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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

おとなのいない森

作者: 倉紀ノウ

 いつからこの森で暮らしているのか思い出せない。気が付いたら、ぼくはこの森で暮らしていた。ぼくは、木の上に建てられた小屋に住んでいる。他のみんなもだいたいそうだ。女の子は地面の小屋で寝るけど、ぼくは猿みたいに木の上で寝る。ハシゴを使って下に降りた。なんだか騒がしい。みんな騒いでいる。みんなが何かを囲んでいるので、やっぱり大人がぼくらの森に入りこんだんだと分かった。「どうした?」ぼくがみんなに聞くと、「大人だよ」パーシーが大人を睨みながら答える。長年使い込んだ感じの猟銃を持っている。鹿を追って入ってきた猟師だ。いや、本当は、ぼくたちをさらいに来たのかもしれない。両手を体の後ろで縛られている。家づくりにつかうロープだから、絶対に切れないだろう。猟師は二人いる。一人は年配で、頭が禿げていて、両側だけに白い髪が残っていて、おじいさんという感じ。もう一人は、若い色白の男の人。親子か。「なんだお前たち、俺たちをどうするつもりだ?」おじいさんの方が、聞いた。別に、特定の誰かに聞いたわけじゃない。ぼくらが子供の集まりだから、怯えてはいない。怒っている顔だ。ホレスがこう答える。「大人は殺さなきゃならない」それを聞いておじいさんが、「こら、いたずら坊主ども。大人をからかうもんじゃない。なんの遊びか知らないが……」言い終わる前に、ずどん、という鈍い音が響いた。ぼくはびくっとなった。おじいさんのお腹に大きな穴があいた。若い方の猟師は、「とうさん、とうさん!」と言って泣いた。お腹に開いた穴から血がどんどん出てきて、穴がどうなっているかよく見えなかった。なんだか下水が流れるみたいに汚い色の血が出ていた。銃を人に向けて撃つとこうなるのか。「大人と口をきいちゃ、いけない。大人は人を騙すからね」あの子が猟銃を持っておじいさんの後ろに立っていた。あの子が猟銃を撃ったのか。あの子はほんとうに、大人に容赦しない。「若い方はどうする?」パーシーがあの子に聞いた。あの子は、生き残った若い方に尋ねる。「お前、何歳だ?」若い方は震えた声で答える。「じゅ、17……」あの子はそれを聞いて呟く。「間に合うかもしれない」あの子は、男の子三人に何か言った。三人は、走ってどこかへ行き、何かを持ってきた。なんだ。あの子は若い方の口に、何か突っ込んでいる。なにかを無理矢理食べさせているんだな。若い方は嫌がって抵抗しているが、三人の男の子がしっかり掴んでいるので体をゆすることしかできない。ぼくは聞いた。「何を食べさせているの?」するとあの子は、「見ちゃいけない。頭がおかしくなってしまうぞ」若い方の男は、さっきまでその何かを食べさせられるのを嫌がっていたのに、今は自分の手でその何かを口に運んでいた。

 



 この森は楽園だ。ぼくたちの森には楽しいことしかない。大人たちがたまに邪魔をしにくるけれど、あの子が守ってくれるから心配はいらない。あの子は不思議な魔法を使える。空を飛んだりすることもできる。大人みたいに、小難しいことやお金のことを考えてつまらない争いをしたり、弱い人を口汚く罵ったりしていじめることはしない。みんなが家族。ここには子供しかいない。今日の遊びはハロルドとナディアが決めた。今日はお題当てゲームだ。最初にお題を決めて、一人がそのお題の絵を描いてみんながそれを当てっこする。こいつは難しければ難しいほど面白い。お題は『おしっこをがまんするひと』『空を飛ぶ夢を見ているひと』『鍋を焦がしちゃったひと』なんかだ。簡単なお題でも、絵の下手な人に描かせると最高に盛り上がる。ぼくらはたった一日で大人たちの一生分くらい笑う。まあ、大人はあんまり笑わないから当然か。しばらく遊んでから、お題当てゲームにも飽きて寝そべって雲を見ていた。すると、あの子がやってきた。知らない子を連れている。小さな子供だ。「その子は?」ぼくが聞くと、「新入りだ。仲良くしてやってくれ」と嬉しそうに言う。「ふうん。よろしくね」みんな、その子を取り囲んで握手したり、頭を撫でたりして歓迎した。「この子の名前は?」ぼくたちの中で一番お人好しのターニャが尋ねた。「覚えてないんだ」あの子が言った。小さな新入りは泣き出しそう。「じゃあ、私たちが今つけてあげる」ターニャが言った。ゲームとは違うけれど、それからその子にぴったり合う名前をみんなで探した。結局、その子の名前はハンターに決まった。かっこいい名前だ。今夜はハンターの歓迎会だ。宴には、色んな果物と、たっぷりの甘いぶどうジュースの瓶が並んだ。




