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7,公爵邸の朝

 初めてといっていいほどに、熟睡できた夜を過ごした。

 朝、目が覚めたユフィはベッドから身を起こしてそんなことを感じた。


 かれこれ一週間ほど前、ユフィ・ヒーシュタインは隣国ノーティル国から、このオリバンス国へ送られた。

 理由は、両国が交わした停戦協定においてオリバンス国が出した条件『王族か高位貴族の令嬢をよこせ』という要望に沿う者としてユフィが選ばれたから。


 ノーティル国は近隣国でも見ない、魔法を使える者たちが治める国。

 オリバンス国は近隣国でも見ない、獣の特徴を持つ獣人たちが治める国。

 長く争いを続ける両国は歴史から見ても解るように、仲が悪い。ノーティル国では獣人を「蛮族」と称して獣扱いし、オリバンス国では自分たちを野蛮扱いする人間に冷ややかな眼差しを向ける。


 そんな両国の間で交わされた停戦と、差し出されたユフィ。

 オリバンス国内での待遇が分からず、当初は人質のように扱われるのだろうと思っていたユフィだったが、国内に入ってからその待遇を知った。


 オリバンス国公爵家の一家、ウルフェンハード公爵家の子息、オルガ・ウルフェンハードと婚姻を結ぶことになったのだ。


 しかし、ユフィは己の待遇がどうであれ国王に会って真実を告げようと決めていた。

 オリバンス国が出した条件には「魔法が使える令嬢が欲しい」のだろうという裏が読めていた。


 しかしユフィは、魔法を使えない。


 条件に合っているとはいえ、承知の上でノーティル国はユフィを差し出した。オリバンス国を下に見ているから。

 オリバンス国もユフィが魔法を使えないと知れば激怒するだろう。ノーティル国は条件に合っていると素知らぬ顔をして、一層オリバンス国との関係は悪化する。


 そうならないように。自分の命で責任を取ろうと決めていた。

 それだけを考えてオリバンス国に入ってからを過ごしてきた。


 しかしそれは、ユフィも予想しない結果が生まれ、裏切られた。

 国王との謁見において城内で火事が発生。その消火にユフィが氷魔法を使ったのだ。魔法の使えない令嬢だろうと読んでいた王も好ましい誤算に喜び、貴族たちも口を閉じられぬほど驚愕した。

 全ては丸く収まったと、火事から三日間眠り続けていたユフィは後にそれを知った。


 上体を起こしたユフィはくるりと室内を見回す。

 慣れない広い部屋には大きく柔らかなベッドと数の少ない服を収めるクローゼット、テーブルとソファ、机もある。そんな寝室の隣は壁がくりぬかれた形で私室の応接間に繋がっている。そちらにも家具が配置されており、その全てがユフィにとっては縁のないものばかり。


 ここはウルフェンハード公爵邸における、若奥様の私室だ。

 が、周囲の輝くような価値ある品々を見てユフィは俯いた。白く長い髪がさらりとこぼれ、その横顔を隠す。


(これからどうすれば……)


 本当ならここにいるはずがない。とうにこの命は終わりを告げているはずだったから。

 なのにまだ、自分の心臓は動いている。


(わたしが魔法なんて、きっと、なにかの間違い……)


 思わずぎゅっと拳をつくる。


 これまでずっと魔力がないと、魔法を使えないと思っていた。なのに今になって、実は使えるんです、なんて。

 百歩譲って使えたとしても、火事のときのことははっきりと憶えていない。どうやって魔法を使ったのかは分からない。だから、もう一度やれと言われてもできないと思われる。

 それで、魔法が使えると言えるのか――。


 ふと目を動かしたユフィは、ベッドの傍にある花瓶に生けられた花を見つけた。

 まだ瑞々しさが残る葉と俯くことのない花。白い花はこの公爵邸の庭で見た覚えがある。けれど記憶には部屋に花など生けられていなかったはず。


 誰が生けたのか予想できて、ユフィは瞼を震わせた。


 噂に聞く獣人など、やはり噂でしかなかった。

 公爵邸の獣人たちは探る目を見せる者もいるがあからさまな敵意は感じさせない。納得できないことや不満はあって当然だとユフィは思っているから、そういう態度を非難するつもりなど毛頭ない。

 それになにより、この公爵邸の主が、どの獣人よりも優しい人だ。


『例え国が決めたことであっても、君は俺の妻だ。これからもそうあってほしいと俺は思っている』


 毛嫌いして当然の国の人間に、オルガはそう言った。

 オルガ自身も国に結婚相手を決められた、それも敵国の娘を娶ることになった。迷惑を被っているのはオルガだとユフィはつくづく感じている。

 そんな彼が言った言葉がユフィを苦しめる。


 俯いて、ユフィはそっと自分の身体に腕を回す。オルガがくれたようなぬくもりは感じられない。

 落胆して、しかしユフィは頭を振った。


(やっぱりわたしにはもったいないし、相応しくない……。きっと、もっとちゃんとした獣人の奥様のほうがいい)


