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私の兄は変なんです  作者: とらじら
ゴミのような誇りもあるんです
4/21

ゴミのような誇りもあるんです:4

 





 「姉ちゃん早く来いよ!」


 こっちを向きながら叫んでいる良樹を走って追いかける。私達は花が大変なことになったという公園を目指していた。


 花が大変なことになったと聞いた瞬間に、お兄ちゃんは場所も聞かずに家を飛び出していった。場所が分かっているのかが心配だけど、良樹の「いつも遊んでる場所だから大丈夫」という言葉を信じるしかない。


 「ここだよ!」


 良樹が一通りの遊具が揃っている普通の公園の中に入って行った。ここは大木公園と呼ばれている公園だ。多分真ん中にそびえ立っている大木が名前の由来となっているのだろう。


 私は息を切らしながら、公園内に侵入する。問題があった場所を教えてくれるかのように真ん中に人が集まっており、お兄ちゃんと良樹の姿もすぐに見つかった。しかし花の姿は見当たらない。もしかしてもう救急車に運ばれたの?


 私はとりあえず状況を理解するために、私よりも先に来ていて、全て知ってるはずのお兄ちゃんのところに駆け寄る。


 「お兄ちゃん! 花は救急車に運ばれたの? 大丈夫なの?」


 私が腕を引っ張るが、お兄ちゃんはずっと上の方を見ている。そして一言、「大変なことになった……」と目線は上のままで呟いた。


 「いったい、何があったのよ!」


 私の叫びに我に返ったお兄ちゃんは大木の頂点を指差す。よく周りを見ると、木に集まっている老人や子供、若い女の人達はみんな木の上の方を仰いでいた。


 木の上に一体何があるのよ。視力のあまり良くない私は目を細める。普段はコンタクトレンズを入れているのだけれど、急いで飛び出してきたので当然今は入れていない。


 「あっ……」


 しかしそんな視力の悪い目でも簡単に捉えることが出来た。


 どうやってあんなに高いところまで?私がその疑問を口にする前に、隣のお兄ちゃんから答えが返ってくる。


 「俺が昨日木のぼりを教えたからだ……」


 木の上の方の一番太い枝に花は座っていた。木の幹にギュッと抱きつく形で座っており、木の枝はいつ折れてもおかしくない状況で、普段滅多に泣かない花もさすがに恐いのだろう、表情は固く、今にも崩れそうだ。


こんな時はどうすればいいのか、私は混乱している頭を落ち着かせる。警察? 救急車? けどもし間に合わなかったら?

 

 体の中の血が地面に吸い取られるような、そんな感覚が私を襲う。救助が間に合わない可能性だって0じゃない。いやむしろ間に合わない可能性の方が……最悪の光景が私の頭を過ぎった。それも何度も繰り返され、その光景は白黒からカラーに変わっていく。

 

 救助の人が来る前に枝が折れて、花が落ちてきたら……たとえ救助の人が落ちる前に到着しても、助けられる前に枝が折れてしまったら……


 「桜!」「姉ちゃんやめろよ!」


 最悪の光景の中に、家族の声が割って入ってきた。それと同時に背中と頭に衝撃を感じる。脳が揺さぶられた影響で脳内の光景は歪み、視界が広がり、私は現実の状況を理解する。


 私はどうして上を見ながら倒れているの? 大事にしている髪の毛に土が付いちゃうのに。 どうして手のひらに棘が刺さったような痛みを感じてるの? 私の手の皮が薄いことは私が一番理解してたでしょ。どうして服が少し破けてるの? この前買ったばかりなのに。


 なぜこんなことになってるのよ? その答えは心配そうな周りの目と、「もう無駄なことはやめときな、お譲ちゃん。もうすぐ助けに来てくれるから」という老人の声が教えてくれた。


 そうか、無意識に花を助けに行こうとして木に登ろうとしたけど、手が滑って落ちてしまったんだ。木のぼりなんてしたことなくて、力も無いくせに何やってんのよ私は。けど……けど落ちた痛みはあまり感じてない。私はまだ動ける。


