もしも明日、世界が終わるなら
絶対に恋愛に発展しない男女の関係、がテーマの作品です。
日刊文学27位!ありがとうございます。
『もしも明日、世界が終わるなら、貴方は今日どうやって過ごしますか?』
何番煎じの質問だろうか。
よくある、テンプレート化してしまった質問。
彼はその質問を、愛していた。
彼、というのは和野君である。
我が校でたった一人の文芸部部員の、変わり者。
ついたあだ名は歩く質問用紙。
彼は私が知る限りもっとも知りたがりだ。
彼は人間が好きだった。
人間の行動、感情と曖昧さ、矛盾点、それらを皮肉りながら私に語るのだ。
私と和野君は、クラスメートである。
私の名前は青木という。
我が校の出席番号は、最初に男子が五十音順に並べられ、その後に女子が五十音順に続く。
私たちのクラスは男子の人数が奇数だったから、私と和野君はよく出席番号順で二人ペアになる時、組むことになった。
唐突だけど、和野君は頭がいい。
成績でいうならば、もっといい人はいるが、そういうことではないのだ。
日常生活での考え方、物の見方など、彼の話を聞いているとよく分かる。
成績だけでは分からないようなところまで、とにかく隅々まで死角がないほどに、頭がよかった。
それでも、というかだからこそ、和野君は変な人だった。
普通に頭がいいなら、そこそこ真面目にしていれば彼は学校でも優等生の地位を与えられていただろうに。
偶に授業でペアを組む私と学級委員長くらいしか、話し相手は居なかったんじゃなかろうか。
うざったい前髪とか、やけに猫背なところとかも、変。
和野君は、全然イケてない。
野暮ったいとか、根暗とか、そんな印象を持たれる格好をしている。
まあ、身なりをきちんとしたところで、彼の日頃の行動のせいでそれは打ち消されちゃうだろうけど。
「和野君は変態だと思う」
「何だい唐突に」
和野君にそういうと、間髪入れずに和野君は反応した。
不快そうな様子を隠そうともせずに、眉を寄せて和野君はクルクルと上手にペンを回しながら、私を見てきた。
「僕に特殊な性癖はないつもりだがね?」
「そっちじゃない。女子に何言ってるの」
「君こそ女子の癖に何言っているんだい」
放課後の教室には私たちしか居ない。
それもそのはずで、私と和野君はペアワークが他のペアよりも遥かに遅れていて、教室に残っていなくてはいけなかった。
「そもそも、この居残りだって君が流行に乗らなきゃする必要がなかったんだ」
「仕方ないでしょ、かかりたくてかかってるんじゃないし。知ってるでしょ。毎年のことなんだから。ていうか、それは関係ないでしょ」
私はインフルエンザにしっかりとかかってしまい、更に重症で、一週間以上学校を休んでいた。
和野君はそのどばっちりを受けたわけだ。
毎年必ずこの時期に、私はインフルエンザにかかる。
「そうだ、僕が変態だという話だったか」
「変態は言い過ぎたかもしれないけど、そうでしょ。内心どう思っていようと普通にしてれば、変人に見られなくて済むのに」
「ふむ…しかし青木氏よ。普通とは何かね?」
「周りと合わせるの。まずその堅物お爺ちゃんみたいな話し方。それと、青木さんと呼びなさいと言ったでしょ。氏なんてつけて呼ぶの、和野君くらいだよ」
私の指摘に意味が分からないと言いたげにきょとんとする和野君に、小さいが苛立ちが生まれる。
何なんだ、男子がきょとんとか。
「そもそも普通の定義が分からない。僕は曖昧な言葉はあまり好きでないんだ。そう考えると、やはり質問は選択問題であるべきだ」
「いきなり何」
そう、これこれ。
和野君と話していると、話が迷走してやがて彼の自論を聞く羽目になる。
大抵のクラスメイトはここで彼の前で回れ右して逃げていく。
彼の話は疲れるのだ。
私は聞きすぎて慣れた。
「しかし、選択問題にも欠陥が一つある」
「うん?」
「君もよく見るだろう?一番最後におまけのようにつけられる、その他という選択肢だよ。その他の後には大抵、その内容を具体的に書くように括弧が設けられている。そこでもし曖昧な表現の言葉が書かれていたらどうする?即ちそれは質問用紙として、欠陥品であったということだ。ああ、忌々しい」
白熱していく彼の一人論議を、私はまたかと頬杖をついて眺める。
面白いとは思うんだけどなあ。
皆慣れれば友達になれると思う。
ただ、彼と友達になる為にそこまで心を砕いてくれる人間が居ないのだ。
「ならば選択肢を大量に設けて、その他という選択肢を省くのはどうか?いや、それは違うのだ。質問用紙の回答は、分かりやすく纏められるべきだ。それも美しく、グラフにすると尚良い。そうとするならば、やはり選択肢には限りがある」
んなもんどうでもいいわとひと蹴り出来そうな彼の言葉を、私はまあまあそこそこ真面目に聞いている。
