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最弱の放浪者  作者: かきす
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第五話 「母親似」


「あの、龍臥さん……!」


「ん? どうした、ゆりちゃん」


 馬鹿どもを締め上げた翌日の放課後。

 自室に戻ろうとした俺の背中に声がかかる。

 振り返れば義理の妹が、若干俯きながら立っていた。前髪に隠れて直接目は見えないが、躊躇うように視線をそらしているのが分かった。


「え、えっと……、昨日の夜どうかしたんですか?」


 思わず目を細めかけ、顔を顰める方向に持っていった。最近は日本にいた頃以上に竜二と短い期間でよく会っているせいで、冷めた反応を返しそうになっていた。もしそんな反応をゆりにでも向けた日には龍臥の今までの印象が崩れてしまう可能性が、


(……って、俺は竜二じゃないんだから、別に裏世界の人間みたいになるつもりはないんだった……)


 まるで、他の人間にばれないように仮面を被っているスパイのようなことを考えてしまった龍臥は更に顔を顰める。


「あ、えっと……」


 それを見たゆりが怯えないわけがなく、自分は何か聞いたらまずいことを聞いてしまったのではないかと思うのも無理はない。

 龍臥的には聞かれたら困る、なのだが、ゆりが怯えたことに変わりない。慌ててフォローする。


「聞かないほうが……」


「あ~、いやそうじゃないんだ。ただ単に竜二とのちょっとした会話を思い出して、それに対して顔を顰めただけであって、別にゆりちゃんに対して顔を顰めたわけじゃないから」


 今にも泣きだしそうな声を出し始められると、わたわたとみっともなく慌てる龍臥。


「それにしても、どうしてそんなことが疑問に思ったの?」


「お、怒ってませんか?」


 若干会話にズレがあるゆりの前髪がサラリと流れ、隙間から涙に滲む瞳が覗けた。

 びくびくと怯えながら上目使い、それも潤む瞳で。


(なんか、こう、ムズムズと俺の心をくすぐるモノが……)


 それは間違いなく嗜虐心だろう。

 だがそのことに気づいていない龍臥はすぐにフォローもできず、あの……、だとか、その……、だとか要領を得ないことばかりしか出てこない。そのせいで更にゆりを怯えさせ、また心をピョンピョンさせ……を繰り返しをする。

 正直近づきたくない空気を醸し出す二人の前を通りたくない生徒達は、不良もいなくなったことで解放された外の敷地に出歩くことにする。男子はさりげなく嫉妬の視線を向けてから。


「あ、あ~と、怒ってない、よ? というか何に対して起こればいいのかもわからないし」


「……よ、よかった……です。私、ずっと怒ってるかと思って……」


 大きく息を吐いて肩の力を抜いたゆりに、逆に龍臥が不審そうな顔をする。


(そういえば……昨日の夜のことを聞かれたんだった。もしかして、見てたとか……? いや、竜二じゃあるましそうそうないか)


 残念ながら気配を探るような真似ができない龍臥には、昨夜もし誰かに見られていたとしてもわからない。まぁ、実際に監視していたのは竜二だけで今回はゆりは現場を見ていない。

 今回、というのは、今まで気づいた範囲で何度か龍臥の様子に気づき、陰から見ていたことがある。運がいいのか悪いのか、比較的平和な喧嘩しか目にしていないので、昨夜のような龍臥は見られたことはない。

 それすらも、本人は知らないのだが。


「だって、その……。聞こえてしまったとはいえ、こ、恋人同士の時間を盗み聞きしてしまったんですから……」


「Why?」


 ワタシ、イモウトガ、ナニ、イッテルカワカラナイ。

 突然の言葉に脳のブレーカーが落ちる龍臥。


「え、なんで英語……?」


「ちょ、ちょっと待ってゆりちゃん。考える時間をください?」


「あ、はい。それは全然かまわないんですけど……」


 ゆりに前置きをした後、ぐりん! と音がしたんじゃないだろうかというほどの勢いで後ろを向き、ぶつぶつと呟きながら頭を働かせる。


(え、俺っていつの間に恋人ができてたの? それともフラグが立ったからもう確定事項、みたいな扱われ方してる相手がいるとか? ……いや、どっちも覚えがない)


 ゆりはどうやら龍臥が恋人らしき人物と夜に何か、それこそナニかしていたと思っている可能性が濃厚そうだ。というか、それ以外にゆりが考えていそうな真実がない。本人である龍臥は甘い味のしそうな名字の不良をボコボコにしていたので、誰もいない部屋から音が出るはずもないのだが?


