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the Dusk  作者: N・O
4/14

生き残り

 血、殺戮、死……


 それは人だった。人のはずだった。


 皮膚の崩れた顔が襲ってくる。

 決して鋭利ではなかったはずの歯は、今や人間の血肉を引き裂き、咀嚼する。


 例え四肢を撃たれても、刃物で胸を刺されても、彼らは前に進んだ。歩みを止めなかった。


 何処かで泣き叫ぶ声がする。しかしすぐにそれは止んだ。あとには唸り声が増えていった。


 建物は燃え、テントは裂かれ、車は大破した。銃を持った兵士の体が、何十もの化け物にバラバラに食い散らかされた。


 友人だった者が自分に走り来る。捕食者の目が迫る。


 ジェイムズ・サミーユは頭を抱えた。今、見ている現実は、きっと夢だと思った。幻想だと思った。こうして目を瞑り、再び開けば、自分は自宅の部屋で『ナイト・ザ・ギャザリング』をプレイしているはずだ。


 顔を覆う手の隙間から見た光景は、最早人間の住む世界ではなかった。赤が支配する景色は全て、生臭い血の原色だった。


 入隊したばかりの友人の首を抱え、果物にかじりつくように食す姿を見た。その友人はスポーツ万能で屈強な体格をしていた。だからこれは何かの間違いだ。

 傍らに拳銃が落ちていた。だからそれを撃った。友人の仇ではなく、この現実を破壊する為だった。

 弾が尽きるまで撃った。空の音がしても、何度も引き金を引いた。

 目の前の者は友人の首を抱えたまま、顔の原型を留めていなかった。


 同じ町内に住む老婆が座り込んだまま、胸の前で十字を何度も切っていた。皺が刻まれたその目から、涙が止めどなく流れていた。

 老婆を残し、走った。振り返ると、老婆がいた所には、彼女の足首だけが放置されていた。マジックのようなその変化に、何故か笑みが零れた。


 何かに吹っ切れ、拾ったマシンガンを唸らせた。飛来した弾は面白いように血走った目を地に沈めていく。いつしか笑みは大きくなっていた。

 兵士の格好をした者が自分に体当たりをしてきた。思わぬ不意打ちに、手にしたマシンガンを放し倒れ込んだ。

 眼前に汚れた口が近づく。涎が垂れている事に、冷静に嫌悪を感じた。


 銃声が耳を叩き、兵士が自分に覆い被さった。兵士の後頭部は半分なくなっていた。

 見ると、女が泣きながら銃を構えていた。その何とも不釣り合いな姿に、声を出して笑った。兵士の重みも感じず、笑い声だけが体外に放出された。


 女は兵士の体を払い、自分を立たせてくれた。そして力を込め頬に平手打ちを食らわせた。

 頬の痛みが頭を駆け巡る。目の前には涙で顔をくしゃくしゃにしたリコがいた。

 隣の家に住む幼馴染みのリコが、泣きながら膝をついた。


 頬の痛みが心を駆け巡る。痛みが生きている事を、生命がまだこの肉体に現存する事を、心に思い出させる。


 涙が溢れた。

 血にまみれた頬に、涙の道が一つ、二つと増えていった。


 そしてリコを抱きしめた。自分より遥かに華奢な肩が、心が、震えていた。

 震えている。リコが震えている。



 気が付けばリコの手を取り、車に走っていた。幸い、カギのついた車を見つけられた。荷台には銃も載っている。

 思うままに車を走らせた。追尾する者を撃ち、基地の門を潜り、街を目指して走った。


 街に到達した頃、数を増やした連中が行く手を遮った。無我夢中で車を走らせ、住宅街に沿う道を進むと、生きている人間を見つけた。


 彼らは何かの合図を送っている。味方かどうか分からなかったが、藁をもすがる思いでそれに合意した。


 次の瞬間、風の圧力と轟音が車を襲った。衝突しないようにハンドルを切り、車を停めて後方を見た。


 埃が舞う景色から、合図を送った人間が出てきた。二人共、全身を埃と血に染めていたが、無事な様子だった。

 リコが袖を引く。自分を見つめる目に、未だ光は消えていない。濁りのない瞳が、自分に訴えかける。