 立ち上がり木の幹をもう離さないように、全力で掴む。やめるように叫ぶ周りの声が聞こえないわけじゃない。けれど私は止まれない。


 そうして上を確認し、力を溜め込むように歯を食いしばった時




 私は表現できない特殊な強さの力で木から引き離された。さらにその力は私を包み込み、背中から温もりが流れこんでくる。




 「頼むからやめてくれ桜」


 


 耳元で響いた声は、私が今までの人生の中で聞いてきたどんな声よりも優しさと


 「やだ……離して」


 「離さない」


 強さを兼ね備えていて、私の溜め込んだ力と私が花を助けるんだという強い想いを根こそぎ攫っていった。


 私は自分の胸の前にある手に自分の手を添える。


 「じゃあお兄ちゃんがなんとかしてよ」


 いつ以来だろうか、私が人に頼ったのは。私は中学生になってから自分の身の回りのことは自分でするようになった。それだけではなく、家事だってお母さんがいないなら女の子の私がやらなきゃと思ってこなしてきた。もちろんだらしない男たちには任せられないというのもあったけど。今では料理も、洗濯も、掃除も全部私がやっている。


 そんな私でもこの状況を打開する力は持っていない。それでも今までの私なら自分でなんとかしようとしていた。だけど今は違う。この手が私の体だけではなく、心も支えてくれている。


 きっとお兄ちゃんなら……


 私はお兄ちゃんの腕を自分の体から解いた。そして手を握ったまま後ろを振り向き、顔を見上げる。


 「ねぇ、シスコンなんでしょ。花は大切な妹なんでしょ。じゃあお兄ちゃんが助けてよ。助けたくても私には出来ないの」


 私は流れてきた涙を隠すために、お兄ちゃんの胸に自分の顔を当てた。


 「お願い……」


 自分でも驚くほどに弱々しく溢れた想いに、お兄ちゃんは私の頭を撫でて応える。大丈夫だよ、と言われてるような気がして、また瞳が熱くなった。そんな力の抜け切った私を自分から離し、私の顔を覗くことなくお兄ちゃんは木にそっと触れ、話しかける。


 「ごめんな、ちょっと妹を助けるために雑に登るぞ。今まで登ったことのない高さだしちょっと恐いから、お前も俺を支えてくれ。“大切な妹”のお願いは裏切れないんだ」


 お兄ちゃんは地面から力強く飛び上がり、木にしがみ付く。そして四肢を全て活用し、凄い勢いで花に向かって登り始めた。もう私は祈るしかない。神様、お兄ちゃんと花を助けて。もう大事な家族を失いたくないの。


 「姉ちゃん大丈夫だよ。兄ちゃんは凄いんだ。昔僕がジャングルジムから落ちた時も、クッション代わりになって助けてくれたし」


 良樹はいつの間にか私の隣に立っていた。その表情はどこか誇らしげだ。


 「それにいつもみんなの前で、 俺は妹が好きだから結婚するなら妹のような女がいい。 って言っているお兄ちゃんに、なんでそんなに堂々とシスコンだってアピールできるの? 恥ずかしくないの? って聞いたことがあるんだ」


 お兄ちゃんは手が痛み始めたのか顔からは徐々に苦痛の色が表れてきているが、途中で止まることも、下を見ることもなく登り続けている。


 お兄ちゃんが登っている間、良樹の語りは続く。


 「そのとき兄ちゃんは僕に言ったんだよ。 好きなものを好きと言うのは当たり前だろ。それに俺はシスコンでいることに誇りを持っている。それは他人から見れば恥ずかしいことかもしれないし、ゴミのように思われることもあるかもしれないけどな。 って」


 お兄ちゃんは花と同じ高さまで辿りついた。周りの人は拍手を送り、「落ちるなよ!」や「がんばれ!」などの声をかけているが、もしかしたら必死なお兄ちゃんの耳には入ってないかもしれない。さっきお兄ちゃんは登ったことのない高さだと言っていた。それを登りきったんだ。私も届いてるか分からない応援を叫ぶ。横にいる良樹も「兄ちゃーーーん!」と大声を出した。


 お兄ちゃんは花に向けて手を伸ばす。


 「おにいちゃん!」


 花も手を伸ばしたけど、叫んだときに少し枝が動いた。


 危ない! 私は花が落ちた時のために花がいる枝の下側に移動する。もし花が落ちてきたら、お兄ちゃんが良樹の下敷きになったように、私が花を受け止める!


