第二節
ギ…ザー…
私は一人、教室にいた。掃除を終わらせなければならないと思ったからだ。 机を引きずる、乾いた音がセピア色の教室に響く。
そこに来たのが、コウだった。
一人日直の仕事で、職員室に行っていたようだ。
「あれ?皆は?」
「………」
私はうまく言葉が見つからなかった。今思えば、皆は?と聞かれたのだから、帰った、と答えればよかったのだ。
ただ、そのときの私は胸が苦しかったり、色々な感情がごちゃ混ぜになっていて、言葉を紡ぐという行為が出来る状態ではなかった。
ギ…ガ―――…
隣でコウが机を運んでいるのがわかった。
彼は何も言わない。気の毒に思って、哀れんでいるのだろうか。でも、彼があの場にいたら、どうしていただろう。こんな風に、手伝ってはくれないのだろうか。社交界は複雑だ。少しでも権力のある人には逆らってはいけない。その人より目立ってはいけない。
「……」
「……」
結局、掃除が終わるまで私達は一言も話さなかった。
その帰り道、私はいつものように土手を歩いていた。後ろにはコウが、少し距離をおいて歩いている。
途中からコウが手伝ってくれたとはいえ、二人で教室の掃除を終わらせるのは時間がかかった。
空は朱く輝いている。
ゴミ捨てをしているところを担任に見つかったので、明日から掃除の時間には、皆が掃除をサボらないよう、先生が見張りに立つことになった。
ふと、コウは私を追い抜いて土手に座った。私に右隣を勧める。私は素直に従った。
少し黙って、コウは私に話しかけた。
「…学級委員、大変だよな」
「……」
私は何も言えない。
「何だかんだで皆自分の事しか考えてないし」
「……」
そう、そうだ。
私も、自分の事ばかり考えていた。
大人に気に入られたかったから、皆を犠牲にして、優等生を演じたのだ。
「佐倉って、なんか無理してんじゃないの?」
無理?
無理って、何?
社交界では目立ってはいけない。皆、追放されないように必死で、頑張っている。演技して、お世辞を並べて、少しでも身の安全を確保しようともがいている。一年生ではまだいい。二年生になったら、身のこなしを上手くしなくてはいけない。そしてそれを、大人には見破られてはいけない。大人に押し付けられた子供らしさの概念を、私達は覆してはいけない。
皆、無理をして生きているのに。私だけつらい、なんて言えない。
「……私は」
やっと、ひどく掠れた声が出た。視界は滲んで、ざわめく様に光る水面がより輝いて見える。息遣いが荒くなって、言葉が途切れ途切れになる。
「…褒めてもらいたい……だけ、で……」
悔しい。
こんなにも醜い自分が憎らしい。
こんなにも弱い自分が情けなくて、可哀想で。
強くなりたい。
強くなりたい。
誰も私を傷つけられないように。誰も、傷つけずすむように。
こんなにも苦しいのに、私の胸は冷たい。冷たくて冷たくて、凍えてしまう。
頭をガンガンと殴るような頭痛がする。
水面ではしゃぐ光が眩しい。
私には眩しすぎて、そしてそれがとても楽しそうで、目が痛い。
左手は温かく、右手は涙で濡れてしまった。その冷たさは、私の心とは比べ物にならないのだけれど。
「……」
今度はコウが黙った。黙って、私の左に座っている。
きっと、それだけで私は救われている。