 ジェイムズは握り拳を固めた。生きている人間がいた事に、喜びが力を込める。


「ジェイムズ」


 リコが笑った。笑顔をなくしてはいなかった。その事実が心を動かす。


 リコの手を握る。温かさが自分の手に宿る。


「彼らを助けよう」


 リコが強く頷いた。何者なのかという猜疑心が、リコの同意で払拭された。



 ジェイムズはルームミラーを見ると、ギアをバックに入れた。



「さすがにスゴい武器だな。軍の兵士のものは」


 荷台に移ったタップは、ショットガンに弾を込める。一般に出回っているものよりも強力な銃器に、子供のように目を輝かせた。


「モールに行くよりも、図書館に行った方がよかったんじゃないのか?」


 タップがパトカーから持ち出した弾を自分のショットガンに詰めながら、レイは前席の二人に聞いた。


「いえ、図書館は恐らく避難した人達で一杯です。僕らは図書館の近くに住んでいるんですが、基地の方が安全だといわれていたので、そっちに移動したんですが……図書館にも大勢の人が移ったはずなので」

「そうか……基地では何か情報はなかったか?」

「もういいじゃないか、レイ。見た感じ、お二人さんは命からがら逃げてきたみたいだぜ。今は生き延びた喜びを噛み締めよう。俺はお仲間がいて嬉しいぜ」


 そう言うタップはバッグを助手席に放った。


「腹減ってるか? 好きなの食えよ」


 突如バッグを投げ渡されたジェイムズとリコは、顔を見合わせて驚きを隠せない。


「タップの言う通りだな。すまない、配慮が欠けた。その中には食料が入ってる。遠慮なく食べてくれ」

「チキンバーガーは残しといてくれよ」


 タップはタバコに火をつけた。


 メインストリートを抜け、東に位置する『航空記念タワー』に程近い『クレイブセット・モール』は、巨大ショッピングセンターとして名高い。街の人々が往来するその場所は、宛ら街の生活を担うと言っても過言ではない。生活必需品の全てが揃い、隣接されたアトラクションテーマパークには、休日ともなれば混雑の必至を辿った。


 未だ掲げられたままのアドバルーンには、クレイブセットの名が描かれている。まだ距離はあったが、四人が乗るジープからはっきりと見えた。


「もっとまともな時に来たかったもんだ」


 タップのため息が荷台から聞こえた。


「見ろ。何かある」


 身を乗り出し、レイは前方を指差した。


「何でしょう、あれ」

「分からない。車を停めた方がいいな」


 前方、百メートルの地点に、道路を横切るように何かが敷かれている。


「どうかしたのか?」


 くわえタバコのタップが荷台から顔を出した。


「あそこに何かあるんです」


 周囲は放置された車が何台かあるだけで、他に何も見えない。

 レイとタップは車から出ると、ショットガンを構えた。


「僕は略奪者だと思う」

「同感だ。生き残った奴らにそんな事をしでかす輩がいてもおかしくない」

「君達はそこにいろ。僕らに何かあったら、すぐに車で逃げろ」

「危険です! やめて下さい」

「モールに行くには、この道が一番近い。遠回りをすればそれだけ危険が伴う。心配ない、僕らも深追いはしないよ」


 車で待つ二人に合図をし、レイとタップは道路に敷かれた物体に近づく。


 辺りは静まりかえっていた。時折揺れる風が死臭を運ぶ。大きなカラスが二羽、手首をくわえて飛んでいた。


「いっそ、この辺の車を爆破しちまうか?」

「もうごめんだ」

「そう言ってくれると思ってた」


 にじり寄る足が震える。何が出てきてもいいように、銃は高めに構えている。


 徐々に輪郭が浮き彫りになってきた。道路に敷かれたそれは、帯などではなかった。


「こりゃ……ひでえな」


 タップが口をつぐんだ。異臭はもう二人の鼻に届いている。


 それは人間と化け物の交戦の跡だった。屍体は双方ともバラバラになり、更に鳥が啄んだのであろう、肉をちぎられて変色した血液と共に、道路に帯状に折り重なっていた。中には警官の格好をした者もいた。頭を打ち砕かれている。


