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翡翠と琥珀

翡翠と琥珀 番外編 〜南瓜と秋の出来心〜

本作品は連載小説「翡翠と琥珀」の番外編です。

本編を未読の方でも楽しめるように書いておりますので、ぜひご一読くださいませ。

 吹き抜ける涼しい風に撫ぜられて、赤々と色づいた葉が擦れる音がする。

 雲一つ見えない空は、その先の星々まで見えそうなほど青く透き通っていて、紅葉に染まった地表とは対照的な美しさに輝いている。

 赤やら青やら黄色やら、色鮮やかな自然に囲まれた一本道は、よく踏み固められていて足に馴染む。

 まるで絨毯のように散らばった落葉を踏みしめながら、二人の旅人は次の街を目指してこの道を歩いていた。


「見えてきたよ、アン」


「本当じゃ! 街じゃ!」


 手を繋いで仲睦まじく歩みを進める二人は、顔を見合わせてにっこりと笑った。

 そのうちの一人――青黒い髪の青年の名はジェード。旅の絵描きである。

 そしてもう一人――琥珀色の長い髪を揺らすアンバーという名の少女は、ジェードの旅のお供だ。


 二人は共に旅をする中で互いを思い合い、恋仲と言えるまでに関係を進展させた。

 しかし彼らはごく普通の恋人とはわけが違う。なぜなら琥珀の少女――アンバーは妖狐と呼ばれる物の怪の類であり、人間ではないのだ。

 その証拠たるのは、彼女の頭上にピンと立つ尖った耳と、腰のあたりで楽しげに揺れる太い尾だ。

 人間に恐れられることも多い妖狐(かのじょ)は、普段はこれらの特徴を不思議な力で隠しているのだが、正体を知るジェードと二人きりの時は何の躊躇いもなく曝け出している。これはジェードに対する信頼と愛情あってのことだ。


 街が近づくと、アンバーは人間に擬態するために頭上の耳を両手で一撫でしてみせる。すると、今の今までそこにあったはずの狐耳は跡形もなく姿を隠してしまった。

 腰のあたりに目をやると、いつの間にか尾も消えている。彼女と旅に出てしばらく経つが、一体どういった理屈でこのような不思議な現象が起きているのかは、ジェードにも未だわからない。


主様(ぬしさま)、あれは何じゃ? あちこちに変なものが飾られておるが」


 街に入ると、アンバーは気になるものでも見つけたのか、何かを指差してジェードに呼びかけた。

 彼女が指すほうをジェードが見てみると、そこには多くの家の玄関口に吊るされた少し不気味な装飾物があった。


「ああ、そうか。もうそんな時期か」


「なんじゃなんじゃ、祭りか!?」


 興味津々といった様子のアンバーは、繋いでいたジェードの手を解いてその装飾物へ駆け寄っていく。

 彼女がまじまじと見上げるそれは、かぼちゃの中身をくり抜いて、その中に蝋燭を立てたランタンのようなものだった。


「お祭りと言えばそうなのかな。『ハロウィン』って言って、秋になるとこうして作物の収穫をお祝いするんだよ」


「ほほう、そうなのか。しかし、なんとも気味の悪い顔をしたかぼちゃじゃのう」


「確かそのかぼちゃには、悪霊を追い払う意味も込められているんだったかな? 昔の人は、そういう顔を彫れば悪霊が怖がるとでも思ったのかもしれないね」


 アンバーはジェードの話を聞きながら、かぼちゃのランタンに向けて頬を膨らませてみたり、いーっと歯を見せてみたり、まるでにらめっこでもしているようだった。

 ジェードがそんな彼女の頭を後ろからぽんぽんと叩いて歩き出すと、アンバーはぴょんぴょんと軽い足取りで彼に続いた。








 早めに宿を抑えた二人は、歩き詰めで疲れ切った脚を少しの間休めることにした。

 といっても、休みたかったのは専らジェードの方であり、森育ちで体力のあるアンバーはまだまだ余裕の表情だった。


 窓辺の椅子に腰かけ、紙を広げるジェード。

 ハロウィンの雰囲気に染まったこの風景は、この街が一年に一度だけ見せる顔だ。なんとしてもこの胸躍る光景を絵に残しておかなければと、彼は脚を休めるついでに黙々と絵を描き始めたのだった。


