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5,氷の柱

 出火現場ではボウボウと火が音をたてて燃えている。勢いは少しずつ衰えているが、鎮火させるにはまだ少々時間がかかりそうだ。

 冷静に消火作業に当たっていた騎士たちだったが、オルガが飛び込んだことで僅か動揺と焦燥を滲ませた。それは貴族たちも同じ様子で「あのオルガ殿が…」と動揺を見せている。


 その中、騎士は立ちすくむユフィを見るとその肩を揺さぶった。


「あんたノーティル国のご令嬢なんだよな! ってことは魔法が使えるんだろ!? 火を消してくれよ!」


「え……」


 火の勢いに劣らない気迫と言葉にユフィは呆然と騎士を見た。

 目の前の騎士は必死な様子だ。俯き加減の視線からその騎士が猫の獣人だということが分かる。


 そんな猫騎士の言葉に周囲の視線もユフィへ向く。

 王と王子はそんな全員を傍観するように見つめ、再び火事の方へ視線を向ける。


「そうだ! 魔法ならこの火も消せるんだろう!」


「早くしろ! なんのためにノーティル国の令嬢を迎え入れたと思ってる!」


「早く!」


 貴族たちも同じように声を上げる。その怒声に近い声がユフィを刺す。

 そんな声にユフィの体が震え、小さな拳が汗で滲んだ。


 急かす。求める。この国のためにと。民の命が危険だからと。

 ノーティル国の高位貴族の令嬢なら魔法が使える。周りの言葉は至極当然に飛んでくるもの。


(分かってる。解ってる。出来るならそうしたい。だけどわたしは――…)


『魔法も使えない役立たずだものね』


 王族や高位貴族の人間ならば使える力、それが魔法。火を操り、水を操り、風さえ意のままに操る。

 貴族の多くには魔力があるという。体内の魔力量に応じて使える強さは異なるが、強い魔力を有して産まれることが多いのが、王族や高位貴族。


 それを、ユフィは発現させていない。


『これだから、卑しい女の子どもは嫌いだわ』


 半分は、ただの平民の血だから。

 だから、ユフィは魔法を使えない。

 だから、ノーティル国はユフィをオリバンズ国へ送った。オリバンズ国は魔法が欲しいのだろうと読んでいたから。

 だからユフィは――。


「頼むよ! 隊長を助けてくれ!」


「お願いします! 娘を助けて!」


 なのに今、自分にはできないことを、できると信じている人たちが求める。

 そんな状況に。こうなるより先に告白しようと思っていたユフィは、言葉が出てこない。


 火の熱が届くのか。それとも体が熱いのか。喉の奥が乾燥して声が発せられない。


 今も懸命の消火作業を続けている騎士たちがいる。徐々にだが火の勢いは失われつつある。しかし、内部の火はまだ分からない。そしてオルガもまだ戻らない。


(火は、なかなか消えない。わたしだって知ってる。…火の中は恐い。逃げられない)


 今、炎は獣人を呑み込んでいる。

 人間種より遥かに優れた身体能力を持っているとしても、それでも無事でいられるだろうか。それはユフィには判らない。


(魔法が使えれば、すぐに火を消すことができる。なのにっ――…)


