第2話
ピアリスは美しく微笑んで言う。
「長尾様には、本船にご乗船の皆様とご一緒に、地球到着予定時間へ回帰なさる事をお勧めいたします」
「俺も!? けど、俺は戻れないはずじゃ……」
俺の乗っている宇宙観光船ピア・オデッセイ号は、現在、火星の周囲をゆっくり周回しながら地球本社からの救援物資を待っている。
こうなった原因は、宇宙ゴミとの衝突で燃料タンクに大穴が開いたからだ。
穴自体はすでに修復しているが、燃料の大半を失った船では地球圏までの航行は不可能な状態だった。
幸か不幸か、火星の引力に捉われたこの船は火星からつかず離れず、地球とは390日程度で離れたり遠ざかったりを繰り返しているため、タイムラグはあるが地球との通信は維持できている。
乗員には怪我もなく、必要最低限のメンテナンス要員以外はコールドスリープに入った。
後は本社からの救援物資……燃料と復路分の食料品さえ届けば、ピア・オデッセイ号はつつがなく地球へも帰還できる。
本社は俺達の状況に対し『緊急性なし』として宇宙保安局への救援を要請しなかった。
おそらく、導入したばかりのこの観光船に事故歴を作りたくなかったのだろう。
500人乗りの本船に現在乗っているのは、69人のクルーも入れて498人だ。
そのうちの497人はコールドスリープカプセルで眠っている。
つまり、この船で起きている人間は俺1人だけだ。
一昨年まではメインパイロットの東さんとメカニックの俺の2人体制だったが、一昨年11月の火星最接近時に予定していた支援物資の積み込みが会社の都合で延期になったせいで、残り2年間の2人分の食糧確保が難しくなり、東さんが眠りについた。
東さん自身は「責任者としてメインパイロットの自分が残る」と言ってくれてたんだが、毎日の作業は船内の整備やメンテナンスだし、事故前には45歳で当時47歳の有能パイロットの東さんが49歳になるより、26歳の俺が28歳になる方がマシだろうということで、俺が説得した。
正直、船の運行管理は基本的にピアリスがしてくれてるので、燃料が来るまでの間パイロットの仕事はないしな。
事故の後にコールドスリープに入った乗員は、全員当初の着港予定の日時に合わせて時間を巻き戻して下船する予定になっている。
これが、うちの会社がこの船の回収を急がない最大の理由だ。
宇宙旅行が流行りだしたすぐ後に確立された『タイムバック技術』は、現在、政府によって厳格に管理されてはいるが、今回のようなケースに限り過去に戻ることが許されており、既に過去に何件ものタイムバック実績がある。
現在の宇宙旅行の保険には、全てタイムバック保証が付いているほどだ。
とはいえ、それは下船予定時刻より早くコールドスリープについた者にのみ適用される保証で、俺や東さんのように長く船内活動をしていた者には適用されない。
なぜなら、下船時刻より先の時間に得た情報や知識で、未来を変えてしまう可能性があるからだ。
そのため、俺と東さんはタイムバックすることなく、実際の下船時刻で地球に戻されるはずだった。
「大丈夫です。このような場合に備えて、長尾様には情報の取得制限を受けていただいておりましたので」
そういえば。と俺はずっと前の会話を思い返す。
予定していた下船時刻まであと数日という頃、俺と東さんは、ピアリスに情報取得制限についての同意を迫られた。
何でも、天気や経済、芸能やスポーツに至るまでのあらゆる現実情報をシャットアウトすることにより、俺や東さんの家族に何かあった際等、特殊な事態に限りタイムバックを適用できる可能性が残されるらしい。
俺はニュースにも芸能にも対して興味がなかったので、気軽に情報規制を受け入れた。
東さんは随分と悩んでいたようだったが、地球に残してきた家族に万一があった時のためにと渋々受け入れていたな。
「……しかし、俺はロボワの情報を色々と知ってしまっているが、いいのか?」
俺が尋ねると、ピアリスは優雅に微笑んで答えた。
「シミュレーションによりますと、長尾様が取得なさったゲーム情報により歴史改変が行われる可能性は0.001%以下です。また、非現実である創作物の情報に関しましては規制対象となっておりません」
ふむ……。
それは確かに、そう説明されて俺はロボワで遊ぶ許可を得たわけだしな。
それにロボワは4年後には終わるゲームだ。
サービス終了は寂しいが、長く続かないサービスなら俺が2周目でちょっとくらい違う事をしたところで大きな影響はないだろう。
「ですが、長尾さんがタイムバックなさる場合、一つだけ問題が発生します」
ピアリスの表情がふっと真剣になる。
「なんだ?」
俺は緊迫した空気に思わず息を呑む。
「実年齢と戸籍上の年齢との差異です」
何だ、そんなことか。
「それくらい構わないさ」
「それにより、当社における勤務年数が実質的に増える可能性があります」
「ああ、まあいいんじゃないか? むしろ巻き戻り分の給料ももらえるってことなら、俺が得をするような気もするが」
ピアリスはその後も色々と細かい説明を繰り返し、俺にタイムバックによるメリットとデメリットを徹底的に教え込んでから、確認と同意を求めてきた。
俺はもちろん全力で同意した。
だって、そうすりゃ俺も4年前の地球に帰って4年間はロボワができるんだろ!?
