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the Dusk  作者: N・O
9/14

散りゆく運命

「冗談じゃねえ……こんな数、どうしろってんだ」


 通路の出口から、倉庫の先を覗き見る。無数の化け物の巣と化した光景に、ディジーは息を呑んだ。


「多分ガキ共は、あの中に埋もれてやがる。もう諦めろ」


 レイは、引き返そうとするディジーを止める。


「必ず連れて帰ると約束した。ジェイムズ達を探さなきゃならない」

「てめえはバカか? 状況見りゃあ分かるだろ。生きてると思うか? これであの中に突入してみろ、まさに犬死にだ。犠牲を増やしてどうする」


 レイは奥歯を噛んだ。ディジーの言葉にも一理ある。

 通路に垂れていた血は倉庫を抜け、捕食者の群生の中に続いている。確かにジェイムズ達が生きている確率は、限りなく低い。


「行くぞ。パークで合流するんだ」


 通路を戻ろうとするディジーを、レイが止める。


「考えがある。手伝ってくれ」

「てめえはまだ何か―――」

「連中を葬りたい。せめて奴らに一泡吹かせたい」

「何だ、仇討ちのつもりか」

「……ああ、そうかも知れない」


 レイは静かに倉庫に出ると、食品用の大型冷蔵庫前に立てかけられたプロパンガスのボンベを指した。


「あれには恐らくガスは入ってねえ。代えた後のボンベだ」

「ほんの少しの爆発で充分だ。建物の至る所にガスは使われている。それに引火さえすればいい。あとは次々に誘爆する」

「てめえ、建物ごと吹っ飛ばす気か」

「やってやるのさ」


 レイはボンベの栓を開ける。十本ほどあった大型ボンベの栓を開けきった頃、ディジーが嘆くように声を吐いた。


「クソ……てめえの甘ちゃんに付き合ったら、これだよ」


 倉庫と売場を隔てる扉が開かれ、いくつもの灰色の目が二人を捉えていた。


 レイがライターを取り出すのと、捕食者が走り出すのはほとんど同時だった。





 突然の地鳴りに身を伏せた瞬間、今まで通ってきたコンクリートの通路の扉が、炎を伴い吹き飛び、窓を突き破って外に飛び出した。アンバーとエミリーは、頭を抱えて叫んだ。

 空気の層を叩き潰す波動により、管理事務所の窓ガラスが全て砕け散り、地響きはやがて治まった。


「何なの? 今の何なの!」


 アンバーが狂乱して周囲を見渡す。ブロンドの髪に綿埃と木屑が絡んでいる。


「何処かで爆発が起きたようだ」


 イーリアスが額の汗を拭きながら言った。隣でトレバーが犬にしがみついている。

 コンクリートの通路を覗く。爆発により真っ黒になった通路は、未だに火の粉が残っている。埃や塵が燃え、天井から緩やかに散っていた。

 先は見えず、闇が更に黒く統一されていた。生物の有無は言うまでもない。


「何が爆発したのよ。これじゃ別館や本館は無事じゃないわよ」


 アンバーの言葉に、一同はジェイムズ達の生存を諦め始めた。彼らのいた場所は、この通路よりも多大な被害を受けているだろう。無事でいるはずがない。


「車を探そう」


 武器のバッグを担ぎ、ウィルソンは重々しく言った。

 管理事務所からメインの広場を抜けると、パークの全貌が広がる。観覧車やジェットコースターなどが、存在感を強く出している。

メインの広場の横に、大型の駐車場が構えてある。


 車は疎らではあるが、軽自動車から大型車まで停まっていた。何かの工事があったのだろうか、電気工事用のはしご車まで停まっている。


 広場や駐車場には、やはり捕食者が点々と姿を現していた。ウィルソン達が発見されれば、恐らくすぐに集まってくるだろう。


「あのバスはどう?」


 エミリーが端に停まっている送迎バスを指差す。


「行ってみよう。大型車なら、全員乗れる」


 ウィルソンを先頭に、広場の端を抜ける。まだ捕食者には気づかれていない。


 雲が陰りを増やし、ウィルソン達の存在を消す。爆発したモールの建物に気を取られ、捕食者は近くを通るウィルソン達よりも、未だ煙を噴く建物の窓を凝視し、爆風に空いた扉から中に入っていく。恐らくモールの中は、捕食者で溢れかえっているだろう。