「ここで連中に出くわしたんだろう。戦闘になったんだな」

「行こう。俺達もヤバい」


 二人が踵を返した瞬間、銃が放たれた。

 ジープの周辺に人影が疎らにある。その中の一人が空に向け発砲した。銃を使う時点で生きた人間だと分かる。


「やっちまった。本命はあっちかよ」

「ジェイムズ! リコ!」


 二人は車に走る。人影は二人の接近に気づき、一斉に銃を向けた。


「止まれ。こいつらの命はねえぞ」


 男が四人。女が一人。男の一人は怪我をしているのか、仲間に肩を借りている。


「銃を捨てろ」


 ひげ面の男が拳銃を構える。


「車はやる。二人は降ろしてくれ」

「喋んじゃねえよ! 銃を捨てろっつってんだ!」


 レイの言葉に、帽子を被った若い男が意気を巻く。


「穏やかじゃないね。俺達は平和主義者だぜ?」


 タップはそう言いながらもショットガンを構える。銃を捨てる気はないらしい。


「セントフォース基地ってのはどっちだ」


 ひげ面の男が二人に問う。その答えを、女に窓から銃を突きつけられているジェイムズが語る。


「セント、フォースは、ぜ、全滅しました」

「あんたには聞いてないよ。死にたいのかい?」


 女はジェイムズの額に銃口を押しつける。隣でリコが怯えた表情で目を瞑った。


「彼の言葉は本当だ。セントフォースは墜ちた」


 男はレイを睨む。そして視線を反らし、舌打ちした。


「嘘は言ってねえようだ」

「ディジー、こいつらの言ってる事を信用するのか?」


 帽子を被った若い男は、ディジーと呼んだひげ面の男に詰め寄る。


「てめえは黙ってろ」

「仲間は皆やられた。あんたについてきたからだ。とっとと車を奪って基地に向かうんじゃねえのか!」


 ディジーは若い男の胸ぐらを掴む。


「ついてこいと言った覚えはねえ。オロオロしてやがるてめえらがついてきただけだろ。何にもできねえくせして、俺に意見してんじゃねえ」


 若い男は静かな一喝に、ディジーと目を合わせなくなった。


「彼らを降ろしてくれ。車は渡す。何処へでも乗っていけばいい」


 ディジーは未だ引き金から指を外さないレイを見やる。睨む眼孔の端で、タップの動きも観察している。


「てめえらは何処に行くつもりだ」

「……宛はない」

「ここにくる途中、でかいショッピングモールがあった。方角からして、そこに行くつもりだったんだろ」

「モールに行っても安全かどうか分からない」

「これだけ武器がありゃあ、充分安全だろ」


 ディジーは荷台の幌を上げる。(くろがね)の銃器が陽に照らされる。


「大方立てこもるつもりだったんだろ。あの中は何でも至れり尽くせりだろうからなあ」

「だったら武器も渡す」

「てめえらにもきてもらう。モールに行くぞ。フェルナンド、ランディを荷台に乗せろ」


 フェルナンドと呼ばれた男は、肩を貸していたランディを荷台に乗せる。


「ゲイブ、こいつらを荷台に入れろ」

「何でこいつらまで」

「囮になるだろ」


 ゲイブは帽子を脱ぐとイライラした様子で頭を掻き、レイとタップに銃を向ける。


「車に乗れてめえら!」


 レイ達はゲイブを睨みながら荷台に向かう。その瞬間、放置車の脇から顔の崩れた狂気の目が、レイとタップ、ゲイブに突進してきた。


「奴らだ……」


 ゲイブはレイ達を押すと、荷台に向かった。すると荷台の手前で首筋の肉を食いちぎられているフェルナンドを発見した。フェルナンドの首には頬の肉が削げた老女が、執拗に歯を食い込ませていた。