「主様。少し街を見て回ってきてもよいか?」


 アンバーは有り余った体力に任せてそのようなことを言い出した。

 人間独特の文化の華やかさに心惹かれる彼女にとって、今のこの街は好奇心をくすぐられるもので溢れているのだろう。


「うん、いいよ。僕はここで絵を描いているから、楽しんでおいで」


「うーむ。ほどほどにしておく。明日主様と一緒に街歩きする楽しみが減るのは嫌じゃからの」


 そう言ってアンバーは小気味よい足取りで部屋を後にした。

 なんだか嬉しいような照れ臭いような、ジェードは頬を掻いて「やれやれ」と呟くと、再び窓の外の景色を眺めて手を動かした。




 *****




 アンバーが宿を出てから数刻。西に日が傾いたころに彼女は戻ってきた。

 部屋の戸を勢いよく開けて「主様ーッ!」と飛び込んできた彼女はやけにはしゃいでいるように見えた。


「主様! 菓子をくれ!」


「アン? いきなりどうしたんだい?」


 鼻が当たりそうなほど詰め寄ってきたアンバーの水色の瞳は燦々と輝いている。

 どうやら街の一人歩きを随分堪能してきた様子だが、菓子とは突然何を言い出すのだろうかとジェードは困惑した。


「知らぬのか、主様? このハロウィンという祭りでは、菓子を求められた者はそれに応えなければならぬそうじゃ。さっきそこで聞いた!」


「そうなのかい? それは僕も初耳だなあ」


 ふと窓の外へジェードが視線を向けると、真っ白な布を被ったり、鹿か何かの角を頭にのせたりした子どもたちが、街の大人たちから菓子をもらっているのが見えた。

 なるほど、あれの真似事がしたいのかと、ジェードも合点がいって苦笑したのだった。


「ほれほれ主様、早く菓子を寄こさぬか―ッ!」


「そんな急に言われても、お菓子なんて持ち合わせがないんだけれど……」


 一応ポケットの中や鞄の中をまさぐってみるジェードだったが、やはり菓子など持っていなかった。

 しかしアンバーはその事実に落胆するどころか、不敵な笑みを浮かべて再びジェードに詰め寄ってきた。


「ふふふ……。実はこの話には続きがあっての。菓子を差し出せぬのなら、その者は悪戯をされなければならぬそうなのじゃ! 菓子がないのなら仕方ない。代わりに主様に悪戯をするまでじゃ!!」


 犬歯を見せて楽しそうに笑うアンバーは、爪を立てる素振りをしてジェードの肩に手をかけた。


「いやいや待って! 悪戯なんて君からしょっちゅうされてる気がするんだけれど!?」


「む、そうじゃったかの?」


「そうだよ! ベッドの下に隠れて脅かしてきたり、お腹が痛いふりをして僕に心配させようとしたり……」


「うーむ。忘れた」


「えぇー……」


 これまでの旅の途中、やんちゃなアンバーには何度も悪戯を仕掛けられてきたジェード。

 慣れているといえば慣れてはいるのだが、祭りの雰囲気にのせられて羽目をはずした彼女が仕掛ける悪戯というのは嫌な予感しかしない。


「まあ、なんでもよいではないか。菓子がないのなら、大人しくわしの悪戯の餌食になるのじゃーッ!」


「待ってアン! そんなに押したら危な――!!」


 肩を掴んで体重をかけてきたアンバーに押し負け、ジェードは背後のベッドに倒れこんだ。

 そのままのしかかったアンバーは、ジェードの額に自分の額を当てたまま彼の翡翠色の瞳を見つめていた。


「……えと、悪戯って、何をするつもりだい……?」


「そうじゃのう、まずはこの爪で主様の胸でも抉ってやろうかの」


 そう言ってにやりと笑ったアンバーは、ジェードの胸に爪を立てて軽く引っ掻いてみせた。

 なんだかくすぐったいし、それ以前に恥ずかしい。高鳴って静まらない心臓の音が、爪から手を伝って彼女に届いてしまいそうだ。


「そしてこの牙で首に噛みついてやれば、主様はもうどうすることもできぬじゃろう?」


 楽しそうに尻尾を揺らしながら、アンバーはジェードの左の鎖骨あたりを甘噛みした。

 首元に食い込む尖った牙の感触に、ジェードは「あぅ……ッ」と変な声が漏れてしまった。



 嫌な予感が当たった。いつもの悪戯よりたちが悪い……!



 変に緊張して身体が強張ってしまい、思うように抵抗できない。

 逃げ出そうとしても、ジェードの太ももの間にはアンバーの片膝が挟み込まれていて立ち上がることもままならない。

 本当に怪我をするようなことはされないとわかっているが、ジェードはまるで蛇に睨まれた蛙のように身動き一つできなかった。いや、これは妖狐(きつね)に睨まれた兎というべきだろうか。