 一同は無事にバスを手に入れ、更にはこの場を脱け出せると思っていた。




 ただ一人、トレバーの耳には異音が届いていた。


 バスまで五十メートル。間に捕食者は、ない。


 今まで建物や車の陰を通って捕食者をやり過ごしてきた一同だが、バスまでの五十メートルの間には、視界を妨げてくれるものは見つからない。ここからは化け物共に発見される前に、バスまで走り抜けなければならなかった。


「皆、行けるか」


 ウィルソンが振り返り、一同を気遣う。ウィルソン、アンバー、エミリーは問題なさそうではあったが、顔色が見る見るうちに青ざめているイーリアスと盲目のトレバーは懸念される。特にイーリアスに至っては、その場までくる途中で二回嘔吐していた。


「大丈夫かイーリアス」

「き、気にするな。わしの事は構わんでいい」


 イーリアスに次の言葉を告げようとしているウィルソンの横で、エミリーが叫んだ。


「タップは? タップがいない!」


 驚き辺りを見渡す。今までついてきたはずのタップの姿がない。


「そんな……ついてきていたんじゃないのか?」


 ウィルソンの額に汗が滲む。タップの身に何かあったら、自分はまた仲間を守れずにいる事になってしまう。

 だが、タップ一人を探しに行く事もできなかった。自分には他の仲間の命もかかっている。

 実質自分以外で、戦闘の戦力になりうる者はいない。自分に何かあれば、残るのは女性に老人、目の不自由な少年に犬だけだ。何としても自分は生き残らなければならないと、ウィルソンは考えていた。


「タップを探しにいきましょう」


 エミリーの提案をウィルソンは首を横に振り、却下した。


「そんな、じゃあタップは」

「タップを全員で探しにいくのは得策じゃないわよ。この人数でこれ以上うろうろすれば、奴らに襲われる確率も高くなるし。だからといってウィルソンだけ探しにいくと、私達が死ぬわよ? 女子供に年寄りしかいないんだもの」


 アンバーは続けた。


「それにね、エミリー。タップはもう永くない。いずれは奴らと同じになる。私達を襲うかも知れないのよ」

「それはわしにも言える事だな」


 イーリアスは腕の噛み傷を見せる。


「わしも手負いだ。足手まといになる。置いていけ」

「ダメだよ! そんな事しないよね!」


 トレバーが血相を変えて言った。しかし皆、答えを返せないでいる。


「イーリアス! イーリアスは死んじゃダメだよ! イーリア―――」

「トレバー」


 イーリアスは諭すようにトレバーの肩に手を置いた。


「自分の死期は分かる。わしはもう永くない。タップも恐らくそれを悟り、自ら身を退いたんだ。わしもそうしよう。せっかく助けたお前をこの手にかけたくはない」


 イーリアスはライフルを杖代わりに立ち上がり、皆の顔を見た。


「わしはここでお別れだ。皆には世話になったな、感謝しとるよ。ありがとう。トレバーを頼んだよ」

「イーリアス、あなたには―――」


 イーリアスはウィルソンの言葉を手で遮った。


「いいんだ。ウィルソン、皆、生きてくれ。諦めちゃいかんぞ」


 トレバーが手探りでイーリアスを探す。


「イーリアス! イーリアス何処? 行かないでイーリアス!」


 イーリアスはトレバーから距離を取り、ハンチングを浮かせて一同に礼をすると、弱くなった足取りで歩き出した。


「イーリアス! イーリアス!」


 トレバーが泣きながら地面を這いつくばる。それをアンバーが抱きしめた。


「トレバー、イーリアスの気持ちを汲んで」

「そんなのおかしいよ! 死んで当たり前の人間なんていないでしょ! イーリアスは誰も襲わないよ! イーリアスは僕を助けてくれたんだよ! イーリアス! 行かないでイーリアス!」


 泣き叫ぶトレバーの傍らで、エミリーも涙を流した。ウィルソンは拳を握りしめ、去っていく老人の後ろ姿を見送る事しかできなかった。


 何が正しくて何が間違いなのか、考えても考えて全く分からなかった。今のウィルソンには、残った者を守るという事しかできず、そしてそれだけは正しい事だと思うしかなかった。