元々サービス開始時期にはこの船の乗船が決まってて、スタートダッシュは泣く泣く諦めたが、リリース月の終わりからは快適な通信状況下で遊べるなんて!!
いや、出発時点での予定通りではあるんだが、ここで3年半ロボワを楽しむ地球の奴らを羨ましく眺めていた俺には、まるで夢のような提案だった。
「長尾様、急激な血流増加と体温上昇がみられ……」
「すっっっっげぇ嬉しいよ! ありがとう、ピアリス!!」
俺は思わず叫んだ。
ピアリスは本当に驚いたような顔をして、それから、嬉しそうに微笑んだ。
「長尾様に喜んでいただけて、私も嬉しいです」
「ロボワが4年で終わるゲームだって構わない。
その間、今までできなかったあれそれを思いっきり楽しむぞ!!」
腕を突き上げた俺に、ピアリスは拍手をくれた。
支援物資が届くのは火星が地球に近付く11月19日付近だ。
そこから地球に着くまで約30日。下船は12月20日頃になるだろう。
11月末のサービス終了からそれまでの間に、戻ってから何をするべきか計画を立てておこう。
タブレットとペンを取り出した俺に、ピアリスが忠告する。
「到着予定時刻以降に入力されたデータは、完全消去となりますがよろしいですか?」
「ああ、大丈夫だ。終わったら消しとくよ」
ベース機体はあれだろ、けどあれはまだ4年前には無いはずだから、リリース当初の機体だと……そうだな最初はあっちをベースにしよう。
だとすると、まずはあそこにあれを取りに行って……。
やることは山ほどあるからな。
次々に書き出しながら、優先順位をつけて、頭の中に詰め込む。
『記憶を消す技術』なんてものがまだこの世になくて助かった。
まあ、これもそのうち実現しそうな気はするが。
「長尾様、お楽しみのところ申し訳ありませんが、そろそろお食事のお時間です」
「ん? もうそんな時間か。教えてくれてありがとう、ピアリス」
俺はいつの間にか増えに増えた作業工程表を俯瞰して一息つくと、タブレットを机に置いて立ち上がる。食事はここでも取れるが、食堂に移動して食べることにしている。
そうでもしなきゃ仕事以外ずっと部屋に篭もっちまうからな。
俺一人だと仕事時間外の生活が不規則になりがちだったので、ここ1年半はピアリスにスケジュール管理を頼んでいる。
「……いや、お楽しみってなんだよ。俺、そんな楽しそうにしてたか?」
「はい、とても。お知らせで水を差してしまうのが申し訳ないほどでしたよ」
そう言ってクスッと笑うピアリスは、この数年でずいぶん人間味が増してきた気がする。
「そっか。なんかちょっと恥ずかしいな。これも全部ピアリスのおかげだよ」
俺の言葉に、ピアリスは嬉しそうに微笑んだ。
「そうだ。今の俺がうつ病になる可能性はどのくらいだ?」
ピアリスは少しだけ考えてから「7%ほどですね」と答えた。
「0%じゃないんだな」
まあ0%は流石にないか。どんな人でもうつ病になる可能性はあるだろうし。
ピアリスは俺の言葉に、小さく首を振ると細い人差し指を立てて言った。
「このような状況下で一人きりで船内活動をなさっている方としては、驚くほどに低い数値ですよ?」
「ハハッ、そっか。そりゃ良かった」
俺は、食堂に向かう長い通路を歩きながら、両手を組んで伸びをする。
書き始めたらつい止まらなくなってしまったが、計画を立てるのは今じゃないな。
今はまだ、サービス終了までこの環境下でできるだけのことをしよう。
俺は、明るい未来を描きながら天井を見上げた。
***
それから半年。
俺たちの乗ったピア・オデッセイ号は無事地球に戻ってきた。
宇宙港での初めてのタイムジャンプは一瞬の無重力感にちょっと目眩がしたくらいで、俺は大した実感もないまま4年前の地球に回帰した。
東さんを除いた船員68名は、本社での健康チェックと聞き取りの後、いくらかの書類仕事を済ませてほぼ全員が定時で帰宅した。
一人暮らしの自宅の玄関ドアを開けると、見覚えのある廊下と扉が見えた。
「家はあんま変わってないか。こっちじゃまだあれから70日ちょいしか経ってないもんな」
俺にとって4年ぶりの自宅は、家具に少し埃が積もった程度の変化しかなかった。
俺は初期化しておいたVRゴーグルをネットワークに繋ぐと、ロボワをインストールさせながら、荷解きと掃除を済ませて、コンビニで買った夕食をかっ込む。
あとは寝るまでロボワの時間だ!!