 夜中に足音で目を覚ました。こんな夜中に誰かがどこか行こうとしている。たまに夜遊びをする子もいる。森の中は、危険な動物もいないし安全だから。でも、なんだか話し方からして遊びに行く感じじゃない。騒ぎ疲れていたからそのまま眠ろうと思ったけど、やっぱり気になった。ぼくは下へ下りた。四人の背中が見えた。森の方へ行く。パーシーとアンセルとホレス。あの子もいる。なにかというと、あの三人はあの子に何か命令されている。何をしに行くんだろう。気になる。後を追って森の中へ入った。彼らのしていることを見て、夢かと思った。三人は、ふわふわと宙に浮いている。浮いて何をやっているかというと、大きな岩を運んでは、置いているのだ。あんな大きな岩を軽々と持ち運んでいるなんて。「隙間の無いように置くんだ。じゃないと大人は生き返るから」あの子が命令した。ああ、大人を埋めているんだな。ここは大人たちの墓場と言われている場所だ。森に侵入した大人たちの亡骸を埋める。墓といっても、大きな岩が並んでいるだけだ。これまで、あんな大きな岩をどうやって運んだのか気になっていたけど、ああやって手で運んでいたのか。彼らの近くへ行った。彼らは宙に浮いたままこっちへ来て、地面に足をつけた。「大人たちは、いつも君たちが片付けてたの?」ぼくはそう聞いた。「そうだよ。あの子の力を借りて運ぶんだ」パーシーが答える。「俺たちに魔法をかけて、いろんな力をくれる。ほら見てよ。こんな岩だって」パーシーは片手で自分の体くらいはある岩を持ってぼくに見せた。それから、その岩を遠くに投げた。「パパとママもここに眠ってるんだ」「それはちょっと可哀そうだね」ぼくはそう言った。するとパーシーは少しだけ残念そうに、「仕方ないよ。大人だったんだから」「ここに来たときのこと、覚えているの?」「ううん。でも、ここに書いてあるから」何か、木の看板が地面に刺さっている。よーく顔を近づけて文字を読む。『パーシーのパパとママ この下』と書かれていた。「覚えてないんだけど、これ俺が書いたのかもしれない。字がそっくりなんだ」「自分で書いたのに覚えてないの? それって変じゃない?」パーシーは、「うん。俺も変だと思う」と言った。パーシー……。過去に何があったんだ? 




「1、3、5、7、9、これはなんの数?」今日は授業ごっこをする日だ。ぼくが先生で、みんなが生徒。ぼくは一番年上ということもあって、みんなからリーダーみたいな扱いをされている。この森で一番物知りだと思われている。ごっこといっても、学校みたいな本格的な授業をする。テストみたいな無駄なことはしないけど。ぼくの質問に、みんなが元気よく答える。「2で割れない数!」まずは順調だ。「そう。いいかい? この数をオッドナンバーっていうんだ。この数は2では割れない。今日はみんなに、このオッドナンバーの秘密を教えてあげよう。この数に自分の数を足すとどうなる? どうだ、ジェイク。間違いなく足せるかい?」ジェイクは6歳だ。ぼくらの中で一番小さい。「2、6、10、14、18……」「そうだ。計算が早くなったな。じゃ、この数字を見て思うことは? マイリ?」マイリは内気な女の子。でも、色んなことに興味を示す。「2で割れる」「そう。オッドナンバーは、自分の数を足すと2で割れるようになる。自分の数だけじゃなく、他のオッドナンバーと足しても、やっぱり2で割れるようになるんだ」これはぼくが自分で発見したことだ。「すごい! こんなこと知ってるなんて、やっぱりアルはすごいや!」と、みんなが褒めてくれるけど、ぼくは天才じゃない。みんなに喜んでもらいたいだけだ。「少しはおもしろかったかな。数字にはいろんな秘密が隠されているんだ。今日はそのことをみんなに教えようと思ったんだ」マイリが急に立ちあがって、「ほ、ほかには? 数字は、他にはどんな秘密があるの?」と催促してきた。ぼくは、数字について、自分で発見したことを教えてあげた。




