ゴミのような誇りもあるんです:2
「こうなったのはお兄ちゃんのせいなんだからね……」
私はお湯が吹きこぼれたせいで火傷してしまった右手をお兄ちゃんに手当てしてもらいながら、左手で涙を拭う。
机を挟んで、私の前では良樹と花がラーメンを食べており、ずずずっと啜る音が響き続けていた。ちなみにラーメンは泣いてしまった私に代わって、お兄ちゃんが作った。
「おねーちゃんかわいそー」
小さい口でラーメンを頬張りながら、花は労わってくれる。黙々と食べ続け、自分の世界に入ってしまっている良樹とは大違いだ。
「だからごめんって言ってるじゃん。大体お前はなんでもかんでも誰が悪いやら、誰々のせいだやら決めようとしすぎなんだって。どっちも悪くないってこともあるの、分かる?」
またお兄ちゃんはごちゃごちゃ屁理屈を言っている。どっちも悪くないって? 怪我してるのは私なんだからお兄ちゃんが悪いに決まってるでしょ! と言ってやりたいけど、今大声を出すとまた涙が出そうだからやめておく。
「はい、できたっと。どうだ? これで良いだろ?」
お兄ちゃんは綺麗に包帯が巻かれた私の右手を見せた。なんでも器用にこなすところはお兄ちゃんの凄いところだ。人間性は論外だけど。
私はお兄ちゃんの目をチラッと見た。今までずっと泣いていたから分からなかったが、一応うだうだ言いつつも反省はしているようだ。情けなく目が潤んでいる。大切な妹の指に火傷を負わしたのだから当然だけど、一応礼儀だから感謝の言葉は言わなくちゃね。お兄ちゃんが可哀想だからね。ほんとはこんなこと言いたくないけどね。お兄ちゃんなんてどうでもいいんだけどね。
「うん。一応ありがとう。助かった……と思う」
そう言いながらもやっぱり恥ずかしくなってきた私は、「ほんとに一応なんだからね! 悪いのはお兄ちゃんなんだから、反省してもらわなきゃ困るんだから!」と付け足しておいた。
だって勘違いされちゃ困るもん。
「はいはい、俺も余計なことを言ってしまって悪かったよ」
お兄ちゃんは頭をぼりぼり掻きながら、目も合わせずに謝ってくる。こういうところが素直じゃないんだから。どうせ謝るなら最初から謝っとけば良かったのに。
「ねえお兄ちゃん、お腹空いてない?今ならお兄ちゃんのも作ってあげるよ」
なんか泣いたらお腹すいちゃったわ。お兄ちゃんのはついでなんだから。
「え、俺のも作ってくれるのか? てかその手大丈夫なのか?」
「任せなさいよ。インスタントの限界に挑戦するわ。あと手は全然大丈夫よ。お兄ちゃんが包帯巻いてくれたしね」
よいしょっと。私は机を支えにしながら立ち上がった。そして大きく息を吸い込む。今度は集中を切らさずにやってやるんだから。お湯を沸かすぐらいで火傷なんてもう二度とやるもんですか。そう思いながら、気合いを入れるために自分の頬を一回強く叩いた。よし行くぞ……
「姉ちゃん気合い入ってるね」
良樹はそんな私に話しかけてくる。良樹の方を見るとすでに完食していて、空いている食器が机の上に置かれていた。ちなみに花ももう少しで食べ終わりそうだ。
「当り前よ!この天下の桜様が、お兄ちゃんのせいとはいえ、お湯で火傷するなんて馬鹿な失敗してしまったんだから。なんとか取り返さなきゃ! 今日の夕飯は期待して良いわよ」
私が小さい胸を張ってそう言うと、良樹はパチパチと拍手をしてくる。お兄ちゃんと花はそんな良樹の様子を横目で流すように見ていた。
「やっぱり姉ちゃんはすげーよ! 今日の晩飯も期待してる。ところでさ」
良樹がそう付け加えた時、お兄ちゃんと花の二人分の溜め息が聞こえる。ところで何よ。夕飯の注文でもあるのかしら。けど今の私になら何でも来いよ! 高級じゃないものなら。
そんなことを考えていた私にとって、良樹の言葉は全く予想できないものだった。
「姉ちゃん食器片付けて」
「……は?」
この家では自分の食器は自分で片付けるというのがルールだ。それを私に片付けろと? しかも怪我してる私に?