 あの日と同じだ。

 そう、ウィルソンは思った。この殺戮の世界に変わってしまったあの日、自分が正しい行動をできていたのか思い悔やんだあの日。それと同じだと、老人を見送り佇んだまま、ウィルソンは思った。

 友の言葉が気になった。






『大切なものを守る』






 軍用の大型空母に歩む友人は、ウィルソン・バンディラに背を向けた。その背中は力強く、そして悲し気だった。


 ウィルソンの携帯電話が鳴ったのは、真夜中を過ぎた頃だった。深夜勤務のパトロール中だったウィルソンが、暴漢に襲われたという女性の事情聴取をおこなった後、それを署に報告する瞬間だった。


 友人の声はやや焦りを含んでいた。突然の招集の声に、病院にいる妹の事をウィルソンに委ねるとの話に、友人以上にウィルソンが焦りを覚えた。


 ウィルソンと訓練学校時代の同期生である友人には、心臓病を患う妹がいた。彼が軍に入隊し、その過酷な訓練に耐えてきたのも、妹の病気の高額な治療費を払う為だった。


 寡黙なウィルソンと違い、皆を取りまとめリーダーシップを執る彼は、正反対のウィルソンとうまが合い、共に行動する事も多かった。


 それ故、友人からの連絡に快く了解したウィルソンだったが、気にかかる事があった。軍と警察という組織の違いはあれど、何の事態が発生し軍隊が招集されたのか、自分にはその片鱗も知れていない事だった。

 友人はかねてより、妹の面倒の為に、異なる基地への転任は全て断ってきた。彼の直属の上司も彼の事情を理解しており、更に軍の人事にも顔が利く人物だった為、友人の転任はまずあり得ない事だった。

 しかし今回はそれらの理由を無視された命令だとの話になり、友人は突然の事態をウィルソンに報告してきたのだ。しかも当の本人である友人すら、何の任務か聞かされていないらしい。


 友人は妹をウィルソンに託すと、二時間後にはマリーズ州に向かうという。妹の顔を見れなかったから、代わりにウィルソンが病院に様子を見に行ってくれと、友人はため息混じりで電話を切った。

 この時ウィルソンは、友人も自分と同じ違和感を覚えていたと直感した。そして妹を託したのは、ただ単に留守を預かってくれというものではなく、自分の代わりに妹を頼むという意味合いではないかと考えた。


 ウィルソンは直感というものをこれまで宛にしてこなかった。いつも先を考え、綿密に計画を立てる方だった。

 だがこの時ばかりは、第六感はアンテナを最高潮に刺激していた。内なる衝動がウィルソンを焦らせた。






 暴漢に襲われたという女性の怪我は大したものではなかったが、署に報告した後ウィルソンが病院に運ぶ手筈になった。


 その病院は友人の妹が入院する病院だった。


 病院についたウィルソンと女性は、入口に立った時点で、その異様さに足を踏み入れるのを躊躇した。

 放置された救急車はランプを点滅させたままであり、入口には血まみれのストレッチャーが投げ出されていた。搬送されたはずのその乗り手はなく、職員や医師の姿もない。


 ウィルソンは銃を抜くと、女性をパトカーで待つように指示し、自分は病院の中に入っていった。


 電気はつけられているが、動く人の気配がない。微かに水の滴りのような音が響くが、それが何なのかが分からない。


 ウィルソンは友人の妹の病室に急いだ。

 妹の病室は五階にある。その五階の通路は、血まみれのモップを引っ張ったような赤い筋が無数に広がる光景だった。ただならぬ雰囲気は入口で分かってはいたが、目の当たりにしたこの状況に、ウィルソンは署に報告するのも忘れ病室に走った。