「今日の話も、おもしろかったよ」と、あの子が言った。ぼくが木に登って昼寝をしていたときだった。あの子はぼくの顔の前で、宙に浮かんでいた。「ありがとう」ぼくは返事をした。「ところで、君の誕生日のことだけど……」あの子が言った。やっぱりそうか。その話か。「うん。決まりは分かっているよ」あの子が言った。「うん、そうしてくれ。例外は無しだ」そう言うと、あの子はすーっと下へ下りていった。誕生日か……。




 この森に大人はいない。それはあの子が絶対に許さないから。子供をさらいに来る大人。夢を壊しに来る大人。弱い者をいたぶる大人。そんな大人を、あの子は許さない。森に大人が入ったときは、みんなで大人を探す。あの子が、みんなに魔法をかける。魔法をかけられた子供は、どんなに息を潜めていようとも、この森に大人がいればそれが分かるらしい。ぼくは16歳。明日の誕生日で17歳になる。

 十七歳…………。

 この森では、17歳から大人として扱われることになる。明日になれば、ぼくは大人になる。この森から出て行かなくちゃならない。この日が来てしまうことは分かっていた。生きているってことは歳をとるってことだから。今日がこの森にいられる最後の一日、というわけだ。今日は朝早くに目が覚めた。当然か。今日が最後なんだ、いつまでも眠れないよ。森の中を散歩して、鳥のさえずりを聞いた。それから深呼吸して、この森の匂いを胸いっぱいに入れた。それから、いつもぼくが授業をする、みんなが『教室』と呼んでいる場所へ行ってみた。部屋はない。ただ、机代わりの丸太がいくつも置いてあるだけだ。ジェイクがいる。「ジェイク? ひとりでなにをやってるんだい?」ジェイクは答えない。机に向かって、何か書き物をしているようだけど。近寄ってみる。書き物じゃなかった。ジェイクは、鉛筆を机に押しつけて、ボキボキ折っているところだった。おかしい。ジェイクは普段、そんなことしない。「だめだよ、そんなことしちゃ、使えなくなっちゃうじゃないか」ぼくは注意した。でも、ジェイクはやめない。「ジェイク!」ぼくは大きめの声を出した。すると、ジェイクはぼくを見た。いつものジェイクの目じゃなかった。獣みたいな目だった。一体、なんなんだ。ぼくはその場を離れた。今度は、みんなが秘密の隠れ家と呼んでいる場所へ行ってみた。思い出のある場所だから、もう一度目に焼き付けておきたかった。マイリがいる。一人でなにかしている。「なにやってるの?」聞いても、答えてくれない。さっきのジェイクもそうだったけど、やっぱりみんな様子がおかしい。マイリは小刀で木を削っていた。「木なんか削ってどうするの? 何に使うの?」マイリはぼくを見ようともせずにこう言った。「これで大人を殺すの。私たちをさらいに来たら大変でしょ?」

 大人……。



 

 大人になったら、この楽園の森をでていかなきゃならない。でも、ぼくらの数が減ったことはない。それがどうしてなのか、ぼくには分からなかった。それはこの森で一番不思議なことだった。結局、みんなそれぞれに何かしていて、今日は誰とも遊ばなかった。今日しかないのに。みんなが遊んでくれないので、木の上の小屋に戻った。かなり珍しいことに、アニーがいた。ぼくの寝床にいた。普段は、木の上が怖いといって、登ろうとしないのに。「どうしたアニー? なにやってるんだ」「ううん。べつに」するとアニーはいきなり、ぼくに抱き付いてきた。「明日になったらさ、お兄ちゃんは大人になって、この森を出てっちゃうんだよね」「うん」「大丈夫。無事に出られるように、私が守ってあげるからね」



