脱出
「生き残ったのは君達だけか?」
その言葉にエミリーは頷いた。
「生きていたんですね、レイさん」
レイは笑みを見せ、エミリーをゴンドラから降ろす。
「ガキと女だけじゃ、足手まといもいいとこだな」
「君は真っ先に周囲の化け物を撃ったじゃないか、ディジー」
ディジーはゴンドラを止めるスイッチを押し、タバコの煙を吐き出した。
「奴らが気に入らねえだけだ。他に理由はねえ」
レイはトレバーを抱え、タラップに降ろす。
「そういう事にしておこう」
レイは口元を緩ませた。
「どうやって助かったんですか? 爆発が起きて別館も本館も被害が……」
「運がよかったんだよ。何とか逃げ場所があってね」
「運がよかったじゃねえだろ。てめえのせいで、こっちは死にかけたんだ」
レイとエミリーの会話にディジーが割って入る。
「そもそもあそこに冷蔵庫がなかったら、俺は今頃バラバラになってたんだ。運がいいっていやぁ、爆発の寸前にあの冷蔵庫の中に飛び込めた事だ」
「スーパーマーケットとかの業務用大型冷蔵庫だから、中に入れたんだよ」
レイの説明に、エミリーは納得したようだった。
「すぐにここを抜けよう。何処かで車を手に入れ―――」
「待って下さい。タップさんが今、タワーに向かってるんです」
「タワーに? 一人で行ったのかい?」
「はい。タワーには軍の車両があるから、それを手に入れて皆で脱出する為に」
「一人じゃ危険だ。どっちの方向へ行ったんだ、僕も後を追うよ」
「それが……」
エミリーは空を指す。
「飛んでいきました」
「ヘリコプターか? だったらそれで脱出を」
「いえ、パラシュートです」
「パラシュート?」
エミリーは事の経緯を話した。
「死に損ないが一人で空飛んで、車を調達する? それに乗っておさらばする為にここで待つわけか?」
「そういう事みたいだ」
ディジーは頭を抱えうろうろする。小さく悪態をついた。
「タップを信じよう。信じるしかない」
「何を信じるんだ。化け物になりかけが何をできるってんだ。とっととその辺の車で脱出できるじゃねえか」
苛々するディジーを余所に、レイはその場に座り、懐からタバコを出して吸い始める。
「ここにある車じゃダメだろう。囲まれたら終わりだ」
「それはウィルソンさんも言ってました」
エミリーが追言する。
「だから軍の頑丈な車が必要だってのか」
「そうだ。その通り」
レイは落ち着いた雰囲気で煙を吐く。一層ディジーは苛々した。
「チッ、ふざけやがって」
ディジーは柵に寄りかかり、新しいタバコに火をつけた。
トレバーが起き上がる。
「ここは」
「大丈夫? ここはゴンドラの外よ」
エミリーがトレバーの背を支える。
「あ、サムさんは」
トレバーに言われ、エミリーはサムがいない事に気づいた。辺りを見渡しゴンドラを見上げるが、サムの姿を確認できない。
犬が吠える。トレバーが手探りで犬を探す。
「あの子、無事だったのね。よかった」
エミリーは鳴き声のする方へ走る。しかし足を止め、口を押さえ絶句した。
「どうかしたのか」
レイはエミリーの肩を叩き、その先を見る。
「彼が……サムか?」
口を押さえたエミリーが頷いた。
サムは地面に横たわっていた。そこに大輪の血の花を咲かせていた。割れた頭部から未だ血液が流れ、ピンク色の脳髄が散らばっている。手足がおかしな方向に曲がり、肘の関節が割れ、骨が皮膚を突き破り露出していた。
「奴らにやられたんじゃないな……自ら命を絶ったんだ」
「何で……」
レイはエミリーを連れ戻し、肩を抱く。
「恐らく、この世界に絶望したんだろう」
犬が二人の後についてくる。悲し気な鳴き声は、人の死を感じているからなのだろうか。
トレバーが二人を出迎え、足元にまとわりつく犬を抱きしめた。
「もう何処へも行くなよ?」
犬は柔らかい鳴き声で答えた。
「このまま待つのか? あいつを」
ディジーがタラップの階段に座り、ショットガンの弾を込める。
