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the Dusk  作者: N・O
10/14

生と死と

 エミリーがその場に嘔吐した。傍らのアンバーの遺体を見たからに他ならない。傍ではトレバーが犬を抱きしめ震えている。目が見えなくても、状況が把握できているようだった。


「もう、私達しかいないんですか」


 エミリーが涙目で口を拭った。ウィルソンは力なく頷く。


「さぁ、別の車を探そう。この場に残るのは賢明じゃない」


 ウィルソンに腕を掴まれ、エミリーとトレバーは立ち上がる。二人の憔悴しきった雰囲気は、ウィルソンに少なからずとも絶望を与えた。



 このままでは……全員、死ぬ。



 広場を抜けた駐車場は、バスとヘリコプターの衝突により、残りの車にも被害があった。

 特にバスの次に使えそうだった高所作業車は、爆発に巻き込まれ車内まで焼けてしまっていた。これでは動かせそうにない。


 残るは軽自動車が数台に、旧型のくたびれたワゴン車があるだけだった。人数が少なくなってしまった今なら軽自動車でもまかなってしまうが、構造的に捕食者に囲まれた時の防御に不安がある。

 だが、ワゴン車も同様に思えた。逃げるからには、最悪の事態も想定しなければならない。

 ウィルソンに策はなかった。唯一の希望だったバスの大破は、心の余裕をなくしていた。

 更に目の前で仲間が二人命を落とした事も、ウィルソンの心にダメージを与えていた。焦る気持ちが、心臓を早く叩かせる。


「ウィルソンさん」


 トレバーが呟くように口を開いた。


「どうした」

「近くにゴーカートはありますか?」


 ゴーカートは駐車場から比較的近い場所に見える。


「あるにはあるが、どうするんだ?」


 トレバーは悩みながら言った。


「ゴーカートをおとりに使えませんか。い、遺体を……乗せるんです」

「遺体を乗せる?」


 ウィルソンはトレバーを見る。トレバーは杖を手に立ち上がり、地面を探すように杖を動かす。杖の先は、真っ二つになったアンバーの遺体に当たった。


「ア、アンバーさんの遺体ですか?」

「ああ、それはそうだが。まさかアンバーの遺体をおとりとして乗せるのか?」

「そうです」


 トレバーをまたもや見つめてしまう。彼は何を言っているのだろうと考える。


「冗談だろトレバー。君は仲間の遺体を冒涜するわけではないだろう?」

「冒涜?」


 トレバーがウィルソンに向き直った。


「ウィルソンさん、もう綺麗事で物事を片づけられる局面ではないですよ。生き残る為には、どんな事でもしなきゃならない。例え仲間の遺体を冒涜する事になったとしても」

「何言ってんの……あんた何言ってんのよ!」


 トレバーの言葉を聞いたエミリーが、その胸ぐらを掴み揺さぶった。


「あんた何のつもりなの! 冒涜する事になったとしても構わないですって? どんな状況下でも、人の死を冒涜していいわけないじゃない!」


 トレバーはエミリーに揺さぶられながらも、落ち着いたトーンで話した。


「今まで倒したあの化け物達も、『人の死』なんですよ」


 エミリーは涙目を開き、手を離す。


「僕らは生きなきゃならないんです。それは最早『使命』です。生きなきゃいけない『義務』です。僕らがこの場に立つ間に、何人の人が死んだでしょう。イーリアスやアンバーさんは、僕らが化け物に食われる為に犠牲になってくれたんですか? レイさんやジェイムズさん達は、僕らが死ぬ運命であるにも関わらず、あの爆発に消えたとでもいうんですか? いえ、答えはNOです。彼らは誰かを生かそうと身を投げうってくれた。僕らを生かそうと身を投げうってくれたんです。だから、例え生き恥を晒す事をしてでも、僕らは生き残らなきゃいけないんです」

「君は一体……」


 ウィルソンが唖然とした表情で問う。


「……僕は本当は母親を探していたわけではないんです。ごめんなさい、騙したりして。イーリアスにも悪い事をしました。助けられた時、咄嗟に嘘をついてしまったんです」


 トレバーは目深に被っていた帽子を脱いだ。帽子に隠されていた両瞼には、痛々しい傷痕が走っている。


「それは……」


 エミリーが口元を抑え、驚きを隠せない表情で言った。トレバーはうっすらと照れ笑いを浮かべる。


「僕は交通事故で視力を失いました」


 トレバーは帽子をまた目深に被った。


「視力を失った事で何もかも嫌になってしまって。その時、こんな事態になったのをニュースで聞いて、化け物の餌にでもなってやろうと、このモールにきたんです。自暴自棄だったんですよ」


