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野望の矛

#第12話 野望の矛



 戦艦「大和」の艦橋は、冷たい緊張に包まれていた。出港から2日。蒼く広がる太平洋の下、巨艦は黙々と南へと進んでいたが、その行き先は明確に知らされていない。

 神崎は艦内の仮設魔導制御室で、祈りの回路を調整していた。けれど、どうしても胸の奥に拭いきれない疑念があった。――この魔導炉は、なぜここまで戦闘向けに調整されているのか。祈りの力を増幅する仕組みは、戦略級魔導発動の構成そのものだった。

 「神崎中尉、少しお時間をいただけますか」

 艦内通信機から、女性の声が低く響く。

 指定された部屋に入ると、白石がすでに一人で待っていた。その手には封筒が握られていた。

 「この艦が出たのは……政府の命令じゃないわ」

 白石は唐突にそう言った。

 「……どういう意味ですか」

 神崎が思わず問い返すと、白石は封筒の中から一枚の文書を取り出した。それは、連合艦隊司令部に残された草鹿司令長官から、密かに融和派の艦長に託された文だった。

 「草鹿司令が、横須賀から駆逐艦『初霜』の鷹野中佐に託したの。彼は私の同期の兄で、昨日、密かにこの文書を艦載艇で運んできた。艦長も了承してくれたけど、公式には誰にも動けない。だから私が、あなたに伝える」

 神崎は文書を受け取ると、目を通した。そこには、以下のように記されていた。

 《本作戦は正式な政府決定を経ていない。海軍参謀本部と陸軍参謀本部の急進派が、協議を封殺して独断で強行した可能性が高い。魔導の使用、特に戦略級の使用には慎重を期せよ。東京は混乱の極みにあり、君たちの行動に期待する。》

 静かな怒りが、神崎の胸に湧き上がる。

 「……やっぱり、そういうことか」

 白石はうなずきながら言った。

 「出撃命令にしては、あまりに情報が少なかった。目的地すら不明瞭。しかも、乗艦している一部の魔導士や将校の顔ぶれ……あきらかにおかしい。研究所で見たあの魔導発動補助装置、あれをここで試すつもりなのよ」

 「ヒノカグツチを――」

 神崎が呟くと、白石の瞳に鋭い光が宿った。

 「一発目が“抑止”としての効果を持った。なら、二発目は“制圧”のための使用に格上げされる。……あの人たちは、戦略魔導をただの兵器だと誤解してる。これは祈りよ、信仰よ。ただの爆弾なんかじゃないのに……」

 白石は、机を強く叩いた。

 「私は、あなたほどは強くないけど魔導師よ。祈りの意味を、ちゃんと知っているつもり。だからこそ、これ以上、好き勝手にはさせたくない」

 神崎は深く息を吸い込んだ。確かに彼女の言う通りだ。魔導とは、人の魂が込められた祈りだ。ただの兵器ではない。だからこそ、使ってはならない局面がある。今がその時だ。

 「……味方はいるんですか」

 「公には命令に従うしかない。でも、協力してくれる。通信士や技術士官にも、融和派はいる」

 神崎は、立ち上がった。

 「俺にできることがあるなら、やります。……止めるしかない。もう一度、あの炎が世界を焼く前に」

 静かに、しかし確かな決意

 艦内の一角、兵員食堂の隅に集まった四人。神崎真、白石綾華、整備士の飯塚、そして通信兵の志村。志村が手元の艦内配置図を開いた。


 「問題は艦内のどこに“味方”がいるか、だ。反対派の士官は艦橋には近づけない。だが、砲雷科や機関科にはまだ中立的な連中も残ってる。特に整備班は、次のヒノカグツチ発動に不安を抱いてる」

白石が言う。

「香椎、鶴岡、曽根崎……艦内の三本柱が完全に急進派。艦長の命令系統を表面上残しつつ、内実は完全に“彼らの艦”よ。私たちが動くには、まず内部に小さな“穴”を開ける必要がある」


 飯塚が整備士たちの顔ぶれを数えながら口を開いた。


 「……蒸気圧配管の定期点検がある。甲板下、第三隔壁で三名の作業が必要になる。そっちを我々で押さえれば、通路を一時的に封鎖できる。艦橋との通信も遮断できる」


 「そこから、艦長を奪還できるかもしれない」


 神崎は確信を込めて言った。白石は少し考えた後、頷いた。


 「私が医務室を通じて、艦長に接触してみる。仮病でも何でもいい。艦長がまだ話せるなら、状況をこちらに引き寄せられるかもしれないわ」


 「動けるのは一度きりだ。ミスれば、こっちが拘束される」


 志村の言葉に一同が頷く。その時、艦内スピーカーが一斉に鳴り、簡潔な声が響いた。


 《全乗員へ通達。三時間後、艦内魔導結界の点検演習を実施。全魔法師は点呼の上、持ち場にて待機せよ》


 「……実質の予行演習だな」


 飯塚が苦々しく呟いた。神崎は、わずかに手を握りしめた。――時間がない。


 司令室では、三人の将官が談笑していた。

 香椎中将は艦橋直属の指揮官でありながら、軍令部にはほとんど報告を挙げていない。陸軍から“連携参観”という名目で乗艦している鶴岡中将は魔導推進室の創設メンバー。そして、若き魔導師・曽根崎は、陸海の壁を越えて実戦指揮権を持つ存在として恐れられていた。


