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灰の聖夜

第9話 「灰の聖夜」


1944年12月24日――

灰色の雲が日本列島を覆う中、広島に「新たな光」が降った。クリスマス・イヴ。だがその光は、祝福ではなく死の閃光だった。

東京・有楽町の駅前では、凍てつく空気の中、号外を手にした人々が足を止めていた。

「……広島に正体不明の爆弾投下……街壊滅……」

新聞の活字はにじむように震え、耳にした誰もが動きを止める。すでに焼け跡となった東京で、なお人々は「次」の恐怖に震えていた。

「また魔導か……いや、違う……」

「違うよ。これ、"光"が地上からじゃなくて、空から落ちてきたんだってさ。しかも、音も風も、何もないのに全部が燃えたって……」

呆然とする市民の中に、誰かが低くつぶやく。

「これは……もう、終わりかもしれねぇな……」

その一言が、静かに街の空気を凍らせた。


一方その頃、永田町の首相官邸では、広島からの最初の報告に基づく緊急会議が開かれていた。

大本営から届いた報告電には「広島市壊滅。被害甚大。通信全断。爆発後、放射性物質の兆候らしき観測あり」と簡潔に記されていた。

「これは――魔導ではないな」

小磯国昭首相が呟いた。軍人出身らしい重々しい声音に、誰もが言葉を失う。

「軍の報告書によると核兵器ということらしいですな。米国の報復と見るべきでしょう」

重光葵外務大臣が冷静に分析する。眼鏡の奥の瞳は静かに燃えていた。

「我々が密かに研究していた兵器と同種。魔導以上の破壊力を持つ"科学"の力だ。だがそれを、まさか軍需工場が多く軍事の街とはいえ民間人のいる都市に投下するとは」

「――それも、聖夜に、だ」

小磯は天井を見上げた。

この夜、都市を照らす光はイルミネーションでも祈りでもなく、灰と火の閃光だった。

「この一撃が意味するものは明白だ。敵は、本気で我が国を滅ぼすつもりだ」

「ならば――講和を」

重光が立ち上がった。声は低く、だが確かな響きをもっていた。

「我が国には、まだ魔導がある。しかし、それは"守るための祈り"であるべきです。核という暴力に対抗してさらなる暴力を選べば、それは日本の魂を失うことになる。今、講和に動くべきです。これは千載一遇の好機であり、最後の機会でもある」

「……」

小磯は黙したまま、書面に目を落とす。そこには「スイス・ベルンにおける非公式接触の模索について」という外務省の報告があった。

「スイスへの使節団は?」

「既に派遣済みです。ベルンの外交ルートを通じ、米英両国に講和の意志を示す準備が整いつつあります」

「……戦争を終わらせねばならん」

その一言に、室内の空気がわずかに変わった。

しかし、彼らがまだ知らないのは、大本営が未だ講和に同調していないという事実だった。

魔導の力、そして国民の士気。戦況は好転したばかり。だが、現実は――もはや、戦争に耐える余裕など残っていなかった。

クリスマス・イヴ。

世界が静かに祝いを迎えるこの夜、日本には、灰と死と沈黙が降り積もっていた。


東京・市ヶ谷。大本営地下指令室。

原爆投下の一報が最初に届いたのは、9時過ぎだった。広島の基地、通信網、軍の中継所、すべてが沈黙した。

昼過ぎには機密通信を扱う技術将校が異常な輻射を示す観測報告を持ち込み、事態は一変する。

「これは、核爆弾です」

科学戦部所属の海軍技術少佐が断言した。

「確証は?」

「熱量、爆発中心からの放射状の破壊、残留輻射反応……全てが一致します。加えて……この報告を」

彼が差し出したのは、昭和十八年、米国マンハッタン計画に関する傍受記録の断片だった。そこには「超新型兵器の開発」「ウラン235」「critical mass」といった不穏な単語が並ぶ。