 

 17歳の誕生日が、もうすぐやって来る……。17という数字は、ぼくらの中では使ってはいけない数字だった。それは最悪な悪魔をあらわす数だったから。夜の12時までには、この森を出なきゃならない。ぼくはベッドで横になりながら考え事をしていた。さみしいな。今まで本当に色々あった。毎日が楽しいことばかりだった。ずっとここにいたかった。森の外に出たら、大人として生きていかなきゃならない。みんなのことも忘れちゃうのかな。このベッドの感触を味わうのも最後になる。忘れずにいよう。




「……ぞお!」「……いるぞお!」「大人がいるぞお!」とんでもなくでかい声で、目が覚めた。ガンガンと鉄の板を打ち鳴らす音も聞こえた。「森に大人が入った!」「近くにいるぞお!」「捕まえて、殺せ!」こんな夜遅くに、また猟師が入ったのかな。ぼくは身を起こした。そしてハシゴを使って下に下りた。みんなが走って来るところだった。ぼくを起こしに来たんだな。あの子は宙を飛んでいる。「どうしたの?」ぼくは聞いた。一瞬、みんなはぼくをみて固まった。そしてぼくを指差して叫んだ。「大人だあ!」え? ちょっと待って。まさか、森に入った大人っていうのは……。

 ぼく…………?

「みんな、どうしたんだよ。ぼくがわからないのか? まだ12時になってないだろ。だからぼくはまだ子供だよ」ぼくがそう言うと、すぐにあの子が言った。「大人が喋っていることを聞くな! 頭がおかしくなるぞ!」なぜかぼくはもう、大人扱いされている。みんなが向かってくる。両手を広げて掴みかかってくる。これはまずいと感じて、とっさに逃げた。「なんで? まだ時間があるのに!」ぼくの時計は10時を指している。普段は時間なんて気にしないので小屋に飾ってあった。壊れているなんてことはないはず。「早く捕まえろ!」あの子が叫んだ。みんなの目が青く光っている。みんなは四つん這いで、まるで動物みたいな動きでぼくに迫ってくる。殺される! 逃げなきゃ。ぼくは森の中へ逃げた。




「12時過ぎてないのに! どうしてなんだ?」走りすぎて息が苦しい。吐きそうだ。心臓が壊れそうなくらい。暗い森の中では、すぐには追って来られないだろう。少し呼吸を整えることにした。だが、休む間もなく近くでガサガサと音がした。「お兄ちゃん?」小さな声だ。「アニーか?」目をこらすと、やっぱりアニーだ。みんなと一緒じゃないみたいだ。「みんなおかしいんだ。まだ12時になってないのにぼくを大人扱いして」「うん」アニーはただ頷いた。「アニー、ぼくを守ってくれるって言ってたよな。助けてくれ。あの子に殺される」ぼくは言った。「うん」アニーはそれだけ言うと、ぼくに近づいてきて、手を握った。「みんなにちゃんと言ってくれよ。ぼくはこの森を出て行く。だからおっかけないでくれって。無事にこの森から出してくれ」アニーは普段からぼくを慕っていた。本当の妹みたいだった。「アニー?」アニーは何も言ってはくれない。「なんだよ、アニー?」するとアニーは急にぼくの手を強く掴んだ。「ここにいる!」アニーは大声で叫んだ。アニー、裏切ったのか。ぼくはとっさにアニーを突き飛ばした。アニーは突然、壊れたように笑い始めた。「お兄ちゃん今何時だと思っているの? 12時なんてとっくに過ぎちゃってるよ」12時を過ぎてるだって? あ…………。そうか。あのときか。「もしかしてお前、ぼくの時計を遅らせたのか?」「そうよ。だって、そうじゃなきゃお兄ちゃんが逃げちゃうじゃない」なんだこいつ。ぼくを守ってはくれないのか。「お前、ぼくの味方じゃなかったのか! あの言葉は嘘だったのか!」ぼくは叫んだ。「大人なんか死ね!」アニーの目が青く光った。アニーは這うようにぼくに向かってくる。まるで蜘蛛だ。アニーが大声で居場所を知らせたせいで、遠くからみんなが集まって来た。みんな木から木へと飛び移りながら、物凄い速さで近づいてくる。バキバキと枝の折れる音がする。あんなの子供じゃない。あの子が魔法をかけたからだ。あの子って一体なんなんだ? 誰も名前を知らないあの子。でも、いつもみんなの中心にいる。なんで、誰も名前を知らないんだ。




