祈りと凱旋
#第4話 祈りと凱旋
京都。春の空の下、術士隊は凱旋した。
だが、拍手と歓迎の声に包まれる中で、速水中佐は冷静な眼差しを崩さなかった。
東京を守った広域結界の展開は、軍上層部に強烈な印象を与えていた。だが、それが軍事戦略の歯車に組み込まれる未来もまた、予感されていた。
神崎は一歩後ろに控えながらも、多くの研究者に囲まれていた。
「神崎、見事だったな」
技官の一人が声をかける。
「いえ……僕一人の力じゃありません。街の人々が祈ってくれたからこそ、術式が成立したんです」
神崎はそう答えたが、彼の肩には疲労と覚悟がのしかかっていた。
本部の会議室で、軍上層部による報告会が開かれた。
「東京の防衛は成功した。これにより、我が国は再び反攻の機を得たと言える」
草壁少将の声が響く。
「近く、マリアナ諸島への反攻作戦を開始する。術士隊には結界による防衛支援と、前線への術式展開を要請することとなる」
速水は一礼し、静かに口を開いた。
「了解しました。ただし、祈りを用いた術式は、戦術的な即応には限界があります。神崎術士の負担も考慮していただきたい」
「承知している。だが、勝たねばならん。戦況を転じるのは、いましかないのだ」
草壁の言葉は現実的だった。速水はそれ以上、意見を口にしなかった。軍人として、それが限界だった。
会議の後、控え室に戻った一行は、それぞれに沈黙していた。
「……俺は、術を使うことを否定はしない」
神尾がぽつりと呟いた。
「だけどさ、結界は……あれは、祈りだった。人を殺すための術じゃない」
「それでも、今は守るために必要だ」
桐原が応じた。
「この国を滅ぼさせるわけにはいかない。あの術が“矛”にされるなら……俺たちが“盾”であることを忘れなきゃいい」
神崎は小さく頷いた。
「……次に術を使うときも、僕は祈ります。誰かを守るために。誰かが未来に生きられるように。術の本質がそこから離れないように……それだけは、絶対に忘れたくありません」
その言葉に、誰も否定の言葉を返さなかった。
「……戦う以上、俺たちも納得しないとな。術を“兵器”にしてしまうかどうかは、俺たちの姿勢次第だ」
速水の声には、わずかな迷いと、しかし揺るがぬ責任感が宿っていた。
本部からの報告会を終えたその夜、速水たちは久々に外出を許された。
桜の散り残る東山の町並みを歩きながら、神崎はふと、ある店の前で立ち止まる。
「……寄っていいですか?」
「構わん。少しぐらい羽を伸ばせ」
速水が頷くと、神崎は白木造りの喫茶店の暖簾をくぐった。しばらくして、控えめな鈴の音とともに、一人の女性が姿を現した。
「……神崎くん?」
「美咲ちゃん……」
美咲――神崎の幼なじみであり、今はこの喫茶店を手伝いながら看護婦として働いている女性だった。
「無事だったのね。東京にいるって聞いて……本当に、心配してたのよ」
「うん。僕……生きてる。たくさんの人が祈ってくれたから」
神崎は目を伏せた。
美咲は静かに彼の手を取った。その手は冷たく、少し震えていた。
「真、また無理してる顔してる。子どものころ、神社の境内で術の真似ごとをして、倒れた時と同じ顔」
「……あの頃と、同じようにいられたらよかったんだけど」
「それでも、守ったのでしょう? 真の術で。あの人たちの祈りで」
神崎は頷いた。
「だけど、これからは……祈りでなく、命令で術を使うことになるかもしれない」
「命令のためにじゃなくて、守りたいもののために祈り続ければいいのよ。真の術はそうやって生まれたんでしょう?」
その言葉に、神崎の瞳が少しだけ和らぐ。
彼は、ふとポケットから一枚の紙片を取り出した。東京で、防衛術式を張る直前に受け取った祈願札――避難所で子どもが渡してくれたものだった。
「……僕、術を使うとき、この札を懐に入れてたんです。名前も知らない子の祈り。でも、たぶん、それで僕は立っていられた」
「それなら、次も、その札と祈りを持っていけばいい」
美咲はそう言って、ふっと微笑んだ。
一方、速水と神尾、桐原の三人は本部の屋上に出ていた。夜風がまだ少し冷たい。
「……術士を“火力”としか見ていない連中に、神崎を預けたままでいいのか、速水さん」
