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6,初めてのぬくもり

 ♦*♦*




 視界が真っ赤に染まったと思ったとき、ユフィの意識がゆっくりと浮上した。


 見慣れない天蓋。柔らかく沈む体。触り心地の良いシーツ。

 どこだろうと考えながら息を吸おうとし、コホッと小さな咳が出た。するとすぐ傍で何かが動く。


「目が覚めたか?」


 聞いたことのある声にユフィは視線を向けた。

 窓の外から射し込む月明かりが、その正体を映し出す。


 黒い髪と大きな耳。金色の瞳は暗闇でもよく見える。夜の闇に紛れるようなのに、今は月明かりがその姿を静謐な輝きで包み込んでいる。

 そんなオルガの姿にユフィは静かに頷きを返した。


「……わたし…」


「無理に喋らなくていい。火事から三日、眠っていたんだ」


「火事……。…! お怪我は…?」


「なにもない。君のおかげだ」


 朧げな記憶が段々とはっきりしたものに変わり始める。

 王との謁見。言葉の応酬と周囲の視線。そこで真実を伝えようとしたのだ。そしたら――…


「…あの…火事は……」


「原因は厨房での不手際だ。だが、君の魔法のおかげで解決した」


「……」


 安心させるような声音が横になるユフィに向けられる。ベッドの側の椅子に座ったままユフィを見ていたオルガは、普段は俯いていて見えづらいユフィの表情をじっと見つめる。

 オルガの言葉に返る音はなく、室内には静寂が落ちた。


「…わたしが…魔法……?」


 小さく出た言葉にオルガの耳がぴくりと反応した。しかしユフィはそれには気づかず、視界を腕で覆う。

 そんな様子をオルガは見つめた。


(魔法が使えるのは事実だ。だというのに、何故使えないと思っていた…?)


 それこそ最大の疑問だ。だが今のユフィを見る限りその答えを持ってはいない様子だとオルガにも分かる。


 ユフィが魔法で火事を鎮めた後、城の医務室で休ませていたが目を覚まさず、そのままオルガが屋敷へ連れ帰った。途端、メイドたちが焦燥の様子で出迎えてきた。

 訝しむオルガに、ラウノアの世話を任されている年長のメイド――エラゼがこそりと教えてくれた。


『出発の折、若奥様はまるで……別れの礼でもするかのように私たちに深々と礼を…。それが妙に…』


 それを聞き、確信した。

 今、ユフィはまるで信じられない様子で先の出来事を己の中で思い返している。


(やはり、己は魔法を使えないと思っていたのか…。陛下にそれを伝え……死ぬつもりだった)


 そう結論付け、俯いたユフィの表情の下に見た寂しげな目を思い出し、無意識に握り合わせたを手に力がこもった。

 文字を教えようと言ったときに見せたあの目も、その必要はないと思っていたからだ。……諦めていたのだ。


(我が国が王族か高位貴族の令嬢を求めたのは魔法を求めているから。そう思っていたからこそ、己は期待に沿えないのだと――国の責任を全て一人で背負うつもりで……)


 オリバンズ国が出した条件としてユフィはなにも不適応ではない。だというのに、「魔法が欲しいんだろうから持っていない奴を送ろう」と平然とやってのけて、その責任を小さな娘に背負わせた。条件に合っているから悪びれる様子もなく。

 ユフィでさえ、オリバンス国が本当に求めているものは違うだろうから自分は相応しくないと解っているというのに。そんな国のために、己の身を、未来を、全て差し出す覚悟を持たされて。


(陛下の当初の考えは当たっていた。だが実際は…)


 ノーティル国に停戦条件を出したときから、国の中央では議論が紛糾した。

 本当に魔法を使える者が来るとは限らない。魔法が使えても間者かもしれないし、暗殺者かもしれない。オリバンズ国の有益に力を貸してくれる保証などない。貴族の中にはそう訴える者もいた。

 それらの言葉は当然のものだった。かつて何度も出した条件が素直に通ったことなどないのだ。


 貴族の中には『魔法を使える令嬢』と明確な条件を提示すべきだという声もあったが、それは早々に却下された。過去すでに提示時に却下されるという経験済みだ。

 故に、オリバンズ国国王は今回の条件を出した。だが当然、いいことばかりがあるわけではない。


『使えない者、というのが妥当なところだろう。それでも無下に扱うつもりはないが』


 議会の合間、執務室で王がそう言ったのを傍に仕えるオルガは聞いた。

 ユフィのような令嬢が来ることは最初から想定済みだった。


 令嬢をオルガが迎えることになったのは、獣人の中には妻を一人しか持たない種族や複数持つ種族とがあるからだ。一人ならば関係が上手くいかなければ後々よくないという考えもあり、現在条件に合うのがオルガだけだった。