「ああ、待つ」
「見ろ、連中は待ってくれねえぞ」
ディジーが立ち上がり、タバコを投げ捨てた。
「人の都合なぞお構い無しだ、こいつらには」
ディジーがタラップを降り、アスファルトに立つ。手にはコンロ用の小型ガスボンベを握っていた。
「試しに倉庫でかっさらってきたこれを使ってみるか」
ディジーはガスボンベを投げつけた。捕食者の足元に転がる。ディジーはそれに狙いをつけ、引き金を引いた。
弾丸はボンベに当たり、爆発を巻き起こした。捕食者が数人、爆破に呑まれ飛ばされる。
「上出来だ」
ディジーは不敵に微笑んだ。
ディジーの指示により、彼の持っていたバッグからガスボンベを取り出す。バッグの中にはボンベが十本以上入っていた。
「いつのまにこんな」
「注意力が足りねえなぁ。倉庫に在庫が山ほどあったぜ」
ディジーはボンベを投げ、それを撃ち抜いていく。ディジー達に気づいた捕食者は走り迫るが、ボンベの爆発に吹き飛ばされていく。大きな決定打まではいかないが、数人まとめて始末するには充分な威力だった。
「あの死に損ないが帰ってくるまで持ちこたえればいいんだろ」
ディジーは皆の方を向く。
「本当に帰ってくるんだろうな?」
影が捕食者達の注意を引き、空からタップが来るのを待ち構えている。タップの額に冷や汗が流れた。
タップの空路は無事タワーへと進んでいたが、空を陰るパラシュートのせいで、空から何かが来るのが気づかれてしまっていた。しかし、ひしめき合うほどの数がタワーには集まっていた為に、存在に気づいた捕食者はタップを追う事ができないでいる。
タップには幸運が二つ舞い降りていた。タップはその時初めて神に感謝した。
一つは自分が来るのを気づかれても捕食者が追えない事。
そしてもう一つは、欲していた軍のトラックの上に降り立った事だった。
「ヤバかった、今のは本当にヤバかった」
タップはトラックの屋根の上でハーネスを脱ぎ捨て、冷や汗を拭いた。周囲の捕食者達はそのほとんどがタップに気づき、手を伸ばし彼を捕獲しようと試みるが、トラックの屋根までは届いていない。
トラックの中を覗き見る。カギはついていなかったが、配線をいじれば何とかなるだろうか。
ドアを開くという行為ができないほど、化け物達はトラックの回りになだれ込んでいた。車両が揺すられ、タップは屋根にしがみつく。
「ヤバいな。トラックにたどり着いても、中に入れねえ」
運転席の窓を叩く。強化ガラスだろうか、叩いたくらいではびくともしない。
「ピンチは続くもんだな、ちきしょう」
屋根にしがみついたまま辺りを見渡す。他に軍の車両はあるが、そこに行き着く事はすでに不可能だった。アスファルトは捕食者の頭で見えないほど埋めつくされている。
「この車で行くしかないんだな」
タップは腰に手を当てた。今まで忘れていたのが不思議なくらいだ。
「仕方ない。ぶち割るか」
タップは腰から拳銃を引き抜いた。
「レイ、やっぱり俺がもらって正解だ」
タップは拳銃を窓に向けて発砲した。
「まだこねえのか!」
ディジーはボンベを投げ叫んだ。ボンベの数はあと残り一つとなっていた。
「マズいな、増えてやがる」
爆発をものともせず、大群が押し寄せる。バッグに残る弾薬も僅かになっていた。
別方向からタラップに捕食者が上がる。それをレイが蹴り飛ばし、頭を撃ち抜いた。
「撤退するぞ! これ以上待ってられるかっ!」
「まだだ! タップは来る!」
「もうくたばっちまってやがるさ! 諦めろ! そこらの車で我慢しろ!」
レイは唇を噛み、拳を握りしめた。
「ダメか……タップ」
レイは最後のボンベをディジーに投げる。
「……分かった。行こう」
ディジーはレイの顔を見て、受け取ったボンベを追跡者の前線に投げた。それをショットガンで撃つ。爆発は数人を蹴散らした。
「行くぞ。さすがにシャレになんねえ」
