2・キザな男
普通の飛行船よりも値段が高いだけはあって、妖精飛行便は速い上に揺れも少なく、非常に快適な空の旅だった。
リデイラ的にはお金が勿体ないから、普通の飛行船でも良かったのだけれど、従弟妹の双子達に引き留められたせいで入学式ギリギリの出発になったのだ。
そのお陰で妖精飛行便に乗れ、楽士の仕事が間近で見る事が出来たのだから、双子の我が儘様々だ。
叔父夫婦は仕事が忙しく今日は会う事が出来なかったけれど、双子とセーリヨが居たから静かとは無縁の出立だった。
出発間際の問答を思い出してクスリと笑みを零しながら、飛行船からのびるタラップから降りて、地面を踏み締める。
やっぱり揺れのない地面が一番だ。そう思いながら、長時間揺れっぱなし座りっぱなしで妙にこってしまった体を解すように伸びをしていると、視界に淡い光が写りこんだ。
(――妖精。しかもこの感じは、この飛行船を動かしていたコ達だ)
まるで別れを惜しんでいるかの様に、自身を囲むようにクルクルと飛び回る妖精にリデイラは微笑んだ。
「ありがとう。あなた達のお陰でとっても快適だったわ」
リデイラの言葉に喜んでいるらしく、ケラケラ・クスクスと笑いながら光を点滅させる様子が可愛らしくて、更に笑みが深くなる。
けれど、いつまでもここに居る訳にはいかないので、名残惜しいけれど搭乗口から出る事にした。
(さて、どうしようかな)
入寮手続きもある事だし、本来なら巡回馬車でも探して、このまま学園へ直行する方が良いのだろう。けれど。
──キューグルグルグル
実は、飛行船を降りる前から鳴いている腹の虫を慰める方が先かな、とリデイラはお腹を撫でた。
他と比べれば速いとは言え、約六時間の空の旅。朝食を摂ってからを考えると随分長い時間が過ぎていた。
乗っている間に、持ち込んだサンドイッチを食べたものの、手荷物の関係上どうしても少なくなってしまったあの量では到底足り無かった。
腹の虫の音が大きくなって、周囲に聞こえてしまう前になんとかするべく、リデイラは足を進めた。
街中まで馬車で行ってから食べても良いのだけれど、飛行船の待ち人用にか、既にいくつかの飲食店が見えているのでそこで食べてしまう事にしたのだ。
そこへ向かえば、建物を構えているお店、簡易の屋台までが軒を連ねている。
一応、手持ちに余裕はあるけれど、それはまだこちらに来たばかりだからだ。これからの事を考えると、あまり贅沢はしない方が良いだろう。そうなると必然的に選択肢は限られてくる。
それに、確かにショウウィンドウに飾られているサンプル品も魅力的だけれど、芳ばしい匂いを漂わせてくる方が腹ペコな今のリデイラには魅力的だった。
一通り見て回ったけれど、お財布のお中身と相談して惣菜クレープにする事にした。
目玉商品なのか、大きな串にささった塊のような肉から削いで入れている。両手でないと持てそうにない位に大きいので、一つで十分だろう。
そう思い一つ買ってみたけれど、お菓子クレープよりも生地が厚く予想通りズッシリとした重みがあった。早速一口食べてみれば、新鮮な野菜のシャキシャキした触感に、少し濃い目に味付けされている肉が合わさってとても美味しかった。
絶えずお客さんがいるようなお店だったので、外れる事はないだろうと思っていたけれど、予想していたものよりも美味しくて、早速当たりを引いたようで嬉しく思った。
機会があればまた食べたいけれど、他のお店も回ってみたい。悩みどころだと思いながら、お肉の味に舌鼓を打った。
そうして少しお腹が膨れてくると、どうしてもあるものに目を奪われ始めてしまう。遠目に見ているだけでも甘い香りが漂ってきそうな、カラフルな魅惑のお菓子達。
さっきのお店はお惣菜がメインだったから置いてはいなかったけど、他のお店では生クリームや果実のクレープに、棒のままの飴やチュロス等の揚げ物、果物盛り合わせ等他にも様々な屋台がある。
屋台以外にも、小さな箱に数個しか入っていないような、でも高そうなお菓子を扱っている店があった。
向こうでは見た事がない物もいくつかあったので、無意識のまま吸い寄せられるように近付いて行った。
そして値段が書かれているので見てみれば、予想通り見た目の様には可愛くなかったので、やっぱり、と肩を落とした。
(――でも、いつかは自分で稼いだお金で、こういうお店の御菓子を買えるようになりたいな)
後ろ髪を引かれながらもその店の前から顔を上げたリデイラに、賑やかな話し声が聞こえてきた。
キャラキャラと楽し気な声に、妖精達が集まっているのかと思い探してみたけれど、どうやら違ったようだ。
前方から女の子の集団が歩いて来ている。その内の殆どがリデイラと同じ制服を見にまとっている事から、彼女達も同じ学園の生徒だと分かった。
入学式は明日だから自分以外の生徒が既に来ているのは当然なので、それ自体には何の不思議も抱かなかった。けれど、と内心で首を傾げた。
数人ずつの塊なら友達同士で遊んでいるんだろうな、気にも留めなかっただろうけれど、今前方にいるのは軽く見積もっても二十人前後は居そうだった。
その人数の多さから、この近くで何かイベント事でもあって、その行きか帰りなのだろうと思った。
だから、もし行き道なら自分も行ってみたいなと、リデイラが彼女達に話しかけようと近付こうとした時、違和感を感じて踏みとどまった。女の子の集団の中、一人だけ頭が飛び抜けている人がいるのだ。その人は、彼女達とは違い男性だった。
女の子の集団の中に異性が一人。しかも集団の中央付近に居るという事から導き出された答えにリデイラは肩を落とした。
(何かある訳じゃないんだ)
規模が違うとはいえ、複数の異性を侍らすそれは地元でもたまに見られる光景だった。まだはっきりと見える距離ではないものの成程、朱色髪の男は確かに随分と整った顔をしている。
そう納得し、でもまあ、無いなら無いで寮に向かうだけだしと、気を持ち直し最後の欠片を口に放り込んだ。少々大きかった様で、頬を膨らませながらゴミをクズかごへと捨てて馬車乗り場を探すべく一歩踏み出した、その時だ。
「それじゃあ、これはそこの子タヌキちゃんにあげようかな」
こんなに侍らせるなんて凄いなあと、すれ違う時に眺めていたのが悪かったのだろうか、パチリと目が合ったかと思えばそんな言葉とともにウインクが送られてきた。
そんなまさか私の事じゃないよねと視線を彷徨わせた後、再び視線を戻してみれば『君に決まってるじゃないか』と言わんばかりに二度目のウインクを貰う羽目になった。
声に反応したのは当然リデイラだけではなく、その男の周囲に居た女の子達全てが一斉に振り向いてきたので、リデイラは思わず半歩後退った。
(――怖っ!)