 友人の妹は点滴のスタンドを手に、薄暗い病室の隅で固まっていた。部屋には水分を含む音が包んでいる。目を見開く彼女に、ウィルソンは駆け寄った。


 何があったのか訪ねるが、彼女は驚愕の表情のまま動かない。


 部屋に響く音が止まった。ベッドの向こう側から、人影が立ち上がった。


 それは女性看護師だった。唇から液体を垂らし、手には何かの塊を握っていた。

 友人の妹が震えながらウィルソンの後ろに隠れる。ウィルソンは看護師の圧迫感に、思わず銃を構えた。


 看護師はベッドを飛び越え、ウィルソンに掴みかかってきた。ウィルソンはそれを抱き止めると、看護師をベッドに放り投げ、部屋の照明をつけた。


 看護師の白い看護服は真っ赤に染まっていて、その手に握られていたものはライトの灯りに照らされ、表面の粘着質の液体がベッドのシーツを濡らしていた。


 ウィルソンは恐怖に引き金を引いた。二発の弾丸が看護師の体を貫く。

 女性看護師はそれでもウィルソンに飛びかかった。ウィルソンは床に押し倒され、肩口に噛みつかれた。しかし無線機に阻まれ、歯は皮膚を通らなかった。

 ウィルソンは体を反転させ、看護師を殴りつける。看護師の鼻は砕かれ流血したが、下からウィルソンに食らいつこうと歯を鳴らした。


 ウィルソンは拳銃を看護師の額に当て、鉛弾で前頭葉を破壊した。


 看護師がいたベッドの向こう側には、顔や胸の肉の削げ落ちた男性医師が横たわっていた。しかしそれは遺体ではなく、僅かに動いている。指を震わし、床を掻いていた。

 ウィルソンが友人の妹を抱えパトカーに戻った時には、数人の暴漢にかじり殺されている被害者女性の姿があった。腹の肉を裂かれ中に手を入れられ、内臓を引き出され食されているのにも関わらず、女性は口を開閉し首を振り、小さく呻いていた。

 女性の口に口づけされる形で、口内から舌が噛み引き出される。伸びた舌が十センチを超えた時、ブチンとちぎれた。


 ウィルソンは咀嚼するそれらを刺激しないように歩き、近くに停めてある救急車に乗ると、友人の妹と共に隣町の病院に車を走らせた。

 妹を隣町の大学病院に預け、その足で警察署に帰還したウィルソンは、病院の二の舞になっていた署を見て愕然とした。

 同僚の警官がウィルソンを見ると、泣きながら自らのこめかみに銃を発砲した。倒れた彼を見ると、腕や足に噛み痕があった。


 銃を構え署に入ると、深夜とはいえいつもなら数人いる警官達はなく、代わりに金髪の若者やホームレスの男性、着飾った娼婦などが、ウィルソンと同じ制服を着た遺体を食らっていた。


 ウィルソンは無我夢中で発砲し、弾が当たった者が何のダメージもなくこちらを振り返ったのを見ると、すぐさま救急車に飛び乗り、友人が出発する軍の空港に向かった。

 友人はターミナルでウィルソンを出迎えた。ウィルソンは今しがた起きた事件を話した。

 友人はやはりただ事ならぬものであるのを察知し、自分が招集を受けたのもその事に関してなのだろうと推測した。


 ウィルソンは友人を引き留めた。明らかに通常の事件とは異なる事態に、招集を断るように勧めた。延いては軍も辞めるようにと。












 友人は程なくして、ターミナルを立った。友人ら軍の兵士を乗せた空母は、ロックサム基地を目指し飛び立った。


 飛び立つ時、友人はもう一度ウィルソンに妹の事を託した。

 友人は笑っていた。ウィルソンに笑顔を見せた。




『大切なものを守る』



 その為に友人は飛び立った。己が最前で被害を食い止める事により、妹やウィルソンの明日を守れると。


 それはウィルソンに、より後悔の念を定着させた。あの笑顔を見て、ウィルソンは彼の信念が揺るがないのを知り、止める事ができなかった。


 ウィルソンも友人も心の何処かで、これが今生の別れだと知っていた。思い悩むウィルソンとは対称に、友人は笑みで最後を締めくくった。



 考えがまとまらなかった。どうしていいか分からなかった。迷いに迷い、友人に大切なものを託された瞬間も、心の霧が晴れずに混沌としていた。


 早朝、病院へ面会に訪れる際のお見舞いに花束を買おうと、ウィルソンはモールに足を運んだ。友人の分まで大きな花束を用意し、明るい気持ちになる病室にしてあげようと、慣れないプレゼント選びに戸惑いながらも、自分の両手でも抱えきれないくらいの花束を購入した彼は、モールの雰囲気が来店時と違う事に気づいた。

