第1話 西の果ての捨て子
「おぎゃー」
「おぎゃー」
先程からこんな調子だ、何も変わらない。
風景は森だろうか、いや、――もしかしたら木が生えているのはここだけかもしれない。
まあ動けないのだから分かりようがないし、首だって座っていない。声を出して見ようとしても、聴こえてくるのは、赤ん坊の泣き声だ。もはや万策尽きている、八方塞がりだった。記憶をたどってみても、思い出せるのは、ビル街と、車の群れと、学校と、公園と、病室位――つまり、今この状況には全く役に立たない情報である。
有り余る時間を使い、ここは記憶の中にある世界――日本なのか? 自分はなぜここにいるのだろうか? 考えて見たところで、目が覚めてから今までのどの位過ぎたのかわからない時間を、さらに追加するだけであろうことは、嫌でもわかった。
それでも一塁の望みを託し、先程から声を上げているのだ。「おぎゃー、おぎゃー」と。
すると、草をかき分ける音が聞こえてくる、――人間か!?――いや、違うぞ、――「は、は、は」、「ワォーン」、「グルルル」、囲まれている!?そして自分の視界に大きく影が指した、大きな顔が現れたのだ。――自分の顔を覗き込む大きな顔、その顔は犬のような顔つきの生き物だが、とても大きく感じた。――その顔つきには、犬の可愛らしさはなく、むしろ凛々しさがあった。
多分これが、狼なのだろう。
――死ぬのだろうか? まあ為す術はないな、どうしようもない、せめて痛くしないで欲しい、そう思うことしかできなかった。
その大きな口が自分に届く、数センチのとき、ズガン、と何かが木に当たる音が聞こえた。その音に顔を上げた、するとその狼の顔に何かが当たったのだろう、大きく仰け反り、「キュイン」と苦しげな声を上げた。ズガン、ズバン、と飛ぶ何かに追い立てられるかのように、狼の群れは、自分から離れて行った。
「――――」
「――――」
「――――」
「――――」
再び、自分の顔が覗き込まれた、――今度こそ人間だった。
どうやら、男二人と女一人の三人組らしい、何を言っているのか分からないが、女性に抱かれたときに、強烈な眠気に襲われた。
目が覚めるとそこは、知らない天井だった。
まぁ、知らない森の中よりは遥かにいいか。しかし、顔をあげられないというのはここまで不自由なのか。
「――――」
森で出会った女性が覗き込んできた。
どうやら、彼女達に助けられて、彼女達の家に連れてこられたらしい。
「――――」
そして、彼女がこちらに笑顔を向けてくるのだが、彼女は正直かなり美人なのだ。そんな彼女が、いくら自分が赤ん坊の姿になってしまっているからといって、少なくとも、大人と呼ばれる年まで人生を歩んでいた記憶のある自分からすると、とても気恥ずかしく思わず顔を背けてしまう――うぁー。
「!――――!!」
くっ、ちょっと顔を背けただけだというのに、なぜそんなに喜んでいるんだ。なんだ、お? お、おい! やめろ、抱きしめようとするな、う、うおっ、や、やべぇ、や、柔けぇし、暖かい。すごく落ち着く、うう、また眠気が――すぅすぅ
俺はそのまま、彼女に抱きしめられたまま、眠ってしまったのだった。
あれから、7年程の時が経った。
「いってきます」
「気をつけてね」
あれからの俺は、あの助けてくれた三人組のうちの二人の息子として育ててもらっている。
もちろん、母さんは、自分を抱きしめた彼女だ。今日はこれから父親達の手伝いをする為に、家を出かけるところである。
これから向かうところには、父親と自分を助けてくれたもう一人がいる森の入口で、今自分は狩りの手伝いをしているのだ。
今、自分が暮らしている村は、テオリルと呼ばれる村で、リオガル王国の最西端に存在する村だ(一度だけ地図を見せてもらったことがある)。はっきり言って、かなり辺鄙で生活するにはかなり厳しい土地である。なぜ両親がこんなところに暮らしているかというと、今はそこまで活発ではないが、少し前までリオガル王国は未開の地である西側と南側への開拓を推し進めており、その時の第一移民の護衛を受けた傭兵だったらしい。ということを父親とその友人が話しているのを聞いた。
森の入口に着くと、使い古された革の鎧を着た父さんと立派な鉄でできた鎧を着た騎士がいた。彼らが、俺を助けてくれた二人である。
「おはようございます、リーゼルさん」
「おう、おはよう、テル坊。 今日も元気そうだな。」
「父さんには挨拶はなしか、テルリウス?」
「朝にしたでしょ、父さん」
「ぶぅ、最近、息子が冷たいぞ、どう思うリーゼル辺境騎士団長殿?」
「おいおい、どっちが子供かわからん真似はよせよ、ベルエット」
相変わらず二人は仲がいいらしい。
「ほら、そんな事をしていると日が暮れちゃうよ、父さん」
というと、父さんは、ガーンというほど肩を落とし、リーゼルさんは大爆笑していた。
テオリルは、最西端にある開拓されたばかりの村であるので、魔獣(人間に害のある生物の総称)の驚異が大きいのだ。(これが、もっと内側の王都に近づけば近づくほど、定期的な狩りが行われていたり、魔獣の生態の研究が進んでおり、だいぶ安全になるのだと聞いた)そのため、リオガル王国は、辺境騎士団という国が有する正式な騎士団が、開拓地の魔獣被害の対策として、配備されており、維持費や給料はもちろん、装備まで国負担という組織であるため、ここテオリルで、一番人気の職業であったりする。
リーゼルさんはなんと、この騎士団の騎士団長であり、ここテオリルにある騎士団の一番偉い人なのだ。まぁ本人曰く、騎士団長になっても今までの仕事がなくなるわけではないし、むしろ隊長職にしかできない仕事が増えるから忙しいだけだ、とのことだけれども。
そして、リーガルさんが何故、俺たちについてくるかというと、これも騎士団の一般的な業務で、この村で、狩猟を行う場合は魔獣対策として必ず、一人以上の騎士団を連れて行かなくてはならないという決まりがあるのだ。
「流石はお前の息子だな、もうひとりで罠の準備ができるとは」
「だろう! 俺の息子は天才なんだ!」
父さんに言われて罠の準備をしているとそんな声が聞こえてきた。
狩りの手伝いは、もう二年目になり、罠の張り方去年からやらせてもらっているから、もうなれたものなのだけれど、褒められると嬉しいものだなと思う。――父さんの親ばかは恥ずかしいけれど。
「できたよ」
「おう、これで五箇所全て張り終わったな、それじゃあ、キャンプに戻って待ちますか」
「そうだな、そうしよう」
そうして俺たちはキャンプまで戻ってきたのだった。