 「結局、中央は“遅すぎた”のだよ。祈りに真価を見出したのは我々だった」


 香椎が杯を傾ける。軍艦の中とは思えない落ち着きぶりだった。


 「政府は恐れている。“戦後”を、ではなく“勝利”を。だが戦争に勝たずして、何を語る?」


 鶴岡が応じる。


 「ルーズベルトも、我々の力を本物と認めた。だからこそ原爆を落とした。だが奴らは一手遅れた。我々は二撃目を撃てる。しかも今回は“戦場”でだ」


 曽根崎は微笑みながら、言った。


 「……第二の“灰色の聖夜”を、太平洋のど真ん中でやってみせる。これでいいんだ。“祈り”は勝利とともに世界を照らす。神話とは、勝者が語る物語だろう?」


 その目に、何の迷いもなかった。


 大和の魔導結界演習は、予定通り開始された。

 神崎は整列した魔法師たちの列に加わり、無言で持ち場についた。白石はその隣に立ち、仲間たちと目配せを交わしている。

 「こちら第一班、反応結界正常、展開完了」

 「こちら第三班、転写陣の干渉なし、負荷変動範囲内」

 規律正しい報告が続く中、艦内には一見、秩序が保たれているように見えた。だがその実、各所で“それ”は始まっていた。

 ――整備科の主任が、一つずつ通話回線を遮断していく。

 ――医務室の補助士が、艦長の仮病診断を裏付ける書類を通達。

 ――兵員区画では、白石が秘密裏に魔導研究所の旧知の同僚たちと合流し、行動計画の最終確認を行っていた。

 演習終了の報が艦内に響いたのは、それからちょうど三〇分後。

 《各班、持ち場より解散。次回展開に備え装備の再点検を行え》

 神崎は無言のまま自分の長衣を脱ぎ、背中に背負っていた補助機構をゆっくりと下ろす。

 「“演習”は終わった。次は本番だ」

     *

 艦内の一角――かつて通信参謀が詰めていた空室。今は白石たちが臨時の作戦室として使っていた。

 「突入は、三手に分かれる」

 白石が手書きの艦内見取り図に線を引く。

 「第一班は柴田艦長の安全を確保後、司令室へ向かう。香椎、鶴岡、曽根崎がいる可能性が高いが、戦闘してでも彼らを制圧する。」

 「第二班は艦の重要処である艦橋を制圧する。」

 「第三班は艦橋下の機関制御区画を制圧。出力制御を一時的に奪って、魔導反応炉の誤作動を回避する」

 神崎が白石を見た。

 「曽根崎と、やる気か」

 「ええ。……あの人は天才よ。でも、命を張らなきゃいけないときもあるわ。」

 白石は背後に控える研究所出身の魔法師たちを振り返った。全員が無言で頷いた。

 「彼らも知っているの。魔導は、ただの破壊の術じゃない。人の心の深淵に触れる力だってことを」

     *

 同じころ、艦橋では異様な空気が漂っていた。

 「魔導炉、出力安定。再充填率、想定より早いな」

 香椎が腕を組みながら曽根崎を見やる。

 「第二撃の準備が整えば、我々は“歴史”を刻む。東京での一撃は防衛だったが、今回は“制圧”だ。祈りの力が、敵を屈服させることを証明する」

 鶴岡が机上の報告書を指で弾いた。

 「ルーズベルトは次の原爆を使うかもしれん。だが、我々の先制打撃が成功すれば、敵も和平を選ぶしかない。我々の勝利の定義は、“撃つこと”ではない。“撃てる”という事実だ」

 曽根崎は微笑む。

 「ならば我々が“最強の魔”を、最も冷静に制御していることを、世界に示すべきだろう」

     *

 司令室から遠く離れた、狭い昇降口にて。

 神崎は最後の確認をしていた。

 「突入開始は、〇一三〇。誰も死ぬな。だが、ためらえば、未来が死ぬ」

 白石が横に並び、呟いた。

 「この艦に、祈りを取り戻す。魔導が“道”である限り、私たちはそれを踏み外しちゃいけない」

 士官服の内側に隠された魔導陣が淡く光を帯び始める。白石と神崎が最後に視線を交わした瞬間、昇降口の扉が音もなく開いた。

 ――奪還作戦、開始まで、あと五分。


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