暗雲の日英と赤き影
#第20話 「暗雲の日英と赤き影」
1953年、10月 日本 首相官邸
首相官邸の地下会議室には、国の中枢を担う顔ぶれが揃っていた。
重苦しい沈黙の中、壁時計の針が午前十時を指すと、会議は静かに始まった。
議長席に座るのは吉田茂内閣総理大臣。
その右手には、帝国国防総省の長官、元連合艦隊司令長官にして国防の要・草鹿長官。
左手には、帝国魔導省の初代長官にして戦時中の英雄である速水中佐。
さらに会議卓の端には、情報戦を担う国防中央情報総局長官・長岡少将が控えていた。
「――では、まず北方情勢について。」
総理の促しに応じ、草鹿長官が資料を掲げる。
北方の千島列島、南樺太。これら日本領は今、かつてない緊張に晒されていた。
「ソビエト極東軍は、昨年秋から兵力の増強を続けております。 特に、樺太オハは新設の機甲師団と砲兵部隊、加えて規模は不明ですがソビエトの魔導部隊が配備された模様。」
草鹿は表情を変えぬまま続けた。
「我が国も、統合参謀本部の下、北海道、南樺太、千島の北方方面に陸海空三軍を増派中です。
帝国海軍は新鋭の神通型駆逐艦と伊301を中心とする潜水艦隊を宗谷海峡に常駐。
加えて、帝国陸軍魔導特務小隊を樺太の前線基地に順次展開を完了しています。帝国陸軍も樺太に2個師団が展開。帝国空軍は豊原、中央樺太、稚内、旭川、帯広、千歳の各空軍基地に部隊を待機させています。」
「……魔導防衛網の進捗は?」
速水長官が淡々と応じる。
「千歳に主力基地を、道北及び樺太、千島に感知網を敷設済み。 帝国魔導省魔導連隊“白狼隊”は、すでに冬季作戦行動に耐える訓練を完了しました。
敵性魔導及び広域兵器、空襲の兆候があれば即座に迎撃可能です。」
会議室に静かな頷きが広がった。
次に議題は、国内治安対策へと移った。
「赤化工作については?」
長岡少将が一歩前へ出る。
「はい。内務省特別高等警察局(特高)および国防中央情報総局による合同作戦により、赤化勢力の摘発を強化しております。内閣情報調査室(CIRO)が掴んでいる情報によると昨年一年間で、赤化扇動者及び地下組織関係者、計700名を逮捕。内60名を国外追放処分としました。」
「寛容過ぎた戦後方針の後始末だな。」
総理が苦々しくつぶやいた。
長岡は静かに頭を下げた。
「はい。しかし地下潜伏組織は依然として活発であり、特に大学、高校、労働組合においては、引き続き監視強化が必要です。 国民への情報啓発、および公共秩序維持が急務と考えます。」
「……赤狩りだ。厳しく、だが冷静にな。」
総理は言葉を選びながら告げた。
「一人でも赤化の芽を残せば、我が国の独立は再び危機に瀕する。 それは、あの戦争で我々が血を流して勝ち取った未来を裏切ることになる。」
空気が一層張り詰めた。
そして最後の議題、対外政策。
「ヨーロッパ情勢だ。」
草鹿がまた口を開く。
「ソビエトはドイツ以東、すなわちライン川沿岸まで赤化を完了。
西ドイツ政府は防衛線を固めていますが、依然として不安定。
フランスでは共産党等の急進派が勢力を拡大し、政権奪取を狙っている。イタリアでも労働運動が過激化の兆しあり。」
「西欧が陥れば、次は我々の番か。」
速水の声に、誰も異を唱えなかった。
「日本としては、支援を強化するべきだろう。特に魔導に関する情報及び人材育成の強化。 NATOへの正式加盟こそ時期尚早だが、準加盟国的な立場を確立し、極東における自由主義陣営の柱となるべきだ。」
「我が国は――もはや敗戦国ではない。」
総理の声は重く、しかし確かな意志に満ちていた。
「我々は、この世界の秩序を守る責任を負っている。
それは、自由と未来を、子孫たちに渡すためだ。先の戦争にて我が国の軍人が命を懸けて守った未来を我々は生きているのだなら。」
全員が頷いた。
最後に速水が静かに、だが力強く言った。
「……ならば、魔導も剣も、この国を守るために。」
会議は終わった。
冬の霞ヶ関には、冷たい北風が吹き抜けていた。
だがその空気の中に、確かに灯るものがあった。
――断固たる意志という名の、微かな火が。
同時期 モスクワ。
クレムリンの地下深くに設けられた軍事評議会室には、鉄の規律と冷たい焦燥が満ちていた。