 トレバーは照れ笑いを再び作った。しかし体は震えている。


「でも……でも、イーリアスに助けられて、皆さんの生きようとする力を目の当たりにして、自殺しようなんてバカバカしいと思うようになったんです。笑っちゃいますよね、自殺しようとしてたヤツが、一番生きてる事を感謝するなんて」


 後半の言葉は、涙に震えていた。トレバーの小さな体は、感情に堪えきれず涙を流した。


「トレバー」


 ウィルソンはトレバーの肩に手を置いた。


「もういい、いいんだ。こんな小さな体で、よく今まで頑張ったな。生きよう。皆の分まで生きよう」


 トレバーは顔を上げた。顔は涙で崩れていた。


「仲間の遺体を使おうなんて言って……ごめんなさい」

「謝る事はない。君なりに必死で方法を考えたんだ。謝らないでくれ」

「私も言い過ぎた。ごめんね、トレバー」


 エミリーが目に涙を溜めてトレバーの頭を撫でた。トレバーは泣きながら、エミリーの胸に顔を埋めた。


「行こう。集まってきた」


 ウィルソンの声に周囲を見ると、疎らな影が迫りつつあった。こちらの姿を発見されれば、途端に走り来るだろう。


「エミリー、ゴーカートの所までトレバーを誘導してくれ」


 そう言うとウィルソンは、アンバーの亡骸の上半身を担いだ。切り口から血液と臓器が垂れ下がる。


「ウィルソン―――」

「言わないでくれ、エミリー。私は皆が助かる為に地獄に落ちよう。こんな事、何でもない」


 エミリーはウィルソンの決心の眼差しを見て涙したが、それを拭いトレバーの手を取った。


「行こう。集まってきた」







「大丈夫か? やはり私がやろう」


 地面に嘔吐するタップの背中を擦り、サムは眉をひそめる。


「だ、大丈夫だ。あんただって骨何本かイってるんだろ。人の心配より自分の心配だぜ」


 そう言うタップは、再び嘔吐した。腹の中に何も入っていない為、胃液が異臭を放ち散らばった。

 明らかに症状は進行していた。タップ自身、それを犇々(ひしひし)と感じている。いよいよ来るべき時がきたと、タップは残りの時間が少ないのを思っていた。


「行こう。観覧車はどっちだ」

「ゴーカート乗り場の先にある。私が誘導しよう」


 サムは事務所にあった台車に荷物を載せると、先を走る。






 ガンショップから持ち出した弾や銃は、今やウィルソンが担ぐバッグの分しかない。それぞれレイ、ディジー、タップが抱えていた為、ウィルソンの元に残るものでは、この先不安だった。


 外にいる捕食者は、モール内から見た時よりも格段に増え、今まさに巣と化した世界の中に躍り出た自分達の身を守るものは、このバッグの中身しかないのを、ウィルソンは走りながら不安を覚えていた。


 脱出は辞さない。これは現状で最優先すべき事だった。全てを考慮しても、早くこの場から抜け出さなくてはならない。


 しかし何処へ?


 ゴーカートの作戦を決行し、それが上手くいったとして、果たして何処へ向かえばいいのだろう。


 ウィルソンは走りながらもそれを模索し、辺りを見て回った。乗れそうな車があれば、それを使い脱出しなければならない。


 だが、この事態が起こった時間帯は深夜から早朝だった為に、駐車場を含め車両は疎らしかなかった。それは致命的ともいえた。逃げる足が少ないのは、作戦決行の後の次の作戦の足枷になる。これが日中の事件であったなら、車両の数はもっとあっただろう。それは捕食者の数に比例してしまうが。


 ゴーカート乗り場は近い。いっそそのままゴーカートに乗って逃走できないかと考えたが、このパークのゴーカートは子供用の電動車で、足元のペダルを踏むと動き、離すと止まるという簡単な構造の緩い車だったので、逃げるには適していない。スピードも遅く、本当におとりに使えるかもあやしい。


