壊れなかった日常
再会の朝から、
特別なことは何も起きなかった。
驚くほど、何も。
同じ時間に出勤し、
同じ場所で仕事をして、
同じように一日が終わる。
会話も、必要な分だけ。
視線も、長くは続かない。
どこにでもある、普通の距離。
けれど。
以前とは、わずかに違っていた。
彼はもう、彼女を避けなかった。
近づきもしない。
特別扱いもしない。
ただ――
そこにいることを許していた。
自分の中で。
それだけの変化が、
彼には大きすぎるほど大きかった。
彼女も何も変えない。
優しさの量も、
言葉の温度も、
距離の取り方も。
踏み込まない。
急がない。
確かめない。
それが彼を守る方法だと、知っているから。
昼休み。
偶然同じ給湯室に入っても、
短い挨拶だけで終わる。
以前なら重かった沈黙は、
今はただ静かなだけだった。
彼はときどき、
自分でも気づかないほど小さく息を吐く。
緊張でも、安堵でもない。
崩れずにいられていることを
確かめるような呼吸。
何も進んでいない。
距離も、関係も、そのまま。
けれど。
壊れていない日常が、
一日、また一日と積み重なっていく。
外から見れば、退屈な時間かもしれない。
物語らしくもない。
ドラマもない。
それでも。
彼にとっては、
ここがいちばん怖くて、いちばん大切な場所だった。
近づけば壊れるかもしれない。
離れれば、もう戻れないかもしれない。
だから彼は、
この何も起きない距離にとどまる。
彼女は、待っているわけではない。
引き寄せもしない。
試しもしない。
ただ、同じ場所に立ち続ける。
それだけで十分だと、知っている。
夕方。
静かなフロアで、ふと視線が合う。
再会の朝より、
少しだけ自然な目線。
彼は小さくうなずく。
言葉にならない、
ここにいますという合図のように。
彼女も同じ大きさでうなずき返す。
大丈夫ですよ、と
声にしないまま伝えるように。
本当に、それだけの一日。
けれど。
何も起きなかった今日が、
彼の中で静かに形を変えていく。
怖さではなく、
続いていくかもしれない時間として。
まだ関係は動かない。
それでも。
止まっていたものが、
見えない場所で、
ゆっくりと呼吸を始めていた。




