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the Dusk  作者: N・O
8/14

愛葬

 コンクリートの狭い通路に響く、荒い呼吸音。

 それが反響し、あらゆる所から音が耳に届く。催眠状態に陥っているかに錯覚を起こす。幾重にも回る視界が、よりそれを大きくさせた。


 目の前を行く皆の姿が逆さになった。天井を走るなど、何と滑稽な光景だろうと、走りながら笑みを漏らした。


 皆が立ち止まり、自分に駆け寄る。肩を掴まれ、体を起こされる。そこで自分は倒れたのだと気づく。


 レイやウィルソンが自分の名を呼び、頬を叩く。その手を払い、前へ進む。






 ザックの脳裏に、ようやく答えが閃いた。こんな簡単な事を何故今まで気がつかなかったのだろうと、ザックは心の中で笑った。


 眼前を走り始めた細い肩を掴む。そのまま振り向かせる。若い女は驚きこそしたが、状況が分かっていないのか、小首を傾げた。


 奇しくも、自分が最初に異変に気づいた光景と似通ったその状況に、奇妙な縁を胸に秘めて、彼女の肩に力を込め歯を立てた。




 そう、これが自分の中に芽生えた答え。

 これこそが、今ある本能に従った答え。











 ザックはリコの肩の肉を食いちぎった。

 一同が足を止める。ジェイムズがリコに振り返る。

 ディジーがザックを引き剥がそうと駆け寄る。



 全てがスローモーションに感じた。


「リコ―――ッ!」


 ジェイムズが目を見開き叫ぶ。


 ザックのすぐ後ろにいたディジーが、ザックを羽交い締めにするが、暴れたザックの肘が顎に入り、後ろから来るタップ達の方に弾かれた。


「ザック! お前!」


 先頭のレイ達は本館につながる扉に辿り着いていたが、カギを確かめるアンバーとエミリーを残し、数メートル後方のザックに走る。だが、ウィルソンはアンバー達の方へ戻っていく。


