歓喜ときのこ雲
#第8話 歓喜ときのこ雲
帝都・東京、霞が関。敗北続きだった戦況が一変し、帝国の軍部と政府中枢は、異様なまでの熱気と高揚に包まれていた。
「マリアナ、完全奪還! 米艦隊の壊滅を確認!」
「魔導兵器、再び勝利を導く……!」
軍令部会議室では、背広と制服の男たちが興奮気味に戦果を並べ立てていた。作戦の立案者であった参謀本部の将官たちは、皆一様に顔を紅潮させ、次なる戦局に思いを馳せている。
「これを機に、フィリピン方面への反攻も視野に入れるべきかと存じます」
「いや、いっそオーストラリア北部を制圧し、大東亜共栄圏の防衛線を南緯20度線まで押し上げるべきだ!」
長大なテーブルの端で、帝国陸軍草壁少将が地図に指を這わせる。隣の軍令部次官の田所中将は目を細めた。
「魔導の力を再度用いれば、米英艦隊の介入も恐るるに足らず。未だ国境は広げられる」
その言葉に同意する者も多かった。もはや「防衛」ではなく「攻勢」へ。勝ちの流れが舞い戻ってきた今こそ、帝国の理想を実現する時と捉える者たちが、軍中枢を支配しつつあった。
一方、そのころ首相官邸では、より冷静な空気が支配していた。戦勝の報せに湧きつつも、内閣の要人たちは笑みを浮かべながらも、その奥で苦悩を抱えていた。
「……次の一手を誤れば、取り返しがつかぬ。勝ち戦に見えて、実は一触即発の綱渡りだ」
外務大臣の重光葵は、酒の入ったグラスを机に置きながら低く言った。対面に座る小磯国昭首相は頷きながら、秘書官に小さな声で命じる。
「スイス大使館を通じて、米国や英国と接触を図れ。あくまで“非公式”にだ。魔導というカードを我が国が持った今がチャンスだ。」
「講和、ですか?」
「そうだ。あれほどの兵器を使ってしまった。次に相手が何を使ってくるか、我々には分からん。世界に、魔導という概念が露呈した瞬間だ。外交こそが国家の命運を握る。速やかに動かねば機を逃す。」
その夜、機密文書と共にひとりの外交官が中立国スイスへ向けて出発した。名は佐伯優作。若き外交エリートであり、冷静沈着な交渉力を買われた男だった。
「頼んだぞ、佐伯。お前の言葉が、我が国の未来を決めることになる」
首相の言葉を背に、佐伯は雪のアルプスへ向けて飛び立った――。
【第八話 中盤】
場所は太平洋戦線の遥か彼方、アメリカ合衆国・ワシントンD.C.
ホワイトハウスの地下に設けられた作戦会議室では、戦況報告が次々とスクリーンに映し出され、列席した将官たちが険しい表情を浮かべていた。
「再確認する。帝国艦隊は、マリアナ諸島を再占領。我が太平洋艦隊は、残存艦数隻を残し、壊滅した」
報告するのはチェスター・ニミッツ提督。彼の声は冷静だったが、その背中には敗北の影が濃く差していた。
「どうしてこんなことが……航空優勢も、索敵も、距離も、全て我々が有利だったはずだ」
と、陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルが呻くように呟く。その隣で、国務長官コーデル・ハルは顔を青ざめさせ、言葉を失っていた。
そのとき、扉が開いた。
「おい、誰かこの狂った話を説明してくれないか!」
入ってきたのはフランクリン・ルーズベルト大統領だった。杖を突きながらも、その声には怒気が含まれていた。
「”魔法”とやらで艦隊が一夜にして消し飛んだ? これは子供向けのペニー・ドレッドフルじゃあるまいし!」
誰もが黙り込む中、ひとり立ち上がった男がいた。アラン・マクファーソン准将。陸軍所属であり、米国において数少ない民俗学や東洋思想の研究歴を持つ異端の将校だった。
「大統領、もしお許し頂けるなら。私見ですが、これは単なる科学兵器ではないと思われます。帝国は……“儀式的エネルギー”を用いた兵器、すなわち、長い歴史と体系を持つ“魔導”の応用に成功したのかと」
「馬鹿馬鹿しい!」
ルーズベルトは顔を歪めて吐き捨てた。
「ならばこちらは何を信じろと言うのだ? 大和魂か? 呪いか? 神風か? そんなものが戦争を左右するなら、我が国の科学技術はすべて砂上の楼閣だ!」
マクファーソンは一礼して黙った。彼は理解していた。大統領が怒っているのは“魔法”ではなく、“敗北”なのだと。