 オルガは否定してくれた。けれど、その気持ちを信じることができないユフィは、そっとベッドを下りた。


 窓の外はまだ夜が明けるくらいで薄暗い。

 身に沁みついた感覚は消えることはなく、ユフィはメイドを呼ぶこともなくクローゼットを開けた。


 オリバンズ国へ来てからの三日間、ユフィは王に真実を伝えることと、迷惑をかけないよう大人しくしていることに集中していた。

 王に会えば全てが終わる。それまでのことだと、そう思って。


 しかしそれは現実にはならず、ユフィはこれまでと変わらぬままウルフェンハード公爵邸で過ごすことになった。

 そうなると、ユフィもこれまでどおりにはできない。


(なにか、なにか、お手伝いを……。せめて自分のことくらいは)


 オルガの妻だと言われても、そう遇されても、それが不相応のものであることは自分が一番分かっているから。

 だからせめて、役に立てることを。


 ユフィは急いで寝間着を着替えた。クローゼットはオルガがくれた服が収められており、その中でも一番簡素で一人で着られるワンピースを迷った末に手に取る。


 着替えてすぐ、ユフィは部屋を出た。

 屋敷内はまだ静かだ。使用人が動き回っているのは一階だろうと見当をつけ、ユフィも脱いだ寝間着を手にしたまま一階へ向かう。


 ユフィにとってウルフェンハード公爵邸はまだ慣れない環境だ。普段から俯く姿勢であるユフィはとかく足元に意識が向くことが多く、頭上や眼前はうかがうようにしか視線が向かない。

 きょろきょろと周りを見ながら一階へ辿り着いたユフィは、周りを見ながら思案に暮れた。


(洗濯場はどこだろう……。皆さんがお仕事されているところをもっと見ておけばよかった)


 厨房には料理人たちがいるだろうから彼らに聞けば分かるかもしれない。けれど彼らも仕事中であり、他人との会話に慣れていないユフィは聞くことに迷ってしまう。

 だから外に繋がる扉を開けて、そのまま屋敷の裏側へ向かった。


(ヒーシュタイン家ではそうだったけれど、洗濯場は裏手かな……。オリバンズ国ではどうだろう)


 こういった何気ない生活の中にも、人間種と獣人種の生活の違いはあるのかもしれない。

 そう思いつつ屋敷の裏手に向かったユフィは、目的のものを見つけてほっと息を吐いた。


 すぐに近づいて周囲を確認する。

 洗い場は濡れても問題がないように石造りで、立ったまま洗い物ができる場所と足で踏みながら洗える場所とがある。洗濯物を入れる盥はすぐに目につく位置に整えて置かれている。

 洗い場の傍に甕と桶が置かれており、ユフィは何気なく蓋をとってそれを覗いた。中身はとても少ないようだが、揺れる水面から入っているのが水だと察することができた。


(これなら洗濯ができる)


 洗うものは自分の寝間着だけ。生地を傷めないよう加減して、ちゃんと返せるようにしておこう。

 そう思ったユフィはすぐに桶に水を入れ洗い場へ移る。盥の中に寝間着を入れて揉み、洗い始めた。


 夜明けの空は色の変わりが早い。空が白み始めて暁が昇る、庭の緑に徐々に陽の光が当たりだせばその色が輝きだす。山の陰から太陽が姿を見せ、屋敷を照らし始める。

 一日の始まりともいえる光景が周囲を流れるが、ユフィはそれに目を向けることはなく一心不乱に洗い物を続ける。


『まだ洗濯なんてやってるの? あーあ。水魔法も使えないから水汲みからやってるなんて、本当に無様ね』


 耳に蘇る笑い声。それでも必死に自分に与えられたことをするしかないのだ。

 洗濯をする音だけが耳に入る中、不意に「あれ?」と知らない声が近づいてきた。


「もう洗濯中? 若と若の奥様の食事の準備じゃないの?」


「あ、え、その……」


 俯く姿勢のまま手を止め、声の主に視線を向ける。そしてユフィははっと息を呑んだ。


 種族特有の耳や尻尾が生えた獣人たちには当初から驚くことはなかった。話に聞いていたとおりで、そういうものなのだと知っていたからこそユフィも驚くことはなかった。

 しかし今、目の前の人物には少し驚いた。


 姿は人のそれと同じ。違うのは、その背に大きな黒い翼が生えていること。

 年はオルガと変わりないくらい。その髪色は翼と同じ漆黒で短い。人当たりの良さそうな表情は、言い澱むユフィを見ても自然と不思議そうにするだけ。その肩には両端に桶が付けられた棒を担いでおり、重たそうに揺れている。


 オリバンズ国は獣人たちの国とは知られていても、その中にどういった獣人たちがいるのかはノーティル国では知られていない。両国の関係性を表すかのような、ほとんど内情を知らない同士だ。

