揺れない灯り(彼女視点)
次の日の朝。
昨日と同じ時間に家を出て、
同じ道を歩く。
空気は少し冷たくて、
でも心は不思議と軽かった。
思い出すのは、
コーヒーの湯気と、
向かい合っていた時間。
胸の奥に、
小さな灯りのような温かさが残っている。
それだけで、
十分だったはずなのに。
会社に着いて、
自然に彼の姿を探している自分に気づく。
――あ、もう来てる。
ほんの少しだけ、安心する。
昨日と同じように
「おはようございます」と
声をかけるつもりで近づいた。
そのとき。
彼は、
ほんのわずかに視線を外した。
気のせいと言えるほど、
小さな動き。
でも――
確かに、距離があった。
挨拶は、いつも通り返ってくる。
丁寧で、静かな声。
何も変わっていない。
そう言い聞かせられる程度には、同じ。
それなのに、
どこか遠い。
透明な膜が一枚、
二人の間に戻ってきたみたいだった。
胸は、不思議と痛まなかった。
代わりに浮かんだのは、
疑問でも不安でもなく――
理解に近い感覚。
――ああ、戻ったんだ。
昨日が嘘だったわけじゃない。
むしろ、
本当だったからこそ。
少しだけ、
怖くなったのかもしれない。
だから彼女は、何もしない。
距離を詰めない。
問いたださない。
寂しさも見せない。
ただ、
昨日までと同じ場所に立つ。
変わらない声で。
変わらない距離で。
それでも――
彼の姿を、目で追ってしまう。
声が聞こえると、
無意識に反応してしまう。
昨日までは
ただの「気になる人」だった。
でも今日は、
もう少しだけ違う。
好きになった直後に訪れる、
静かな距離。
こんなにも早く来るなんて、
思っていなかった。
少しだけ、苦笑いしたくなる。
でも。
嫌じゃなかった。
遠ざかったわけじゃない。
ただ、
彼は自分の速さで歩く人。
近づいたら、
一度立ち止まる。
それを知っている。
だったら。
待てばいい。
無理に近づかなくても、
この人はきっとまた――
自分の足で、
少しだけ前に出る。
そう思えたとき、
胸の奥の灯りは
消えるどころか、
わずかに強くなった。
静かで、揺れない光のまま。
彼女は今日も、
何も変わらない顔でそこにいる。
彼が、
安心して戻ってこられる場所として。