その場の沈黙を破ったのは、陸軍航空隊のホイットモア少将だった。彼は一枚の書類を机に投げ出した。
「大統領、我々には“選択肢”があります。マンハッタン計画――その一部で開発中の小型核爆弾。まだ試作段階ではありますが、太平洋の前線基地にて投下が可能です」
ルーズベルトは眉をしかめた。
「それがあの“原子力爆弾”か? 本当に実用に耐えるのか?」
「試験は未了ですが、戦術規模の爆発は期待できます。目標は選定済み、広島市。軍需工場が密集し、さらに周囲に山があるため、爆風が集中しやすい」
誰かがつぶやいた。
「ならば……“彼ら”に思い知らせるには、格好の標的だな」
ルーズベルトは重く頷いた。
「よかろう。魔法だろうが祈りだろうが、相手が神話を持ち出すなら、こちらは現実の黙示録を見せてやれ」
そうして、命令は下された。
戦術核爆弾「リトル・アンサー」。それが、帝国への“回答”であった。
【第八話 後半】
1945年12月24日、午前4時――
ペリリュー島の滑走路で、銀色の機体が静かにエンジンを唸らせていた。
コード「リヴェンジャー」 B-29戦略爆撃機の機体下部の爆弾倉には、まだ人類が一度も使ったことのない兵器が吊るされている。
「リトル・アンサー」と呼ばれたそれは、広島市の精密な地図と共に、冷たく、無言で出番を待っていた。
「やれるか?」
機長のマーク・ウェストン少佐が、副操縦士に問いかけた。
「命令ですからね。…でも、少しだけ手が震えるのは仕方ないでしょう」
「震えるな。これは“クリスマスプレゼント”だ。魔法で世界を動かせると思った奴らへのな」
午前4時30分、は離陸した。
東の空には、まだ夜の名残が残る。
同日、午前8時15分――
広島市上空30,000フィート。
リヴェンジャーは指定の投下ポイント上空に到達した。
機内には、爆弾投下のカウントダウンが響く。
「目標視認。投下準備完了」
「3、2、1……リトル・アンサー、投下!」
金属の塊が機体から放たれ、ゆっくりと落下を始めた。
地上ではまだ誰も、その意味を知らない。
投下。
広島の空が、一瞬、無音になった。
そして――
閃光。
爆風。
熱線。
音も色も、全てが白に飲み込まれた。
魔法ではなかった。
だが、それはまるで“悪しき神”の祈りに応じたような終末だった。
呉海軍基地
広島の方向から凄まじい音が聞こえる共にもくもくと上がるきのこ雲を多くの将兵が見た。
地下防空壕では通信士が震える声で報告していた。
「広島からの応答が…途絶しました!」
軍参謀たちは顔を見合わせる。まさか――と思いながら、すぐに参謀部員が写真を持って駆け込んできた。
「これを……見てください。これは、通常の爆撃ではありません。広島が燃えています。」
「……なんだねこれは!!!」
「分かりません。速やかに海軍陸戦隊を中心にした調査舞台を広島市内に派遣します!」
誰もその答えを知らなかった。
その頃、京都――
空母艦載機で京都に戻った神崎真は、外で空を見上げていた。遠く、かすかに聞こえたのは、風の流れか、それとも何かのざわめきか。
「……真」
後ろから声をかけてきたのは、彼の幼なじみ・美咲だった。
「どうしたの?」
「……何か強烈な祈り?いや絶望を感じた気がしたんだ」
そのとき、軍本部からの非常招集が鳴り響いた。
千景は一度だけ、空を振り返り、それから静かに歩き出した。
ワシントンD.C. ホワイトハウス地下――
ルーズベルトは満足げに報告を聞いていた。
「爆撃は成功しました。広島は完全に沈黙。敵の通信も一時途絶。効果は予想以上です」
「はっはっは! 見たか、神の力に頼った帝国が、我が合衆国の“科学”に跪いた瞬間だ!」
将軍たちは黙っていた。彼らの多くは、爆発の映像と被害報告を見て、笑う気には到底なれなかった。
それでも、ルーズベルトは叫んだ。
「これで終わりだ。奴らが再び魔法とやらを使おうとすれば、今度は東京を灰にしてやる。今度こそ、本物の戦争だ!」
そして、世界は変わった。
祈りと祈りがぶつかり合った時代に、科学という“黙示録”が割り込んだ瞬間だった。