ちょっと私の機嫌がいいからってそこに付け込むなんて、そんなお兄ちゃんみたいなことを……
「おい、桜。ヤバそうなオーラが見えるぞ」
「おねーちゃん恐い」
私はぐりんとお兄ちゃんを睨みつけた。あんたがそんなんだから、良樹がこんな風になっちゃたのよ。あんた分かってるの?
私はお兄ちゃんに目で問いかける。そんな私の目を見て、お兄ちゃんと花はブルブル震えていた。一応、そこは理解しているみたいね。
「ギャハハハハ! 兄ちゃんと花はなんでそんな怯えた顔してるの?意味わかんね。で姉ちゃん早く食器持って行ってくれよ」
良樹は私たちの様子を見て、大笑いしながらそんなことを言ってくる。たぶんこいつは状況が分かってない。
「いやよ。自分の食器は自分で片付けるのがルールでしょ。だから自分で片付けなさい」
私はかなり頭に来ていたけど、一応弟だから優しく、笑顔を作った。その笑顔を見てもお兄ちゃんと花の震えは止まってないけど。
「いいじゃん今日ぐらい。たまには優しくしてよ」
こいつ……いつも最大限の優しさを注いでやってるのに。
「あんたね! ん?」
私が怒鳴ってやろうと思い大声を出した瞬間、ピンポーンと家の呼び出し音がなる。誰よこんな時に。お父さんはまだ帰って来ないはずだし、この家に来客なんてほんとに珍しい。私は変態がいるこの家には絶対に来てもらわないし、お兄ちゃんは友達がいない気がするし、良樹もお兄ちゃんにベッタリだし。
「あ、はなのおともだちがきたー」
私が誰なのか考えていると、花が急に立ち上がった。顔は嬉しそうにニコニコしている。
「なに! 花、お前この大樹ツリークラブから脱退するのか?」
花の言葉に一番に反応したのは意外にもお兄ちゃんだった。いつも一緒にいたからそういうことには詳しいと思ってたのに。てかそのクラブの活動内容と所属人数がぜひ知りたいんだけど。
「裏切りだ!裏切りだ!」
良樹、あんたはさすがに同じ学校なんだし知ってたでしょ。そこまで無理してお兄ちゃんに合わせる理由は何なの?
家の中が一気にざわつき始め、お兄ちゃんと良樹はどこからかクラブ名の書かれた旗を持ってきて振りだしたが、花は脱退の意味が分からなかったらしく、ポカーンとしていた。
私もいろいろ聞きたいことはあるけど、それは花が帰って来てからでいいか。
私はお祭りのように騒いでいるお兄ちゃんと良樹をそのままにしといて、花にそっと「早く行きなさい。友達は待たせちゃだめよ」と言って、背中を押す。
すると花は明るく「いってきまーす!」と言って、元気に家を飛び出して行った。
ふぅ……なんだか子鳥の巣立ちを見る母鳥の気分だわ。
私は腰に手を当てて、うんうんと頷く。鳥さん、今ならあなたの気持ち理解できるわよ。なんだか嬉しいような寂しいような、それでいて安心するような……素晴らしいわ! 人間の次はきっと鳥になるわ!
