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 日が藍色に変わり、茜に染まりだすときに僕は動き始める。

 それは夜行性の鷹のように。

 はたまた闇を好む鬼子のように。

 姿を隠し、今日も生きる。



【紅色消えるボク】



 僕は今日も道端に生える草を食んだ。

 何の草であるのか、そもそも食用であるのかはわからない。

 空腹を紛らわせるのではなく、心の穴に押し込むように摘んだ草を食んだ。

 ここは村はずれの河原。夕時になると誰もここに来ることはなかった。

 僕の家はここで、生まれた時からずっとここにいる。

 何故、自分がここで暮らしているのか。何故、家族がいないのかわからなかった。そもそも、家族がいないことが普通ではないことを知ったのはつい最近のことだ。

 ただ、村人はボクを見ると石を投げる。理解ができない言葉もたくさん投げかけた。


 彼らが言うに、ボクは“忌子(いみご)”なのだ。


 ボクは何度村人に捕えられても、何度殴られても傷つくことはなかった。

それが気持ち悪いのだろう。

 姿形は村人と同じであるのにボクのことを“イミゴ”と呼んだ。それが人の名前でないことはなんとなくだが分かる。

 立派な痣ひとつ、温かい鮮血ひとつ流せればきっと河原に住むこともないのだ。


 河原には朱に染まった水がチロチロと流れている。

 水だけはボクを嫌ったりせずただ一様に川下へと流れていく。

 

 水はいい。いつまでも清く、ただ流れるだけなのだ。


 川に入って座り込む。ここから日が落ちるのをただただ眺めるのだ。 それがボクの唯一の日課で、後は村人から姿を隠し、生えている草を胃に流し込むだけだ。

 赤と青のコントラストの間には黒い雲が伸びる。それは空と空が戦っているように見えて短い戦を眺めるボクの心は、秋口のススキのように躍った。


「ねえ、キミ。風邪を引かないのかい?」


 幼い声が後ろから響く。びくりと心臓が震えた。

 村人だ。また僕を捕えるつもりなのだ。傷はつかないとはいえもう痛い思いをするのは嫌だった。

 びくびくしながら顔を上げると、小麦よりも鮮やかな金色の髪の少年が立っていた。

 黒以外の髪色を見るのは初めてで、ビー玉のような青い目もとても美しかった。

 逃げなくては。早く逃げなくては。頭の中で同じ言葉が反響する。

 少年は尚もこちらを見ていた。不思議そうに、そして少し心配そうに眉を寄せて。


「もしかして、立てなくなっちゃったの?」


 少年は若草色(わかくさいろ)の着物をたくし上げるとゆっくりと川の中に足を進めてきた。

 ニンゲンが近づいてくる。怖い、怖い、コワイ――

 ボクはその場でうずくまる。全身が硬直して逃げることができなかった。


「ねえ、キミ。もしかして喋れないの?」


 顔を上げると先程の少年がにっこりと笑っていた。薄い色素のまつ毛がぱさぱさと揺れる。

 そのまま彼は腕をひいて河原まで水の中を歩いた。


 ボクは喋ることができない。声の出し方なんてわからないし、喋る相手もいない。

 喋るなんてこと自体必要のないことだ。


「こんな薄着だと病気になっちゃうよ?」


 僕はとっさに首を横に振った。風邪なんかひかないしそもそも死ねない身体なのだ。

 一日中川の中にいたって、(なた)で切り付けられたって、僕はいつの間にかこの河原に立ち尽くしている。何故だかはわからない。できれば僕だって死んでしまいたいのだから。


「そっか、キミは強いんだね」


 綺麗な顔で笑って見せた。落ちる間際の夕焼けのような美しさだった。


「ぼくはね、蒼葉(あおば)っていうんだ。キミがぼくの名を呼ぶことはないかもしれないけど覚えておいてね」

「……」


 それから一言、二言蒼葉は話して帰っていった。

 自分に対して敵意のない人間と出会ったのは初めてのことで、その日は心臓の音がうるさくうまく眠ることができなかった。

 