(はっ!? もしや俺がいない間に誰かが体よく使って……! …………もっとねえよ。鍵はかけたし、マンガみたいにドアの隙間に紙を挟んでおいてたけど、動いてなかったし)


 その次に考えたのは誰かが龍臥の部屋を使用した可能性。が、これもはずれっぽい。

 竜二と夜な夜な密会をしているとなるとできる限りいろんなことに気を使ったほうがいいだろうと思い、ドアに古典的な仕掛けを施しておいたが、変化はなかった。それ以外にも不法侵入者を感知する仕掛けは複数あるが、それは割愛。

 結論はゆりの勘違いと出たので、それを訂正することにし、龍臥はゆりを向く。


「ゆりちゃん、聞いてくれ。俺は別に恋人ができたわけでもないし、フラグを立てたわけでもない。だからたぶんそれは勘違いだ」


「ふ、フラグ?」


 両肩を掴みそうな勢いで龍臥は弁明をする。実際に両肩を掴もうものなら、泣き出される可能性大のため絶対にしたりしないが。


「大体俺は昨日の夜は少ししか部屋にいなかったし……」


「…………」


「………………いや、と、トイレでだけどね!? ちょっと腹の調子が悪かっただけだけどね!?」


 わたわたとした空気をまとっていたゆりが、龍臥に言葉に目を細めた、様な気がした。気がした、というのは前髪に隠れてどんな視線を送ってきているのか龍臥にはわからないからだ。

 一歩引くどころか、逆に踏み留まられ一歩押し戻されそうになる気迫が少女の体から発せられる。たじろぐほど、というわけではないが、龍臥の一挙一動すべてを見逃すつもりはないと無言で主張しているようだ。

 前髪の奥に潜む瞳は、じぃっと義兄の顔を、目を見つめている。


「……やっぱり、何か隠してますよね?」


「それは……。……ダメ、かな?」


 指摘され、それでも言えず龍臥は逃げるように顔をそらす。

 上手い誤魔化しも見つからず、逆に問い返すようなことをしてばかりだった。


「隠し事がダメとまでは、言わないですけど……。少し、寂しいです……」


 ゆりも視線を足元に落とし、胸の前で手を握る。

 数年前から二人となった家族、しかも相手は血の繋がらない兄。それでもたった一人の家族。

 隠し事があるのは仕方がないとはいえ、やはり自分を関わらせてくれいないというのは寂しいものが十七歳の少女にはあるのだ。

 例え、自分にも大きな、それも義兄に直接関係のある隠し事があるとしても。


「うっ……。今回の件は俺本人の問題でゆりちゃんには直接関係ないから、言う必要もないかなぁ? と思って……」


 嘘ではないが100%真実ということでもない言い訳を口をする龍臥。

 ゆりに直接関係ないのは本当だが、あのまま放置していたら間接的に影響が出るかもしれないから実行した。そしていう必要がないといえば心配をかけたくないから言わなかっただけで、必要というよりも言いたくなかったから言わなかっただけだ。

 もし必要の部分を否定されても今度は言う時間がなかったというだろう。


「……逃げてません?」


 それを見抜いたゆりは目を細める。


「そん、な……ことはないんじゃないかなぁ……」


 止まらぬ汗。過去これほどまでにバレそうになったことはない。もっと言えばここまでゆりに問い詰められたこともない龍臥は完全に腰が引けていた。

 龍臥は預かり知らぬことだが、実はゆりの両親は若いころに探偵に近い仕事に就いていたため、その仕事癖が抜けず、結果ゆりにその影響が出てしまっているのだ。しかも、どちらかと言えば母親似の性格をしているゆりは、容赦がないときは本当に容赦がない。それこそ、旦那が朝帰り(仕事の関係上どうしても会社で徹夜する必要があっただけ)をしただけでも相当問い詰める。かなり問い詰める。