 使えない。魔力が流れていないから。

 助けたいのに。――助けられない。


 熱がユフィの肌を焦がす。その感覚には覚えがある。

 思わず、自分の体を抱き締めるように腕を掴んだ。


『動いちゃ駄目よ。絶対に――…』


 そう告げた、三日月の口。

 だからじっとしていた。しばらくそうしていたらバチバチと音がして。少し気になって外を覗いた。


 そしたら室内は真っ赤で。目の前に誰かが――…


「……っ!」


 記憶がフラッシュバックして、俯く頭を抱えた。


 顔の左側が疼く。痛い痛いと叫ぶ。

 同時に浮かぶ。炎に包まれた屋敷。逃げたいのに動かない体。肌を刺す熱と喉が焼ける感覚。


 痛くて、熱くて、怖くて。逃げたくて逃げたくて。

 でも、炎は容赦なく襲ってきた。


「なぁおい! 早く! オルガ隊長を助けてくれ!」


「お願いします!」


 縋られても動かない。そんなユフィに視線を向けず、王は抑揚なく告げた。


「ユフィ・ウルフェンハード夫人。そなたの力がなくともオルガは無事戻る。逃げ遅れた者を救出してな。焼け死ぬような状況でもオルガは救出は成功させよう。――皆も案ずるな。オルガは炎を寄せつけぬこともできる」


 火の爆ぜる音と一緒に、王の言葉はユフィの耳にいやにはっきり刻まれた。周囲で助けを求める者の声も、一切が消えてしまうほどに。


(…焼け死ぬ……? オルガ様が…? わたしが、魔法を使えないせいで…?)


 王の言葉が耳の奥で木霊する。


(魔法が…使えたら…。使えないわたしがここに来たせいで…)


 そしたら、万事解決できるのに。オルガを助け、逃げ遅れた娘を助けられるのに。

 ウルフェンハード公爵邸の使用人たちも。娘の家族も。誰も泣かなくて済むのに。


(――…嫌っ。そんなっ…!)


 熱でも乾燥でもなく、喉の奥が熱い。絡まって音が出てこない。

 嫌だと思うほど身体の奥が熱くなるような感覚がして、ただただ無力さに打ちのめされる。


(魔法がっ、使えたら…! 力になれるのにっ)


 騎士が危険な消火作業に身を投じなくてもいいのに。皆が早く安心できるのに。


 魔法が使えて当然の中、使えないのは自分だけ。だから自分はいらない子。

 それでも頑張って。だけど上手くいかなかった。


 騙していることに、もう、心が辛くて苦しい――…

 国の決定で婚姻を決められ、相手である自分のことなんて嫌なはずなのに優しくしてくれた獣人。嬉しかった。いつも気遣ってくれる態度も言葉も。マナーを教えてくれたり文字を教えようとしてくれた優しさも。自分を見て、心を砕いてくれたことも。

 誰もがこの包帯を見て嘲笑するか、腫れ物に触れるような接し方をしていたからそれに慣れていた。そんな自分に、そうではない喜びと幸せをくれた。そんな人の力になりたいのに、助けたいのに、力になれない。


(オルガ様……!)


『ごめんね、ユフィ。だけど…いつかあなたが、誰かのためと強く思えたら、そのときは――…』


 誰かの声が聞こえた気がした瞬間、ユフィは身の内から吹き上がった奔流に呑み込まれた気がした。


 爆ぜていた炎は突如としてその音を消した。消火作業が完了したわけではない。

 その変化を、避難していた貴族も、消火作業にあたっていた騎士たちも、炎の中を強行突破しようとしていたオルガも、呆然と見つめた。

 出られないと判断していた壁の穴から脱出し、傍にいた消火作業中の騎士に救出した娘を預ける。


「これは…何事だ」


「……い、や。俺にも…」


 あれほど熱かった周囲は冷気が漂っていて、吐く息すら白くなる。

 それを見つめ、まさか…とオルガは貴族たちの方を見て――瞬時に地面を蹴った。


 地面に倒れる寸前、その小柄な体を抱きとめる。


「ユフィ…!」


 ぐったりとしたその姿に一瞬心臓が跳ねた気がして、オルガはすぐに心音を確かめた。

 とくんとくんと小さな音が確かに聞こえる。しかして顔色が悪く、少し身体が冷たい。それを感じ僅か眉間に皺が寄る。


「これはまた…。素晴らしい魔法使いだな」


「陛下…」


「予想以上、と言っておこう。医務室へ連れていってやれ」


「はい」


 ユフィを抱き、オルガは火事現場を振り返った。避難していた貴族も、ユフィに縋っていた騎士たちも、誰もが驚愕する光景がそこにある。

 炎に包まれていた城の一角は、炎だけを呑み込んだいくつもの氷の柱が生えていた。





 ♢*♢*




 ユフィはノーティル国の侯爵の父と、その父が治める領地の片隅で暮らす母との間に生まれた子どもだった。当時はまだ侯爵子息だった父が近くへ視察に来た折、一目で気に入った母を手籠めにしたのだ。