 トレバーが脇腹を押さえて喘ぐ。走り通しの状態は、やはり堪えるようだ。犬の姿が見えないが、トレバーには内緒にしようと思った。これ以上悲しみを植えつけたくはない。


「あれがゴーカート乗り場よ」


 エミリーが前方を指した。

 ゴーカート乗り場には、パークのスタッフの格好をした女が彷徨いていた。揺れながら歩く動作で、すでに生きている人間でない事が分かる。


 ウィルソンは銃を構えたが、銃声で化け物達を呼び寄せてしまう可能性を考慮し、ショットガンをバットのように構え、女の背後にゆっくりと回った。エミリーとトレバーは念の為、物陰に隠れている。


 ウィルソンが銃を振り上げ、あと二メートルとまで近づいた瞬間、女は後ろを振り返った。ウィルソンは銃を振り上げたまま、ほんの一瞬硬直した。そこに隙ができた。

 ウィルソンに気づいた女は、金切り声を上げ突進してきた。ウィルソンの両腕は頭上に掲げてしまった為、それの対処に遅れを生じた。


 女の手が首の後ろに回り込み、ウィルソンの頭を引き寄せた。首筋に大きく開かれた口が近づく。

 ウィルソンの咄嗟に放った頭突きが相手の鼻を砕く。そのまま飛ばされた女の爪が、ウィルソンの首の皮膚を切り裂いた。赤い筋が垂れる。


 怒号を挙げてウィルソンが女の側頭部をショットガンで振り抜いた。女の頭から骨の砕ける音が聞こえ、倒れたそれに追い討ちで額にストックを振り下ろした。


「ウィルソンさん、傷を……」


 エミリーが泣き出しそうな顔を見せる。ウィルソンは首筋に手を当て、傷口から微量の出血を確認した。


「噛まれてはいないが、引っ掻かれても化け物になってしまうのかな」


 ウィルソンの言葉には落胆が含まれていた。爪で切られた傷でも化け物に変わるかはエミリーにも分からなかったが、ウィルソンは恐らくそうだと考えたに違いない。仲間が減る恐怖と悲しみを、また味わわなければならないのかと、エミリーは目の前を歪ませた。景色が滲む。