長大な円卓を囲むのは、ソビエト連邦の軍・党の最高幹部たち。
中央には国防人民委員ミハイル・ブリューホフ元帥、その隣には内務人民委員ベリヤ、そして外務官僚たちが居並んでいた。
「……報告によれば、千島列島および樺太に展開した我が魔導特務部隊は、現在総員わずか130名。
しかもうち戦闘任務に耐える者は半数以下で極東の部隊が日本に威圧を与えるために急ごしらえで準備したようです。」
ソビエト連邦の軍人の声が、冷えた石造りの壁に反響する。
ブリューホフ元帥は眉間に深い皺を寄せた。
「たったそれだけか。……欧州戦線は?」
「ドイツ東部に展開中の第1魔導旅団は、実戦投入可能な戦力を500名と見積もります。
ただし、人的資源の多くは傘下諸国――ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ブルガリアからの供給によるもので、純粋なソ連邦出身者は2割にも届きません。」
「……クソッ。」
ブリューホフは荒々しく拳を卓に叩きつけた。
ソビエトには、かつてロシア帝国時代に育まれた魔導文化が存在した。日本には大きく劣るがしっかりと各国に継承された文化があったのだ。だがそれは、スターリンによる大粛清の嵐で悉く根絶やしにされていた。
古き時代の祈りも、伝承も、ただの迷信と断じられ、血塗られた過去とともに葬られた。
今残る魔導師たちは、外国から連れてきた者、あるいは秘かに身を潜めていたわずかな末裔にすぎない。
そもそもだが、魔導とはただの技術ではない。
それは信仰に、文化に、心に、魂に根ざすものだ。
これを理解しないソビエトは、魔導師たちを「兵器」として冷酷に扱った。 その結果、魔導の力は凍り付き、震える焔のように小さく萎んでしまっていた。
「軍の魔導特務局は、今も魔導兵力の拡大を急いでおりますが……成果は芳しくありません。」
別の官僚が言葉を濁す。
「新設された訓練所も、三割が脱走、二割が精神破綻。
残りは低位魔導に留まっています。」
「これでは……使い物にならん!」
ブリューホフの怒声が響く。
「同志元帥、ならば核だ。」
ベリヤが静かに口を挟んだ。
「我らは今、マヤーク施設とカザフスタンのセミパラチンスク試験場において、核兵器開発を急ピッチで進めております。
原爆の試験は既に成功。量産化が進み、さらに水爆計画も動き出している。 資源と労働力は、すべてこちらに振り向けるべきではないか?我が国の敵対国家である米国もそちらに舵を切ってきます。」
核こそが力。
祈りや魂などという曖昧なものより、確実で、制御可能な絶対の力。
それが、ソビエト幹部たちの総意であった。
しかし――。
「本当に核は魔導に勝るのか?」
外務人民委員が低く言った。
「西側は、日増しに魔導兵力を拡充している。
特に日本――しぶとい島国が、我々の喉元に刃を突きつけようとしている。」
「ふん、日本など田舎国家だ。」
「だが、日本は祈りを護持している。
我々が忘れ、切り捨てたものを、彼らは生かしている。
それゆえに、魔導において彼らは世界最強に近い。」
重苦しい沈黙。
誰も、その現実から目を背けられなかった。米国をも追い返したその力は侮れなかった。
「……アジアか、ヨーロッパか。」
ブリューホフが低く呟いた。
ソビエト内でも意見は分かれていた。
欧州派は西ドイツ、イタリアへの拡張を急ぐべしと訴える。
一方アジア派は、日本を放置すれば極東の共産勢力が押し潰されると警鐘を鳴らす。
「今、日本が動けば……朝鮮、満州、ひいては我が沿海州までも脅かされる。」
「しかし、ヨーロッパを放棄すれば、ソビエトの威信そのものが失われる。」
どちらも退けぬ現実だった。
「……ならば、両面作戦だ。」
ベリヤが冷たく笑った。
「核を握りしめ、欧州を赤く染め上げながら、極東でも干渉する。 魔導など不要だ。我らは、科学と力で未来を奪い取る。」
その言葉に、多くの将官たちが頷いた。
だが、誰も知らなかった。
この選択が、後に赤い帝国の破滅の一歩をもたらすことを――。
暗い、暗い、クレムリンの地下で。
ソビエト連邦は、静かに破滅への第一歩を踏み出していた。
1953年、11月。ロンドン。
霞む霧雨が、テムズ川を沈鬱な灰色に染めていた。