 龍臥は今、ゆりの父親と同じ思いを共有しているとは知らず、上手く頭が回らないでいた。


「関係ないから……話さないつもりだと?」


「うん、まぁ……ちょっとばかし言い方が悪いとそうなりますかも……ね?」


「私に、家族である私に」


「……は、はい……」


「でも、家族ってどうでもいい話とか関係ない話とかするじゃないですか? その日の学校で何があったかとか」


「……そう言う家庭も存在してますですね、はい……」


「そう考えると……何かおかしくないですか?」


「……そんなことはないんじゃないかなぁ……?」


「私の目を見て言えます?」


「……………………………い、言え……る、よ?」


「間が長いうえにすごい目が泳いでいますよ?」


「気のせい気のせい。ははは……」


「『私のことはたった一人の家族だって思ってるから、直接関係なくても言える』って、言えます?」


「…………」


 数秒。たった数秒の会話でいつの間にか相当やばいところまで追いつめられている龍臥。いくら頭がうまく回らなかったからと言って、ここまでの失態犯すとは。本人は何の疑いもなく自分のせいだと思っているが、実際はゆりの口の上手さがここまで追いつめているのだ。伊達に日本でも成績優秀者ではない。

 龍臥は無理やり冷静な思考を取り戻すと、現状のまずさに気づく。


(やばい。何がやばいってゆりちゃんの手腕がやばい。俺は何時からここまで追いつめられていた!?)


 割と最初からだったが、そんなことには気づかない鈍感系主人公龍臥。


(もしここで目を見て言ってもダメだし、だからと言って家族を否定できるはずもなし。……ちくしょう!? 完全につんでんじゃねえか!?)


 どうにかして逃げ道はないかと施行を繰り返す龍臥だったが、一向にいい逃走経路は見つからない。いっそのこと殴られて吹き飛んだほうが簡単なのではないだろうか? ちょうど廊下はまっすぐだし。とか考え始めている時点で相当追いつめられている。

 ちょっと考えればゆりが殴るなんてことはそうそうないし、殴られたとしても百年ぶりのうんたら飛びの様に吹き飛ぶわけがない。


「……りゅ、龍臥さん? 言えない、ですか? 私、龍臥さんの家族じゃだめですか……?」


 そこにショックを受けて泣きそうな表情のゆりが止めを刺す。

 ゆりはこの理不尽かつ実質的に一つしかないこの選択肢を龍臥に突き付けた時点で、嘘泣きを敢行しようとしていた。だが、家族と言うのを言い渋る龍臥に、予想以上の心理的ダメージを受け、演技ではなく素で泣きそうになってしまっていた。

 さすがにそんな表情を見せつけられ逃げ場を探すことなど、龍臥にできはしない。


「ゆりちゃんのことはあっちの世界でもこっちの世界でも、たった一人だけの妹、家族だよ。本心からそう思ってる」


「ぁ、……良かった、ですぅ……! そういってもらえて良かったですぅ……!」


 予想以上に真剣な龍臥の表情と声に、ゆりは悲しみの涙を目じりから押し流しながら心の底から安堵した。


「……だったら、言ってくれますよね?」


「うぐっ……!?」


 しかし、心の底から安堵したと言っても、それは家族だと思ってもらえていることであって、龍臥が昨日の夜何をしていたのかという件については一切安心していない。

 ので、ゆりは天使のような泣き笑いを浮かべながら龍臥に催促する。


(やだ、私……ちょっと本気で泣いちゃってる……)


 自分で涙をぬぐいながらゆりは初心を忘れていなかった。一瞬だけ感動的な雰囲気に包まれたため、あれ? これこのまま誤魔化せるんじゃね? とか思った龍臥は、以外と冷静に攻めてくるゆりに呻く。


「……い、いくら家族でどうだっていい話をするって言っても、相手が不快になるようなことは言わないんじゃないかな? ほら、親しき仲にも礼儀ありって言うから」


 龍臥は正論で武装する。


「それはつまり、……私が不快に思うことをしていたんですか?」


 一言に不快になる話と言っても大量にある。例えば、下品な話やその人が心底嫌っているモノの話など。不快にならない話とは逆だと考えれば、マイナスな感覚を抱く話は全て不快な話と言っても大きく外れていない。