賛同しようとも否定しようとも思わないけど。
生憎、そこまで質問用紙に興味を抱いたことはないのよね。
「…和野君。私は一つ、それを解決する方法を思いついた」
私は自分の鞄を漁りながら言った。
「何かね⁉︎」
興奮した和野君の声を聞きながら、探り当てた小腹対策用のお菓子を机の上に置いてから、ゆるりと彼を見やった。
「…質問用紙は、その質問をする人が作るべき。何故ならその結果をどう扱うかは質問者に委ねられるから。和野君がそれくらい熱く語れる、大事なものなら」
分かりにくいが、和野君の切れ長の目が見開かれた。
私ははふ、と息を吐いた。
「つまり、その他で曖昧な言葉が書かれたらその人の責任。頑張ってその結果を纏めるべき。つまり、和野君。ここで君が結論を出す必要はないんだよ」
「なるほど、それは盲点だった。流石は青木氏だ」
和野君は納得したらしく、オーバー気味に首を縦にブンブンと振っていた。
ちょっと怖い。
「で、和野君。私はそろそろこれを終わらせて帰りたい」
「ふむ、一理あるな」
和野君は私の言葉に頷き、ペンを持ち直した。
私たちのペアワークがなかなか進まないのは、こんな会話をしていることも理由にある。
「私は帰ってゲームしてゴロゴロしたいの。だから早く終わらせたい」
「しかしこれは今学期の成績に大きく反映されるぞ?」
「…成績っていうのは、取り方っていうものがある。先生は自分が賛同できる意見を持つ生徒が好きなの。だから、自分を偽って先生が望むような答えを書いちゃえばいい」
私はそう言いながら和野君からペンを奪い、カリカリと枠の中に書き込んだ。
今回の国語のペアワークのテーマ。
それは、生命について。
如何にも和野君の嫌いな答えがぽんぽんと出てきそうなテーマだ。
「生命は大事です、じゃ子どもだって言える。それは皆分かってる。でも根本的に突き詰めれば、多分本音は大人も老人も皆同んなじ答えに決まってるわ。だって皆そう教育されているもの。でも、もしそれを本当に実行に移す奴がいて、それを全世界の人間が実行したなら、きっとこの世界は滅ぶ」
「それは青木氏の考え方だね。実に興味深い。聞こう」
和野君は目を輝かせて言った。
ひねくれ屋な私と純粋な知識欲の塊の彼とでは、黒と白くらいに違う。
それでも周りに溶け込めるのは私の方だった。
「生命が大事なら、この世界での殺生はすべて悪になってしまう。でも、この世界は殺生なしでは回らない。道端の野花を手折るのも、畑から野菜を収穫するのも。動物を殺すのなんて以ての外。結局耳障りのいい都合のいい道徳で、人間に都合のいい世界を作ってる。食物連鎖の頂点に立ってる人間に、殺生なしで生きるなんて不可能なのにね。人間は何かを殺さなくては生きてはいけない。そうでしょ?」
私の話を聞いていた和野君は納得したように、小さく頷いていた。
「しかし、青木氏。善悪の判断ですら、それは個人に委ねられるべきことなのか?それを危険と過去の人間は判断したから、子孫に伝えたのだろう。殺しは悪だと。あくまで、人間を守るために」
「…和野君は、頭がいい」
私は脱力して彼を見た。
和野君は、本当に損をしている。
「その頭のよさを前面に押し出せば、多分君は友達をたくさん得られるよ。あと、そのおかしな自論の展開をやめれば」
「ううむ…難しいことだ」
「何処がよ」
「青木氏は僕と他との前では態度が違うな」
「そりゃそうだよ。だって和野君は変態なんだもの。偽る必要はないでしょ」
「…だから僕は変態でないと言っているだろうに。青木氏は、学年一のマドンナで優等生なのだろう?男子どもが言っていたぞ。それなのに、僕にはその片鱗も見せない」
和野君のぼやきに似た一言に、私はニヤリと笑った。
そう。私、マドンナで優等生なの。
「だって私、エセ優等生だもの。先生も含めて皆騙されちゃってるだけ。私は私以外になれないに決まってる」
私はクスクス笑いながら、教室の黒板を見た。
その上には、クラス目標が掲げられていた。
『十人十色の明るいクラス』
その言葉に、私は更に笑った。
そして右手で銃を作ると、それに向けた。
「ばーん」
ふざけてそれを撃つマネをした。
和野君はそんな私を不思議そうに見ていた。
「そんなものでは何度撃ってもあの紙に穴一つ開けられないぞ?」
「知ってるし」
予想を裏切らない彼の言葉に私は直ぐに切り返した。
慣れない頃はここで一度脱力してたけど。
「でも本当にそう。人間は身体一つじゃできることなんてちっぽけなもの。あの物理的にも内容的にも薄っぺらい紙に、穴一つ開けるのにも一苦労。ねえ和野君、可笑しいと思わない?私よりも和野君の方がよっぽど平和的な思想をしていて、風紀を乱す恐れもない。私はあのクラス目標に穴をあけてやりたい。元の姿なんて分からなくなるくらいに、ボコボコに。でも周りの評価では、和野君は優等生ではなくて、私は優等生なの。ね?人間は何にも見えちゃいない」