「……さぁ、作業を始めよう。連中が来ないうちに」


 ゴーカートの運転席にアンバーの屍体を乗せる。足元にあるペダルにはレンガを乗せ、ショットガンのストラップで固定させた。


 あとは発車スイッチを押せば走り出す。ウィルソンが微調整をし、車体をパークとは反対のメインストリート方面に向けた。


「このまま真っ直ぐ行けば、メインストリートに当たる。そこらはもう生きた人間のいない世界だろうから、おとりの車を送っても問題ないだろう」

「これが成功すれば、この辺りの化け物達の数は少なくなるはずね」


 エミリーの言葉に頷いたウィルソンは、車の発車スイッチを押した。






「あれは何だろう」


 サムの視線の先に、小柄な車が走っている。運転席に誰か座っているようだ。それが目の前を通り過ぎていく。


「あれは、アンバー」

「仲間か?」

「ああ、確かにアンバーだ。でも様子が変だった。違和感だらけだし、あんなものじゃ逃げ切れないだろうし、一体何やってんだ」


 タップが声をかけようとした時、アンバーの乗る車の後ろを大勢の追跡者が走るのを発見した。何処から湧いて出てきたのか、数が見る見る増えていく。


「少し隠れよう。あの車を追っているようだ」

「待て。あれは俺の仲間だ。何かあったのかも知れないから、様子を見に行ってくる。待っててくれ」


 タップは車を追う。

 その時、タップの眼前に何かが飛び出した。息を切らせ、尻尾をちぎれんばかりに振る。


「お前、無事だったのか。そうか、いい子だ」


 タップは目の前に座る犬を撫でた。犬は目を瞑りタップの手をいとおしそうに転がす。


「皆は一緒じゃないのか? 何処にいるんだ」


 タップの意思を悟ったのか、犬は数メートル走り、後ろを振り返って鳴いた。ついてこいと言っているようだった。


「その犬は? 君の犬か?」

「その質問は二度目だ」


 追いついてきたサムにおどけると、タップは犬の後を追う。


「行こう。あいつが仲間の所に案内してくれる」






 トレバーが立ち上がり、耳を澄ませた。ウィルソンとエミリーもトレバーの様子を窺う。


「どうかしたのか」


 ウィルソンの問いに答えず、トレバーは耳を澄ませたままだ。


「聞こえる」

「何が」


 エミリーも耳を澄ませる。


「犬? そういえば犬がいないわ」

「そう、犬が鳴いてる」


 ウィルソンも二人に倣い、聞き耳を立てた。


「……近いな。近づいている」


 遠くに聞こえていた声が、着々と近くなる。この声に捕食者が集まってきてしまうのではないかと感じた。


 エミリーが指さす。


「見て!」


 タップと台車を押す男を引き連れ、犬が走ってくる。ウィルソンは彼らを出迎える為に走った。


「タップ、無事だったか。本当によかった」

「無事ちゃあ無事だが、そうでもないっちゃあそうでもない」


 近づくタップは弱くなった顔に笑みを浮かべ、ウィルソンと握手した。後ろには見知らぬ男が台車を手にしている。台車には大きな布がまとめられて置いてあり、その上にタップが持っていった弾薬と銃の入ったバッグも載せられていた。


「紹介する。彼はサムだ。タワーの職員だそうだ」

「私はさっきの墜落したヘリに乗っていたんです」


 サムはウィルソンと握手を交わした。


「あのヘリに? よく生きて―――」

「こいつで脱出したんだとさ」


 タップは台車の布を叩いた。


「……パラシュートか?」

「ああ、今からこいつで奇跡の空中遊泳を見せてやる。観覧車に行こう」


 タップはウィルソンを促し、サムと二人で観覧車に向かう。ウィルソンはエミリーとトレバーを呼んだ。





 エミリーに引き連れられたトレバーは、犬の首を抱きしめた。犬はトレバーの顔を舐める。


「タップに何か考えがあるみたいなんだ。行こう」


 三人はタップの後を追った。タップとサムは観覧車の操作タラップで作業している。

 タップとサムはパラシュートを広げ、それを丁寧にたたみ、パックの中に詰める。ウィルソンは辺りを警戒し、エミリーはトレバーの手を握ったまま、一言も発していなかった。


「本当にやるのかい、タップ。君は」

「言うなサム。『俺』が適任だ」


 パラシュートを詰めたパックを背負い、タップは観覧車のゴンドラに乗り込む。サムは頷き、操作盤の電源を入れた。


「何をするか教えてくれないか。できれば協力したい」


 ウィルソンはサムとタップを交互に見る。タップはウインクし、ゴンドラの扉を閉めた。


「観覧車の頂上からダイブする。行き先はタワーだ」


 サムが操作盤をいじりながらウィルソンに話す。


「飛ぶというのか? 何故? この高さから落ちたら死ぬかも知れないんだぞ」

「タワーの下に軍のトラックが停まっている。それなら全員ここから脱出できる。パーク内の車では無理だろう」

「確かにパークの駐車場に停まっている車では危険だろう。しかし―――」


 サムはウィルソンを見つめる。


「彼は……タップは言っていたよ。仲間を助けたいと。自分の命がまだあるうちに」


 観覧車は回転を始め、緩やかに動いていった。タップが乗ったゴンドラが、上へ上へと昇る。エミリーは作戦を聞き、不安で上を見上げずにいられなかった。


 犬が吠える。


「しまった。やはり呼び寄せたか」


 観覧車の周囲が狭ばっていく。動く群れは、捕食の機会を狙っている。


 ウィルソン達が立つタラップの周囲は捕食者がやって来ていた。犬の鳴き声や観覧車の作動により、ゴーカートのおとりに釣られなかった捕食者が集まっていた。数こそ多くなかったが、まともに戦える者がウィルソンしかいない今、危機である他ない。


