白光の海人達
#第14話 白光の海人達
艦橋の時計が、朝六時を告げた。
戦艦大和は洋上で静止していた。内部での一連の内紛――急進派の鎮圧作戦が完了し、混乱を極めた艦内は今、凪のような沈黙の中にあった。
「――柴田艦長、敵艦隊を確認しました。距離、南東約二百カイリ。米軍と思われます」
報告を受け、柴田大佐は眉間に皺を寄せる。事後処理の途上で突如、戦場に引き戻されたような不意打ちだった。偵察機からの報告はあまり良くないものだった。
「……敵艦の編成は?」
「航空母艦6、戦艦6、巡洋艦多数。随伴駆逐艦も多数確認。さらに高高度を飛行中のB-29編隊らしき複数機影をレーダーで捕捉」
沈黙が艦橋に落ちた。
それは、間違いなく制圧の意思だった。先のマリアナ攻防戦、トラックという太平洋の要衝を米国が取られないために大兵力を投入してきたことは間違いなかった。
「……待ってはくれないか」
柴田の独白に、堀之内大佐が重々しく頷く。
「ここで逃げることはできませんな。……全艦戦闘配置を命じますか?」
「いや、現時点では戦闘準備止まりとせよ。勝手な戦端の拡大は避けたい。全艦に告ぐ、大和はこれより対空防御体制へ移行。すべての魔導師に配置命令を」
艦内に号令が響いた。
既に司令室は神崎らにより確保されており、香椎海軍中将、鶴岡陸軍中将、曽根崎少佐は憲兵隊の手により拘束済みだ。急進派の主力は無力化されたが、彼らの暴走が今、第二の戦争の火種となりつつあった。
海軍魔導陸戦小隊の堀之内大佐は、即座に部下へ命令を伝える。
「魔導展開班、急行! 広域防御魔導の発動準備! 主魔導師の白石少佐は現在戦闘不能だ。補佐クラスを中核に結界を形成せよ!」
「了解!」
既に戦闘の気配に目を覚ました魔導師たちが、艦の各所に散り始めていた。神崎は後部甲板に立ち、空を見上げた。
「この戦争。ここが勝負所だ。耐えきり、米軍を一度でも押し返し、国内をまとめあげれば...勝機はある。」
神崎は静かに目を閉じ、両手を組んだ。火の気配が、指先からゆっくりと立ち昇ってゆく。
――祈りは、戦いの果てにあるのではない。祈りが、戦いを止めるための力になるのだ。
「柴田艦長、各魔導師班の配置完了。広域防御結界、初期展開に移行します!」
「よし。米軍に大和を沈没させるな。日本の魔導を再度見せつけろ。我が国の価値を示すために」
艦内の全てが、静かに、しかし確実に戦闘へと向かっていく。
艦体が低くうなりを上げる。
それは、魔導機関の作動音――戦艦大和に搭載された、広域防御魔導の基幹システムが起動を始めた証だった。
艦内各所に展開した魔導師たちは、互いに視線を交わし、そして祈りの構文を唱和する。
「――我ら、命をつなぐ者なり。火の怒り、水の憤り、風の悲しみ、土の嘆きを超え、ただ一つ、護りを願う」
艦上、後部甲板。神崎真は目を閉じ、掌に集中する魔力を感じていた。
熱が、鼓動のように掌から心臓へ、心臓から空気へと伝播していく。周囲では、海軍魔導研究所出身の魔導師たちが水と風の構文を織り込み、結界の基盤を作り上げていた。
神崎は指先に炎を灯し、構文を再構成する。燃え盛る業火の精霊を、彼は自身の内に抱え、制御する。
堀之内大佐が、艦橋から魔導の連携状況を確認する。
「魔導障壁、展開進行率、七十二パーセント。結界安定指数、上昇中。いいぞ……このまま包囲全域に展開できれば、攻撃を防げる!」
「艦隊規模なので神崎は良いですが、海軍の魔導師達の負担が大きすぎます。いつまで耐えられるか」
副官の焦燥をよそに、堀之内は頷いた。
「それで十分だ。今は一撃目を防ぐ。そうすれば米軍は止まるかもしれない。彼らは無意味な消耗はしない。そして、それによって東京が――この国が次を選ぶ猶予を得られる」
神崎が構文を完成させた瞬間、空気が弾けた。
艦体を中心に、青白く輝く魔導障壁が放射状に展開し、空を覆うように弧を描いた。水と火、風と土――異なる属性の融合による、巨大な半球状の防御結界。
「展開、完了……!」
艦橋の報告と同時に、空が吠えた。
米軍B-29編隊が進入、爆撃態勢に移行。
だがその爆撃は、結界に阻まれ、激しい光と衝撃を残しつつも、大和を含めた艦隊を傷つけるには至らなかった。さらに高度の上昇が間に合わなかった百機を越えるB-29が決壊に衝突し爆散した。さらに空母から発艦した第一次攻撃隊の攻撃は一切艦隊にダメージを与えられなかった。
――そして、攻撃は、止まった。
米軍の空母機動部隊は第二波を準備していたが、彼らのレーダーは、異常な反応を示していたことから攻撃をためらった。さらに大和に近づき対艦戦闘を行おうとした巡洋艦隊は海面から噴き出すように展開される魔導エネルギーの巨大な渦。見たこともない――理解の外にある光景に、指揮官たちは躊躇しその進みを止めた。
「魔法……あれが、“戦略魔導”というやつか」
結論的に言えば、強硬に日本への攻撃を主張していたルーズベルト大統領が病気で亡くなったこと、その後の大統領継承準備のために米艦隊は一度再編成することになったため、撤退を決定した。
大和の艦橋に設置された観測機器が、敵艦隊の動きを記録していた。
「……踏みとどまったか。」
空を覆っていた結界の輝きが、静かに薄れてゆく。
艦上の海軍魔導師たちは、その場に崩れ落ちる者もいた。戦闘とは違う、祈りによる魔力と精神の極限的な消耗が、肉体を容赦なく蝕んでいた。
「さすがに疲れたな...」
神崎も額の汗を拭き取り、疲れたように船内に戻った。
堀之内大佐が息を整えながら、柴田艦長に声をかける。
「敵艦隊の動きも、偵察機によって確認。一時停止後撤退を開始している模様」
「本艦は転回行動に移れ。目的地は……東京湾だ」
柴田の声は低く、だが迷いはなかった。
「魔導による自衛。これは決して、無謀な破壊ではないと示す必要がある。我々は再び、軍としてではなく、“祈り”を携えた者として、東京に戻らねばならん」
命令が伝達され、艦内は再び静かな緊張感に包まれた。
艦体がゆっくりと転回を開始する。濃い灰色の海を割りながら、大和はその巨大な身を太平洋から東へ、東京へと向けて動かし始めた。
それは撤退ではなかった。
それは、帰還でもなかった。
それは決意――この国の運命を変えるための航路。
船内の医務室に来た神崎は、まだ意識を取り戻さない白石を見つめる。
彼女の掌には、わずかに熱が残っていた。
あの闇の魔導を受けてもなお、彼女の魔力は消えていない。魔導とは、ただの力ではない。祈りであり、想いであり、誓いだ。
艦上に夕日が差し込む。血のような赤、それは沈みかけた太陽ではなく、新たな夜明けの兆しだった。
誰もが疲弊していた。
だが、より良い未来を掴み取るために行動していた。
戦艦大和は、祈りを乗せて進む。再び焦土となることを拒み、世界に問いかけるために。
「我々は、なぜ戦うのか」
――そして次の物語が、東京で始まろうとしていた。