 ゲイブは絶叫しながら老女を撃つ。老女の頭に風穴が空く。


「マズい、きやがったぜ」


 タップの見る方向には、数人の捕食者が走り来る姿があった。

 レイは放置車の捕食者をショットガンのストックで殴り飛ばし、頭を撃ち抜いた。


「車に乗るんだタップ!」


 タップは最初に走り来た追跡者を撃つ。ショットガンの弾が腹部の肉をえぐり、追跡者を弾き飛ばした。

 ジェイムズに銃を向けていた女は、迫る捕食者に怯み後退りした。震える手から拳銃が滑る。


「カヌレ! そっちへ行くな!」


 ディジーが叫ぶ。カヌレのヒールが折れ、尻餅をつく。そこに放置車の陰から現れた更なる捕食者が覆いつくす。

 カヌレの腕に最初の捕食者が食らいついた。血液を滴らせ、腱が音を立ててちぎれていく。

 我先にと群がる捕食者の群れに、途端にカヌレの姿は見えなくなった。


 ジェイムズが車を発進させる。タップが後部座席に飛び乗った。荷台に近いゲイブが、幌を掴み乗り上がる。


「レイ、乗れ!」


 ショットガンを撃ち牽制するレイに、タップが手を伸ばす。その手に食らいつこうとする捕食者。

 タップは座席の扉を閉め、窓から捕食者の頭を撃った。更に周囲の捕食者にショットガンを乱射する。


 進み始めた車に駆け寄るレイ。追跡者の数は膨れ上がり、レイの後ろに迫っている。後部座席から荷台に移ったタップが援護し、走る追跡者を狙い撃つ。


「お前も来い!」


 レイはディジーに合図を送り、ディジーは舌打ちをすると走り出した。しかしその進路を捕食者が立ちふさぐ。


「カヌレ、お前」


 それは口から血の泡を垂らし、濁った目に獲物を捉えたカヌレだった。

 狂気の(しもべ)となったカヌレは、両腕を広げディジーを捕獲にかかる。ディジーは拳銃をカヌレに向け連射した。

 弾はカヌレの体から血の霧を吹かせるが、彼女は止まらず迫る。ディジーの銃が空音を鳴らした。


 カヌレが赤い粒を撒き散らして叫ぶ。それは最早人間の言語など皆無になり、獣の吠える威嚇そのものだった。


 ディジーは前転しカヌレの腕を掻いくぐる際に、彼女が落とした拳銃を拾い素早く起きると、迫るその眉間に狙いを定めた。


「だから言ったろ、『そっち』へ行くなと」


 カヌレの額を鉛弾が貫通した。






 ギブスンが人を食っている。生肉を嫌い、菜食主義だった弟が、自身が愛した人の腕を噛み、足をちぎり、首をその歯で切り裂いた。

 滴る流血を顔中に浴び、赤黒い内臓をすくって口に運ぶ。咀嚼するそれを、喉を鳴らして嚥下(えんか)した。










 それがディジー・フリップの最初に見た地獄だった。



 自動車工場の勤務から帰ったギブスンは、玄関先で倒れた。家で帰りを待っていた家族と恋人は、ギブスンの異変に気づき救急車の手配をしようとした。

 しかし電話は通じなかった。混線なのか故障なのか、音が聞こえない。


 恋人と母はギブスンの手当てをしている。ギブスンは肩から出血し、その傷痕は噛まれたようだった。


 父の怒号が聞こえ、玄関に大股で歩み寄った。どうやら電話が通じず頭にきて、直接ギブスンを病院に運ぶつもりらしい。


 母と恋人が手を貸し、父がギブスンに肩を貸した瞬間、ギブスンは父の首筋に歯を突き立てた。




 ディジーは違和感を覚えた。家に着いた早々、開け放たれたままの玄関から血生臭さが漂っていたからに他ならない。


 ギブスンの車がエンジンをかけたまま停車している。運転席が血で濡れていた。

 嫌な予感がし、ギブスンの車に積んであったレンチを握り、玄関に近づく。


 玄関から血が流れていた。それはウッドデッキに流れ着き、木の節から下に落ちている。

 中に入ると、入口の絨毯が真っ赤に染まっていた。血の帯がリビングにつながり、動物の唸り声が聞こえた。弟の恋人のものとおぼしきハイヒールが転がっていた。

 父や母、弟の名を呼んだ。だが自分の声が響いただけだった。


 リビングの灯りが揺れる。


 ディジーはレンチを握りしめ、リビングの扉を開けた。一気にむせ返る臭気がリビングから逃げていく。


 咀嚼音が聞こえる。水分を含んだ音が不快なほど部屋全体に広がっている。


 血の海の中に蹲る背中があった。傍らに上顎から上がない母の亡骸が横たわっていた。


 忙しなく動く肩を震わせる背中に、ディジーは声を投げかけた。


 それが後ろを振り返る。


 白かったはずの肌が赤黒く汚れた腕をくわえたギブスンが、灰色に染まった目で兄を睨む。その先には臓器を粗方食われ、腹部が空洞になった遺体があった。弟がくわえていた腕は、その遺体のものだった。


 遺体は、弟が愛した人だった。


 変わり果てた姿の弟が自分めがけ突進してくる。ディジーは咄嗟にレンチを振っていた。鉄先がギブスンの頬に当たる。


 ギブスンの下顎が砕け切れ、右頬の肉だけでぶら下がった。しかし、その目は執拗にディジーを狙っている。


 ディジーは弟の名を叫び、渾身の力を込めてレンチを頭に降り下ろした。


 レンチから垂れる水滴の鮮やかさに目を奪われる。視線を下げると、頭を潰された弟が床に倒れている。

 金属が音を立てた。手から滑り落ちたレンチだと気づいたのは、優に五分を経過した時だった。


 リビングの奥が鳴った。突然の物音に、体が跳ねた。

 ギブスンと同様の獣の声が爆ぜる。ものを破壊する音の残骸を連れ、何かが来る。


 ディジーは踵を返しリビングを出た。首だけ振り返ると、弟の恋人の上半身が起き上がった。奥からきた破壊音が近くなる。


 ディジーは玄関を飛び出た。


 車に乗り込む。ライトが玄関を映す。玄関から気が()れたかのように暴れ出る父の姿があった。首から血を流し、柱や扉を激しく叩く腕は関節がいくつにも増えていた。露出した骨がライトに反射し光る。