 ウィルソンはバッグからサブマシンガンを取り出し、捕食者に乱射した。それを皮切りに一斉に走り出す捕食者。

 サムもバッグから拳銃を取り、迫る血塗れの捕食者の頭を撃ち抜いた。エミリーもそれに加わる。


 タラップの回りは途端に戦場となった。マシンガンに破裂させられた捕食者の脳の破片が、タラップの柵に飛び散った。


 三人は次々と捕食者を撃っていく中、犬が空をめがけ吠えた。皆がその方角を見ると、頂上にたどり着いたゴンドラから、タップが窓ガラスを割り外に乗り出していた。


「本当にタップさんは大丈夫なんですか? もう体だって―――」

「信じるしかないさエミリー。タップもまた、生きようとしているんだ」


 ウィルソンがエミリーに頷く。エミリーはトレバーの手を握る。


「弾がない」


 サムが拳銃を放った。ウィルソンのサブマシンガンも弾切れを起こし、予備の弾薬も尽きた。


 バッグの中の弾薬は、あと僅かに迫っている。粗方捕食者を倒したが、無限に生み出されると思いたくなる捕食者の数は、減りこそすれ尽きる事はない。


「後退するんだ。ここはまずい」


 一体の捕食者が柵を乗り越え、エミリーに掴みかかった。エミリーは拳銃を向けるが、弾が発射されなかった。


 肩と腕を握られ、エミリーは死を覚悟した。目を固く瞑り、体を強張らせた。


「観覧車に乗れ! 逃げるしかない!」


 ウィルソンが放った声と同時に、トレバーの杖がエミリーを襲う捕食者の鳩尾に当たった。無我夢中で振り回した杖が、エミリーを助ける隙を作った。

 エミリーは怯んだ捕食者に前蹴りを食らわせ、トレバーの杖を掴み捕食者の眼球めがけ思い切り突き刺した。

 深く突いた杖は眼球を潰し、その先の後頭部を貫いた。串刺しの頭がゆっくりと倒れた。


「エミリー! トレバー! 乗るんだ!」


 ウィルソンが流れるゴンドラの扉を開け、エミリーとトレバーを押し込み扉を閉めた。


「ここから出るな!」

「ウィルソンさん! サムさん!」


 ゴンドラは上がっていく。捕食者の手の届かない所に行く。

 窓から下を見ると、ウィルソンとサムが捕食者と戦っていた。捕食者の数は減り今や五体となっていたが、サムが蹲り動けなくなっている状態だった為、ウィルソン一人で戦っていた。


 サムの体力は限界だった。脱出の際のパラシュート降下で肋骨が折れていた上に無理がたたり、その場に倒れた。


「サム!」


 サムに手を伸ばす捕食者を蹴り飛ばし、ウィルソンは目の前に流れてきたゴンドラを開けた。そして渾身の力を込めて、片腕でサムを持ち上げ中に引きずり入れた。


「ウ、ウィルソン」

「出るんじゃないぞサム!」


 扉を閉めたゴンドラが上昇する。ウィルソンは何故かそれをただ見送った。




 振り返ると残りの捕食者がウィルソンを囲っていた。手にする銃には、すでに弾が入っていなかった。




 生きた。


 充分に―――



「―――生きた」


 ウィルソンは口に出していた。そして手の中の銃を捨て、両拳を構えた。


「彼らには指一本触れさせない」


 頭の中に、友と過ごした日々と、新たに知り得た仲間達の姿が過った。



 約束は果たせなかった。この姿を見て、友は許してくれるだろうか。


 ウィルソンは苦笑いした。


 きっと、怒られそうだ。覚悟を決めよう。友に怒鳴られる覚悟と―――






―――ここで死ぬ覚悟を。




 眼球の飛び出た捕食者が襲いかかった。ウィルソンは雄叫びを挙げ、固めた右拳を放った。






「高えな、やっぱり」


 ふらつく意識には過酷な現実だった。すでにゴンドラの中では、頂上に到達するまで二回も吐いていた。二回目の嘔吐物は、真っ赤な血液だった。

 タップの立つゴンドラの天辺は、人が豆粒に見える。無風だが観覧車は音を立てて揺れていた。


 パラシュートの操作はサムから教わった。以前旅先で体験したパラグライダーの操作法と似ている。とはいっても、最早勘で動かすしかない。


 遥か前方には、円盤を乗せた形態のタワーがそびえている。確かにタワーの足元には、軍関係の車がちらほらと窺えた。あれを手にすれば皆が助かる。

 タップは腹をくくり、頬を叩いた。


「もってくれ、頼む。あと少しだけもってくれ」


 喉の奥が鳴り、鉄臭いものが上がってくる。喉を鳴らし、それを無理矢理飲み込んだ。


 風が少し吹いてきた。これからは風が運命を左右する。


 タップは胸の前で十字を切り、手を組んで目を閉じた。緊張の汗で濡れた前髪を、風が撫でていった。


 タップは目を開け、揺れる視界に頭を振りゴンドラの淵に立つと、深く息を吐いた。


「待ってろ。必ず戻る」


 タップは勢いをつけ飛び出すと、少し降下した所でパラシュートを開いた。パラシュートは上昇気流に乗り、タップの体を浮かび上がらせた。


 風に何とか乗れ、タップを運ぶパラシュートはタワーめがけ飛んでいく。後ろでは銃声が響き、首だけ振り返るとウィルソン達が群れに囲まれていた。ウィルソンはエミリーとトレバーを観覧車に乗せている。