よく分からないけれど、あの男が何かくれようとして、そのせいで女の子達に非好意的な目で見られている事だけは分かった。
「何あの子。誰か知ってる?」
「知らないけど、制服着てるし、うちの学園の子よね?」
「見てよ、歩きながら口一杯に何か食べてるみたいよ」
「お行儀が悪いわね。そんな事するなんて新入生かしら」
「きっと、そうなんじゃない?タイをしていない様ですし」
「きっと田舎から出てきたばかりなんじゃなくて?」
耳打ちで内緒話を装っているのだろうけど、わざと聞かせているのだろう言葉とクスクスと嘲笑染みた笑い声。
自分でも行儀が悪い事は自覚あったので、その点については異論はないけれど、悪意を持って言葉を発するのは止めておいた方が良いのに。
リデイラの視界には妖精達が彼女達から離れていくのがはっきりと視えていた。悪感情を持っていても、実行しなければ妖精達も離れて行く事はないのに。彼女達はビルトゥオーゾ学園の生徒なのにそんな事も知らないのだろうか。
一瞬でも目で追いもしない彼女達には既に妖精は視えていなさそうだ。その様子から知らないんだろうな、とリデイラは小さく息を零した。
折角高等科まで進学出来たのに勿体ないなあ。と彼女達の行く末を思いながら残っている妖精を眺めていると、一人だけ自分の方を見ていない事に気が付いた。元凶である男だ。
てっきり男の方も見えていないのだとばかり思っていた。なので、吃驚して思わず凝視していると、その視線に気が付いたのか、パチリと再び目が合った。
「ダメだよ子猫ちゃん達。新入生には優しくしないと、ね?」
それを合図にしたかの如く口を開いた男の低く、甘やかな声色はまるで鶴の一声だった。
「そ、そうですよね!新入生には優しくしないと、ですね!」
「そうですわね!ジーノ様の言う通りですわ!」
「嫌だわ。新入生らしいから迷子にでもなっているのかと心配していただけですよ!」
余程男に嫌われたく無いのか、あっさりと手の平を返し口々に言い訳を紡いでいく様に呆れを通り越して関心さえ覚えてしまう。
「と、いう事で、コレは予定通り子タヌキちゃんに進呈しようかな」
「え!?」
言うや否や、ポンと黒い小箱を投げ渡された。それは金縁された赤いリボンで装丁されている、高級そうな小箱だった。
「こんなの、頂けません!」
見るからに高級そうな小箱の中身はやはり相応の物が入っているに違いない。そんな、親しい人からでも躊躇するような物を初対面の人から貰う訳にはいかない。
そう思い、返す為に近付こうとするも男に侍る女生徒達の存在が足を重くさせる。
投げて寄越したので壊れ物ではないだろうけれど、同じようにして返すのは憚られた。
どうしたものかとリデイラが眉尻を下げているにも関わらず、男はそんな様子を特に気にした風も無く優々とした笑みを浮かべるだけ。
「中身はお菓子だし、気にしないで子タヌキちゃん。さっきも言った通り、それは不快にさせたお詫びなんだから」
「不快だなんて、そんな事特に感じていません」
頑なに首を振るリデイラに男はクスリと笑う。
「じゃあ、先輩からの入学祝いという事で、貰ってくれるかな」
そこまで言われてしまえば、返すのが逆に失礼になってしまう。なので、不承不承に思いながら「有り難く頂きます」コクリと首を縦に振った。
その様子を眺め男は満足そうに何度か頷き、取り巻いている女生徒を促し歩き始めた。
「俺の名前はジェロジアーノ・ケーゼ・ローザロッサ。困った事があればいつでも相談においで」
そして、すれ違い様にそう名乗り再びウインクをリデイラに送った。
選択肢1
⇒ご飯を食べに行く
そのまま寮へ向かう
選択肢2
投げ返す
⇒受け取る