 ディジーは車を発進させると、二度と振り返らずスピードを上げた。


 弟のとどめを刺した右手は未だ震えていた。それを強く強く握り込むと、爪が食い込み血が滲んだ。




 父だった者の雄叫びが車を見送っていた。







 右手の震えは、人だった者を殺める度に減っていった。だからカヌレを撃った後も、右手は震えていなかった。


 右手を見つめる。




 血で汚れている気がする。

 肉親を……弟を殺めた手は、あれからずっと、ずっと、赤く汚れている気がする。

 奴らを地獄に送り返す毎に、それは消えると思っていた。しかし未だ瞳に映るのは、変わらぬ赤だ。


 流れる景色を荷台から見ている。


 世界は変わった。死んだんだ。


 ディジーは掌を見つめながら、そう思った。



 手の汚れは、まだ消えない。





「何でこいつらまで助けたんだ」


 ゲイブに銃を突きつけられながら、タップはレイに文句をつける。レイもディジーの銃口に狙われている。


「ほっとけないだろ」

「ほっときゃいいのに。こんな奴ら」

「うるせえぞ! 黙ってろ!」


 タップの背中に銃を押しつけるゲイブ。


「モールに着いたらその人達を解放して下さい」

「黙って運転してろ。背中から蜂の巣になりたくなかったらな」


 運転をするジェイムズの言葉をディジーは一蹴した。


「そこの彼はどうして怪我したんだい」


 タップが苦しそうに横たわるランディを見る。


「さっきからてめえはうるせえんだよ! 頭をぶっ飛ばされてえのか!」


 ゲイブはタップの後頭部に拳銃をつけ、撃鉄を引いた。タップは両手を挙げる。


「OK、OK。分かった、静かにする」


 タップが口をつぐみ、しばらく静寂が訪れる。ジープのエンジン音と時折遠くで聞こえる奇声が、全員の耳に入るだけだった。


「ディジー、囮に使うってどうするんだよ」

「何かあったらこいつらを捨て駒にして逃げればいい」

「四人もいらねえだろ。足手まといが増えるだけだ」

「てめえは口を塞いでりゃあいいんだ。余計な事は考えるな」


 ゲイブは不満気に唾を吐いた。


「モールだ」


 レイの見上げる先に巨大な建物が広がる。クリーム色にカラーリングされた全貌が全員の前に姿を現せた。


「でけえ所だな」

「見ろ、奴ら駐車場にわんさかいやがる」


 広大な駐車場は捕食者の巣と化していた。入口という入口に群がり、扉を叩いている。


「誰かいるようだぜ」

「何で分かるんだ」


 ゲイブはタップに問う。


「中に誰かいるから入ろうと必死なんだろ。餌を求めてな」

「餌……」


 タップの重い言葉に、ゲイブは唾を飲み込んだ。


「どうやって入るんだ。入口にも近づけねえ。諦めるか?」


 タップがレイの顔を見る。レイはディジーを横目で見る。


「ディジーと言ったな」

「だったら何だ」

「策は何かあるか」

「知るか」

「これで一気にぶっ潰しちまおうぜ」


 ゲイブは荷台のマシンガンを取る。


「あれだけの数、弾がいくつあっても足りねえ」