 マイナスな感覚ということは一般的に負の感情と言える。怒り、憎しみ、妬み、そして悲しみ。


「私が、怒っちゃうようなことや、憎いって思っちゃうようなことや、羨ましいって思ったっ様なことや、悲しくなっちゃうこと、なんですかね?」


「………………そんな話なんか聞きたくないよね……!?」


 藁にもすがる気持ちで苦し紛れにそう返す龍臥だが、その程度でどうにかなる相手ならここまで追いつめられてなどいない。


「あの、大丈夫ですから。そういうのって、本人次第、じゃないですか?」


「……もうホント勘弁してください」


「あ、あれ? 龍臥さん?」


 これ以上追い込まれるのは精神的に厳しいと感じた龍臥がついにさじを投げた。つい最近も昌太や璃々果に問い詰められたばかりだというのに、成長のない龍臥である。

 そこまで追いつめているという自覚のなかったゆりは、さめざめと泣きだす龍臥に今度は自分が慌てだす番になるのだった。




 場所を移し龍臥の部屋へ。

 いくら人通りが少なくなったからと言って、廊下でできるような話ではない。すでに龍臥は誤魔化すことを諦め、正直に本当のことを話すことにしたためなおさら廊下では話したくなかった。ついでに言えば、嫉妬の視線が怖かった。命の危険を感じたのはこれが初めてではないが、あれ以上あの視線、いや、刃を向けられていてはハゲる自信が龍臥にはあった。

 そんなわけで、龍臥はゆりの分の飲み物を用意すると早速昨夜のことを話した。ただし、後半のことはぼやかしたうえで、だ。

 さすがにゆりにまであんな暗黒面を見せるわけにはいかないという危機意識が龍臥の中であった。


「……と、まぁそんな感じです。納得いただけたでしょうか?」


「……はい。その、ケガ……とかは?」


 両手でカップを包むように持ち上げつつ、湯気によってただでさえ見えにくい視界を完全に遮ってしまいながらゆりは龍臥の身を案じた。

 しかし、訊かれた当の本人は自分のことだとは思わず、適当に苦笑いを浮かべながらボコボコにした佐藤のケガがないことを話す。


「さすがにそこまでは。相手が吹っかけてきたって言っても喧嘩は喧嘩だからね。ケガさせて大事にでもなったら目も当てられないよ」


 対象を勘違いしている義兄に訂正しようと口を開くが、結局は何も言えず、


「そうですか」


 と投げやりにしか答えられなかった。

 普段、それこそ日本にいたころならもう少し誤解を解こうとゆりは努力しただろう。しかし、何故かささくれ立っているゆりの精神状況ではその努力をする気力が湧かなかった。枯渇した湖の様に、ぽっかりと空いた心のクレーターが、胸中を蹂躙する虚無感が、そうさせていることだけは本人は理解していた。

 だが何故そんな無気力状態になっているのかゆりには理解できなかった。


(どうして……?)


 心当たりの欠片もないゆりはただ無言で龍臥の行動を考えていた。もしかしたら話を聞いて、何か引っかかる物があったからなのかもしれないと、ただ静かにカップに入ったミルクティーの水面を眺め続けた。


「…………」


「…………」


 その間、誘導尋問で情報を吐いてしまったスパイの様な気分の龍臥は、ゆりが存外に投げやりな返事しかしてこなかったことに、静かに戦慄していた。


(いつものタメが、ない、だと……!?)


 ゆりが龍臥と喋る時は、緊張で若干言葉に間がある時が多いが、何か言いたげに口を開いたかと思えば短い返事しかしてこなかったことに、動揺を隠せないでいた。表には出していないが、頭の中ではその意図を探り当てようと脳神経をフル活動させる。ものの、そもそも本人ですらわかっていないことを理解できるはずもなく、龍臥は答えにたどり着けず、結果的に二人してカップの中身に視線を下げながら無言で思案する構図が生まれてしまった。

 部屋の雰囲気的には二人して読書でもしているかのように穏やかだが、いつものメンバー(昌太と璃々果)がみたならば、確実に何か問題が起きたと悟るだろう。

 普段の二人なら、狭い空間の中で二人きりという状況でそわそわした落ち着きのなさが場の空気に現れる。なのに、今の二人の間にはそれがない。もちろんそのことは当人達も理解している。

 そんな中、先に結論についたのは龍臥だった。


(もしかして、さっきの問いかけの答えの対象が違った……? あ、そうか、俺の心配をされたのか)


 すぐに、とまではいかなかったが、それでもノーヒントで答えにたどり着くことができた龍臥は、すぐに訂正を始める。


「もちろん、俺だってケガは一つもないから。心配してくれてありがとう」


 どうにか答えにたどり着けたことに安堵しながら、ゆりを安心させるように微笑むが、向けられたゆりは龍臥を見ていない。状況的に、軽い男がさりげなく女の子を口説こうとして、天然でスルーされているように見える。当然龍臥にそのつもりは欠片もないが。