 厳密に言うと、オルガはどちらでもいい種族である。

 父に妻は一人。祖父の妻は二人だったそう。オルガが血を引く獣種は妻を三人以上持たないが二人までなら、という過去がある。


 事前の王の言葉とユフィの様子から、オルガも王の言葉どおり魔法が使えない令嬢だと推測していた。それは当たっていた。

 だが実際は「自分は魔法を使えないと思っていた令嬢」だった。


 それを知った王は笑っていた。火事の後すぐ王子と執務室に入るなり面白そうに話したのを思い出す。


『謁見の間では「魔法は使えない」と言うだろうと思っていたが、火事といい魔法といい、よい想定外だ』


『陛下。お言葉ながら火事は喜べません。怪我人が出なかったのは幸いとはいえ、あんな窮地だったおかげでユフィは倒れました』


『妻を気遣うか。いいことだ』


『いやー。思ったよりずっと変わった令嬢だったけど。陛下、どう思います? あの令嬢』


『……ノーティル国は手痛い失態を犯したやもしれんな。オルガ。ユフィ・ヒーシュタインについて早急に調べよ』


『御意』


 オリバンズ国にとってこれは喜ばしい誤算だ。それは解るが、オルガは額に手をあてた。


 当初から『魔法が使える王族か高位の貴族令嬢』とすればノーティル国に拒まれる。だからオリバンズ国国王は「拒まれない形を取ろう」と貴族を説得し、その内心では「魔法を望んでいると思わせておこう」として、ぼかしてノーティル国に要求した。

 貴族の中には魔法を望む者も多いが、王が欲したのは魔法ではなく魔法についての知識だ。魔法が使えれば知識もあろう。魔法が使えなくても王族や高位貴族なら知識はあろう。そう考えての要求だった。


 オリバンズ国国王の狙いは成功し、ノーティル国もユフィ自身も「オリバンズ国は魔法を望んだ」と思っている。

 ノーティル国はぼかされたその要求をいいことに、条件に合うが魔法は使えないユフィを送り出した。


(恐らくユフィは魔法に関しての知識が少ない。調べさせている途中だが、マナーの拙さや物腰から見て貴族令嬢とは思えない育てられ方をしているはず。……替え玉はバレれば国家問題となるから派手にはしないだろうと思っていたが…。魔法が使えないと思うような環境とはどういうものだったのか…)


 その点だけは憶測であるが王にも報告済みだ。「魔法が使えるならば今後の経験から分かることもあろう」と、王は長い目で見るつもりらしい。その見守りは当然オルガの役目である。


 しかしオルガには一点、困惑していることがある。

 国境での争いに関してはオルガとて知っており、何度か実際に戦場に赴いたこともある。

 実際の戦場では、魔法が使えるという貴族は後方の安全な場所に集まっている。そこから魔法を使い、的確にオリバンズ国に打撃を与えてくるのだ。

 高位貴族の集まりであり、貴重な戦力でもあるので守りは厳重だ。守りにも魔法を使っているらしいのでなかなか手が出せないからこそ、オリバンズ国は身体能力が高い獣人が多くても決定打を与えられない。


(だが、疲労は滲ませていても、魔法を使って倒れる者など見なかった。それに氷も、実際に見たのはほんの数度しかない。それもあんな大きな物を瞬時に築くなど…初めて見たな)


 戦場で飛び交う魔法は、水や風、火を起こすもの、木や草に作用するもの、地面を割ったりするもの、そういうものが多かった。


 そこまで考え、オルガはふぅと息を吐いてユフィを見た。


「自分は魔法を使えない、そう思っていたんだろう?」


「っ…」


 ユフィが小さく息を呑んだ。その音をオルガの耳は聞き逃さない。

 それでもオルガは、ユフィが口を開くまでゆっくりと待った。数秒の静けさが際立ったときになってやっとユフィが頷いた。


「…はい」


「そうか…。ならもう不安にならなくていい」


「でも…」


「ユフィ」


 尚も言葉を紡ごうとするユフィを、オルガはそっと止めた。

 そっと席を立ちベッドに腰掛け直せば、ベッドが重さを受けて沈む。その感覚にユフィはそっと腕を除けて視線を向けた。


 普段は包帯をさらに髪で隠し俯いているユフィの顔が、横になった今ならはっきりと見える。隠そうとしないユフィの様子がオルガの胸に喜びのような感情を与えた。

 そっと、ユフィの手を、驚かさないようにそっと、手に取る。


「ユフィ。ありがとう。俺を助けてくれて。ありがとう」


「……っ!」


「何度でも言う。君のおかげだ。魔法が使えた君は俺の命を助けてくれた。魔法など関係なく君は俺の心を救ってくれた」


「……?」


「ありがとう。ユフィ」


 何度も何度も礼を告げる声は優しくて、その金色の目はとても柔らかくて。

 そんな声も眼差しも向けられたことがないユフィは、どうしていいのか分からず視線を彷徨わせるしかない。そんなオロオロとした様子にオルガはふっと笑みをこぼした。


(国が望んだのは魔法が使える令嬢のはず…。なのにオルガ様は、魔法なんて関係ないとおっしゃった。それは…どういう意味…?)