「だったら何とかしろよディジー! ここなら安全じゃなかったのかよ!」

「てめえに一つ言っておく」


 ディジーはゲイブの額に銃口をつけた。人差し指は引き金にかけられている。


「嫌なら降りろ。てめえに傍にいろと言った覚えはねえ。俺の傍にいたいのなら従え。連中の餌になりたいなら止めねえがな」


 ゲイブは真っ赤な顔になるが、ディジーの顔を睨んだまま動かなくなった。


「策ならある。こいつらを囮に使う。全員外に出ろ。ゲイブ、ランディに手を貸せ」


 全員がディジーとゲイブの銃に見つめられながら、車から外に出た。ランディはゲイブに肩を借りている。


「お前ら、走れ」

「何?」

「駐車場を走り回れ」

「僕達が奴らを引きつけている間に、侵入しようってわけか」

「理解が早え事は良い事だ」

「俺らは見殺しって事か?」

「逃げ回れば助かるかもな」


 リコが泣きながらジェイムズにしがみつく。ジェイムズはディジーを睨みながらリコの肩を抱く。


「だったら俺らに銃を渡せよ」

「囮に武器を渡すバカが何処にいるんだ」

「こっちには女もいるんだぞ」

「知らねえよ」


 タップの拳が固められる。レイはその肩に手を置いた。


「囮は一人でもいいだろ。僕が囮になる」

「何言ってんだレイ。あんた一人でなんか」

「だから皆は中に入れてやってくれ」

「何言ってるんですかレイ!」


 ディジーは鋭い眼差しでレイを見つめる。そして口元を緩ませた。


「いいだろう」

「そんな事させるか! お前何考えてんだ!」


 タップが怒りのままディジーに殴りかかろうとする。それをディジーは銃口を向けて制する。


「だったらてめえがやるか? お仲間の命を助けてえんだろ?」

「何だとこの―――」

「約束したぞディジー」


 タップとディジーのやり取りの最中、レイは駐車場に走り出した。


「レイ! 戻れレイ!」


 レイは駐車場の中央を目指し走る。それに気づいた何人かの捕食者がレイを追跡し始めた。


「ヤバいヤバいヤバい! レイ! 戻れ!」


 焦るタップがレイを追う。

 ざっと見て、二百人程度。それがタップの見る、駐車場の捕食者の人数だった。その十分の一はレイを追う。レイは駐車場の中央を走り抜ける。


「レイ! レイ!」


 レイを追い駐車場に躍り出たタップに、捕食者が迫る。タップはジーンズから拳銃を出し、その頭を撃ち抜く。


「野郎! 銃を隠してやがったな!」

「構うなゲイブ。おいガキ、車に戻れ」


 ディジーはジェイムズに銃を向ける。ジェイムズは震えるリコを助手席に乗せると、自分はディジーとゲイブを睨みながら運転席に納まった。


「俺が合図したら車を出せ」


 ディジーは後部座席で外を窺う。

 外ではレイを追う捕食者の数が増えていた。


 その時、上空でヘリコプターのエンジン音が聞こえた。しかしその響きが軽い。


 レイとタップは上を見ながら走る。そこにはモールの屋上から飛び立った大型のラジコンヘリが、レイ達をめがけスピードを上げている姿だった。何かをぶら下げ、真っ直ぐレイ達を目指す。


