下
蒼葉とおにぎりを食べた日から彼は河原に来なくなった。
空が茜色に染まってもビー玉の瞳を揺らして、若草色の着物をたくし上げて川に入ってくる姿はない。
いつの間にか僕は川に入って夕日を見るではなく、川に入って蒼葉を待つようになってしまった。
どんなに願っても彼の優しい声が後ろから聞こえる日はなかった。
今日も変わらず川に入る。冬も近づき、川の水は痛いくらいに冷たく感じる。
それでも気温が下がるほど、夕焼けは濃くなり紅を増していった。
「……イミゴめ」
後ろから低い、詰る様な声が聞こえた。蒼葉とは違い、正真正銘僕のことを嫌いなニンゲンだ。
そいつは僕の髪を掴むと川から引きずり出した。
「貴様のせいでっ、貴様のせいでぇぇ! 殺してやる、殺してやるッ!」
そのまま村の中に引きずられたボクはその一番奥の建物に入れられた。この場所をよく知っていた。
それは何度かここを訪れているからだった。
ここは人間を拷問する部屋だ。
すぐに縄で縛られ正座をさせられる。これからされることはよく知っている。
だが、今日は近くには見覚えのある塊が転がっていた。それは拷問具ではなかった。
塊に見えたのは僕の脳内がその姿を認知したくなかったからかもしれない。
若草色の布切れに包まれているのは、かつて麒麟児と言われた唯一の大切な人だった。
「あ、あ、ぁ……」
声のようなものが喉から滑る。
ぼろ雑巾のように投げ捨てられているのは紛れもなく蒼葉だった。
「お前のせいで俺の息子は! 畜生、畜生ッ!!」
大柄の男が鉈を振りかぶる。ドンッと鈍い音と静脈の弾け切れる音がした。
ごめんね。それじゃあ死なないんだ。
鈍い音が重なる度に睡魔が襲ってくる。体に開けられた穴という穴から冷たく黒い液体が噴出した。
ねえ、蒼葉。世界が明るいなんて、嘘じゃないか。
ボクは男の狂乱の声と共に意識を手放した。
* * *
目が覚めると川の中にいた。
やはり、ボクは死ぬことなんてできなかったのだ。
でも蒼葉はどうだろうか。あっさり死んだ。あの聡明で美しくて優しい蒼葉は容易く死んだのだ。
「……ッ、ぁ、クッ」
痛いくらいに喉が鳴った。目からは雨のように雫が溢れた。どんなに渇望しても名付け親は帰ってこない。それは多分自分のせいで、だ。
「あ…あ、あお、あおは……蒼葉――」
自分の喉から音が紡ぎ出されるなんて知らなかった。もっと早く気付ければボクは蒼葉に名で呼ぶこともできた。そうすれば彼はいつものように目を細めるだろう。
「ぼくの名前、呼ぶことができたんじゃないか」
後ろから柔らかい声が響く。砂利の音が段々と近づいてくる。
そう、出会った時と同じように。
「ねえ、キミ。風邪を引かないのかい?」
「……」
後ろを振り向くことができない。
ざぶざぶと水に入ってくる音が聞こえ、その音はすぐ隣で止まる。
「ねえ、キミ。もしかして喋れないの?」
顔を上げるとビー玉の目が二つ細められた。それは間違いなく彼で今ここにいるのは……
「蒼、ッ……蒼葉!」
「迎えに来たよ。遅くなってごめんね」
「な……で?」
言葉がうまく操れないことに苛立ちを感じる。それでも蒼葉は柔らかく受け止めてくれる。
「ぼくが君を狭間から落としてしまったんだ」
蒼葉は簡単に教えてくれた。
「ぼくは龍の子だ。赤ん坊の君と遊んでいたらぼくは君をこの世界に落としてしまったんだ」
「りゅう、のこ?」
龍は大切な者を護る一族で、その大切な者というのがボクのようだ。落としてしまったために人間として何度も何度も生まれてボクを何十年も探し続けてくれていたという。
「ぼくは麒麟児なんてこの世界では言われていたけど、そうじゃない。麒麟は君だ」
ふわり、僕が大好きな笑顔で語りかける。
「わか、らな、いよ……」
「それでいい。理解する時間なんて山ほどあるんだから」
水をも唸らせる強風と共に絹のような布が僕たちを包んだ。
目を開けるとそこには金色の髪ではなく、水色の長い髪を持った蒼葉が立っている。ビー玉のような目だけはそのまま細められた。
「帰ろう、ぼくたちの場所に」
「……」
蒼葉がボクの手を取る。
空は紅に染まり煌々と輝きだす。ボクたちはその空に足を進めた。
二人は夕日に溶け始める。温かな風を感じながら空に融解していった。
夕日が落ちるその一瞬、空が金色に瞬いた。
もう河原には忌子はいない。
ボクは初めて永遠という幸福を手に入れたのだった。
後書き
始めまして。こんにちは、今晩は。
閲覧ありがとうございました。
この作品は現在プロットを練っている四神ものの読み切りバージョンになっています。
他の作品を随筆しながらどうしても行き詰ったときに息抜きで書いたのがこちらでした。
なんとなくふんわりしていて結局この話はなんなんだ?と思われた方がいらっしゃると思います。
一応詳細設定はあるのですが、全て設定を書かなくてもまとまる作品を意識して書いてみました。
まだまだ若輩者ですので言葉の綺麗な流れなどが掴めず四苦八苦しています。
今回、主人公である夕明は性別不明の状態で書き通しました。
男児か女児かは皆様の想像にお任せします。
さて、現在小説家になろうでは「Blood ROSE」シリーズをメインに活動しております。
全くイメージの違う吸血鬼の作品です。
物語も折り返し、クライマックスに向かって盛り上がっている最中です。
2日に1回の定期更新なのでもし興味をもたれたら読んでみてくださいませ。
宣伝大変失礼いたしました。
ここまで読んでいただいた読者様に限りない感謝を申し上げます。
さらに気に入りましたら、評価並びに物申す箇所がありましたら教えていただけると幸いです。
それでは重ね言葉にはなりますが「紅色消えるボク」を締めさせていただきます。
ありがとうございました。
鈴毬