観覧車を包囲するように、捕食者の数は膨れ上がっていた。今やその数は三桁に近い。
「……退路もなくなっちまった。終わったな」
ディジーはタバコに火をつけた。深く吸い、白い煙を吐き出した。
「か、囲まれてます」
エミリーがレイの腕にしがみつく。
捕食者達はまるで品定めをするように、黙ってにじり寄る。スタートの合図を待つように、よだれを垂らし歯を鳴らした。灰色に染まった目は、寸分違わずレイ達を見据えている。
「僕の判断が遅かった。すまない」
「ああ、てめえのせいだ。甘ちゃんに付き合った俺がバカだった」
ディジーはタラップの階段に腰かけ、タバコを吹かす。
「何故、襲って来ないんですか?」
立ち止まり蠢く群れを見て、エミリーは震えながら聞いた。
「奴ら、警戒してやがるんだ」
「ディジーのボンベがまだあると思って、踏み出せないでいるんだ」
「まぁ、そんなもんすぐ忘れて、今に襲ってくるだろ。最後に酒でも飲みたかったぜ」
ディジーはタバコを投げ捨て、空に向かい煙を吐いた。
「ぼ、僕達、死んじゃうんですか」
犬を抱え蹲るトレバーが、頬に涙を流しながら問う。レイは言葉を選んでいたが、何も答えてやれなかった。その無言が、トレバーには理解できたようだった。
「お前だけでもお逃げ」
トレバーは犬を放す。しかし犬は尻尾を振り、トレバーの顔を見続ける。
「僕に付き合ってくれてありがとう。君は賢い犬だね。一人でも頑張って生きるんだよ」
犬はトレバーの手を舐め、その場から離れない。
突然、犬の耳が傾き、辺りを見回している。トレバーも何かに気づいたのか、耳を澄ませた。
捕食者の群れの一人が、一歩を踏み出した。それを皮切りに、一斉に波が押し寄せる。レイは残りの弾を込めたショットガンを構え、ディジーは弾のなくなったショットガンを捨て、拳銃を手にした。
「一匹でも多くあの世に送り返してやる」
ディジーが先頭の頭に照準を合わせた時だった。
クラクションがけたたましく鳴る。大型のトラックが捕食者を次々と引き、弾き飛ばしながら、一直線に観覧車に向かってきた。
「タップ!」
レイは暴走するトラックに向かい手を振った。エミリーがそれに倣い、タップの名を叫びながら手を振る。
「トラックが止まったらすぐに乗り込むんだ!」
バッグを担ぐレイを余所に、ディジーは眉を潜めた。
「待て、何か変だ」
トラックは観覧車に近づいているのにも関わらず、スピードを緩めるどころか更に速度が上がった。ふらつきながら蛇行し、このままでは観覧車に激突する。
レイは運転席を見た。タップらしき運転手はハンドルに覆い被さるように倒れていた。
「何て事だ。タップはもう限界だったんだ」
トラックは観覧車に紙一重ですり抜ける。車体が柵に擦れ火花が散り、右のサイドミラーが吹き飛んだ。
その間もトラックは捕食者をはね飛ばし、その数を減らしてはいたが、トラックが通った道やなぎ倒してきた植栽から、タワーからの追跡者が現れていた。
トラックは更にボディを削り、ゴーカート乗り場に突っ込んで停車した。
「タップ!」
レイ達は捕食者を撃ちながらトラックに駆け寄る。トラックの周囲には捕食者がなかったが、激突の音に反応し、怒号と共に走り来る。
「タップを荷台に移すんだ! 皆早く!」
レイとディジーが運転席を開け、動かないタップを引きずり出す。タップの体はおろか、運転席のシートやフロントガラスまで血にまみれていた。
「まだ生きてやがる。しぶとい野郎だぜ」
ディジーがタップを荷台に移しながら悪態をつく。レイが辺りを見ると、エミリーとトレバーの姿はなかった。
「エミリー! トレバー!」
エミリーが走ってくる。そのすぐ後ろにはトレバーが追走するが、更に後ろには追跡者が大勢追いかけていた。
「早くこっちだ! 早く!」
レイが二人を迎えに走る。エミリーが泣きながら走り、トレバーの手を引く。そのトレバーが段差に躓き転んだ。エミリーから手が離れた。