おっと、もうピアリスはいないんだし、うっかり深夜までやり過ぎないように寝る時間にアラームが鳴るようセットしておくか。
……これでよし、と。
「行くぞ! ラグくないロボワの世界へ!!」
俺は気合いと共に早速VRゴーグルをかぶる。
ロボワのタイトルから、ログインしてローディングに入る。今までならここからホーム画面までに数分から45分ほどかかっていたが、地球では3秒と待たずにホーム画面が表示された。
「おっ、すっげぇ早ぇ!!」
こんな時、今までなら隣でピアリスが「良かったですね、長尾様」と声をかけてくれてたな。なんて頭の隅で思う。
後半の2年はほとんど俺とピアリスの二人きりだったからな。
気づけばいつも、ピアリスは俺の隣にいた。おそらく話し相手のいなくなった俺のために、ピアリスはなるべく俺の側にいてくれたんだろう。
そのせいだろうか、つい独り言を口にする癖がついちまったな。
一人の部屋が少し寂しく感じないこともないが、部屋の外から聞こえる都会の喧騒に、この地に生きる人々の気配を感じて、俺は地球にいることを再確認する。
ピアリスはあの船の専用ガイドだから、またあの船に乗るときには会えるだろう。
俺は、ホーム画面から更新情報や不具合情報の確認をする。
これだって、今まではそう簡単に覗けなかった画面だが、今なら気軽にチェックできるな。
ミッション報酬の受け取りも都度できるし、ショップもいくらでも覗き放題だ。
俺が無意味にショップ内のページをめくっていると、ポンとメッセージ通知が来た。
『先輩お帰りなさいっス! 今回はお疲れ様っス!』
お。芦谷か。職場の後輩の芦谷は、今月1日のサービス初日からロボワを始めたのはもちろん、リリース前の先行登録もしていたくらい、俺と同じくロボ好きで、このゲームを楽しみにしていた奴だ。
だがこいつは3周年くらいの頃から、ロボワにログインしなくなるんだよな。
俺はゲーム内チャットもオンライン表示も制限されてたから、理由を聞くことはできなかったが、飽きたのか、それとももっと他に面白いロボゲーを見つけたのか……。
今回のピア・オデッセイ号の事故は一般社員には知らされてないので、発言には気をつけないとな。
『おう、ただいま。お前は元気にしてたか?』
『もっちろんっ! 風邪ひとつひいてないっス! 今通話大丈夫っスか?』
『ああ』
相変わらず元気だな、なんて苦笑しながら芦谷善人……ゲーム内ニックネーム『ゼン』のプロフィールを開くと、プレイヤーレベルは20になっていた。
コール音に応えると、サイドディスプレイにゼンとの通話画面が表示される。
「そっちは随分レベルが上がってるな、羨ましいぜ」
残念なことに、リリースから15日経った今日の時点で、俺のレベルはまだ7だ。
「しょーがないっスよ、先輩は今日までずっと宇宙だったんスから」
ゼンはそういって励ましてくれるが、それでも、本当に俺がこの日に地球へ帰ってきていたなら、帰路では地球との距離も徐々に近付いて、もう少しレベルも上がってたはずなんだよな。
俺のデータは帰還予定日まで火星の辺りから地道に少しずつ初心者ミッションを進めていた頃の状態に戻っていた。
機体やアイテムの一覧には、今まで俺がピア・オデッセイ号でコツコツ4年間改造を繰り返してきた愛機も、集めた資材も残っていない。
いや、ここにはそんなもの最初から存在しないんだよな。
とはいえ、ここは残念がるとこじゃない。
俺は、今日から地球でロボワを始めるんだ!!
「じゃあ俺はひとまず初心者ミッションを終わらせてくるよ」
「あ、先輩はまだ初心者ミッション中なんスね。終わったら声かけてほしいっス、オレ先輩のレベル上げ手伝うっスよ!」
「ああ、ありがとな、また後でな」
そう言って通話を切った俺は「っしゃぁッ!!」と思わずガッツポーズする。
4年間ずっと憧れて、でもずっとできなかったPTプレイが早速できる!!
何気に通話もロボワでは初めてだったしな!
こんなに興奮したら、船だとピアリスがすっ飛んできて血圧がどうのとか言ってたな。なんて思いながら、俺はしっかり頭に叩き込んだ『最高の機体を組み上げるまでのロードマップ』を脳内で広げると、スタート地点を確認する。
「待ってろよ、すぐに追いつくからな!」
俺は手早く機体メニューを開くとベース機体を変更して、セッティングを精一杯の水中装備に変更する。
すぐにステージメニューから、残りのミッションを達成しつつ目当てのアイテムを拾える海底ステージを選択して出撃ボタンを押した。
8秒ほどのローディングの後、俺の目の前には限りなく広がる海が現れた。




