イタリア争乱と鉄の祈り
#第21話 「イタリア争乱」
1953年12月 イタリア・ミラノ。
「ストライキだ! もう三日目だぞ!」
怒声が、冷たい石畳の路地裏に響く。
工場労働者たちがゲートを封鎖し、赤い旗を振りかざしていた。
イタリア北部を中心に、前代未聞の規模でストライキが頻発していた。
政府の統制は効かず、地方自治体は混乱に陥っている。
その裏では、影が蠢いていた。
「……よろしい。次はローマだ。」
そう低く呟いたのは、一人の男。
アレクセイ・グロモフ。
ソビエトが密かに送り込んだ、ベラルーシ出身の魔導師である。
彼の操る古式の「洗脳魔導」は、対象の精神に潜り込み、怒りや絶望を掻き立て、群衆心理を増幅させるものだった。
彼はストライキリーダーたちの夢に入り込み、労働者たちの絶望を煽り、敵意をかき立てていた。
工場の煙突から、黒い煙が上がる。
バリケードが築かれ、石と火炎瓶が飛び交う。
「……素晴らしい。憎悪は連鎖する。」
グロモフは薄ら笑いを浮かべた。
ソビエトの意図は明確だった。
イタリアを混乱させ、西側陣営の内部に亀裂を走らせること。
そして、緩慢に崩壊させることだ。
一方、イタリア政府は後手に回っていた。
ローマ、首相官邸。
「またミラノで暴動だと!? 警察は何をしている!」
閣僚たちが怒鳴り合う。
首相アントニオ・マリーニは、机を叩いて立ち上がった。
「国家警備隊を出動させろ! 非常事態宣言も検討する!」
だが、命令は遅すぎた。
すでに一部の警察官は暴徒に同調し、国家警備隊の出動命令も現場で無視されつつあった。
「……我々は、内部から崩されようとしている」
外務大臣が、疲れた声で呟いた。
イタリアは、戦後の疲弊から立ち直りきれていなかった。
貧困と失業、地方と都市の格差、国民の間にくすぶる不満。
それをソビエトは見逃さず、魔導を使って導火線に火をつけたのだ。
ローマの街も、不穏な空気に包まれていた。
赤旗を掲げたデモ隊が通りを埋め尽くし、暴徒と化した群衆が銀行や役所を襲撃していた。
混乱は、日に日に拡大していく。
そして、政府内部にも裏切り者がいた。
「……首相、これは内務省の副官からの情報です。労働組合に、何者かが接触している。」
首相に提出された報告書には、複数の名前が記されていた。
だが、その背後にいる真の黒幕――グロモフの存在には、まだ誰も気づいていない。
「このままでは……イタリアが持たない。軍の投入をするしかないか…」
首相は呻いた。
彼らは知らなかった。
これが、ただの暴動ではないことを。
敵は、見えぬところから、精神すら侵食してくる存在だということを――。
夜のローマ。
広場では、数百人の若者たちが焚き火を囲み、革命の歌を歌っていた。
その中心に、グロモフの影が、密やかに佇んでいた。
「祈れ。怒りを。憎しみを。裏切られた悲しみを。
そして、世界を焼き払え。」
グロモフの囁きに、誰も気づかない。
イタリアは、今や薄氷の上にあった。
イタリア半島の東――バルカン半島、ユーゴスラビア。
暗い雲が低く垂れ込め、ソビエト赤軍の車列が泥道を進んでいた。
寒風に翻るのは、赤い星の軍旗。
「ターゲットはローマだ。KGBと秘密作戦を担当する魔導部隊がローマを制圧後に我々はアドリア海沿いにイタリア東部を制圧する。」
ソビエト南西方面軍司令部、作戦会議室。
白地図の上に、赤い矢印が無数に引かれていた。
「アジア派どもがもたもたしている間に、我々がイタリアを獲る。そうすればソビエトは欧州に覇を唱えられる」
そう豪語するのは、欧州派の高級将官、セミョン・ヴァシーリエフ中将だ。
「だが、問題は魔導戦力だ。」
参謀の一人が渋面を作る。
「国内では使い物になる魔導師が育っていない。戦後の粛清で、"旧宗教的祈祷"と見做された連中を始末しすぎた。今回だって傘下のベラルーシのよく分からない人間を使っている」
そして、ドロモフが集めた東欧諸国――ポーランド、ハンガリー、ルーマニア――の野良魔導兵たち。
だが、彼らは「祈り」の本質を理解していなかった。
形だけの呪文、形だけの陣式。
本来、魔導とは内心から溢れる祈りを力に変えるもの。
それを知らず、ただ軍規に従って命令されるだけでは、奇跡は起きない。
「……結局、核兵器に頼るしかない。」
ヴァシーリエフは、忌々しげに吐き捨てた。
ソビエト連邦は核開発を急いでいた。
だが、欧州戦線を押し広げるには、まだ間に合わない。
「まずは、ローマでの秘密作戦を成功させよ。そうしなければイタリア軍が乱れず我々は侵攻できない」
冷たく命令が下される。
そのころ、ローマでは――。
ヴァチカン市国、サン・ピエトロ大聖堂。
巨大な鐘楼が、深夜の空に重々しく鳴り響いた。
「敵襲だ!」
甲冑を着たバチカンの衛兵たちが駆け出す。
ソビエト軍魔導特務部隊が、ローマ中心部にまで侵入してきたのだ。