「何だありゃ」

「誰かが操作してるんだ」

「モールにいる人間か」

「恐らく」


 タップはようやく追いついたレイと併走する。ヘリは二人の頭上まで来た。

 ヘリから声が聞こえる。ヘリにはロープが下がり、トランシーバーがくくりつけられている。トランシーバーの横には人間の手首が結わかれていた。


「マジかよ」

「気をつけろタップ。敵かどうか分からない」


 ヘリのトランシーバーが唸る。


『誰か応答しろ。トランシーバーを取ってくれ』

「取ってくれって言ったって、走りながら取れるわけないだろ」


 捕食者の追跡が更に大きくなる。前方からも五人の追跡者が走り来る。

 二人は旋回し、追跡を回避する。ヘリコプターは二人の頭上で同じルートを辿る。


『早くトランシーバーを取るんだ』


 ヘリからの要求に、レイは走りながら手を伸ばし、隣にある手首に触れないようにトランシーバーを確保した。


『聞こえるか? ボタンを押して喋ってくれ』

「ああ、聞こえる。誰だ? 何処にいる」

『こっちだ。屋上だ。ここにいる』


 屋上を見ると何人かの男女がいる。全員、レイ達に手を振る。


「助けてほしい。モールの中には入れないか?」

『入口に連中が大量に押し寄せてるんだ。今からそのヘリで奴らを誘導してみるから、立体駐車場の入口にきてくれ。入口の扉はこっちで開ける』

「仲間がいるんだ。車がある」

『ああ、確認した。とりあえず奴らを誘導してる間、走り回ってくれ。そして頃合いを見計らって車で入ってくれ』

「ありがとう、本当に助かる」

『助かってから言ってくれ』


 トランシーバーからの連絡が切れ、ヘリは頭上を越し立体駐車場の入口に飛んでいく。そして機体の底につけられたボックスから雫を垂らした。


 それは血液のようだった。赤い液体がシャワーのように吹き、捕食者の上を行く。更に、手首が捕食者の顔の前を通るように高度を下げた。それが追跡より少し速い程度で飛ぶ。

 捕食者は徐々にヘリコプターを追い始めた。吊られた手首に食らいつく為、血のシャワーを浴びながら手を伸ばす。その数はヘリが旋回する度に増えていった。


「作戦成功だな」


 レイがトランシーバーに話す。


『まさかこんなに上手くいくなんて思わなかったよ。とにかくスタンバイしておいてくれ』

「分かった」


 レイ達を追う捕食者は未だ残っていたが、それでもその数はヘリコプターの策により減らされた。タップは後ろを振り返り、車を目指すようレイに提案した。


「分かった、車に戻ろう。もう足も限界だ」


 二人は車に向かう。ジェイムズ達は車に乗っている様子で、エンジンはかかった状態だった。


 ヘリが駐車場を撹乱させる。その周辺にはほぼ全ての捕食者が集まりつつあった。


『今だ、立体駐車場の入口に来てくれ。こっちはスタンバイできている』

「分かった。今向かう」


 二人がジープに戻ると、ディジーとゲイブに銃を突きつけられたままのジェイムズとリコは、安堵の笑みを送った。


「よう、ご苦労さん」


 ディジーが不敵に微笑む。


「あのヘリが奴らを引きつけている間に、立体駐車場の入口に向かう。中に誘導してくれるようだ」

「あのヘリはやっぱり中の人間の仕業か。まぁいい、車を出せ。せっかくのお招きに応えねえとな」


 ディジーが銃でジェイムズの後頭部を小突くと、小さく唸ったジェイムズは車を発進させた。レイ達はすぐさま荷台に乗る。

 ランディが発進の揺れに呻き声を上げ、体を動かす。