 ウィルソンがいる二階からでも、一階からの騒々しさが聞こえた。店員達もざわつき、上階から血相を変えた警備員が降りてきていた。彼は一目散に一階に駆けていく。


 ウィルソンの心臓が跳ねた。空気の感覚が病院や署内と同様の感覚になっていた。

 病院に面接に行った後、残りの同僚や他の署員と共に、事件を捜査する手筈になっていた。制服にかけられた新しい無線機から、暴動の報せが入った。


 花束を持つ手が震える。知らぬ間に携帯電話を取り出していた。友人の妹のいる病院に連絡を取る。


 電話が通じない。無線機が故障したかのように黙る。

 滲み出た汗が目に入り、痛みに瞼を閉じた。その瞬間、スーツ売場から悲鳴が挙がった。見ると男の店員同士が組み合っていた。片方の店員が相手の腕を噛んでいる。


 ウィルソンの手から花束が滑り落ちた。震える手は、ものを掴めない。


 一階の防火扉が閉ざされた。駐車場での喧騒が次々に建物に谺した。

 試着室にいた女性がカーテンを引きちぎって出てきた。白い下着に自ら吐いた大量の血が付着し、血染めの姿で客を襲う。


 途端に阿鼻叫喚と化したフロアを目前に、ウィルソンの足は後退した。虚無感に苛まれた心が、更なる虚無感を生み出そうとしているこの異常事態に、拒否反応を起こした。


 エレベーターに向かうと人がごった返していた。階段に向かい、踊り場に出た時、下に向かったはずの警備員と鉢合わせた。一階には行けないらしい。

 警備員の隣の、自分とは年の頃が近い男が事情を説明する。近くにはレジ係の女が体を震わせていた。


 もう一度携帯電話で病院にかける。しばらく待った後、電話はつながった。しかし応答がない。何度か呼びかけると、呻き声が発せられた。それは大きくなり、ものを破壊する音が聞こえた後、女性の叫びが耳をつんざいた。




 ウィルソンはあの悪夢の被害が拡大した事を知った。床に膝をつく音がした。それは自分の膝だった。


 友との約束は守れそうにない。それは自分の弱さが元だと感じた。判断を誤った自分の愚かさを呪った。





 友に詫びる言葉さえ、考えつかなかった。





 イーリアスの背中が遠ざかる。しかしウィルソンの迷いは振り切れた。ここで彼を行かせたら、志半ばで消えた命に申し訳が立たない。


 ウィルソンはイーリアスの元へ走り、呼び止めた。イーリアスはその場に止まった。


「イーリアス、行っちゃいけない。最後まで人間として生きる為に、俺達と一緒にいなければ」


 イーリアスの肩は震えていた。泣いているのか、地面に雫が垂れた。


「イーリアス、今まで通りトレバーを見てやってくれ。彼はあなたになついている。信頼している。彼の為にも、戻ってくれないか」


 トレバーは顔を覆う手を外し、辺りに耳を澄ませた。それは先ほど聞いた異音と同様の音を聞いたからだ。


「トレバー、どうしたの」


 アンバーが彼の肩に手を当てた時だった。





 ウィルソンはイーリアスの背を見つめる。イーリアスがゆっくりと振り返った時だった。
















 ヘリコプターがこちらに向かっている。黒煙を上げ、蛇行しながら向かう先は、一同から目と鼻の先にある送迎用バスだった。

 エミリーが腰を抜かす。トレバーは耳を塞ぎ、アンバーは口を開けそれを見ていた。

 民間機であろうヘリコプターは、まるでバスをめがけ落ちていくようだった。



「イーリアス」


 ウィルソンの足が一歩後退した。イーリアスの口が開かれる。言葉が発せられると思いきや、言語のない叫びだけだった。


「イーリアスまで」


 ウィルソンはゆっくりと銃を構えた。その瞬間、爆発が起きた。




 ヘリコプターはバスに落ち、大爆発を起こした。アンバーはそれを見て瞬時に踵を返し、ウィルソンに走る。


「ウィルソン、民間ヘリが―――」


 アンバーはそこまで言うと、動きを止めた。

 爆発と共にアンバーの声が聞こえた。ウィルソンは咄嗟に振り返る。


 爆風により、きらめく何かがアンバーの体を通り過ぎてなお、真っ直ぐに飛来する。それが何なのか分からないが、ウィルソンは倒れるように地面に伏せた。途端、頭上を轟音を伴ったヘリコプターの羽が猛スピードですり抜けていった。それはイーリアスの首を跳ね、その先の捕食者を何人か切り裂いて、パーク管理事務所の壁をぶち抜いた。