「人間の情報の殆どは、目から入ってくるものだ。青木氏に関する情報は、目に優しいものなのかもしれない。…それは一つの仮定だが。しかし僕には青木氏はちゃんと優等生に見えるぞ?」
至極真面目にそう言い切った彼に、なんだかこっちが恥ずかしくなる。
なんで私が恥ずかしくならなきゃいけないの。
ほら、こういうところが変なんだよ、和野君は。
「ふーん。まあ、そういう風に見せてるしね」
「青木氏は奥深い人間だな」
「迷走発言禁止ね」
私は首を捻る和野君を横目に、さっき出したお菓子を開封する。
女の子なら皆大好きな定番のお菓子。
これは普通に私も好き。
「和野君、私と初めて話した時に私にした質問、覚えている?」
「もしも明日、世界が終わるなら、か?」
「…よく覚えているわね」
「この質問は気に入っているんだ。答えが曖昧だろうと、その回答は深い意味を持つ」
私はパキンとチョコレートの部分を齧り、顎に手を当てる和野君を見た。
和野君の熟考する姿は、なかなか様になってると思う。
まあ、トキメキとかそんなものは一切ないけど。
「あの時、たしか青木氏はこう言ったな」
うん、私も覚えてる。
廊下ですれ違い様に、問われた唐突な質問。
『もしも明日、世界が終わるなら?』
真面目に答えるのも馬鹿だと思って、そのまま無視しようかとも思ったけど、やめた。
『世界は終わらない』
私はそう言った。
背中合わせの状態だったあの時、和野君は一体どんな表情をしていたのだろうか。
今となっては分からないし、和野君自身も答えてはくれない。
「僕にとって、それは正解としか言いようのない答えだったんだ。僕はあの質問への自分の答えを、ずっと探していたのだから」
和野君はそう言って、口角を上げた。
多分、本人は無意識だろうけど。
ずっとそうしていたらいいのに。
「世界は終わらない、か。実に簡潔、希望に満ちた答えだ。美しい」
そう。美しい、と。
あの時、彼はまっすぐ私を見て言った。
マドンナだとか、才色兼備だとか、そんな風に持て囃されていた私はその時、目が覚めた気がした。
私は知らない人に貰った林檎をそのまま齧る、間の抜けたお姫様じゃないし、和野君が王子様なんて以ての外。
もし死体愛好家なんて変な趣味が彼に加わったら、もう私は彼に付き合いきれる自信を完全に失う。
御伽話のような素敵な関係には、絶対に発展しない私たちの関係。
和野君は差し詰め小人Cくらいの役柄が似合うと思う。
私は役無し。ナレーターとかかも。
「じゃ、それでいいんでしょ。それで完結してるのよ。和野君にとっての世界は」
「…そうだな」
和野君がまた意識を深く潜らせて考え込みそうだったから、私は机を叩いて立ち上がった。
和野君が音に反応して私を見上げた。
「ほらっ。和野君が考えてる間に書けたわよ。先生たちの大好きな模範解答もどき。多分まだ先生残ってると思うし、提出しちゃいましょう」
私が紙を掲げてニヤリと笑うと、和野君も口角を上げて、立ち上がった。
私はふと思いつき、机の上の棒状のお菓子を一つ、和野君に差し出した。
「はい」
「?…ありがとう」
不思議そうにしながらも、素直に受け取る和野君に、私は声を出して笑った。
「私にとっての和野君は、そんな感じ」
私がそう言うと、和野君はますます不思議そうにした。
和野君でありながら、こんなことも理解できないなんて、情けない。
「和野君、私からの質問だよ。そのお菓子に込められた意図は何でしょう?」
「…正解、不正解のでる質問はあまり好きではないんだが」
そう言いながらも、和野君はお菓子をまじまじと見ながら考え込んでいる。
そうそう、そうやって真面目に考えてて。内面優等生君。
私は踵を返し、職員室へと向かうべく教室の戸へと向かう。
後ろから、和野君が付いて来る気配がしている。
お菓子に込められた意図は、聞いてみれば多分、単純明快。
ヒントは私が究極のひねくれ屋であることと、和野君が究極の変人であること。
答えは簡単、簡単。
和野君はきっと、答えられないだろうけどね。
お人好しな彼は、思いつきもしないはず。
お菓子に込められた意図は、「単なる仕返し」。
いつも私に問いかける彼に、問い返してやっただけ。
さーてと、困り顔の彼はきっと見物だわ。
さっさと提出して、その後に弄ってやろうっと。
私は和野君気つかれないように、こっそりとほくそ笑む。
絶対に発展しないこの関係を、実は私は気に入っている。
彼がそのことに気づくことは、はてさて、あるのかしら?
優等生になり損ねた変人と、エセ優等生のひねくれ屋。
誰も知らないこの関係は、きっとこのお菓子みたいな、「細く長いもの」になる。
それは確かに、予感してるの。
そう、世界が終わらない限り。