広場に響く、戦慄すべき咆哮。
空気がねじれ、黒い雷鳴がほとばしる。
ソビエト軍魔導師たちが放った禁呪が、空間そのものを歪めた。
「退け!」
白銀のローブを纏った一団――教皇庁直属のエクソシスト部隊が前に出た。
その中に、ただ一人、異彩を放つ男がいた。
黒い短髪に、無表情の灰色の瞳。
白い外套の上から鎖帷子を羽織り、右手には十字架の柄を象った大剣。
「エミリオ・サヴォナ。出るぞ。」
副隊長が声をかけると、男は静かに頷いた。
「了解。」
エミリオ・サヴォナ。
第二次大戦末期、愛する婚約者を戦火で失った男。
絶望を越え、祈りを剣に変えた孤高のエクソシスト。
彼は魔導師でありながら、感情を捨てたわけではなかった。
悲しみを胸に秘め、そのすべてを戦う力へと昇華していた。
「……ここは渡さん。」
エミリオが大剣を一閃すると、銀色の閃光が奔った。
ソビエト魔導師たちの禁呪が、次々と弾かれる。
エクソシスト部隊が広場に展開し、ローマを守るための死闘が始まった。
ソビエトの魔導師たちは驚愕した。
「なぜだ……!」
「我々の呪文が通じない……!」
エミリオは無言で進み出る。
祈りを込めた剣が、一人、また一人と敵を打ち倒していく。
彼の祈りは、怒りではない。
復讐でもない。
愛を失った、ただそれだけの悲しみを――世界が再び失われないようにという、静かな祈りを刃に変えていた。
そして。
「神よ、我らを守り給え。」
ローマの空に、鐘の音が響き渡る。
イギリス・ロンドン、国防省地下作戦室。
冷たい蛍光灯の下、軍服姿の男たちがずらりと並んでいた。
「報告せよ。」
老練な顔立ちの男、ハロルド・モントゴメリー国防大臣が、沈痛な声で促した。
「ローマにおけるソビエト軍の活動、確認済み。ヴァチカン近郊での戦闘が続いています。」
「イタリア政府は?」
「混乱しています。労働争議がさらに激化しているともに、ローマにおいてソビエト軍の魔導兵力が暗躍。アドリア海沿いにソビエト軍出現の報もあり、イタリア陸軍精鋭部隊は国境沿いに展開しており、ローマに戻れず、ローマ近郊陸軍は今朝何者かによる魔導攻撃で壊滅的打撃を。フィレンツェから陸軍魔導中隊が急行中らしいですが、どうなるか、」
参謀が地図のローマに赤い駒を置いた。
イタリア半島全土に、赤い点が広がっていく。
「もはや待ってはいられない。」
ハロルドは机を拳で叩いた。
「SAS特殊作戦部隊、即時出動準備。並びに、英魔導局第一戦闘群、コードネーム《アーサーズ・スピア》を派遣する。」
ざわめきが広がる。
英魔導局――急造の組織とはいえ、数少ない魔導師たちをかき集めた切り札だ。
だが、未熟な隊員も多く、実戦経験は乏しい。
「覚悟しろ。これはイギリスが、自らの存在を世界に示す戦いとなる。」
軍令が下され、ただちに伝令が走った。
その頃、東京――。
日本国防総省・最高会議室。
重厚な扉の向こうでは、速水魔導長官、草鹿国防長官、長岡情報総局司令が集まっていた。
中央のテーブルには、ローマ近郊の作戦地図が広げられている。
「イギリスが動いたか。」
草鹿は、深く頷いた。
「英国はSASと英魔導局をローマ防衛に投入する。これに合わせ、我が国も支援を行う。」
「神崎真を向かわせます。」
速水は即答した。
「彼は我が国最高の魔導士だ。彼と、白石中尉を随行させるべきでしょう。」
「異論なし。」
長岡が短く告げた。
神崎の存在は、ただ戦力としてのみならず、象徴でもあった。
日本の魔導文化――祈りを力に変える技術が、世界において正統であると示す旗印。
草鹿は机を叩き、命じた。
「直ちに神崎真大尉に出動命令を伝達せよ。」
イギリス ロンドン 日本大使館
神崎真は、剣の鍛錬を終えたところだった。
肩にかけたタオルで汗を拭うと、そこへ副官が駆け寄ってきた。
「真! 国防総省より急報です!」
神崎は無言で受け取り、封筒を開いた。
【至急出動。目的地、イタリア・ローマ。
任務、ヴァチカン市国及びローマ市街防衛支援。】
読み終えた神崎は、ふっと短く息を吐いた。
「……やるしかないな。」
白石綾華中尉が駆け寄ってきた。
「私も向かうことになった。支援は任せて」
彼女の瞳は、まっすぐに神崎を見つめていた。
「行こう、綾華。」
神崎は頷いた。
彼らは英国軍と共にローマに向かうことになった。
その頃、ローマ。
夜のサン・ピエトロ大聖堂の前、廃墟の広場に立ち尽くす一人の男――エミリオ・サヴォナ。
空に手をかざし、壊れかけた十字架を見上げる。
彼の耳には、かすかに鐘の音が聞こえた。
(何としてもレベッカが愛したローマを守る)
すぐ近くから再び銃声が聞こえる。市内ではイタリア軍残存部隊&ローマ警察と市内に侵攻したソビエト軍の魔導特務部隊&KGB、魔導で操られた市民の間で激しい戦いが続いていた。