 立ちすくむアンバーを見る。アンバーの上半身が横に滑った。


「アンバー!」


 アンバーの手は空を掴み、口を開閉させた。

 上半身はそのまま滑っていき、下半身は直立したまま、地面に落ちた。切り口から遅れた血渋きが舞い上がった。


 ウィルソンが駆け寄る。尻餅をついていたエミリーとトレバーが、アンバーの血渋きを浴び呆然としている。


「アンバー! アンバー!」


 アンバーはウィルソンの目を見ると、口から血の泡を吐き、焦点の定まらない瞳を開いたまま動かなくなった。


 ヘリコプターが落ちたバスは火柱を上げ、未だ小さな爆発を繰り返している。


 ウィルソンは小さく神の名を呟いた。






 この場所が天国であるなら、自分は死んだんだと認識する。しかし、この場所が天国であるはずがない。少しでも期待する方がおかしい。滑稽な話だと感じる。


 突然壁を突き破り侵入してきた鉄の塊は、僅かなラインで脇腹をほんの少しかすめ、黒焦げの通路に突き刺さった。もしデスクを調べていたなら、捕食者の仲間になる前にこの世からおさらばしていただろう。


 タップは事務所内の資料を調べていた。ここにはパーク内の施設や設備の資料や設計図が保管されていた。皆と一緒に一度はここを出たが、気になる事があった為、すぐに一人戻っていた。


 使えそうなものがパーク内にあるはずだと、タップは踏んでいた。連中は数を増やしている。ただただ逃げ回るだけでは、弾も尽き体力も削られ、いずれは餌になる。だが奴らと人間が決定的に異なる力で対抗すれば、きっと生き残る術がある。