 私の動きは反射的なものだった。それなのにその場には私以外にも何人か集まっている。多分みんなも同じことを考えてくれてるんだろう。


 「花! 俺の手を掴め!」


 精一杯伸ばすお互いの手が触れ合う。その瞬間ついに耐えられなくなった枝が折れた。


 その瞬間私は身を構える。落ちてきた人間を受け止めるんだから恐さはある。けれど避けない。絶対に避けるもんか。


 そう考えながらも私は本能的に目を閉じてしまった。私はそっと目を開ける。自分の体に衝撃を感じることはない。落ちた時の鈍い音も聞こえない。


 「うえええええーーーーーーーーーーーん! おにいちゃーーーん! こわいよーーーー!」


 その代わりに聞こえてきたのは妹の泣き声で、その妹はお兄ちゃんの右手にしっかりとぶら下がっていた。私はその光景を見て飛び跳ねる。それは私だけでなく、この場にいる全員がそれぞれ違う形で喜びを表現していた。


 「泣くなって。腕に負担がかかるんだから」


 お兄ちゃんは苦しそうで、嬉しそうで、それでもやっぱり痛そうに言う。そして片手で花を引っ張り上げて強く抱いた。これで後はお兄ちゃんが花を抱えながら慎重に下りてくるだけだ。


 「桜。ちょっとお願いがあるんだけど」


 もう大丈夫だろう。と、救出が成功したかのようにのように騒いでる私を、花を抱えるお兄ちゃんは下を見ないで呼ぶ。お兄ちゃんの腕の中にいる花は私達に手を振ってきていた。


 「なに? もしかして下りれないの?」


 お兄ちゃんそれはダサいよと私は冗談のつもりで言う。さっきの登る勢いと、片手で花を掴んだかっこいいお兄ちゃんを見たんだ。私のお兄ちゃんは凄い。多分恐いものなんて……


 「そうなんだよ。さすがお前は分かってるなー俺高所恐怖症だからさ……それに腕も痛いし。ちょっと助け呼んできてくれない?」


 え? マジで?


 お兄ちゃんはまたしても下を見ないで、理解するのに時間がかかるような衝撃的な発言をした。もしかして今まで下をずっと見なかったのは高所恐怖症だったから!? 私は自分の瞳の光が消えていくのを感じる。きっとこれを幻滅って言うんだよね。


 「もうすぐ救助隊が来てくれるけどそれまで待てないの?」


 「待てないかも。ちょっとそこの家にムキムキのおっさんいるから呼んできてくれよ」


 ふう、この木を蹴って揺らしてもいいかな。花がいなければ絶対に蹴ってる。


 「あーあそこの家の人か。あの人なら今頃ジムに行ってるだろうね。お兄ちゃん力になれなくて悪いねぇ。わしも若いころは……」


 この状況で突然武勇伝を語り出す、白髪でよぼよぼのお爺さんもついでに蹴りたい。お兄ちゃんはそのお爺さんの話をまともに聞かずに、「いえいえすみません。もし今が1950年ぐらいならよかったのになあ」と作り笑いしながら対応している。


 「なあ桜、そこに力になれる奴いないのか」


 「いないわよ、主婦と21世紀では使えない老人しか」


 私の言葉を聞いた人達は「私も昔は可愛かったんだけどねぇ」と一気に意味のない自慢合戦を始めた。それに釣られて「僕だってあと5年経てば」と言い出した良樹の頭にげんこつを落とす。今更気付いたけど、この公園には使えない人間しかいない。


 お兄ちゃんは私の言葉のあと、しばらく黙っている。きっとなにか考えているんだろう。頼むからまともなことであってほしい。


 「なあ桜、俺今から花を守りながら飛び降りるわ」


 10秒ぐらいの時間を使ったお兄ちゃんは、明るい声でそう言い放った。もちろんそれはまともではない。

 

 えっ? ちょっと待って。今飛び降りるって言ったの? この高さを? なんでこの期に及んで発想がぶっ飛ぶのよ! しかも花を守りながらなんて無理に決まってるじゃない!