桐原がぽつりと呟いた。
「いいわけがない。だが、だからこそ俺たちがそばにいる。……あいつの術を“祈り”のままで使わせてやる。それが俺たちの役目だ」
神尾は腕を組んで空を見上げた。
「戦況が動けば、もっと大規模な術式を求められるだろうな。……だが、それでも、奴らに任せるよりはマシだ」
「同感だ」
速水は短く答えた。
「結界も、炎も、術式はただの力だ。どう使うかを決めるのは俺たちだ。神崎一人に背負わせる必要はない」
その時、足音が聞こえ、神崎が戻ってきた。
「すみません。ちょっと……寄り道をしてきました」
「いい顔してるな、神崎」
神尾が軽く笑うと、神崎は照れくさそうに頬をかいた。
「僕、やっぱり術を使います。誰かの祈りのために。それで誰かが未来を生きてくれるなら、それが僕の戦いです」
その言葉に、桐原も静かに頷いた。
夜空の下、四人の影が並ぶ。
その中心にあるのは、ただの兵器ではない――人の心が繋ぐ、祈りの灯だった。
翌朝。速水たちは再び本部の作戦室に呼び出された。
応接机の上には、数枚の地図と作戦計画案が広げられている。
椅子に座る軍高官たちの顔ぶれは、昨夜よりもさらに増えていた。
「諸君。帝国はここで立ち止まるわけにはいかん。防衛は成功したが、それはあくまで時間稼ぎに過ぎん。次の一手が必要だ」
そう言って身を乗り出したのは参謀本部の草壁少将だった。彼の鋭い眼差しが神崎に注がれる。
「我々は、南方への反転攻勢を計画している。空襲を抑え込んだいまこそ、制海権を握り、資源地帯を再確保すべきだと考えている」
「……攻撃作戦ですか」
神尾が呟くように口にすると、速水はすかさず声を重ねた。
「神崎一尉は結界術を展開したばかりです。回復の時間を――」
「それは心得ている。だが、準備には少し時間がある。問題はその間に“力”をどう温存するか、だ」
別の参謀が図面を広げる。
「次の作戦には、陸軍のみならず海軍も動員される。すでに“ある協力”を取りつけている。魔導兵器“ヒノカグヅチ”の配備が決定した」
その名が出た瞬間、空気が一変した。
ヒノカグヅチ。
それは、京都魔導本部が長年秘匿し続けてきた攻撃型の戦略魔導兵器。結界術のように「守る」力ではなく、「焼き尽くす」ための祈りだった。
「……まさか、実戦に?」
桐原が息を呑む。だが高官たちは当然のように頷いた。
「この一撃が、戦局を変える。目標はマリアナ方面。作戦は“天照作戦”と命名されている。――速水中佐、君たちの部隊は“先導術師団”として作戦中核に配備される」
無慈悲に書類が差し出された。
速水は一瞬、それを睨むように見つめたが、静かにそれを受け取った。
部屋を出た後、廊下の窓際に立ち止まり、彼は深く息をついた。
「……ついにあれを使う気か」
「術を祈りではなく、武器として扱う……」
神崎の声は低く震えていた。
「だけど、行かないわけにはいかない。民を守るために、戦わないと……そのために俺たちはいるんだから」
「神崎」
速水が振り向くと、神崎はゆっくりと顔を上げていた。その表情に、かつての迷いはなかった。
「どんな命令があっても、僕は“誰かの祈り”のために術を使います。あの東京の空の下で、信じてくれた人たちのために。……だから行きます。戦って、守ります」
速水は黙って彼を見つめ、やがて、静かに頷いた。
「……わかった。俺も共に行く。だが、どんな状況でも、お前が壊れそうなら止める。それが俺の役目だ」
「はい、ありがとうございます、速水中佐」
その夜。京都駅の構内には、特務部隊を乗せた特別列車が滑り込んでいた。
乗車を前に、軍用荷車に厳重に包まれた巨大な魔導封印箱が積み込まれていく。
神尾がぽつりと漏らした。
「ヒノカグヅチ……本当に使うのか、あれを」
「答えはまだ出てない。ただ――」
速水が言いかけたその時、海軍の将校服を着た人物が姿を見せた。
「速水中佐、神崎一尉。艦隊司令部よりの命で迎えに来ました。これより呉に向かい“戦艦大和”に搭乗していただきます」
「大和に……?」
神崎が息を飲んだ。
速水は小さく頷きながら、彼の肩に手を置いた。
「行くぞ。これが、俺たちの次の“祈り”の場所だ」