 がむしゃらに逃げまくった。暗闇のおかげでなんとか振り切ったみたいだ。でも、遠くで声がする。ガサガサと枯れ葉を踏む音がする。もう、このまま森の外へ逃げよう。どうして、この森が楽園だと、ぼくは思っていたんだ。ぼくみたいに、子供に害を与えない大人もいるのに。みんな狂っている。夜が明けてきたのか、辺りが明るい。小さな湖が見えた。ここは今まで来たことがない。たぶん、森の端っこのほうだ。四角い建物がある。丸太を組んだ、小さな小屋だ。灯りがついている。ぼくは、一度後ろを振り返った。みんなは追って来ない。急いで小屋へ走った。白く塗られた木の戸を開ける。いい香りがした。中をのぞくと、女の人がパンを焼いているところだった。若々しいとは言えないが、肌の綺麗な女の人だった。ぼくに気づいているはずなのに、ぼくを見ようとしない。あなたは誰? とか、そんなことも言わない。黙って焼く前の白いパンを、大きなオーブンに入れているところだった。動きがすごく静かだった。「あなたも大人でしょ? こんなところにいたら、あの子たちが来て捕まっちゃうよ」でも、その女の人は慌てていない。穏やかな顔で、焼き上がったパンを、オーブンから出した。いつ、みんなが来るか分からないっていうのに。「おいしいよ。ひとつ食べてごらん」なんにも食べる気にならない。「なんでこんなときに……」「いいからお食べなさい」どうしても食べてほしそうな顔をしていた。食べずに出て行くのは、少し悪いような気がした。「じゃ、ひとつ食べたらぼくは行くからね」言われるままに、パンを口に入れた。味なんか、恐怖で何も感じない。そう思ったのだけど、不思議と美味しいと感じた。もっと食べたい。夢中で口に運んだ。ぼくが食べている間、その女の人はうっすらと笑みを浮かべた。「腹をひらいて、いしをつめるんだ。じゃないと、おとなは、いきかえるぞ!」あの子の声で、はっと現実に引き戻された。近くまで来てしまった! 恐ろしいことを言っている。やっぱり、あの子からは逃げられない。逃げようと立ちあがったときにはもう、扉が乱暴に開けられる音がした。「大人はここか!」パンに夢中になって、逃げることを忘れていたなんて。なんてことだ。もう、あの子とみんなが入り口を塞ぐようにして押し寄せてきている。建物の周りにもたくさんいる。木に手と足だけで張り付いて、こっちを見ている。逃げられない。足が震えて、椅子につまずいて転んでしまった。ああ、もうだめだ。みんなの手が、ぼくの腕をつかんだ。ぼくはあの子に殺されるんだ。急に寒気がした。意識が遠くなった。「どうした?」あの子が言った。「え……?」ぼくは、みんなの手に助け起こされた。みんな、襲って来ない。心配そうに、ぼくを見下ろしている。あの、青く光る目じゃなくなっている。

 どういうことだ…………?

 ぼくだけは、大人になっても許してくれるのか?「みんな、ぼくを捕まえないの?」尋ねてみた。「どうして仲間を捕まえるんだい?」不思議そうにあの子が聞き返してきた。仲間? ぼくは大人なのに? 窓に映った自分の顔を見た。「え?」驚きの声が出てしまった。信じられないけど、ぼくは、ぼくの顔は、あどけない小さな子供のものになっている。ふと見渡すと、女の人の姿はなかった。煙みたいにどこかへ消えてしまった。台の上に残っていたはずのパンも無くなっていた。ぼくは、子供に戻ったのか? もしかして、あのパンのせいなのか……。「さあ、戻ろう」あの子が言った。「うん。そうだね」ぼくは言った。あの子が、ぼくの肩に手を置いてくれた。あれ……?なんで、ぼくはここにいるんだろう。ここで、何をしていたんだろう。分からないけれど、まあいいや。


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