 「そんなの絶対に駄目だからね! 私は認めないよ!」


 「ふう、飛び降りるのって緊張するな。よく飛び降り自殺なんてできるぜ。俺にはとても真似できないね。まあこれも自殺みたいなもんだけど」


 勝手に報告だけしといて私の言葉は無視!? あれっていつもの止まらないパターンじゃないの! 


 お兄ちゃんは集中モードに入ると人の話は聞かない。そのくせやると言ったら意地でもやろうとする。動き出したら止まらない、暴走男。それがたまに良い方向に向かうから今あそこにいるんだけどね。確実にその良い方向をぶち壊そうとしてるよ。


 「だーーーーめーーーー。聞いてる? だめだよおおおおおおお!」


 「よっし、覚悟を決めた。 花しっかり掴まっとけよ。お前は俺が守るから」


 「うん! おにいちゃんのこと信じる」


 花の信じるという選択は決して間違いじゃないだろう。きっと花はお兄ちゃんによって守られ、傷一つ付かない。けどお兄ちゃんは? さっきからのお兄ちゃんの言葉には、自分も助かるなんて想いは微塵も感じられない。


 命懸け。多分お兄ちゃんの腕は限界なんだ。今にも花を落としてしまいそうで。だから自分をクッション代わりに、花は助けるつもりなんだ。


 私はきつく歯を食いしばる。どうにもできないけどどうにかしたい。さっきはお兄ちゃんに助けてもらったんだ。今度は私が……


 「分かったわ。私が受け止めるからさっさと花を落としなさい。今度は私が頑張るから!」


 私はお兄ちゃんの方を見ながら手を広げる。すると下を見れないはずのお兄ちゃんと目があった。しかも顔は笑っている。

 

 「なにがおかしいの! さっさと私に預けなさいよ」

 

 怯まないわよ。これは勝負なんだ。お兄ちゃんの決意を曲げれるかどうかの。お兄ちゃんが背負っている責任を私が少しでも横取り出来るかどうかの。


 けれどお兄ちゃんは笑顔のままだった。折れない。揺るがない。曲がらない。

 

 「妹に妹を投げて二人ともを危険に曝すような行動が俺に出来ると思うか?」


 ……思わないよ。


 私はその言葉で全てが崩れていくのを感じた。


 思わないけど、お兄ちゃんにも危険は背負いさせたくないんだ。私の考えはきっと我がままなんだと思う。成功率が低いのに私に任せろだもんね。


 けれどお兄ちゃんの聞き方もずるい。思わないって答えたら、当然飛ぶだろうし、思うって答えてもじゃあ見とけと言って飛ぶだろう。それなら私の気持ちはどうなるの? お兄ちゃんは私の気持ちなんてどうでもいいの?


 言い返したいけどさっきの言葉に隙はない。見栄を張ってるわけでもなく、強がってるわけでもない。純粋に思っていることを口にしただけの言葉。それに決意の重さが加わり、私に構えていた腕を下ろさせる。


 私は涙を堪えるために、唇をキュッと結んだ。今は私は泣いちゃ駄目だ。自分の気持ちが通らないから泣くなんてただの駄々っ子だ。私がそんなんだから、お兄ちゃんは私を頼らないんだ。


 私は弱い。心が弱く、幼すぎる。普段の行動ではお兄ちゃんの方が幼く見える。けれどそれは私が大人ぶってるだけだ。


 どうにかしたい。けど私が弱いから……子供だから、お兄ちゃんは聞く耳を持たない。今はそれが悔しくて、辛くて、とても苦しい。


 「いくぞ」


 何も言わない私を置いて、お兄ちゃんは呟いた。花は目をしっかり閉じて、お兄ちゃんにギュッと抱きつく。


 ほんとにこれでいいの? そう思っても私にお兄ちゃんを止めることは出来ずに、「3、2、1……」とカウントダウンは進んだ。そしてお兄ちゃんは大きく息を吸い込む。


 「ストップして!」「待ちなさい」


 しかし急に背後に入り口から聞こえてきた声は、お兄ちゃんの動きを止めた。私達が振り向くと、良樹よりも少し小柄な男の子と、梯子を担いだおじさんが走って来ている。


 えっ? 誰? そんな質問をする暇も与えずに、おじさんは木に梯子をかけて登り始めた。その間に男の子は、「花ちゃーーん、パパをつれてきたよ!」と花にとても嬉しそうに伝える。


