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平和の構図

#第18話 「平和の構図」


陛下の一声によって反乱軍の多くは投降し、皇居を巡る戦闘はようやく終息した。だが、戦火の爪痕は深く、速水中佐は重傷のまま病院へと運ばれ、近衛兵の多くも命を落とした。


一方、霞ヶ関の政府庁舎では、すでに緊急の閣議が開かれていた。


小磯國昭首相は、重光葵外相とともに会議室中央に立ち、出席した閣僚に静かに語りかけた。


「——まずは、皇居が守られたことを感謝しなければならない。そして、これ以上の犠牲を出さぬためにも、戦争をどう終わらせるかが急務となる」


重光がうなずく。


「本日、スイス経由で英国との交渉がまとまりました。条件は厳しめとはいえ、講和としての道筋は立ちました。今後は、米国が協議に応じるかでしょう。」


数名の閣僚がざわついた。


「アメリカはまだルーズベルトの喪に服している最中では?」


「トルーマン大統領に代わりました。新政権は、軍部に傾倒していた前政権よりも現実的な判断を下す可能性があります」


重光の口調には、わずかながら希望がにじんでいた。


「そして我々には……魔導という、新たな交渉材料がある」


その言葉に、閣僚たちは顔を見合わせた。


「魔導を……?」


「米国が核を持つなら、我が国は魔導を抑止力として持つ。そういう戦後構想が必要です」


重光の提案は、従来の軍事構想とは異なる道を示していた。戦争継続ではなく、魔導を核兵器と同等の“交渉力”として捉える外交路線。


「我が国の魔導は、祈りから生まれた力。今後は、その力をどう制御し、どう世界と共有するかが問われます」


小磯は深くうなずき、こう締めくくった。


「……では、米国との講和を最優先課題として進めよう。必要ならば、再び魔導の存在を世界に示してでも、戦争を終結させねばならん」


その決定は、戦後の日本の運命を決める分水嶺となった。


*


一方、軍部では別の緊張が渦巻いていた。大本営では、連合艦隊司令部や陸軍軍令部、大臣室、陸軍魔導研究所、海軍魔導研究所、海軍軍令部、陸海軍情報部などの高官が集まって会議をしていた。陸海軍参謀本部は粛清の嵐で欠席していた。


「反乱鎮圧は、ひとまず成功した。米国との交渉も始まった。しかし……この事態を見て、ソビエトがどう動くか」


長岡准将は険しい表情で地図を広げる。


「極東ソ連軍の動きに変化は?」


「不穏です。だが、まだ公式には何も動いていません。しかし、我が国の内情がここまで露呈した今、連中が攻め込んでくる可能性もある」


黙り込む将官たち。誰もが、「終戦」の後に待つ「冷戦」という現実に気づき始めていた。


「魔導があるからといって、我々の脅威が消えるわけではない。むしろ……新たな力をめぐる争いが始まる。その際には通常戦力も必要になる」


陸軍航空隊の赤野少将が静かに語る。


「我々はもう一度考え直す必要があるでしょうな。魔導とは何か。そしてそれと通常戦力をミックスさせた防衛体制の構築を」


会議室の空気が重くなる中、田所陸軍軍令部中将が立ち上がった。


「次の時代は、“魔導”という力をどう扱うかによって、国家の姿が決まる。我々軍人だけではなく、政府、そして民の声と共に歩まねばなるまい」


沈黙の後、誰かが小さくうなずいた。


——軍部断行の時代は終わり、祈りの時代が始まろうとしている。



1945年1月、ホワイトハウスの執務室には重苦しい空気が流れていた。


ハリー・S・トルーマン大統領は、大型のマホガニー机に広げられた報告書の束を睨みつけていた。机の上には、日本本土における奇妙な報告が積まれている。それは、物理的には説明のつかない“結界”や“魔導干渉”という言葉が並ぶ、従来の科学を逸脱した観測データだった。


「本当に……これは事実なのか?」


大統領は問いかけた。眼鏡の奥で視線を鋭く光らせていたのは、統合情報局のジェームズ.スティール局長だ。


「確認済みです。マリアナ近海での結界反応、東京上空に出現した防御障壁、そして最新の報告では、日本の『戦艦大和』が戦略級の魔導兵器を保有している可能性が高い。極めて限定的ながら、我々の原爆に匹敵するか、それ以上の抑止力です」