私は数秒間手を翼のようにパタパタと動かした。しかも空を飛んでいる気分で。もちろん我に返った時に赤面してしまったことは言うまでもない。
今のもしかして見られてた!? 見られてたらなんとかして記憶を消し去らないと。私はそっと、さっきまで旗を振っていた二人の方を見る。二人ともさっきまでの元気はどこに行ったのかと思うぐらい、とても静かになっていた。
「えーと、コホン。今から花の脱退に関しての会議を行う」
お兄ちゃんは眼鏡をかけ、ものすごく真剣な顔で良樹と向かい合っている。どうやら私のことなど二人の眼中にはなく、見られてたらなんて心配は無用らしい。今回ばかりは助かった。ちょっとムカつくけど。
「ではまず花の行為についてどう思う、良樹」
「クラブ法で固く禁じられている裏切り行為だと思います」
お兄ちゃんはズレ落ちそうな眼鏡をグイっと上げた。切れ長の眼光が鋭く光っている。
「それお父さんの眼鏡だよね。完全にサイズ合ってないよね」とは口が裂けても言えない。巻き込まれそうな気がするもん。それと良樹、あんたは一度通知表見せなさい。実は花よりも賢いでしょ、あんた。
「そうだな、おまえの言うとおりだ。良樹、クラブ法第5条を覚えているか?」
覚えなくていい、そんなの。いったい何条まであるのよ。
「クラブ法第5条、メンバー以外の友達を作る行為は裏切りとみなし厳しく処罰する。です!」
……ほんと呆れる。果てしなく才能の無駄遣いだわ。
「お兄ちゃんそんな宗教みたいなのやめなさいよ。なんで素直に人の幸せが喜べないの?」
私は口をはさまないと花が危険な目に合いそうという不安と恐怖から、仕方なく自分を犠牲にしてしまった。これで私も巻き込まれてしまうのね。そう覚悟した私だったのだが、その覚悟は一瞬で砕かれる。
「うるせえ! 外野は黙ってろ!」
ここまで来たら巻き込んでもらわないと逆に困るんだけど……なんでどうでもいい事には巻き込むのに、こういう時に巻き込んでくれないの?
「兄ちゃん、もしかしたら姉ちゃんは仲間に入れてほしいんじゃない?」
なんでそうなるのよ。こんなのに入るぐらいなら、冗談抜きで人間やめて鳥になるわ。私は手をパーにして、良樹の頭を軽く叩いた。
「兄ちゃん、敵が攻めてきました!どうしたらいいですか!」
攻めてきたって軽く頭叩いただけでしょ。いちいち大袈裟な。本気で殴ったら地球が潰れそうな勢いね。
「構ってちゃんは放っておけ。今はそれどころじゃない」
「別に構ってほしくないわよ。勝手にやってなさい」
構ってちゃんはあんたでしょうが。そうだ、そろそろごはん食べなきゃ。もうお兄ちゃんの昼ごはん作ってあげないんだから。私は良樹の食器を持ち、呆れ顔でキッチンへと向かう。ラーメンは面倒だから、ごはんにふりかけでいいか。
「花への処罰は、1分間こちょこちょの刑だ。それにしても悲しいな……」
その程度の処罰で助かるなんて意外と可愛いわね。もし私だったらそのクラブ法とかいうやつを破り続けるよ?
「そうだね、こうやって一人、また一人と減っていくんだね。ぼく悲しいよ」
私からしたら花が抜けてくれてとても嬉しいけどね。
ごはんを入れ、必死に温め続ける電子レンジを見ながら脳内でツッコミを入れる。そしてそれはすぐに温め終了の音を立てた。
「良樹、悲しみを紛らわすために一緒に樹木図鑑を見ようか。昨日新しいやつを手に入れたんだ」
「うん。そうしよ! さすが兄ちゃんだ」
お兄ちゃんは何故か樹木に興味を持っており、結構分厚い樹木図鑑を集めている。いわゆる趣味というやつだけど、この調子なら良樹も興味を持っちゃったみたいね。
「そうだろ? 6000円もするんだ。いつも言ってるけど、俺がいない間に勝手に見るのは無しだからな。隠してあるから見つけられないと思うけどな。じゃあちょっと部屋から取ってくる。ここで待ってろよ」
お兄ちゃんは結構いろんな物を買ってくるから、お金はどこから出ているのかといつも警戒しているけど、家の生活費が勝手に減っていたなんてことは一度もない。
お小遣いも月に3000円しかもらってないはずなんだけど……私はごはんをパクっと口に入れた。うん、おいしい。何かが引っかかったような気がするけど。