 「あっ! しんじくんとしんじくんのおとーさんだ!」


 その言葉で目を開いた花は、そのしんじくんとやらに満面の笑みを送った。その愛しい人に送るような笑みに、「真司(しんじ)おせーよ」と言っている良樹以外の全員がぽかーんと口を開く。


 「花ちゃんのお兄さん、よく今まで頑張った。花ちゃんを私に預けなさい」


 「あっ……はい」


 お兄ちゃんは軽く動揺しながらも、ほっとした表情で花を真司君のお父さんに託した。真司君も真司君のお父さんも私は知らないけど。っていうかこの子がもしかしてさっき迎えに来てくれた子なの? 女の子じゃなかったの?


 そんなどうでもいいハテナが浮かぶほど事態は深刻さを失い、収拾されていく。花を抱いた真司君のお父さんは梯子から下りて花を立たせたあと、梯子を支えてお兄ちゃんに下りてくるように指示した。


 助けられた花は真司君とハイタッチして、手を繋ぎお兄ちゃんのことなんか忘れたかのように、滑り台に遊びに行く。


 「姉ちゃん……あいつはきっと男に狂わされるタイプだぞ。ほら、もう助けてくれたお兄ちゃんのことが見えてない。真司のことしか見えてないんだよ」


 「真司ってさっき迎えに来てくれた子よね? なんでさっきは知らないような態度取ってたの?」


 「多分そうだと思うよ。最近花は真司としか遊んでないし。それは余計なこと言って花と真司にキレられたら困るから。花って家ではあんなのだけど実際はとても恐いんだぜ。僕普通にやられるよ」


 良樹は花と真司君のことをここぞとばかりに批判しながらも、僻むような目をしている。おそらくなんだかんだ言いながらも、異性との楽しそうな様子に羨ましいと思う気持ちがあるのだろう。実際私もそうだ。花のことはあとで叱らなければと思っているけど、その中に僻みがないとは言えない。


 カタっと音がして、お兄ちゃんが下りてきたことを私は知る。お兄ちゃんは自分が助けたにもかかわらずあんな様子の花を見たら、いったいどんな気持ちになるんだろう……


 そう思ったが、お兄ちゃんはやっぱり笑っていた。僻むこともなく、悲しむ様子もなく、ただ嬉しそうに。ああ良かったと言いたげに。しかしお兄ちゃんは私の視線に気付くと表情をわざと歪める。


 「桜、あの男はなんなんだ。許せん。俺の花を……」


 お兄ちゃんは花の方を指さしながら、憎らしそうに近寄って来た。私はそんなお兄ちゃんに飛びつき、抱きつく。


 「お……おい。急にどうした。俺たちはあんな風にイチャイチャすることはできないぞ。それといま腕痛いんだから離せって」


 動揺の隠しきれないお兄ちゃんはあたふたし、少しづつ後ろに下がっていく。心臓が強く打つ音は強く感じられるけどそれはお兄ちゃんのなのか、私のなのか分からない。

 

 私は後ろに下がっていくお兄ちゃんから離れずにくっ付き続けた。動揺してるお兄ちゃんが面白いからっていう悪戯心が半分。喜びからくる無意識が半分ぐらい。そしてほんのちょっとだけの感謝……


 「離せって。みんな見てるから。俺は真司君のお父さんにも挨拶しなけりゃ……」

 

 「別にいいよそういうのは。いつも花ちゃんにお世話になってるしね」

 「やっぱり若いのは元気がいいな」「熱いわねーあの兄妹」


 お兄ちゃんの言葉は真司君のお父さんにより途中で遮られた。老人やおばさんたちの冷やかしもポツポツと耳に入ってくる。それがさらにお兄ちゃんを焦らせているようで、ついにお兄ちゃんの背中はさっきの木にぶつかった。