 耳や尻尾という特徴を持っているとは知っていたが、まさか鳥がいるとは知らなかったユフィは刹那驚いて、すぐに視線を洗い物に戻して手を動かした。


「せ、せめてこれくらいはと思ってお先に失礼を……」


「ふーん。あ。これ追加の水ね」


 言いながらユフィの後ろを通り、担いできた桶を置くとその中身を甕の中へ移し替える。慣れたような作業を横目に見つつユフィは手早く洗濯を終えた。

 あとはこれを干せばいいだけだ。そう思いながら桶の水を流したとき、三人目の人物が駆け込んできた。


「若奥様! こんなところにっ……!」


「え、あ、その……」


 鳥の特徴を持つ青年とは全く違う驚愕に満ちた声にユフィも肩を跳ねさせた。反射的に俯く姿勢がさらに深くなり、垂れた前髪の隙間から相手を覗き見る。


 やってきたのはメイドだ。メイド服のスカート部分を手に持ち、慌てているのか少し息が上がっている。

 獣人特有の特徴がないのは人間種の証。そしてその顔は、ユフィが公爵邸に来てから身の回りを世話してくれたメイドの一人、ミュレスで間違いない。


 大きく息をしながらユフィに近づくミュレスと、後ろから感じる視線。逃げ場がなくユフィはさらに俯いた。


「お部屋にいらっしゃらないので皆でお探ししていたんです。よかった……」


「もっ…申し訳ありません」


「どうかされましたか? ……何か、ご不便でも?」


「いえっ! とんでもありません。ほ…本当に、皆さまにはよくしていただいてばかりで……」


 俯いたまま、けれど必死に両手を否定に振る。その様子にミュレスはぱちりと瞬き、ほっとした様子を見せた。


 突然決まったオルガの結婚。しかも相手は隣国ノーティル国の令嬢。

 どんな罵詈雑言を並べる令嬢が来るのかと身構えていれば、自信なさげに俯く小さな令嬢。想像していた言葉もなにひとつとして向けてこないどころか、使用人にも敬語を使うほど。

 公爵子息の妻としてはまだまだ不適格な部分はあれど想像よりずっといい人であることが、使用人たちの目を和らいだものにさせている。


「洗濯してたよ。洗いたいものがあるんだってさ」


「洗濯……?」


 ユフィの後ろからやってきた男の言葉にミュレスは思わずユフィを見た。

 その手は後ろに回され何かを持っているのが分かる。それが洗濯していたものなのだろう。そう理解し、ミュレスははっとした。


「若奥様! この三日間お眠りになられていましたよね!?」


「は、はい……」


「昨夜は若旦那様がお見舞いされ、目を覚まされたと!」


「は、はい……」


「こんな朝早くから若奥様はこっそり洗濯! これは若旦那様にご意見申し上げねばなりません!」


「はい……?」


 なぜかミュレスは目を燃やし触れられぬ勢いのまま屋敷内へ駆けていく。呼び止めるなどユフィにできるわけもなく、風を生み出して去っていった背中を呆然と見送った。

 そんなユフィの後ろからのんびりとした声が届く。


「若、そんな飢えてねえと思うけど……」


「あの……」


「あ、気にしなくていいから。それより、それ干して、さっさと飯食いに行きません?」


 ユフィのことをオルガの妻だといつから分かっていたのか。屋敷内の全員と面識があると思っていないユフィは、隣の青年の言葉に視線を外す。

 そんなユフィを青年はじっと見つめた。


 公爵家の騎士であり鴉の獣人である彼の名を、リークヴェルという。

 ユフィが公爵邸に来たときにはその護衛陣の中には入っていなかったので、ユフィは初対面だ。しかしリークヴェルはユフィを見ていたので知っている。


 オルガが娶ることになったノーティル国の令嬢に当然いい印象などない。オルガを傷つける相手ならばそれはリークヴェルにとって敵であると同じ。


 が、王城で起こった火事の一件、それを解決させたユフィの魔法。そして、オルガ自身がユフィを妻として遇すると決めた。

 ユフィが眠っていた三日間のうちにオルガはそれらを屋敷の皆に伝えていた。だからこそ、ユフィが公爵邸に来たばかりのころよりも皆の視線は柔らかい。


 だからリークヴェルもオルガの命に従いつつ、ユフィを観察することにした。

 ――オルガが誑かされているという可能性が少しでも残っているなら、その見極めを行わなければいけない。


(朝早いし、洗濯してるし、獣人に平然としてるし。どういう女だ?)


 俯いている横顔はあまり見えない。顔の左側は包帯で隠されていてさらに前髪が覆っているし、俯いている視線のせいで顔全体が見えづらい。


「あ、あの……」


「腹減りました? 食堂まで案内を――」


「だ、大丈夫です……!」


 言うや否やユフィは駆け出す。リークヴェルは突然のユフィの行動に声をかけることさえできず、「ちょっと…!」と伸ばした手は空を切った。






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