 自分が戻るまでに、果たして何人が生き残っているだろうという考えが頭を過り、それを払拭するかのようにすぐにパラシュートの操作に集中した。


 全員が生き残る。それは大前提だ。生き残らなければならない。

 こんなふざけた非現実の世界の犠牲になってたまるかと、タップは怒りにも似た感情を抑えられないでいた。あまりにも理不尽にこの身に降りかかった災難は、後日談に笑えるものではない。

 唐突な闇の世界からの脱出には、自分が作戦を成功させなければ為されないものだった。タップの使命感は重圧であると共に、自分が生きた証になると考える。


 だからどんな事が起きても成功させなければならなかった。今自分ができる事とやらなければならない事の合致が、ある意味タップに幸福感を与えていた。


 ウィルソンの戦う銃声が遠ざかるに伴い、タワーの足元の駐車場が眼前に姿を現す。時折突風が吹きバランスが崩されたが、それでも素人がここまで来れたのも運がよかったと感じた。



 タワーまであと僅か。

 徘徊する捕食者の数は、モールやパークの軽く倍は存在していた。







 小さく見えるながらも、ウィルソンに次々と捕食者が重なる姿を捉えた。その瞬間、エミリーは膝から崩れ落ちた。


「エ、エミリーさん?」


 トレバーが手探りでエミリーの腕を掴む。


「どうしたんです。具合が悪いんですか?」


 エミリーは小さな声で呟いた。


「ウィルソンさん……やられた」

「えっ?」


 トレバーは耳を澄ませる。銃声が聞こえない。


「そんな……そんなまさか」


 トレバーは狼狽えながらエミリーの腕にすがる。


「じゃ、じゃあサムさんは?」

「サムさんは観覧車に乗ったみたい」






 脇腹の痛みは強く、体のどの部分を動かしても電気が走る。呼吸もままならない状態で、窓から下を見た。


 自分をゴンドラに投げ入れたウィルソンが、捕食者の波に呑まれていた。姿はすぐに見えなくなった。凝視していられず目を背けた。


 ゴンドラの床に座り込む。力が入らない。精神的に追い詰められると、こうも人間は容易く力を失ってしまうものかと、客観的に自分を見ているもう一人の自分がいる。


 窓の外に飛ぶタップのパラシュートを見た。上手くいってほしいと願う。


 泣きながらそう思った。


 サムは果てしなき闇の中に経つ。タワーで同僚が突然人間を襲い始めた時からだった。

 それまでずっと、心の中の闇はサムを支配し続ける。その支配は遂に最終局面を迎えていた。


 サムは涙にくれ、タワーへと流れていくタップを見る。彼のように心に持った信念に正直に生きれたなら、自分もこんな世界の中でさえ、前を向き進んでいけただろう。


 逃げる事は負けた事ではない。逃げる事は負けた事ではない。逃げる事は負けた事ではない。


 サムは呪文のように言い聞かせた。そして―――



 扉を無理矢理こじ開け、眼下に広がる景色を目に焼きつけながら―――









 外の世界に飛び出した。









 あと半周もしない内に、出発点に戻ってしまう。ゴンドラの中に閉じこもれば何とかなるかも知れないが、それは餓死も意味する。脱け出せないのなら、いずれゴンドラが墓場になる。


 エミリーは唯一持っていた拳銃を腰から抜き、弾数を確かめる。弾丸は残り二発だった。


 ゴンドラが下がる。待ち受けていた捕食者が、降りてきたゴンドラの底を叩く。トレバーがエミリーにしがみつき、エミリーはトレバーの背を引き寄せた。


 真正面に変わり果てたウィルソンが歯を剥き出していた。灰色に変わった目を開き、ガラス越しに二人を獲物と見定めた。



 ウィルソンの体がスローモーションで横倒しになる。こめかみに空いた穴から、赤い帯がたなびいた。


 外の捕食者が次々に倒れる。弾丸が捕食者の体を弾き飛ばす。


 ゴンドラの扉が開かれ、傷だらけの手が差しのべられた。


「遅くなった。大丈夫か?」


 顔を見た瞬間、エミリーは声を上げて泣き出した。そして、手を差しのべた人物に抱きついた。


 トレバーはその声を聞いて、安堵からか意識を失った。張り詰めていた緊張の糸が見事に切れてしまった。


「あの警官まで化け物になっちまったか。よく生きてたな、てめえら」


 駆けつけたもう一人の男は、エミリー達を横目にタバコに火をつけた。



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