぼくはだたの高校生だが、とにかくぼくの仕事は6時間きっちり授業をこなしたことで終了したのである。つまり今は自由時間。足止めされるいわれはない。というわけで速やかにぼくはこの場を立ち去ることにした。昨日買ったばかりのゲームがぼくを待っている。にこやかな笑顔は「お仕事大変ですね頑張って下さい」というぼくなりの配慮だった。スマイルは0円。サービスサービス。
が、その試みは失敗に終わった。
横を通り過ぎようとした瞬間、パンダがぼくの腕をつかんだのである。
ぼくはパンダを見上げた。
パンダはぼくを見下げた。
「文章の書き方を教えていただきたい」
白黒のはずのパンダの顔が真っ黒に見えて、表情がどす黒く見えて、しかも声にドスがきいていて、ぼくは思わず、
「はい」
と答えた。
ギャングのパンダだった。
ぼくたちはぼくの家へと向かって歩いていた。ギャングのパンダがせっかくだからぼくの家で文章を教えてほしいと言い出したのだ。何がどうせっかくなのかまったくわからなかったがぼくは従う事にした。コートの中から今にも拳銃を取り出してきそうな雰囲気だったからである。
ぼくは黙って歩いた。少し俯き、変な汗もかいていた。大声でも上げて助けを求めるべきだろうか。ちらりとパンダの横顔を盗み見ようとた。パンダもぼくを見ていた。目が合ってしまった。
「あなたは私を見ても逃げないのですね」
ギャングのパンダが沈黙を破った。
「自宅に招いてくれた人はあなたが初めてです。これまで話しかけた人は一目見て逃げ出すか、そうでなければ一声聞いて逃げ出すかのどちらかでした。しかしあなたはそうではなかった。それどころか文章の書き方を教えて下さるという。感謝します」
そう言ってギャングのパンダはハットを手に取って小さく頭をさげ、それから顔を上げてにっこりと笑った。さっきまでの恐ろしい形相が嘘のような真っ白で柔らかな笑顔だった。
もしかしたらぼくは勘違いをしていたのかもしれない。
「なんで文章の書き方を教わりたいんですか?」
再び歩き出してぼくは訊ねた。
「それは動物界の平和のためです」
「はい?」
動物界? 平和? ぼくは思わず訊き返してしまった。
「動物界の平和です。動物界では長らく種族間、個体間に問わず血で血を洗う戦いが続いておりました。これまでに出た死者の数は億や兆では足りないでしょう。その争いは止めようがないと思われてきました。そのほとんどは生存のための、つまりは空腹を満たすための戦いだからです。しかし私は夢を見てしまいました。言葉を使えば完全に争いを止める事はできなくても、無駄な殺し合いは止められるのではないか、と。動物界には人間の持つような高度な言語がないのです。あっても人間で言うところのボディランゲージのようなものがほとんどです。同種族間ではそれでもまだなんとかなります。しかし別の種族との間でのコミュニケーションとなると恐ろしく困難なものとなります。そこで我々は言語というものを人間から学び取り、動物界に持ち込みたいのです。私との会話でお分かりかと思いますが、話す聞くに関してはすでに研究が進み実践できるレベルに達しています。あとは読み書きです。文章を残せるかどうかで伝達の正確さに大きな違いが出ます。そこで我々は文章の書き方を人間から教わる事にしたのです」
「それはまた、壮大な夢で」
話しを聞いて呆然としてしまった。ずいぶんと話しが大きいじゃないか。
もしかしたら動物界変革の瞬間にぼくは立ち会うことになるのかもしれない。
言葉を覚えても争いが減るとは思えないけれど、それは黙っておくことにした。
やってみなくちゃわからない、とも言うしね。
家に着いた。玄関を開けて、母に見つからないうちに二階のぼくの部屋にパンダを押し込んだ。
巨体のパンダが入るとぼくの部屋はひどく小さく見えた。
「ここに座って」
ぼくがちゃぶ台の前に座布団を置くと、パンダはうなずいてから座った。
正座だった。
「えーっと、何か飲む?」
「あ、お構いなく」
「せっかく人間の家に来たんだし、なんか持ってくるよ」
「ありがとうございます」
パンダは素直に言った。
ぼくは部屋を出て冷蔵庫のあるキッチンへ向かった。キッチンには母がいた。
「誰か来ているの?」
と母が訊いて来た。
「うん。友達がね」
それだけ言ってぼくは冷蔵庫を開けた。さて、何を持っていこうか。コーラ。牛乳。母が愛飲している豆乳。迷ってから牛乳にハチミツを少し入れたものを持っていくことにした。クマと言えばハチミツだ。パンダもそうかは知らないけれど。
笹入りのほうがいいのかもしれない。
「お待たせ」
二階の部屋に戻るとパンダは同じ姿勢で待っていた。ぼくがパンダの前にコップを置くとパンダは礼儀正しく「ありがとうございます」と言った。
「それで、何をどう教えたらいいのかな。もしかして、ひらがなから?」
「いえ、ひらがなやカタカナはすでに習得済みです。漢字もある程度は書けます。私が知りたいのは文章の書き方です」
「なるほど」
確かに、文字を教えてくれとは言わなかった。文章か。ここまで来てなんだが、難しい気がしてきたぞ。
その時だった。
ピンポーン!
家のチャイムが鳴った。来客らしく、母が玄関に向かう気配がした。チャイムの音に慣れていないのか、パンダがビクッと肩を揺らした。でも異変はそれだけじゃない。毛が逆立っている気がした。
「あの……」
パンダが何かを訴えようとしたときだ。玄関から何か騒ぎが聞こえて来た。
「え? なんです? パンダ? あ、ちょっと勝手に!」
ドタドタという階段を上がってくる足音がしたかと思うと部屋の扉が勢いよく開き、同時に叫び声が響いた。
「あんた!」
扉を開けたのはもう一頭のパンダだった。
「また人の世に出入りをして、いい加減に……あっ、どこへ行くんだい!」
その瞬間に扉と反対側にある窓ガラスの割れる音がした。ぼくに文章を教わりに来たパンダが窓を破って外へと飛び出したらしかった。新しくやって来たパンダがそれを追うようにしてぼくの目の前を通り過ぎ、そのまま窓から飛び出して行った。ちゃぶ台がひっくり返ってハチミツ入り牛乳が部屋に飛び散った。まるで突風のようだった。
「待たんかい!」
家の外から声が聞こえた。
二階から飛び降りたというのに平気で追っかけっこを続けているらしかった。
開け放たれたままの部屋の扉を見ると母が呆然と立っていた。
いきなりパンダを見たせいか、目を白黒させていた。