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灰に舞う鼓動

#第11話 灰に舞う鼓動


灰色の冬空の下、東京・永田町にある首相官邸は、いまや政府中枢としての体をなしていなかった。原爆投下から数日、政府の一部は停戦交渉に傾く一方で、軍部の一角は徹底抗戦を叫び、官邸の空気は裂け目のように分断されていた。


「これ以上の破壊を国土に受け入れるわけにはいかん」


首相・小磯國昭は、やや掠れた声でそう言った。傍らには外務大臣・重光葵が沈痛な面持ちで控える。


「重光、君のほうはどうか」


「スイスの外交ルートを通じて、英政府とは一定の合意に至りつつああります。」


「講話しか道はない。これは我が国の存続の問題だ」

小磯国昭首相が言うと、外務官僚出身の閣僚たちは皆、頷いた。外交官ルートを通じてスイスでの交渉は進展していた。問題は、軍だった。

「陸軍参謀本部、海軍軍令部、いずれも講話には反対。むしろ、戦力集中による反撃を主張しております」

重光は苦々しげに言う。

「狂っている……今は国の命運を賭ける時ではない、守る時だ」

首相は唸る。だが官邸は、軍部を止めるにはあまりにも弱かった。


一方その頃、海軍省。海軍参謀本部の会議室には煙草の煙が充満していた。

「やられたら、やり返す。それが戦争というものだ。トラック、パラオ、フィリピン、すべてを取り返し、敵に後悔させてやる」

海軍参謀本部次長・清水少将の声が響く。

「戦略魔導兵器の再使用、あるいは再展開は可能なのか」

「十分可能と報告を受けている。ヒノカグツチを再搭載した大和が先行し、神崎中尉を中心とした魔導部隊が随行する形となる」

彼らは、もはや政府の命令系統に従っていなかった。


連合艦隊司令部では、山本五十六の後を継いだ司令長官・草鹿龍之介が、沈痛な表情で報告を聞いていた。

「大和、既に呉港を出航。命令書は海軍軍令部経由……我々には何も知らされていなかった」

「暴走だ……なぜ私に報告がない……」

融和派と急進派が半々に割れる連合艦隊では、統一した指揮系統を取ることができない。草鹿は、両腕を組んだまま動かなかった。


同時刻、市ヶ谷の陸軍省。陸軍軍令部では、田所中将が軍参謀からの報告に顔をしかめていた。

「海軍が勝手に出したのか?それとも陸軍参謀本部と結託していたのか?」

「……正直なところ、どちらもです。参謀本部と魔導推進室が強硬に後押しし、魔導研究所も実行部隊を派遣してしまったようです」

「それで……神崎中尉は?」

「大和に乗艦しております。命令ではなく、研究所側の判断での同行とのことです」

田所は深く息を吐いた。

「速水中佐は?」

「東京に残っております。大和の出撃には関与していない模様」

「ならば、少なくとも希望はある……」


そして同日、陸軍魔導研究所内の一室。速水中佐は、顔を青ざめたまま報告を受けていた。

「……神崎が、大和に?」

「はい。海軍魔導研究室の提案という形で、研究所から送り出されました。目的は、トラック諸島での魔導戦力行使の実戦データの収集、とのことです」

速水は拳を握りしめた。

「……研究所は、データのために神崎を売ったのか」

「彼を送り出したのは、急進派の上層部です。私たち現場には知らされませんでした。申し訳ありません……」

「謝らなくていい。動こう。神崎は戦うために魔導を習ったんじゃない。祈りの形を、捧げるために――」

速水は立ち上がった。


神崎が大和に乗せられ、出航したという報せを受けてから、速水中佐の行動は目まぐるしかった。

彼はまず、皇族のひとりである伏見宮博義王のもとを訪れた。伏見宮家は代々海軍と繋がりが深く、速水とも幾度か顔を合わせたことがあった。

「突然のことで申し訳ありません、殿下。しかし……神崎中尉が魔導戦力として、大和と共に戦場へ送られました。これは、陸海軍急進派の暴走です」

速水の声はいつになく切迫していた。

伏見宮は黙って茶を啜り、一息ついた後、視線を上げた。

「神崎真、という青年か。昨年、魔導適性者の中でも希有な存在として報告を受けた記憶がある。君の部下であり……友人でもあるのかね?」

「はい。彼は……魔導とは祈りであると信じている人間です。破壊のためにその力を使うことに、最も抵抗を抱いている。今の軍部の行動は、その信念を踏みにじるものです」

伏見宮はしばらく目を閉じたあと、小さく頷いた。

「君の言葉に偽りはないようだ。……しかし、今の私にできることは限られている。軍の正式な命令系統の外に出てしまった大和に、皇族として介入することは……難しい」

「それでも、どうか軍内の融和派と繋がるための仲介をお願いします。海軍の中にも、まだ理性を持った方々がいるはずです」

伏見宮は再び頷いた。

「分かった。草鹿司令長官には私から話そう。君も動きなさい、速水中佐。軍に真っ当な声が残っているなら、それを束ねるのは今だ」

礼を述べた速水は、皇居を後にし、次に市ヶ谷の陸軍省へと向かった。陸軍軍令部次官・田所中将のもとである。田所は、軍のなかでは少数の融和派として知られていた。

「速水か……神崎少佐の件、聞いている。私も驚いた。海軍の動きには全く知らされていなかった」

「田所中将、陸軍のなかにもまだ判断を誤らぬ人々がいると信じています。いま軍を止めねば、日本は……魔導によって己を焼くことになります」

「分かっている。しかしな……参謀本部と魔導推進室は既に講話派を“敗北主義者”と断じている。彼らの中には、魔導は“神罰の再現”だと信じている者もいる。止まらぬ暴走だ」