「前から来た!」


 数人の捕食者が通路を滑走する。アンバー達の前に立ちはだかったウィルソンは、マシンガンを乱射する。

 リコの肩に噛みついたまま、ザックは灰色に変わりつつある目を見開き、本館へ通じる扉に突進してきた。ジェイムズと駆けつけたレイは、それになぎ倒される。


 扉にカギはかかっていなかった。アンバーが慌てて施錠しようとするが、マスターキーの束を落としてしまう。


 迫るザックはリコを抱えたまま、アンバーとエミリーを蹴り飛ばし、扉を開け放った。


「錯乱してやがる! ザックを止めろ!」


 タップが叫び、イーリアスに支えられ起き上がったディジーが銃を拾い走り出す。


「ジェイムズ……」


 口から血の泡を吹いたリコが手を伸ばす。ジェイムズは這ったまま、その延長線上で手を伸ばす。


「リコ―――ッ!」


 ジェイムズが叫んだ。その叫びに応えられず、リコはザックに抱えられたまま、扉の奥に姿を消した。


「マズいぞありゃあ。本館に逃げやがった」


 扉に追いついたディジーが、ショットガンの弾を確かめる。その脇から、ジェイムズが銃を握りしめすり抜けていった。扉の先の闇に走り出す。


「待てジェイムズ! ジェイムズ!」


 レイの制止もジェイムズには届かない。リコを呼ぶ声が遠ざかる。


「リコ達を追う」


 レイがエミリーにバッグを預け、自分はマシンガンのストラップを肩にかけ、ショットガンを掴んだ。


「待て、もう女は助からねえぞ。行くだけ無駄だ」


 ディジーがレイを止める。レイは手を払う。


「最悪はジェイムズだけでも連れ戻す。先にパークへ行ってくれ」

「だったら俺も行ってやるよ。甘ちゃん一人に探せるとは思えねえ」


 ディジーはバッグから予備の弾薬を掴み、ジーンズのポケットに押し込んだ。


「ウィルソン、皆を連れて先に行ってくれ。ジェイムズ達は連れて帰る」


 前方の捕食者を粗方片づけたウィルソンは、レイに深く頷いた。

 レイとディジーが闇に消える。微かに見えた背中に、タップは叫んだ。


「生きて帰ってこい! 先にパークで待ってるぞ!」


 返事はなかった。タップはただ、その先の闇を見つめた。


「感傷に浸るのはいいがの、奴らが来なすったよ」


 イーリアスが後ろを指す。遥か後方に人影が蠢く。


「突破してきやがったか」


 タップはショットガンを杖代わりに体を支えると、ウィルソンに合図する。


 ウィルソン、アンバー、エミリー、タップ、イーリアス、トレバーの順に、パークに続く通路を走り出した。犬が鳴きながら追走する。




 やがて出口の扉が見えてきた。





 再び本館に足を踏み入れようとは、ジェイムズは思いもよらなかった。通路は一階につながっていた。


 血液が点々と床に続いている。通路の先の倉庫には、それがライトに照らされ、鮮やかに輝いていた。


「リコ! リコ!」


 危険もかえりみず、ジェイムズは叫ぶ。案の定、倉庫の奥から物音が聞こえた。


 つながる血液の道を辿る。これがリコのものだと思うと、目頭が熱くなった。

 今、彼女は苦しんでいる。恐怖に、痛みに、心と体を壊されんばかりに苦しんでいる。


 ジェイムズは銃を構え、流れる脂汗を拭きながら、血を辿っていった。

 倉庫と売場を隔たる扉に行き着く。血の道はその先まで続いているようだ。


 ジェイムズは扉を開けた。










 何十、何百の顔が振り返る。崩れたものや骨が露出しているもの、まだ綺麗な状態を保たれたものなど、様々な顔がジェイムズを視界に捉えた。

 黒い渦がうねりと共にジェイムズに押し寄せる。







 何を考えていたのか。

 何を思っていたのか。


 弾が尽きるまで目の前の邪魔な存在を消す。

 リコを助ける為、目の前に映るもの全てが邪魔だった。


 迫る数は計り知れない。赤と黒の波にしか見えない。


 次々と倒れていく最中、頭部にダメージを負っていない者は起き上がり、ジェイムズの腕や足にしがみつく。ジェイムズはそれらを振り払い、撃ち、蹴り倒した。



 腕の肉が削られる感覚が頭の天辺を貫く。痛みより先に、引き金に力を込める事に神経が集まった。



 頭を破裂させた者に巻き込まれ、数人が倒れる。その先に見えた姿に、ジェイムズは髪の毛が逆立つ思いだった。


「リコ―――ッ!」


 銃を撃ちながら、前に進む。自身が倒した屍を、その足で踏み越えていく。

 空になった銃を捨て、ショットガンを辺り構わず乱射する。

 後方からきた捕食者が、三ヶ所同時に皮膚を食いちぎっていった。それに怯む事なく、ジェイムズは周りを蹴散らしながら、見覚えのある背中を追った。




 体を振る度、銃を撃つ度、前へ進む度、痛みが全身を駆け巡り、体内から血が流れ出ていく。



 ショットガンを撃つ。


 肩の肉が噛み砕かれた。


 頭を吹き飛ばす。


 床に伏せた捕食者に、脛を噛まれた。


 頭を踏み潰す。


 左腕の腱をちぎられた。


 左手の指がない。


 頬に大きな裂傷が走る。


 左腿の噛み痕の出血が止まらない。


 肩で息をつく。


 リノリウムの床が真っ赤に染まっている。

 血生臭さという言葉以上の臭気が、空気と入れ替わっている。



 目の前に蹲る男の後頭部に、ショットガンの銃口を当てた。



 男が振り向く。咀嚼していた肉片が、口からこぼれ落ちる。



 数分前まで仲間だった男の頭を、ジェイムズは躊躇なく弾き飛ばした。


 頭部を失った体が、ゆっくりと床に倒れた。



 辺りを見渡す。

 自分を中心に、数えきれないほどの屍体が横たわる。動いている者は、一人もいなかった。


 男が食らっていた遺体に目を向ける。


 白い肌は、鮮やかな朱色に染め上げられ、開いた腹部からは、未だに夥しい量の血液が床に垂れていた。




 ショットガンが手から滑り落ちる。


 ひざまずき、遺体の頭の下に手を入れ、血で汚れたその顔を拭ってやる。赤みを失ったその頬に、透明な雫が落ちた。





 ジェイムズは絶叫していた。

 天を仰ぎ、子供のように泣き、消えていった命を惜しみ、声の限り叫んでいた。



 守ると誓った命は、自分の手の中で消え去ってしまった。自分の力のなさを嘆くと共に、ジェイムズは天命の理不尽さを怨まずにはいられなかった。


 床に優しく寝かせる。手を胸の前で組ませ、その死に顔を歪む景色の中、ずっと見ていた。



 失って初めて分かった。



 幼い頃からほのかな想いを抱いていた相手を、

 あの柔らかな笑顔を贈ってくれる女性を、

 小さな肩を震わせ、あの日自分の頬に平手打ちを食らわせた強き意志を持つ彼女を、









「僕は……愛していた……」





 返り血で汚れた頬に、涙の道ができた。



 ざわめきが空間を取り囲む。

 駐車場から、今葬り去った化け物の何十倍の数が集まろうとしていた。蠢く影の波が、自分を狙っているのが分かる。


 退路はもうない。逃げる場所も、生きる明日もない。


 ジェイムズは拳銃を取り出し、弾数を調べた。

 一発だけ残っている。


 こめかみに銃口をつけ、引き金に指を当てた。そっと、目を瞑る。




 気配が意識を覚醒させる。


 振り返ると、そこに愛する人が佇んでいた。


 涙が止まらない。




「リコ……」


 ふらふらと歩く彼女を、力強く抱きしめた。


 もう離さない。ずっとずっと、一緒にいよう。



 首筋に冷たい唇が当たり、耳に肉をちぎる音が届いた。



 リコを、抱きしめる。



 駐車場の群れが建物に入り、ジェイムズ達に走り迫る。


 僕は君を愛している






 自然と笑みが零れた。口から吐いた血が垂れた。




 もう、一人にしない。僕も君と共に行こう。二人で、ゆこう。




 ジェイムズは優しく、リコに口づけした。愛する人に、最初で最後の、想いを込めたキスだった。




 そのままリコの後頭部に、しっかりと銃口を押し当てた。この距離なら、リコの頭を貫き、自分の頭にも弾丸は到達する。





 感情のない、灰色に濁ったリコの目から、一筋だけ涙が零れた。




 リコ、愛してる





 歯を剥き出し両手を振り上げながら走り来る群衆の中心で、ジェイムズはゆっくりと引き金を引いた。



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