 「お兄ちゃん……」


 「うん、分かったから。もうお前の気持ちは伝わってるから」


 涙はまだ乾いていない。明日はきっと腫れるだろう。さっき感じた悔しさはもちろん残ってるし

、これからはお兄ちゃんと二歳しか変わらない長女として絶対お兄ちゃんに頼られるようになってやる、と思ってる。けれど今日はお兄ちゃんに救われたのだ。おかげで力不足で衝動的な私が笑ってこうしてる。


 感謝はほんの少しなんだから。今の私はただの小悪魔なんだから。これはただの意地悪で、みんなに見られて恥ずかしそうにしてるお兄ちゃんに、いつもの仕返しをするためにやってるだけなんだから。そう思いながらも浮かんでくるのは感謝の言葉ばかりで……


 「ありがとね」


 私は感謝の言葉を出来るだけ短くするので精一杯だった。それでもわざと上目遣いで……顔を赤らめながら耳元で言ってやったんだから。ほらほらこの変態シスコンお兄ちゃんはまた照れてる。さっき私のこと妹って言ってたの聞き逃してないんだからね。


 お兄ちゃんは顔を赤らめながら、顔を横に向けて口を尖らせている。こんな真っ赤になったお兄ちゃんを見るのは、幼馴染の夏帆(かほ)さんと小学校の時の運動会で手を繋いで走ってた時以来だ。


 「そんな言葉貰ったってな、なにも嬉しくないんだよ。もっとご褒美とかがいいね、俺は。同人誌やら、AVやら、図鑑を返してもらった方が嬉しいよ。それ以上のご褒美をくれるならまあ無かったことにしてやってもいいけどないだろそんなの。お前は金もないしな」

 

 「……ねえ、こっち向いてよ」


 早口で言い切り呼吸を整えているお兄ちゃんに、私は甘ったるい声を出しながらさらに体重をかけた。ご褒美ねぇ。どうせなら人生で最初で最後ぐらいのインパクトが欲しいわ。


 「嫌だ、絶対向かない」


 お兄ちゃんは顔をさらに限界まで逸らす。完全に横を向いているお兄ちゃんからは、私のことは見えていないだろう。もちろん私の方からもお兄ちゃんの瞳を見ることはできない。


 私は顔を少しお兄ちゃんに近づけた。私の耳には必死に落ちつけようとしているお兄ちゃんの呼吸音が入ってきているけれど、お兄ちゃんは気付いていない。そしてそのままゆっくりと近づけていき……


 ばーか間抜け、ご褒美よ。

挿絵(By みてみん)


 私の唇は、初めて他人の肌に触れた。


 「ぶふっ! おまえ! 何してんだよ! 馬鹿か!」


 周りの歓声と拍手の中でお兄ちゃんはほんとに飛び跳ね、私を力づくで退けた。その後何度も自分のほっぺを擦るように触る。その顔の赤さは今まで見たことのない赤さだ。


 この赤さは新記録ね。なぜだか分からないけど少し嬉しい。もう二度とこんなことやらないんだからね。今日はちょっと私の機嫌が良かったからなんだから。それにこれもただの悪戯だし。勘違いはしてほしくないけど……まあ大丈夫よね!


 「お兄ちゃんって素直じゃないね。もっと喜びなさいよ」


 「お前に言われたきゃねーよ!」


 お兄ちゃんは体全体使って抗議しているみたいだけど、涙目で言われても全然迫力がない。もしかしたら私は初めてお兄ちゃんに勝ったのかも。そうか、甘えればよかったのね。これで次からは勝てるかもしれないわ。


 「もう帰る」


 恥ずかしさに負けたお兄ちゃんは拗ねながら、早歩きして帰っていく。その夕日を浴びる後ろ姿はどこか懐かしく、私は小さく笑った。

 





 私のお兄ちゃんが心に携えているシスコンであるという誇りは、他人から見れば汚いモノかもしれないし、ゴミのようなモノなのかもしれない。けれどそんなモノでも困っている誰かを助けるだけの勇気と力を生み出せるのなら……自分や他人を輝かせてくれるのならきっとそれは悪いモノじゃないのだろうと、



 「さあ私も家に帰って料理しなくちゃね。良樹と花も一緒に帰るわよ!」



 私は思う。






                                      一章完

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