その川沿い、大日本帝国駐在武官事務所の前に、一台の黒塗りの車が静かに停まった。
扉が開き、黒の詰襟制服に身を包んだ青年が降り立つ。
神崎 真――かつて日本を救った若き魔導士であり、今は帝国魔導省直属の特命使節であった。
「英国魔導省へご案内します、神崎閣下。」
待機していた英国軍人が、丁重に頭を下げる。
神崎は軽く会釈し、コートの襟を正すと、霧の街へと歩み出した。
世界は静かに、しかし確実に冷たくなっていた。
ソビエトの圧力は、日増しに西ヨーロッパを締め上げている。
ドイツはライン川以西にまで押し込まれ、ライン川東岸にはソビエト軍の戦車や榴弾砲がドイツの方角を向いていた。さらにフランスやイタリアも不穏な労働運動に揺れていた。
そして、魔導力を十分に備えた国家はない。
英国は他国に比べればまだまともである。
だがその英国すら――。
「こちらです。」
案内された先、ロンドン郊外の旧兵舎跡地には、仮設の建物が建ち並んでいた。
英国魔導省――設立わずか5年の、急ごしらえの組織。
施設も装備も不足していた。
魔導師たちも新兵ばかりで、その数も質も、日本には遠く及ばない。正確に言うと、時計塔出身の古きよき英国国教会系魔術を受け継いできた少数精鋭とまだ5期生までしかいない新兵だった。
それでも、彼らは懸命だった。母国を守るために。米国やソビエトのように強大な軍事力を保持できず、ゲームチェンジャーになりうる核戦力を米国に依存する英国を守るためには魔導に頼るしかないからだ。
「神崎閣下、お待ちしておりました。」
出迎えたのは、英国魔導省長官、エドワード・マーフィ中将。
壮年の軍人でありながら、眼光には若き士官に似た情熱が宿っていた。
「本日はご多忙の中、よくお越しくださいました。
ぜひ、我が魔導部隊の現状を視察いただきたく。」
「こちらこそ、こうして貴国の努力を拝見できること、光栄に思います。」
儀礼的な挨拶のあと、神崎は隊舎を歩きながら、若い魔導士たちを見た。
彼らは必死に、祈りの言葉を紡ぎ、簡易な防御魔導を発動しようと努力していた。
だが――。
「……式の立ち上がりが遅い。」
神崎は心の中で、そっと呟いた。
魔導は、技術ではない。
それは、世界への「祈り」であり、自らの魂を媒体とする行為だ。
単なる呪文の暗唱や儀式の手順では、力は生まれない。
その根幹のシステムを、英国軍はまだ理解しきれていなかった。
「……どうでしょうか、我々の現状は。」
マーフィ中将が問いかけた。
神崎は、言葉を選びながら答えた。
「……真摯な努力を重ねられていると拝察します。
ですが、魔導は即席では完成しません。
必要なのは……文化、信仰、魂の継承、祈りです。」
マーフィは顔を曇らせた。
「……やはり、そうか。」
彼は静かに、苦い現実を吐き出した。
「我々は、かつて大英帝国を築いた誇り高き民だ。
だが、祈りを忘れ、力だけを求めてきた。
今になって、ようやく失われたものの重みを知った。時計塔の魔術師達だけでは国家は守れない。」
彼の声には、悔恨が滲んでいた。
「ソビエトの脅威は、日々近づいている。
奴らは、核をもって我々を脅し、赤い波を押し寄せさせてくる。
だが、我々にはそれに対抗する力がない。
高度な魔導も、核開発も、追いついていない。」
神崎は、静かに頷いた。
「……日本も、かつて、同じ絶望を味わいました。」
空襲され核を落とされた祖国。
絶望の中で、なお祈りを忘れなかった人々。
それが、奇跡を生んだ。
「だからこそ、英国も……必ずこの国を守れるでしょう。。
文化を信じ、民の祈りを真に使うことができれば。」
マーフィは、深く息を吐いた。
「貴方が……羨ましいよ、神崎閣下。
魔導を、魂を、国家を信じ続けられることが。」
その言葉に、神崎はただ微笑を返した。
外は、霧が少し晴れ、わずかに冬の陽が差し込んでいた。
だが、遠い東の空には、黒い嵐の気配が満ちている。
赤い帝国の影は、確実に迫っていた。
それでも――人々は祈る。
未来を信じ、希望を繋ぐために。
神崎はゆっくりと、空を見上げた。この自由という価値観を共にし、赤の脅威に備える同胞は再び世界帝国の誇りと力を取り戻し我が国の同盟国になりうると。