「…………」


「……あの、ゆりちゃん?」


「あっ……!? ご、ごめんなさい! ぼーとしちゃって……」


 反応が乏しいどころか無反応を貫くゆりに、またもや自分は何かを間違ってしまったのだろうかと不安に駆られた龍臥が顔の前で手を振ると、ようやく反応が返ってきた。

 それでもまだどこか上の空に見えるため、龍臥の表情は晴れない。


「どうか、したのかい? もしかしておれが何かやらかしちゃったとか……。俺も話したんだから、遠慮せず思ったことは口にしていいんだよ?」


 龍臥もゆりと同じで、二人は家族でいることが重要であると考えている。何を根拠にして重要、などと言っているかと言われれば答えに詰まってしまう。だが、家族でいたいとは迷わず言える。それほど、龍臥にとってゆりの存在はいつの間にか大きくなっていた。


「……いえ、龍臥さんが悪いんじゃないです。昔だったらちょっとした勘違いならすぐに訂正したのに、今日はその気力が湧かなくて、何でだろうって……思って……」


「え? それ結局俺が悪いんじゃない?」


「違う、んです。龍臥さんは悪くないんです。横着者な私が悪いんです……」


 コミュニケーションの基本の一つとして、相手の目を見て話すこと、がある。しかし、今のゆりはそれを拒否するかのように、いつも前髪に隠れて見えづらい瞳を、俯いて隠してしまっている。テーブルの下では、スカートの裾を強く握りしめていた。


(私は、龍臥さんに正直に話して欲しいって言っておいて……自分の言葉の間違いは見逃して。……ダメ、今日は暗いことばっかり考えてる)


 ネガティブな思考というのは、一度嵌ってしまうとなかなか抜け出せなくなる。今のゆりも、その深みに足を取られてしまっている。そこから抜け出すには短いようで長い時間を使うか、無理やり気分転換をするか、はたまた、


「ゆりちゃん、今日は久しぶりに四人でカードゲームでもしないか? どうも昌太が鞄の奥底に眠らせていたトランプを見つけたらしいんだ。……どうかな?」


「トランプ……ですか?」


「そ。ほら、ここ最近色々とストレスが溜まることばっかで全然発散できてなかったし、一緒に遊ぶこともしなくなった。……実際は一か月程度も立っていないんだけどね。それでも、暗いことばっかり考えてしまうなら、他のことで気を紛らわせようよ。な?」


「あ……」


 そう言って、龍臥はごく自然にゆりの頭を撫でて笑う。

 ネガティブな思考を抜け出すのに最もいいのは、他人の存在だ。外部からの刺激によって思考という路線をシフトさせることができる。

 龍臥はそこまで深く考えての行動ではない。体が勝手に動いた結果だった。しかし、ゆりにとっては頭を撫でられるだけでも何よりの刺激となり、頷けばいいのか頭に乗せられた手を受け入れるべきなのか、正解などどれにも含まれていなことに気づけないほど動揺していた。できたのは、俯いて赤く高潮した頬を隠すのと口元が緩みそうになるのを必死に抑えることぐらいだった。

 そして、奇しくも龍臥が無自覚にとった兄らしい行動は、本人が普段なら絶対にしないことだと理解するまで続くのだった。


「って、ご、ごめん!?」


「あぁ……、いえ、その……」


 手をどかされしょぼくれるゆりに、不覚にも胸をときめかせたのを、龍臥は気付かないふりをして誤魔化す。

 その日の晩方、全員で仲良くトランプをし、一位になったゆりが龍臥にもう一度頭を撫でてもらったのは、また別の話である。


 ――こんな日々が長く長くつづけ、四人はそう思いながらも、上手くはいかないことを、誰よりも理解していた。

 ――やがて来る、街の外での実戦訓練の日までは。



 人生において平凡な日々など長く持たないのが世の常である。それは世界が変わっても同じで、俺たち若者にはいつも牙をむく。その牙に容赦などあるはずがなく、逆らうすべを知らない俺たちには、未曽有の大災害と言っても過言ではない。


「つまり、俺はまだ死にたくないから街の外なんかに出たくないんだ、竜二」


「いや、出ろよ」


 いつもの定例会議。自称たった一人の大親友(大嘘)こと竜二を真剣なまなざしで見つめながら熱く語るが、冷めた若者竜二はばっさりと切り捨てる。現実並みに容赦のない友人だった。