「ファンタジーじみているな……だが、現実は冷酷か。ソビエトは満ソ国境に軍を増派し、極東に圧力をかけつつある。スターリンは、我々の原爆実験の情報を知ったら次の手を打ってくるだろう。日本というカードをどのように使うか、あの男なら決して見逃さん」


トルーマンは椅子に深く沈み込むと、天井を仰いだ。


「魔導、か。これが新たな戦略資源になるのかもしれん。核だけでは世界の均衡は保てない。ならば……日本と手を結ぶしかないな。少なくとも、奴らの魔導がソ連に渡る前に」


ジェームズが一歩前に出て、低く声を落とした。


「イギリスとの講和に向けて、日本は動き出しています。貴国としても、外交的手段を取るなら今が最善の機会です。彼らは皇居での反乱を鎮圧し、政体も維持。交渉相手としての整合性は十分にあります」


「ルーズベルトならどうしただろうな……だが、私は彼ではない」


トルーマンは静かに立ち上がり、窓の外を見やった。真夏の陽光が、ポトマック河の水面を揺らしていた。


「ジェームズ、ジョージ、準備を進めろ。日本との講和に向けた交渉チャンネルを開け。イギリスに連絡しろ」


「「はっ」」


「歴史が動く瞬間というのは、いつも静かに訪れるものだ……魔導と核。恐ろしい時代になったが、同時にバランスの時代が来るかもしれん」


そう呟く声には、アメリカ合衆国の新たな道を決する覚悟がにじんでいた。




1945年1月15日、スイス・ジュネーブ。

中立国であるこの地に、米・英・日三か国の代表が集った。雪の残る湖畔に立つ会議場では、慎重な緊張と、戦争を終わらせようとする意志が交錯していた。

日本代表は重光葵外相を首席とし、随行に数名の外交官と、魔導関連技術の助言者として神崎真の名も含まれていた。イギリスからは外相アンソニー・イーデン、アメリカからはジョージ.マーシャル国務長官が出席している。

「まず、本件交渉の大前提として申し上げたいのは、日本帝国が現政体を維持していること、そして皇室の存続が認められることが不可欠であるという点です」

重光が開口一番にそう述べると、イーデンが穏やかに頷いた。

「英国としては、その点について異論はない。だが、領土と軍事の問題については、やや厳しく議論せねばなるまい」

マーシャルが資料を取り出し、日本側へとスライドさせる。

「合衆国としての条件を提示しよう。第一に、我が国が現在占領しているマーシャル諸島については、アメリカ合衆国の主権をもって正式に併合とし、日本が不法占領したマリアナ諸島は合衆国に返還いただく」

「……やむを得ませんな」

重光は即座に表情を変えず、次の書類に目を通した。

「第二に、パラオ諸島は日本に返還される。ただし、非武装化を条件とし、定期的な国際監視を受けること」

三つ目の条件はマーシャル諸島の保持――これは日本の南方拠点を完全に潰す意図があった。重光は目を伏せたまま、苦々しげにそれを受け入れた。

「次に、満州・中国大陸からの完全な撤退と、朝鮮・台湾に関してだが……」

マーシャルが言葉を選びながら述べた。

「それぞれの地域で、国際監視団による住民投票を実施し、独立・帰属を自由に選ばせる。その結果に一切の介入は認められない」

会場に微かなざわめきが走る。列強の植民地政策に対する一石ともなり得る提案だった。だが日本側にとっては、自国の版図が大きく削られることを意味していた。

「……独立か、我が国への帰属か……それを住民の自由意思に委ねる……」

重光は深く頷き、続けて問うた。

「最後に、講和後の日本の国際的立ち位置について、貴国らの見解を伺いたい」

今度はイーデンが口を開く。

「我々は、貴国がソビエトの南進を抑える戦略的防波堤となることを期待している。そのために――日本には連合国側の一員として、第二戦域での象徴的参戦を求めたい」

マーシャルも続いた。

「もちろん、主戦線での大規模な派兵は求めない。ただし、これは我々からソ連への明確な政治的メッセージでもある。日本が我々の側に立つならば、ソ連は軽々に極東へ侵攻できなくなる」

