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もう一度、扉の前で

回避は続いていた。


長く、静かな時間。


彼は必要なことだけを話し、

視線も長くは合わせない。


けれど、完全に閉じてしまったわけではないと、

彼女には分かっていた。


同じ空間にいれば、

ふとした瞬間に揺れる気配がある。


何かを言いかけて、やめるような。

近づきかけて、留まるような。


その迷いを、

彼女は見ていた。



好きになっている。


それを、もう疑っていない。


特別な出来事はない。

劇的な言葉もない。


ただ――


誠実だった。


不器用で、

言葉は少なくて、

けれど嘘がない。


その静かな在り方が、

心に残っている。



このままでもいい、と

思わなかったわけじゃない。


同じ職場で、

同じ日常を過ごす。


穏やかで、壊れない距離。


けれど。


それでは足りないと、

どこかが知ってしまった。



あの日のコーヒー。


短い時間。

静かな会話。


思い出すと、

胸の奥がやわらかくなる。


同時に、

あれきりになるかもしれない時間だとも、

分かっていた。



待つだけでは、

変わらない。


追い詰めない形で、

もう一度だけ

扉の前に立つ。


開けるかどうかは、

彼が決めればいい。


ただ――

ここは怖くないと、

伝えることはできる。



昼休みの終わり。

人の少ない廊下。


ほんの少しだけ、勇気が要った。


彼が歩いてくる。


視線が合う。


一瞬。

それだけで、鼓動が強くなる。


けれど、逸らさない。


「……あの」


声は、思ったより落ち着いていた。


彼が立ち止まる。


逃げ道を残す。

重くしない。

でも、曖昧にも逃げない。


「この前、体調まだ万全じゃなさそうでしたよね。」


彼は少し驚いた顔をして、

それから小さく頷いた。


「……大丈夫です。」


短い返事。


それで会話は終わるはずだった。


彼女も、

それ以上踏み込むつもりはなかった。


けれど――


次に続く言葉が、見つからない。


本当は、

これだけを言いに来たわけじゃない。


体調を気遣うことは、きっかけでしかなかった。


胸の奥で、

あの日のコーヒーの時間がよみがえる。


あの静かな空気。

あの距離。


もう一度、

同じ場所に立ちたい。


その思いが、

思っていたより強くあふれてくる。


迷う。


ここで黙れば、

何も壊れない。


今まで通り、

安全な距離に戻れる。


けれど。


それでは足りないと、

もう知ってしまっている。


彼女は小さく息を吸った。


「……もしよかったら」


声が、ほんの少しだけ揺れる。


「また、コーヒーでもどうですか。」


言ってしまってから、

心臓が強く鳴った。


うまく繋がっていないのは分かっている。


でも。


これが今の精一杯だった。



静かな沈黙。


長くはない。

けれど、長い。


彼の瞳が揺れる。


迷い。

戸惑い。


そして――

消えていない温度。




「……はい」


かすれた声。


けれど今度は、

前より少しだけ

目が逸れなかった。



胸の奥に広がった安堵を、

彼女は外に出さない。


ただ、

いつもと同じように頷く。


「じゃあ、また出勤前に」


それだけ。


振り返らない。

確かめない。



歩きながら、

胸の奥に小さな光が灯る。


前より、

少しだけ強い。


消えるかどうかは、

まだ分からない。


けれど――


今は、

確かにそこにある。


静かな、

希望のようなものが。


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