「いやだからな、俺は無属性であって、一番弱くて、魔力もなくて、最弱な人間であって、戦うのではなく守られる立場にあるの。お分かり?」


「知らんがな。お前には最強の妹がいるんだから、遠慮せずにその胸を借りろよ。……ないかもしれないけど」


「おいよせ馬鹿、制服ってのは極端にボディラインを隠してしまう残念衣装なんだぞ!? 着痩せという可能性が高いだろうが! 家で部屋着の時は……」


「お前……自分の妹の寝間着姿見て紳士ってんのかよ……」


「ちょ、ちが……!? ち、血は繋がってないからセーフですぅー!」


 一瞬で話題がずれるのは、今の事態となっては男女など関係ない。それほど、集中力がないと嘆く者もいれば、切り替えが早いと感嘆するものも……ないな、うん。

  男子高校生らしいアホなテンションと話の流れを心行くまで堪能した二人は、表情を引き締める。


「それで、本当に俺は絶対参加なのか?」


「ああ。あまりお前が後ろに籠っててもそれはそれでお前が危険だ。この国にどれだけの余裕があるか知らないが、何の役にも立たない人間を住まわせる程の余裕が予算にあれば、もっと他のことに割り当てるだろう。ここらで少しは戦えることをわからせてやれ」


「と、言われてもなぁ……。正直な話、俺が何かをする前に他の三人が蹂躙ししまう気がするんだがその辺りは?」


 龍臥が無属性により、召喚集団の中で最弱だという共通認識は知れ渡っており、時々陰湿な行動に出る輩も少しずつだがでてきている。このままでは外側からだけではなく内側からも居場所をなくしてしまう。

 それを懸念した竜二は、今回の実戦訓練に龍臥を出席させることを強要している。龍臥の手前口にしないが、いずれエスカレートする虐めの前に、どれだけあの三人が龍臥の友達として接し続けることができるかわからない。竜二は周りの評価など気にも留めないが、いくら深い友情を持っていようと絶対ではないのだ。

 龍臥自身も、このままではダメだと理解している。だが、竜二と違い、まだ日本の学生気分でいたい龍臥は、割り切れないでいた。

 もしかしたら死んでしまうかもしれない。死への恐怖が拭いきれぬ限り、龍臥が外に出ることはないだろう。


「逆にそれなら安心じゃないのか? どうせチ-ト集団なんだ。背中を預けてみようと思わないのか?」


「お前なぁ……もしもって言葉があるだろうが」


「そっくりそのまま返してやるよ。もしも、お前がこの世界で孤立するようなことが起きてみろ。……いったい誰がお前の妹を助けてやれる?」


「……それは」


 最強である妹を、最弱である兄が助ける。一見矛盾しているようで、とても重要なことだった。

 この弱肉強食の世界で生き抜くには、妹の性格では頼りなさすぎる。いくら強大な力を秘めているとはいえ、それが発揮できなければただの気弱な女子高生だ。龍臥や竜二と違い、荒事などしたこともない女子高生が生きていくには、あまりにも過酷すぎる世界情勢。

 龍臥は自分の親友や、ゆりの親友を思い浮かべたが、彼らだって同じなのだ。どこかでミスをすれば簡単に死んでしまう。誰かがカバーしなければいけない。

 だが、それは自分だって同じなのだ。条件は違えど、ミスをすれば死んでしまうような環境に投げ込まれようとしているのは、妹だけではない。戦争など、日本に暮らしている限り無縁だと思えたというのに。

 龍臥は素直にうなずけなかった。何よりも疑問である内容が、竜二の口から一切触れられないからだ。


(何を、何を考えているんだ……竜二)


 もし竜二が同じ誘いをするとしても、万が一に備え自分が見守っておいてやる、とでも言いそうなものだが、今回はそれを口にしない。最初から他人任せなのだ。普段からあまり人に物事を任せない竜二が、そのことを隠しながらごまかしながら誰かに押し付ける。

 正直怪しかった。

 だが、竜二相手に舌戦を繰り広げても龍臥に勝ち目はない。だから、真正面から正直に聞いてみることにした。


「竜二、お前はその間何をするつもりなんだ?」


「…………」


「竜二!」


「はぁ……」


 龍臥の問いに、竜二は視線を逸らし答えることから逃げた。その動作が龍臥の中の予感を確信に変えた。

 沈黙を突き通そうとする友に、龍臥が強く名を呼ぶと、


「わかった。説明する」


 あっさりと降参する竜二。

 龍臥はこれすら怪しく感じたが、説明すると言っている以上、聞かずに詰問することはできない。


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