「アメリカは、完成させたのか……あの兵器を……!」

陸軍参謀・片桐少将は眉間に深く皺を刻んだ。

「信じられん……我々はまだ実験段階にすら至っていないのに……!」

空気が重く沈んだ。

その中で、速水中佐が静かに口を開いた。

「魔導の力が戦局を優位にしたと確信した矢先、この一撃。あの爆弾は、我々の祈りへの返答です。神を冒涜した者への――冷酷な回答でしょう」

その言葉に、一部の参謀は顔をしかめた。

「祈り」と呼ぶには、あまりに軍事的過ぎたのは事実だった。

「だが問題は、ここからだ」

参謀本部の作戦課長、南原少将が全体に向けて口を開く。

彼の声は冷徹でありながら、揺らぎを含んでいた。

「核兵器を使用された以上、我が国も次の一手を考えねばならない。我が軍には、魔導戦略兵器ヒノカグツチがある。これを再び用いれば、敵基地――フィリピン、パラオ、トラック――いずれも射程圏内だ」

「再使用をお考えか?」

反問したのは陸軍情報部長の長岡准将。彼はやや険しい目で南原を見据える。

「速水中佐の報告をお読みになったか? 神崎真――あの魔導士は、戦術的祈祷であれば一日数度が限界。戦略級の発動には、日単位での精神回復を要する。頻繁な行使は命の保証すらできぬ」