「それでも、田所中将のような方が踏みとどまらねば……戦後に未来はありません」

田所は苦々しく笑った。

「そうだな。速水、君の言う通りだ。君の声に賭けよう。私が動ける限り、参謀本部と距離を取る人間を集めてみよう」

速水は深く頭を下げた。


次に向かったのは、呉に残る海軍魔導研究所――かつて神崎が訓練を受けた場所の一つでもある。そこには、かつて神崎と共に研修に参加していた海軍技術少佐・南條真人の姿があった。

「……速水中佐、やはり来ましたか」

「南條。神崎は、今どこに」

「大和です。出港直前に、護送に同行するという名目で強引に乗せられました。上層部の命令に逆らえば……研究職は干されます。誰も止められなかった」

「……あいつを戻す。絶対にだ」

南條はゆっくりと口を開いた。

「一つだけ手があります。大和の出港は急進派の海軍軍令部と参謀本部の独断。連合艦隊司令部はこれに反対しており、彼らはまだ動けずにいる。草鹿司令長官と接触できれば……」

「皇族に話は通した。草鹿長官とも繋がれるはずだ」

「なら……まだ、間に合うかもしれない」


その日の夜。霞が関にほど近い、軍関係者の集会場にて。速水は、田所中将、海軍の南條少佐、そして伏見宮を介して草鹿の使者と接触した。

「我々は、急進派の暴走を止める意思を持っている」

「神崎少佐をこのまま見殺しにはできません」

「魔導は“抑止”として扱われるべきであって、乱発されるべきものではない」

四人は静かに頷き合った。今や国家は、魔導という新たな力を得たがゆえに、破滅へと一歩を踏み出していた。

それを止めるのは、祈りを知る者たちだけだった。


東京の冬は冷たく、凍てついた風が官庁街の石畳を吹き抜けていた。

速水中佐は、軍帽を深くかぶり直しながら、霞が関の一角にある旧海軍省の一室に足を踏み入れた。そこには、すでに三人の人物が集まっていた。


草鹿司令長官の代理として現れた海軍大佐・五十嵐、海軍魔導研究所の南條少佐、そして陸軍軍令部次官・田所中将である。どの顔にも疲労と焦燥が色濃く刻まれていたが、それ以上に、今この場に集ったことの意味を理解していた。


「――これが、海軍・陸軍・魔導を繋ぐ唯一の道だ」


速水は口火を切った。


「神崎中尉が乗艦した〈大和〉は、急進派の象徴です。彼らはあの艦と神崎を“神の刃”として使う気でいます。それを止めなければ、我々はまた――原爆と同じ絶望を米国に与えることになる。そうなれば講話は難しくなる。」


「だが、速水中佐」と五十嵐が厳しい声を返す。「〈大和〉はすでに太平洋を航行中だ。連合艦隊としても正式な出撃命令は出していない。艦隊司令部の承認を得ずに出航したことは、明白な軍規違反――しかし、現場は急進派の上官が押さえている」


「その上官とは?」速水が問うと、南條が答えた。


「海軍中将・鶴岡暁志。かつて海軍魔導研究にも深く関わっていた人物です。ヒノカグツチの軍事転用を最初に主張した男でもあります」


速水の眉がピクリと動いた。


「……あの男か。民間人の被害など一顧だにしない、“結果さえ出せば勝ち”の典型だ。神崎を道具としてしか見ていない」


田所中将が苦い顔で口を挟む。


「陸軍参謀本部も、これを好機と捉えるだろう。もし〈大和〉が戦果を挙げれば、“やはり魔導で勝てる”と主張する急進派が増長する。現に、魔導推進室の中には“米軍を太平洋から叩き出せ”などと声高に叫ぶ者もいる」


「だが我々にはまだ時間がある」

と速水は拳を握った。


「神崎は戦略魔導の適正者だが、強制されて使うことはない。彼自身の意思があれば、今はまだ――歯止めが効く」


五十嵐が低く呟く。


「神崎少佐が最後に語った言葉……“これは祈りの力であって、呪詛ではない”。私の部下が聞き留めていました」


速水は静かに頷いた。


「彼は信じている。魔導とは、人を守るためにあるべきものだと。それを歪めた者たちに対し、我々が抗わねばならない」


一同は黙した。だがその沈黙は、迷いではなく決意を育んでいた。


田所中将が椅子から立ち上がる。


「私は陸軍軍令部の中から動こう。中立的な研究者や魔導士の一部もすでに疑念を抱いている。彼らと連絡を取り、推進室とは一線を画す動きを作ろう」


「我々も、草鹿長官と連携して、連合艦隊司令部を正式に巻き込む」五十嵐が続ける。


「無断出撃の責任を追及し、〈大和〉の指揮系統を問い直す」 南條も決意を示した。


「魔導研究所の中には、神崎の理念に共鳴する者もいます。破壊ではなく、抑止としての魔導。彼らの証言と研究記録を、すぐにまとめましょう」


三つの勢力が、この夜にひとつの意志として結びついた。


――そして、速水は再び動き出す。


その日の深夜、彼は自室に戻らず、そのまま神崎の旧居を訪れた。室内には誰もいないが、机の上に、神崎が愛用していた一冊のノートが残されていた。


それを手に取り、頁を捲る。そこには、淡い字でこう記されていた。


「魔導とは、世界と通じる祈りである。誰かを焼き払うのではなく、誰かを守るために……」


速水は静かに目を閉じた。


「神崎……必ず、お前を取り戻す。そして、もう一度……この祈りの意味を問い直さてみせる」


外は雪がちらつきはじめていた。


白い夜に、一つの誓いが生まれようとしていた。


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