 それによりユフィは生まれた。母と娘は二人だけの貧しい暮らしの中でも満足だった。しかし母にとって、それがいい記憶だったのかユフィには分からない。


 母は文字の読み書き、知識、生きるために必要な事を教えてくれた、優しい母だった。

 けれどユフィは、母に抱きしめてもらった記憶はない。頭を撫でてもらっても、手を繋いでもらっても、抱きしめられたことだけはない。

 母は傷ついていたのだと、ユフィが気づいたときには母はもう病で亡くなった後だった。


『ごめんね、ユフィ。だけど…いつかあなたが、誰かのためと強く思えたら、そのときは――…』


 火事のとき、ユフィはふと母の言葉を思い出し、記憶が鮮明に駆け巡った。


 幼い自分は家の中で遊んでいて魔法を使ったのだ。貯めた水を宙に浮かばせるような些細な魔法を。

 けれど、それを見た母は表情を強張らせた。そして何度も何度も頭を撫でながら同じ言葉を繰り返した。それが思い出した言葉だ。


(そうだ…。昔は魔法が使えて…。だけどだんだん使えなくなって…忘れていった…)


 何故だろうと考えても答えは出てこない。

 けれど、母の言葉どおりであったことに少しだけほっとしていた。


 当時侯爵であった祖父は息子のしでかしたことに責任を感じ、母を亡くしたユフィを侯爵家で育てることにした。婚外子であるが、侯爵家の令嬢だと正式に迎え入れて。

 しかしそんな祖父もすぐに亡くなり、父が跡を継いだ。ユフィが六歳の時だった。


 しかし父はユフィに関心などなく、すでに妻がいた。ユフィにとっては継母にあたるその女性は、夫と別の女との間の子どもであるユフィにそれはそれはきつく接していた。父と継母の子である義妹も当然のように倣った。

 そしてそれは、ユフィが魔法を使えないと知ると一層あからさまになった。父である侯爵はなにも言わないどころか継母たちと同じだった。彼はユフィの母に興味はあっても、その子どもに一切の関心がなかった。


 侯爵である父は当然に魔法を使うことができた。継母も貴族であり魔法が使えた、そんな両親の血を引く義妹も。

 片親とはいえ貴族の血が入れば微力でも魔法を使えるのが一般的である中、ユフィは違った。全く魔法が使えなかった。


 卑しい女の娘だから。魔法が使えないから。

 それを理由に待遇には差が生まれた。ご飯は少なくなり、雑用をさせられる。部屋はだんだんと狭くなり服は着古していくばかり。


 そして、別邸へ遊びにいったとき、事が起こった。

 義妹にかくれんぼにと誘われて遊んでいたのだ。珍しいなと思いながら。そしたら継母に見つかって…。


『動いちゃ駄目よ。絶対に――…』


 とっておきの隠れ場所を教えてあげると、そう言って部屋の衣裳入れ用の箱を教えられ隠された。

 しばらくしたら火が爆ぜる音がして。妙な焦げ臭いにおいが気になって。箱を開けて出た。


 そこに、男が部屋に入ってきた。知らない男が。そいつがいきなり剣を振り下ろしてきて――。


(――…思い出した。全部。そうだ。だから…)


 そして、この左側に包帯を巻くようになった。でなければ見苦しくて、罵倒が飛び、顔の左を見せると眉を顰められる。

 雨の日に痛んでも歯を食いしばって耐えて。


 ――悲しみ恐怖も痛みも、忘れてしまえと言い聞かせたのだ。






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