 それは知恵だとタップは思っていた。知恵を使えば困難は打ち破れるはずだと信じる。


 幸いな事に、ここには文明の産物が建ち並ぶ場所だった。ならば地の利ではないが、それを利用しない手はない。


 タップはパークの資料を読み漁った。頭は最高潮に割れるような痛みを伴っていたが、タップはかすむ目を凝らし、ファイルを開いていた。

 陽が隠された。窓が何かで覆われた。タップは驚き、窓を見る。

 窓は不思議な布で覆われていた。タップは銃を構え窓際でその布を覗く。


 布は風で流されるのか、揺れながら窓から離れ次には窓に貼りつく動作を繰り返し、ガラスを小さく叩いた。


「何だこれ……連中の仕業ではなさそうだけどな……」


 額にしわを寄せ、タップは不思議な面持ちで見続ける。すると布は目の前でほどけ、地面に落下した。下を覗くと男が布にくるまり倒れていた。


「何だありゃ……人間か?」


 タップは鉄の塊が突き破った穴からそっと外に出て、男に銃を向けた。


「おい、あんた人間か? 人間なら起きろ。何か言うんだ。何も返事がない場合、撃つ」


 ショットガンのポンプをスライドさせ、銃を向けたまま男を観察した。


 男はハーネスをつけ、ロープがつながった先に巨大な布がついていた。タップはこれはパラシュートだろうと推測した。


「もう一度言う。何も喋らなければ撃つ。悪く思うなよ」


 タップは引き金に人差し指を当てた。


「ま、待ってくれ」


 男は弱々しく唸った。


「何者だ、あんた」


 タップの言葉に、男は顔だけ上げた。


「た……助けてくれ」

「噛まれてないだろうな」


 タップはショットガンを肩にかけ、男の脇を持ち上げた。男が苦しそうに叫び声を上げた。


「あ、アバラが折れているみたいだ」

「どっから降ってきたんだ。パラシュートだろこれ」

「ヘリから緊急で避難したんだ。クッ、すまないがもっとゆっくり引っ張ってくれ」

「ああ、すまんすまん」


 タップはそのまま男を事務所の中に引き入れた。壁際にある応接用のソファに寝かせる。


「ハーネスを取るぞ。パラシュートまで部屋に入っちまう」


 ハーネスを無理矢理脱がせ、外に放り出した。

 男はサム・ルーズベルトと名乗った。航空記念タワーの職員らしい。


「ヘリでタワーから飛んできたんだが、仲間が、感染していた」

「噛まれてたのか」


 サムは目を瞑ったまま頷いた。肋骨が痛むのか、呼吸をする度に顔を歪める。


「タワーで何があったんだ」


 サムはタップに支えられ体を起こすと、深く息を吐いた。


「タワーは……いち早く閉鎖したんだ。軍から連絡を受けて、混乱が起きる前に閉鎖したんだ。しかし……すでに感染している者がいて、中で爆発的に増えていった」

「軍は何を知ってんだ? 外にいる連中は何なんだ? どっからきた?」


 タップの問いにサムは首を振った。


「分からない……恐らく軍も詳しい事は知らないと思う。とにかく暴動者がたくさん押し寄せるだろうからと、閉鎖を指示されただけなんだ。あの化け物達が何なのか、何処からきたものなのか、私には皆目見当もつかない。分かるのは、噛まれれば百パーセント感染するという事だけだ」


 タップはサムの言葉に、力なく肩を落とした。


「やっぱ……俺は死ぬんだなぁ……」

「君は噛まれたのか?」

「がっつりとじゃないけどな。もう体もいう事聞かなくなってきちまってるさ」


 サムはソファで仰け反った。


「や、やめてくれ。私を襲―――」

「襲うつもりならとっくにやってるだろ。よく見ろ、まだ正常だ」


 サムは恐る恐るソファに座り直した。


「治る方法とか、知らないよな」

「今のところ、治ったなんて話は聞いていない」

「だよなぁ」


 タップは顔を擦り、深くため息をついた。


「仲間と今、逃げる準備をしてるんだ。あんたも一緒に行こう。この先にバスがあるんだ」

「バス?」

「ああ、上手くすれば全員乗れるからな」

「バスはもう、ない。ヘリはバスに落ちていた」


 タップはサムを見たまま、口を閉じられなかった。


「あんた、何してくれてんだ」


 タップは頭を抱えた。


「私のせいではない。私はその前にヘリから脱出していたから」


 タップは考え込むように首を捻った。


「なぁあんた。ヘリはまだあるのか?」

「タワーの屋上になら、まだ三機あるが」

「じゃあそこまで行けばヘリでこの地からおさらばできるわけだ」

「タワーまでどうやって行くつもりだ。化け物達が腐るほどいるのに」

「それが問題なんだ。バスが無事なら強行突破もできたろうが」


 タップは目を瞑り項垂れた。


「仲間がいるのか」

「ああ、十人ぐらいだけど」


 サムは迷う仕草をする。


「どうかしたのか?」


 サムは身を乗り出した。


「車なら、ある。丈夫なヤツが」

「本当か? 何処にあるんだ」

「……タワーだ。軍のトラックがある。それなら全員乗れる」


 サムの意見を聞き、タップは再び項垂れた。


「だからそのタワーに行く方法がないって言ってんだ。あの連中がうじゃうじゃいる中、どうやって行けって―――」


 タップは頭を上げ、思いついたようにサムを見る。サムもそれを確信し頷いた。

 タップは資料をめくり、観覧車の位置を確認する。


「俺は素人だが、行けると思うか?」

「いや、私が行こう。私なら―――」

「大怪我してるあんたに行かせるわけにはいかないよ。それに俺の仲間を助ける作戦だからな」


 サムは微笑む。


「君は仲間思いなんだな」

「思わないヤツなんているのか? ましてやこんな世界で」


 サムは脇腹を押さえながら立ち上がる。


「協力するよ、私も。君みたいな人の仲間にも会ってみたい」

「もちろん紹介するさ。数少ない生き残りだ」


 タップはサムと固く握手を交わした。






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