「おい、あんたらの仲間、ヤバいんじゃないのか?」


 その様子を見たタップが、後部座席にいるディジー達に声をかける。


「中に入れば手当てもできるだろ。てめえは黙ってりゃいいんだよ」


 近づく立体駐車場の入口は、巨大なシャッターに閉ざされている。格子状のシャッターの為、中の様子が窺え知れている。何台か車が停められているが、人の気配は皆無だった。


『大変だ! 早く入口に向かってくれ! ヘリがもたない!』


 トランシーバーが焦りの声を流す。駐車場中央でヘリコプターが墜落する瞬間を見た。吊り下げた手首が掴まえられたようだ。


「まだ奴らがいますよ!」


 前を見るジェイムズが叫ぶ。シャッターの前には未だ五人の捕食者がたむろしていた。


「めんどくせえ」


 ゲイブが窓から身を乗り出し、捕食者の頭を狙い撃つ。銃声が捕食者の興味を変えた。

 怒濤の群れが押し寄せる。銃声により、大破したヘリコプターよりも素晴らしいものを発見した捕食者達は、一斉にジープめがけ駆けてくる。


 シャッターの前を一掃した時、音を立ててゆっくりとシャッターが上に巻き上げられていった。しかし追跡者も距離を縮めている。


「早く入るんだ!」


 シャッターから白髪混じりの男が顔を出した。ジープを手招きする。シャッターはまだ車が通れる高さまで上がっていない。


「仕方ねえなっと」


 タップは荷台から飛び降り、弾を込め終えたショットガンを構えた。

 ショットガンが弾を吐き出す。飛来したそれに、集団の先頭はのけ反り地面に倒れる。タップの隣ではレイも引き金を引いていた。


「まだ開かないのか!」


 捕食者の数が増え、地平線を埋めつくす。タップは荷台からマシンガンを取り出し、荒れる波に乱射した。


 マシンガンの弾は追跡の手を一瞬緩ませたが、体に当たるそれはダメージを与えていない。


「しっかり頭を狙え。弾の無駄だ」


 いつのまにか車を降りていたディジーがタップに並ぶ。そして得物を波に向けた。



 シャッターがようやく車を招き入れた。


「何でこんな遅えんだよ! さっさと閉めろ!」


 シャッターを抜けた先でゲイブが喚く。シャッターは車を入れた後、ゆっくりと降りてくる。

 シャッターの外側では、レイ達が応戦を繰り返していた。しかし捕食者の波は二十メートルにも迫っている。


 ジェイムズが車から降り、荷台にある拳銃を二丁取り出すと、格子の間から集団を撃つ。だが追跡の手は十メートルに縮まる。


「早く入って!」


 ジェイムズが叫び、タップがシャッターをくぐった。シャッターは人の身長まで降りていた。


「レイ、危ない!」


 リコが叫んだ。

 レイの横に捕食者が迫っていた。

 不意をつかれたレイの腕に、捕食者が掴みかかる。黄ばんだ歯が開いた瞬間、その頭が弾け飛んだ。


「隙だらけだな」


 銃を構えたディジーが、見下したように微笑む。


「早くこい! シャッターが閉まる!」


 タップの声に二人は転がるようにシャッターをくぐった。シャッターが閉まりきったと同時に、捕食者の群れは格子にぶち当たった。


「助かった」


 ジェイムズがへたり込んだ。リコがそれに抱きつく。


「あんた達、よく生きてたな」


 シャッターを開けた男が笑顔を見せた。


「ありがとう、助かった」


 タップは礼を言い座り込んで、大きく息を吐いた。



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