それは、魔導という新たな抑止力を持った日本を連合国側に組み込むという選択だった。

重光は神崎のほうを一瞥する。神崎は黙していたが、背筋を正し、しっかりと頷いた。

「……本国に持ち帰り、最終協議の上、返答させていただきます。ただ――」

重光は微かに笑みを浮かべた。

「この場が、後の世界にとっての転機であったと、皆が記すことになるでしょうな」

イーデンとマーシャルもそれに応じ、静かに握手が交わされた。

会議室の外では雪が静かに降り続いていた。世界はまだ、冬の中にある。しかし、この一室から、春を呼ぶ気配が生まれ始めていた。



1945年2月15日、スイス.ジュネーブ

講和の最終合意文書に、日・英・米三か国の代表が署名する音が響いた。小磯國昭首相の前に置かれた文書には、トルーマン大統領とチャーチル首相のサインが施されていた。

「……これにて、我が国は正式に戦争状態を終了し、連合国の一員として新たな道を歩みます」

静かな拍手が起こった。それは熱狂ではなく、深い安堵と、複雑な決意を込めたものだった。

トルーマン新大統領が承認したこの講和は、米国による魔導という未知の戦力への対応でもあり、東欧を蹂躙し始めたソビエトへの牽制でもある。大戦の幕が降りる前に、新たな均衡が形作られつつあった。









横須賀の夜は静かだった。灯りが港を照らし、艦影が海面に揺れている。戦は終わったのだと、誰もがその静けさに耳を澄ませていた。


軍港近くの埠頭に立つ神崎真は、制服の襟元を風に押されながら、じっと海を見つめていた。そこへ、そっと足音も立てずに白石綾華が隣に並ぶ。


「……静かだね」

「うん。まるで全部が夢だったみたいに」


綾華の声には、どこか張り詰めたものが溶けていくような柔らかさがあった。真はゆっくりと彼女の横顔を見た。髪を風がさらい、海からの灯りが瞳に映る。


「講和の調印は今頃か……俺たちは……」

「ようやく、戦わなくて済むのかもね」


綾華の言葉に、真はかすかに笑う。だがその笑みにも、長い戦いの疲労と、名もなき死者たちへの祈りがにじんでいた。


「なぁ、綾華。終わったって言っても……俺たち、どうしたらいいんだろうな」

「わたしも分からない。でも……」


綾華は一歩踏み出し、真のすぐ傍らに寄った。その肩が触れる距離で、そっと呟く。


「でも、あなたが隣にいてくれるなら……少しずつ、思い出していける気がするの。魔導じゃなくて、人として」


真の胸の奥が、静かに何かで満たされるような感覚に包まれた。海の灯りがふたりの影を長く伸ばし、その狭間に未来が滲んでいる。


「……俺も、そう思うよ。これからは、祈りを守るための力じゃなく、誰かと共に生きるための力でありたい」


ふたりは言葉を交わさぬまま、しばらく海を見つめていた。港に停泊する艦の灯りが、星のようにまたたく。その下で、小さな平和の兆しが、そっと芽吹いていた。



 





病院の窓からは、冬晴れの空が静かに広がっていた。赤坂の国立病院――かつて多くの軍人や政治家が療養したこの地に、今は英雄となった男が眠っていた。


速水中佐はベッドの上に身を起こし、ぼんやりと遠くの空を眺めていた。包帯の下に痛みが残るが、それ以上に心の中に渦巻くものの方が重かった。


ノックの音に続いて入ってきたのは、小磯國昭首相だった。冬のコートを脱ぎ、椅子に腰を下ろすと、静かに微笑む。


「君には礼を言わねばならない。君の部隊がいなければ……この国は、きっとあのまま、炎に呑まれていただろう」


「……まだ、そうなっていないだけです。守ったというには、まだ早い」


速水は天井を見上げながら、かすれた声でそう答えた。小磯はうなずき、窓の外に目をやった。


「この国の未来がどこへ向かうかは……もはや、我々ではなく、次の世代が決めるだろう。だがな速水君。君が命を懸けてでも守ろうとした“祈り”は、きっと語り継がれる」


「祈り……か」


速水の目が細められる。その瞳には、かつて炎の中で見た皇居の光が宿っていた。


「戦いは終わった。でも、私は信じていない。これは……ただの始まりです。魔導がある限り、誰かがそれを望む限り、きっとまた」


「それでも我々は、進むしかない。戦わぬことを学んだ者だけが、魔導を手にして生きていける。私は……君たちにそれを託したいと思うよ」


小磯の言葉に、速水は静かに目を閉じた。


外では風が吹き、冬の光が木の葉を揺らしていた。名もなき兵士たちの祈りを乗せて、季節は確かに次の時代へと歩み始めていた。


これで第二次世界大戦編は終了になります。

最初の編の完結まで見ていただきありがとうございました。構想を練った後に冷戦を始めます。

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