「それでも、国を守るためには――」

「……守るための力を、使えば使うほど、国は壊れていくかもしれませんな」

会議室には沈黙が落ちた。

そして、誰かが呟いた。

「――講和だ」

その一言が、議論を二分した。

「講和など、いま言えば我が国の敗北を認めることになる」

「だが現実に、広島は失われた。魔導も、核の前には無力なのではないか?」

「違う。我々には、まだヒノカグツチがある。次なる攻撃で、敵の中枢を撃ち抜くこともできる。講和はその後でも遅くない」

軍の中で、明確な分裂が生まれた。

――講和を望む者。

――攻勢を継続し、敵を叩き潰すことで優位に立とうとする者。

そして、そのはざまで黙して座る者たち。

「神崎真は?」

「今のところ問題はない。だがそもそも発動は、本人の意志次第だ。軍命をもって強行することは……困難だろう」

「ならば、策をこうずるまでだ。」

速水中佐はその場で立ち上がる。

「神崎の意志を捻じ曲げることはできません。彼の祈りは"願い"でなければ発動しない。魔導とはそういう力だ。あれは――ただの兵器ではない」

その言葉に、一部の軍人は歯噛みした。

――もし祈りに応じぬなら。

――魔導士そのものを制御できぬなら。

いっそ、他の適正者を探し、国家が完全に魔導を掌握すべきだ。

その暗い考えが、幾人かの胸中に静かに芽生えていた。速水中佐は京都に引き返した。これ以上の議論はできないと考えたからだ。

広島が消えたという現実は、軍の多くの人間の判断を鈍らせていた。


昼過ぎからも大本営会議室の空気は、もはや冷静とは程遠かった。


「奴らは核兵器を用いた!それに報いるには、我らも戦略魔導を用いる他あるまい!」


声を張り上げるのは陸軍内の強硬派、大館中将だ。

彼は顔を紅潮させて拳を机に叩きつける。


「米軍の進出拠点を潰せ!パラオ、トラック、フィリピン……すべて焼き払えばいい!」


「だが神崎少佐は――」

参謀の一人が口を挟んだ瞬間、大館は目を細めた。


「魔導士が国家命令を拒否するなど前代未聞だ。我々が命じれば、それに従うのが当然だろう!」


「……神崎の魔導は”祈り”によって発動する。形式的な命令では力にならん。ましてや、その祈りに正義がなければ、決して」


割って入ったのは、長岡准将だった。

その声は落ち着いていたが、内側には苛烈な憤りが込められていた。


「神崎を酷使すれば、いずれ精神が壊れる。貴重な我が国の戦力を簡単に決めてもらっては困る。情報部としては政府や陛下のご聖断を扇ぐ必要があると考える。」


一瞬、場が静まった。


「では代わりのものはいないのか!!」


低く、冷たい声が響く。

科学戦部の一人が口を開いた。

魔導技術の一部を担う石田博士。彼は白衣のまま、大本営会議に出席していた。


「現在、神崎以外にも高位の魔導適正者を選抜・訓練中です。まだ神崎ほどではありませんが……適正C以上の者が十数名、戦術魔導の実戦投入は十分に可能です。しかし戦略的な魔導攻撃には適正が足りません。」


「ようは神崎しかいないということだろう。ご聖断を仰いだ上で攻撃を実施すれば良い。」


大館は今までのトーンをそのままに席に座った。何かを考えるように。

長岡はそれを不審に感じつつも何も追求しなかった。しかし、陸軍参謀本部の議論はこれからも反撃を行う体で進んでいった。



その頃、陸軍魔導研究所・別館。


神崎真は、療養室の窓辺に座っていた。

顔色はまだ完全には戻っていないが、目には確かな光が宿っていた。


「……核、か」


遠くから聞こえる鐘の音が、静かに冬の空気を切り裂く。


桐原が扉を開けて入ってくる。


「神崎、調子はどうだ?」


「まあ、まだ頭がボーっとしてますけど。速水中佐は?」


「本営会議の最中だ。今夜には戻る。」


そう言って、椅子を引いて神崎の向かいに腰を下ろした。

そして、ぽつりと。


「……また、ヒノカグツチの使用が議題に上がってる」


神崎は目を伏せた。


「そうでしょうね。核を使われたんじゃ、軍人は反撃したくなる」


「君は、どうしたい?」


神崎は少しだけ考えて、それから静かに言った。


「祈りは――誰かを守るためのものだと思いたいんです。戦争を続けるためじゃない。まして、利権のためでもない」


その言葉に、桐原は頷く。


「研究所でも意見は割れてる。君の言う通り、祈りを尊いものと考える者もいれば……ただの力として、政治の道具にしようとする奴らもいる」


そこへ、ドアが乱暴に開いた。


「神崎!」


荒い息をついて現れたのは、同じく魔導育成課出身の一人――葛城大尉だった。

彼は額に汗を浮かべながら、神崎のベッド脇に立った。


「やるべきだ。お前にしかできない。魔導で奴らを地の底に沈めてやれ!」


神崎は答えず、ただ彼の怒りの顔を見ていた。


「俺たちは祈りでここまで来た。だが、それだけじゃ世界は変わらない。祈りに”力”が伴わなければ、敵には届かないんだ」


その叫びは、自己正当化と激情の中間にあった。


「葛城……」


桐原が言いかけたその瞬間、速水中佐が部屋に入ってきた。


「――その通りかもしれないな」


速水は神崎と葛城を見回し、そして低く続けた。


「だが祈りは、他者の命を奪うことでしか形にならないのなら……いずれ魔導そのものが、人の魂を蝕む。俺たちが忘れてはいけないのは、それが”人の願い”に依っているということだ」


重い沈黙。

葛城は何も言わず、ただ一礼して部屋を後にした。


神崎は立ち上がり、窓の外を見る。

遠く、東京の空にはまだかすかな灰の匂いが残っていた。


「戦争を終わらせるための祈り……それができるのなら、俺はもう一度、立ってもいい」


その言葉に、速水と桐原は黙って頷いた。


そして、その夜。

陸軍参謀本部と海軍参謀本部、一部の連合艦隊司令部職員達、陸軍魔導推進室によって秘密裏の会合が持たれた。


だが神崎たちの中には、すでに別の”戦い”が芽生えていた。

――祈りを、祈りとして守るための戦いが。



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