次の日から蒼葉は毎日ボクのところを訪ねた。


「今日はね、村人のゲン介から逃げてきたんだ。まったく見張りばかりでやんなっちゃうよ」


 蒼葉は村では“麒麟児(きりんじ)”と呼ばれているらしく、神童と崇められているようだ。中性的で美しい姿も、大人顔負けの知能もそういわれる所以らしい。

 蒼葉の話はいつも愉快でそして知に溢れていた。僕が首を傾げると何度も根気強く説明をしてくれた。

 ボクは言葉が出ないから、蒼葉が喋ることに首を縦か横に振るだけだった。


「そろそろ、キミの名前が知りたいな。当てていい?」


 数日した或る夕暮れに、蒼葉は首をかしげながらそう言った。僕は思いっきり首を横に振る。僕には名前がないのだ。


「もしかして、名前がないのかい?」

「……」


 僕はゆっくりと頷いた。水面にはなにも表情のない汚い子供が映っていた。


「じゃあ、ぼくが付けてあげよう。うーん、そうだな……夕明(ゆうあけ)、夕明にしよう」

「……」


 彼は話し始めた。君は空が夕焼けに染まる頃に会える。そして世界がもっと明るく楽しいことを君に知ってもらいたい。


「だから、夕明だ」


 僕は静かに頷く。彼は嬉しそうに、あ、今笑った、とはしゃいだ。しかし水面に移っているのは口の端ひとつあげることのできない子供の姿だった。


 夕明と名付けられた次の日、彼は走って河原に来た。その足は傷だらけでいくつか血が滲んでいた。ボクは足を指さす。


「ああ、コレ。さっき転んじゃったんだ。……夕明、今日はぼくとご飯を食べよう」


 蒼葉はにこにこと抱えていた包みを開けた。

 そこには白い俵型の塊が二つ並んでいた。その片方をこちらに差し出す。


「おにぎりだよ。米を握った物さ。大丈夫、毒は入っていないよ」


 ボクは首を傾げる。少し湿ったコレをどうしていいかわからなかったのだ。

 蒼葉がソレを口に入れる。真似をして一口齧ってみた。


「!?」


 少し塩辛いおにぎりは噛んでいると甘く感じる。これが食べ物の味なのだ。草しか口に入れたことのないボクは感動しながらもう一口齧る。

 ソレはあっという間になくなり、蒼葉はただ嬉しそうにこちらを眺めていた。


「美味しかったかい?」


 激しく何回も頷く。


「そっか、そっか。よかった」


 彼は目を細め自分の袖で僕の口元を拭いた。そして本当に、風の囁き程度の大きさで呟いた。


――早く、迎えにきてやれなくてごめんね


 顔を上げても蒼葉の綺麗なビー玉の目を見ることはできなかった。彼は立ち上がって僕に背を向けていたからだ。


「じゃあ、ね」


 蒼葉は走って河川敷から出て草むらに消えてしまった。

 いつも穏やかに笑う蒼葉。だけどその笑顔に少しの違和感をおぼえる。眉を寄せて無理やり口を上げているように見えたのだ。

 なんであんなに寂しそうに笑うのだろう。なんで、悲しいことを僕に話してくれないのだろう。


「……ッ?」


 欲という感情があることに今気づいた。僕は今“蒼葉が綺麗に笑ってほしい”そう願っていたのだ。

 自分はおかしくなってしまった。いや普通になってしまったのかもしれない。

 その瞬間、僕は強烈な離脱感と倦怠感に襲われた。川の浅瀬で丸くうずくまる。

 川はいい。いつの日も、例え僕がどんな感情を持ち合わせていても一様に流れゆくだけなのだから。

 汚れている自分も、不確かな感情も川だけは受け止め、せらせらと流してくれるのだ。

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