 考えることが多い頭では答えが出そうにない。

 ただ、触れている手が妙に熱いことだけは感じられた。


 魔法が使えない娘。卑しい子。だから自分はここにいる。

 それが知られればただでは済まない。そう思っていたのにオルガはどこまでも優しい。


(獣人は蛮族だなんて、やっぱり嘘。人間のほうが…ずっと…)


 冷たい目。嗤う口許。優劣をつくり相手を見下す。ユフィの傍に居たのはそういう人間だった。

 使用人の中には同情的な者もいたけれど、その多くは、関わりあえば継母たちに何を言われるかと危惧してあまり関わってはこなかった。


 オルガの手は、今まで触れた誰かの手の中で最も、あたたかい。

 だから、自分には触れていけないものなのだと分かった。自分には過ぎたるものだ。


「…わ、たしは…あなたに…相応しくないのです…」


「何故そう思う」


「い……卑しくて…汚いっ…。顔だってっ…見せられるものじゃないからっ…!」


 右目からあふれ出す雫をオルガは見つめた。


 ユフィは自分の顔を隠すように前髪をくしゃりと掴んで隠してしまう。…そんな姿に胸が痛んだ。


(ずっと、そういうことを言われてきたのか…)


 傷があるから。包帯を巻いてあって取れないから。言葉でユフィは嬲られた。そう思うとどうしようもない怒りを覚えた。

 その傷を癒すのに、どれほどの時間がかかろうか。


「君は、汚くない。卑しくもない。誰よりも清く、澄んだ心を持った人であり、俺の妻だ」


「っ……」


 オルガの手がきゅっとユフィの手を包み込む。

 その優しさにユフィの視界が歪んで仕方ない。嗚咽を殺すユフィを、オルガの大きな黒い尻尾が慰めるように優しく触れる。


 オルガの優しさに触れ、ゆっくりと身を起こそうとすればオルガがそっとその手を背に添える。そんなぬくもりにユフィは瞼を震わせた。

 身を起こせばいつものように俯いて、髪が表情を隠してしまう。部屋に明かりもなく、その表情はさらに見えづらい。


 オルガはただ案じるようにじっとユフィを見つめた。その視線を感じつつ、ユフィは怯えと緊張を混ぜた表情で少しだけ顔を上げた。

 髪の合間に見える表情。まるで意を決したもののように唇を引き結んでいて、オルガはそんな顔を見つめる。


 ユフィはオルガを見て、シーツの上で拳をつくった。

 これまでだって散々言われた。隠した顔もその下にある醜い傷も、とても人に見せられるものではなくて。見せたこともないから噂だけが先行し、けれどその噂よりも酷いのが現実なのだともう知っている。


 だから、受け入れる者など決していない。

 オルガだってきっと、この傷を見れば他の者たちと同じ顔をする。だから見せない――見せたくない。


 初めて心が受けた優しい言葉もぬくもりも、ここで振り払われてしまったら――どうなってしまうのだろう。そう考えることがひどく恐い。


「顔も…見せられないわたしで…よいのですか…。きっとっ! あなただって謂われない言葉を受けることになります。国の決まりとしてもっ、どこかにわたしを捨ててノーティル国にはなにも言わずにいればそれで――」


「それ以上言うな」


「っ…!」


 優しくも厳しい声が制止した。

 はっと唇を噛み、ユフィは俯く。そんな姿を見つめていたオルガがすっと腕を前へ出した。


「……!」


 突然全身を包んだぬくもりに身体が強張った。固まるユフィの頭上からは笑う吐息がこぼれる。

 こてんと額がオルガの胸に当たり、背中には離れることを許さない腕が回っている。腕と同じように尻尾まで回されていて逃げられそうにない。


 あたたかい。そんな言葉しか出てこなくて、誰かに抱擁されるのは初めてだと思い至った。母ですら抱き締めてはくれなかった。

 だから、誰かから初めてもらった包みこむぬくもりに、ユフィの右目から静かに涙がこぼれた。


「ユフィ。例え国が決めたことであっても、君は俺の妻だ。これからもそうあってほしいと俺は思っている。それは君にとって苦痛か?」


「そんっ…。ですが…」


「そうやって俺のことを気遣ってくれるその心が、俺にはなにより綺麗に見える。他者が君の傷にどういう反応をしようと、俺はそれを理由に拒みはしない。獣種の好意を甘く見ないほうがいい。だからユフィ。苦痛でないなら、傍に居てくれ」


 その答えは嗚咽に埋もれた。けれど耳が良い獣は聞き逃さない。

 だから、抱きしめる腕にきゅっと優しく力を込めた。それを感じてユフィは涙を止めることができなくなった。


(ここに居たい。この人の傍に――…)


 芽生えた想いを心の中で大切に包み込んだ。






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