1945~1953 冷戦の胎動
#第19話 「冷戦の胎動」
1953年――第二次世界大戦の終結からわずか八年。だが、世界は新たな「静かなる戦争」に突入していた。
1945年6月、ナチス・ドイツの降伏を以て、第二次世界大戦は終結を迎えた。
だがそれは、世界に真の平和が訪れたことを意味しなかった。
1946年から1950年にかけて、世界は新たな秩序の胎動に揺れていた。欧州戦線の終結後、東欧諸国は一国また一国とソビエトの衛星国へと変貌し、ポーランドを初めとして、“鉄のカーテン”が東から西へと覆い尽くしていった。
アメリカは焦燥していた。史実よりも早い日本の講和と、それに続く東欧の急激な共産化は、ワシントンを驚かせた。ライン川以東を完全に掌握したソ連は、西ドイツを文字通り“背水の陣”へと追い込み、さらにイタリアやギリシャへの共産主義浸透も現実味を帯びていた。冷戦の構図はすでに明確だった。世界は、**自由主義陣営**と**共産主義陣営**、二つの巨大な潮流に引き裂かれ、かつてない緊張の中にあった。
西側陣営――すなわちアメリカを中心とした自由主義国家群は、北大西洋条約機構(NATO)を軸に結束していた。加盟国はアメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、カナダ、オランダ、ベルギー、ノルウェー、デンマーク、ポルトガルなど、旧来の欧米勢力を基盤とするものであった。
アメリカは1949年にソビエトが核兵器を保有したことに衝撃を受け、さらに軍備拡張を急速に推し進めた。トルーマン政権末期からアイゼンハワー政権へとバトンが渡ると、軍事費は飛躍的に拡大し、世界中で「封じ込め政策」が推進された。米国政府は魔導戦略を建て、魔導研究を推進したがうまく行かず、アイゼンハワー政権はトルーマン政権が推し進めた魔導研究よりも核戦力の充実化に舵を切った。
対する東側陣営は、先に述べたようにソビエト連邦を盟主とし、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、東ドイツといった衛星国家群が連なった。1952年には“赤の集団防衛機構”設立の動きが加速し、1953年には後にワルシャワ条約機構へと繋がる秘密協定が結ばれる。
ソ連は、軍事力のみならず、情報戦、宣伝戦、経済浸透を駆使し、世界中で共産主義の拡大を目論んでいた。ヨーロッパではフランス、イタリアを中心に労働運動が活発化し、東南アジア、アフリカでも左派勢力が活動を活発化させていた。
そしてアジア――ここには、西側も東側も無視できぬ緊張の渦が存在していた。
中国大陸は未だに混乱の只中にあった。
1945年以降、国民政府と中国共産党の間で再燃した内戦は、アメリカとソ連の支援を受けた代理戦争の様相を呈していた。国民党は四川から撤退し、共産軍との熾烈な攻防を続けるも、徐々に劣勢に追い込まれていた。
北京、上海、南京といった主要都市は国民党政府の手中にあったが、広大な農村部では共産勢力が力を増し、戦線は膠着。都市部では爆弾テロ、農村ではゲリラ戦が続き、中国は“赤化するか、自由(仮初め)を守るか”の瀬戸際に立たされていた。
満州では、表向きは独立を維持していたものの、米ソ両陣営の暗闘が熾烈を極めていた。
アメリカは戦後、満州政府を通じて支援を行い、経済再建と自衛力強化を支援した。一方でソビエトは満州北部を拠点に、地下活動を展開。共産党系ゲリラや労働組合への支援を密かに行い、内部からの赤化工作を進めていた。
長春や哈爾浜では、満州政府と親ソ勢力の間で幾度も衝突事件が発生し、国際社会を緊張させた。南満州地域では米国による経済的な専横が加速していた。満州に残った日系人の中で不満が高まっていた。
朝鮮半島でも、平和はもろかった。
日本の早期講和によって一時的に独立を果たした大韓民国は、選挙で成立した民主政権のもと、経済復興を目指していた。しかし北部ではソ連の影響を受けた共産勢力が着実に力を伸ばしていた。
1950年末には、朝鮮北部での共産ゲリラ活動が活発化。
表面的には「一国」として存在していたものの、実態は内戦の危機をはらんでいた。 こうして、欧州もアジアも、いたるところで「見えない戦争」が始まっていた。
大きな戦火は交えずとも、言葉と思想と裏工作が交差する世界。 それが、1953年時点での世界だった。
そして、そんな時代の只中に――海に囲まれた小さな島国、魔導という祈りを強く保有する大日本帝国は、己が選び取った道を進んでいた。 早期講和を成し遂げた帝国は米英との戦争を終結させたことで、ソビエトの南下を防ぎうる唯一の防波堤として新たな国際秩序の中に位置づけられることとなった。
国内では講和直後、政府と軍が協力して急進派の粛清と制度改革を進め、旧陸海軍の統合によって「統合参謀本部」が設置され、情報機関も「国防中央情報局」として一本化された。
魔導についても陸海軍の研究機関を統合した「帝国魔導省」が国防総省直下に創設され、国の威信と防衛力を支える陸海空軍に次ぐ軍の一つとして確立されていった。
さらに、帝国軍の研究機関は航空技術及び宇宙空間が魔導と同様に今後の世界における戦争に利用される可能性を考えた。彼らは秘密裏にドイツから亡命した技術者たちを招聘し、日本初の宇宙開発プログラムを立ち上げていた。帝国政府は魔導のみに頼らず科学技術の進歩にもこの数年取り組んでおり、ドイツの技術も相まって技術革新が進んでいた。
経済面でも、講和によってアジアとの交易が再開されると同時に、米英からの資本投資や技術導入が本格化。特に造船・航空・自動車関連の産業は急速に発展し、のちの高度経済成長期を支える芽が、すでにこの時期に萌芽していた。
また、1946年には魔導戦艦「大和」が国防戦略兵器として正式に認定され、国際社会に対する魔導抑止力の象徴ともなった。さらに、1947年には帝国議会で「日英米安保条約」が可決される。条約により日本は、自らの防衛を独自に行うと同時に、米英の安全保障パートナーとして“赤”の進出を牽制する役割を担うこととなった。
本土では魔導を用いて極秘裏に敵を警戒監視する、**極東魔導観測団(Far East Magical Observation Group)**と呼ばれるFEMOGが組織され東京の本部、京都の研究センター、北海道の前線基地にてそれぞれの役割にてソ連軍の動きを監視していた。こうした情報収集活動は、冷戦期における日本の安全保障の“魔導的な目”として重要な役割を果たしていた。
さらにソ連の南下に備えるべく、北海道、千島、樺太の防衛線の再整備が行われた。千歳駐屯地には戦車師団と共に戦車に随行する帝国魔導省白狼連隊が組織された。
米国は、日本が極東における“反赤の楯”となることを期待していた。トルーマンは政権中枢にこう語ったという。
「日本は、爆弾の代わりに祈りと炎で立ち上がった。我々はその祈りが、赤き鉄鎖を断ち切る力であることを信じねばならない。」
こうして、日本は欧米の“希望”として、冷戦という名の新たな戦争の、第一線に立たされることになった。