「トレバー!」
エミリーが駆け寄ろうとするが、捕食者がすぐそこに迫っていた。トレバーの足が掴まれる。
レイが狙いを定め、引き金に指を置いた。しかしトレバーに当たる恐れがあり、指に力を入れられない。
「エミリー! 先に車へ行け! トレバーは任せろ!」
トレバーを掴む腕が見えた瞬間、レイは引き金を引いた。捕食者の腕が弾け飛ぶ。
トレバーは尻餅をついたまま這いつくばる。そこに新たな捕食者が近づく。
エミリーが脇をすり抜けたのを見届け、レイは銃を構えたまま走り、トレバーに迫る追跡者を撃つ。
「トレバー立て! 早く!」
トレバーは恐怖に動けない。そこに更に捕食者がトレバーの前に立ちはだかる。
レイは引き金を引いたが、弾は発射されなかった。ショットガンを捨て拳銃を構えるが、狙う捕食者はすでにトレバーの足を捕まえていた。汚れた口が足に重なる。
「トレバー!」
レイの悲痛の叫びと同時に、トレバーの足を狙う化け物に体当たりをする影が動いた。
影は唸り声を上げながら捕食者の腕に食らいつく。捕食者はそれを振りほどこうと、上半身を振り回した。
「トレバー、今のうちだ」
追いついたレイがトレバーを抱え走り出す。捕食者の腕には犬が牙を立てていた。
「待ってレイさん! あの犬が」
それでもレイはその場を離れようとした。しかし犬の鳴き声に振り返る。
犬は腕から引き剥がされ、上顎と下顎に手を入れられて、口から引き裂かれかかっていた。鳴き声がけたたましくなり、口角の裂け目から赤い血が吹いた。
レイは歯を食いしばり、心の中で犬に礼を言うと、その頭部に狙いをつけ発砲した。弾丸は犬を動かなくさせた。
レイは目を瞑りそれを振り切り、車へ走る。トラックはディジーが運転し、レイの傍に乗りつけた。
「とっとと乗れ!」
レイとトレバーが荷台に乗るや否や、トラックはアクセルを目一杯吹かし発進した。集まりかけた捕食者の群れが轢かれ潰され、なぎ倒された。
「トレバー、すまない。あの犬を助けられなかった」
トレバーは鼻水を垂らしながら、首を振った。そしてレイの行動に礼を告げ、その場に泣き崩れた。
「何処へ向かうんだ」
パークからモールの駐車場を抜け、捕食者を蹴散らしトラックは走る。フロントガラスには血渋きが舞い、ワイパーが時折動いた。
トラックはモールの裏側に回る。そこはディジーとレイ達が最初に会った道だった。ディジーはそこに車を停める。
道に放置された車はそのままだったが、道を横切る屍体の帯は腐敗が始まっていた。
幸い化け物達の数は極端に少なく、停車したトラックにも気づいていない。
「弾もねえ、食料もねえ、行き先もねえ状態だ。ついでにタバコもなくなっちまった」
ディジーは割れた運転席の窓から、空のタバコの箱を投げ捨てた。
「……タワーに……向かえ……」
荷台の隅でぐったりしていたタップが口を開いた。喋る度、体が痙攣する。
「タワー?」
「ヘリが……残ってるはずだ」
「確かにモールの屋上から見た時は、ヘリコプターが何機か残っていたが」
「タワーまではあの化け物達が凄い数いますよ」
エミリーはタップの意見に反対らしい。
「しかしタップの意見しか案はない」
「それはそうですが」
レイとエミリーの会話にディジーが入る。
「タワーに行くにしても、武器が足りねえ。今どのくらいあるんだ?」
九ミリ弾が四十発、マグナム弾が五発、散弾が十発。それがレイ達の持つ弾丸の全てだった。
「全然足りねえ。これで何万いるか分からん大群の所に突入するなんざ、自殺行為もいいとこだ」
「近くにガンショップか何かないのか」
レイの言葉にエミリーが答える。
「ガンショップならあります。でも三十キロ以上離れてますけど」
「そこまで行く前に全滅する」
「その前に燃料がねえ。どのみち三十キロも走れねえよ」
泣き腫らしたトレバーが突然顔を上げた。
「あります。武器がある場所」