「ちょっ……ア、ンバー……ッ!」


 なんとか絞り出した声で彼女の名を呼ぶ。

 するとアンバーはくすくすと笑いを堪えながら、倒れ込んだジェードの胸の上に顔を埋めてしまった。


「あははははっ! 主様、顔が真っ赤じゃ!」


 ついに耐えきれなくなって、アンバーは腹を抱えて笑い出した。


「いやあ、すまぬすまぬ。つい悪ふざけしてしまったのう」


「……ああ、まったくだよ」


 刺々しいジェードの声に、明るく話していたアンバーの笑い声が急に静まる。

 ふと目を向けると、ジェードは顔を真っ赤にしたままで眉間にしわを寄せ、アンバーを睨んでいた。


「……主様?」


「物には限度があるだろう? そんなに笑い者にして、僕がどれだけ恥ずかしかったと思っているんだい。ほら、早くそこを退いて」


 明らかに声色を変えて立ち上がろうとするジェードを、アンバーは戸惑いながらも解放した。

 服の襟を整えたジェードは上着を引っ掴むと、それを羽織りながら部屋の戸へ手をかけた。


「どこへ行くのじゃ?」


 アンバーが問うと、ジェードは戸を半分開けたまま動きを止めた。

 そして彼は背を向けたままで、アンバーの問いに答えた。


「どこだっていいだろう? 少し一人にしてくれ」


 ジェードはそう言って部屋を出た。

 やや乱暴に戸を閉めた音が部屋に響き、ぽつりと取り残されたアンバーはまるで抜け殻にでもなったように立ち尽くしていた。




 *****




 やがて日が沈み、空は暗くなった。

 至る所に吊るされているかぼちゃのランタンのおかげで街は明るいが、そんな陽気な雰囲気とは対照的に、アンバーはベッドに塞ぎ込んだまま動けなかった。


「……あんなに怒るとは思っておらんかった……」


 あれからしばらく部屋で大人しくしているが、ジェードはなかなか戻ってこない。

 妖狐である彼女は匂いを辿って彼を追うこともできるが、少しやり過ぎてしまったという罪悪感がそうすることを咎めていた。


「すまぬ主様……謝りたいから(はよ)う帰ってきてくれ……」


 涙目のままシーツを握り締めるアンバー。

 祭りだということもあって浮かれていた自分が憎たらしかった。

 照れ屋で大人しい性格のジェードにあのような大胆な悪戯をすれば、彼が嫌がることは容易に想像がついたはずなのに、と。


 その結果ジェードを怒らせ、彼は出て行ってしまった。

 もしこのまま帰ってこなかったらと思うと、アンバーは悔やんでも悔やみきれなかった。

 部屋には彼の画材や荷物が置かれたままであるから、それを捨てていなくなるということはないだろうが。








「――アン」


 ふと、ジェードに呼ばれた気がしてアンバーは顔を上げた。

 彼女の視線の先には、少しだけ開けた戸の隙間から顔を覗かせるジェードの姿があった。


「主様……。すまぬ……本当にすまぬ。わしは調子に乗っておった。この通りちゃんと反省しておるから、その……ええと……」


「アン。僕の目をよく見てごらん。怒っているように見えるかい?」


 先程までと打って変わって穏やかなジェードの声に涙目を持ち上げると、彼は少し照れくさそうににっこりと笑っていた。


「許して……くれるのか?」


「許すも何も、僕は最初から怒ってなんかいないよ」


「嘘じゃ。じゃあ、どうしてあんなことを言って出て行ったのじゃ?」


「そりゃあ、やられっぱなしじゃ僕も悔しいし。ちょっとした悪戯返しさ。まさかあんな三文芝居をあっさり信じるなんて、思ってはいなかったけれど」


 部屋には入ってこないが、ジェードはアンバーの困惑っぷりを思い出しているのか、くすくす笑いながら彼女を見ている。

 ようやく状況を把握したアンバーは、目に溜まった涙を拭うと勢いよく立ち上がってジェードの方へと駆けた。


「騙したのか主様! 酷いぞ! 本当に怒らせてしまったのかと思ってわしは、わしはッ!!」


「わっ、待ってアン! 落ち着いて! 飛びついたら"これ"落としちゃうから!」


 抱き着こうとしたアンバーは、ジェードが戸の陰に隠している手に何か持っていることに気づいて足を止めた。

 ほんのりと甘い香りが鼻の奥をくすぐってくる。その匂いはどこか、街中に飾られた不気味な顔のランタンと似ている気がした。


「はい、これ。お菓子は持っていなかったから、作ってきたんだ。この宿の厨房を貸してもらうために、必死に頭を下げたんだからね」


 そう言ってジェードが差し出したのは、温かな湯気を立ち昇らせる金色のパンプキンパイだった。

 実家が小料理屋である彼が作ったのであろうそのパイは、見た目も非常に鮮やかな色合いで、鼻から吸い込んだ香ばしさは空腹感を思い出させた。

 怒ったふりをして出て行ったジェードは、街で材料を買い集めると、宿の厨房を借りてこれを作っていたのだ。


 なんだかいろんな思いが混ざり混ざって、アンバーは声を出すこともままならなかった。

 ジェードは片手でパイを持ったまま、空いた方の手でアンバーの頭を撫でる。

 そして彼女と額をコツンと合わせたジェードは、薄っすらと潤んでいるようにも見えるアンバーの瞳を見つめながら囁いた。


「お菓子があるなら悪戯はしないんだろう? さっきのことはお互い水に流して、一緒に食べよう、アンバー」


 そう言って微笑むジェードの顔を見て、アンバーは一気に胸が高鳴るのを感じた。

 そしてアンバーは「うむ!」と元気よく頷くと、彼の持つパイを突き飛ばさない程度に、そっとジェードの胸に抱き着いてみせたのだった。

読了ありがとうございます!作者のわさび仙人と申します。

今回のお話は本編で言うところの、第四章リプロス編と第五章マルタラッタ編の間くらいのお話になっています。


この番外編を読んで気になっていただけましたら、ぜひ本編のほうも目を通していただけると嬉しいです。

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