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3,人間と獣人

 二日目。

 マナー指導の合間に休憩を与え、ユフィが好きに過ごす時間をつくる。本日も休日…という名目でユフィの様子見を命じられているオルガは、ユフィの様子を観察していた。


「先程、メイドと庭にお出になられました」


 そう言う執事の言葉を受け、オルガは庭へ向かう。

 公爵邸の庭は広い。王都の一等地にある屋敷は、時に王都であることを忘れるほどに緑も豊かで穏やかだ。


 澄み渡った青空。その下で庭師が育てる花を愛でるユフィがいる。傍にはメイドがおり、時折些細な会話をしているようだ。公爵邸の庭を整える庭師は山羊の獣人で、ユフィも躊躇いがちにだが話をしているようだった。

 そんな姿をオルガはじっと見つめた。


(獣人にも特に偏見はないように見える。…少し、獣人のメイドをつけてみるか)


 そう思いながら近づけば、獣人であり五感の優れた庭師がくるりと振り向いた。


「こりゃこりゃ坊ちゃま」


「気にするな。…また手入れ中の味見か?」


「ほっほっほ」


 むしゃむしゃと草を食む庭師と慣れた様子のオルガ。ユフィはどこか落ち着かない様子で俯きながら見つめていた。





 三日目。マナー指導の合間、オルガはユフィを「興味があるなら」と屋敷の書庫へ誘った。

 公爵邸の書庫は重要な書物や専門的な書物、伝記や旅行記、様々な書物が置かれている。二階部分もありいくつもの棚があるその書庫に、ユフィは圧倒されながら書庫を見回した。

 そんなユフィは自然と顔が上向きになっていて、後ろにいるオルガはそんな様子を見つめた。前へ出てしまうときっとまた俯くのだろなと、なんとなく分かる。


「興味がある物があれば手に取ってみるといい」


「あ、ありがとうございます…」


 メイドを下がらせ二人きり。オルガは自然と歩き出すユフィの後ろを追って歩いた。

 ユフィは前を見ず書棚ばかり見て歩く。どれを手に取ろうか迷っているような様子だが、どこか心弾んでいるような見たことがない様子をオルガも少しだけ微笑ましく見つめる。リラックスしているようにその尻尾がゆらりと動くのはユフィからは見えず、二人きりでは誰も見ることはない。


 二人の足音が絨毯に消える。静かな書庫の中をユフィは歩いて進むと書棚の前で足を止め、細い手を伸ばした。


「これか?」


「あ、ありがとうございます」


 ユフィの手の先にある本を長身のオルガが取る。渡されたそれをユフィはそっと手に取って開いてみた。

 が、すぐに動きが止まる。


 読むなら座ろうかと促そうとしたオルガは、そんな様子を怪訝と見つめた。

 適当に開いた頁だろう。しかしその右目は文字を追っているように見えないし、頁を捲ろうと手も動かない。書物の字は一般的なこの国の文字である。

 が、そこで思い至った。


「読めないのか?」


「……申し訳ありません」


「謝ることではないだろう。…ノーティル国とは文字言語が違ったな」


 両国は隣国同士で音声言語は同じだが、文字が出来たのはオリバンズ国のほうが後なので、国同士は文字言語が違う。

 国の中央には両国の文字が読める者もいるが、ユフィはオリバンズ国の字が読めない。


 そうだった…と思い直すオルガは、ユフィが手にした書物の題名を思い出し自然と口に乗せた。


「それは、オリバンズ国の建国神話についての本だ」


「建国神話…?」


「かつて、人と獣が争っていた頃、ある人間種の青年が獣たちの王である竜神より加護を賜り、四種聖獣を従え、両者の争いを鎮めたそうだ。そして人間はノーティル国、獣はオリバンズ国を建国した。竜神の加護を得ていた青年は人間の中へ戻らずオリバンズ国で獣たちと共に暮らした。それがオリバンズ国の初代王だと言われている」


 幼い頃に飽きるほど読んだ本は諳んじることすらできる。オルガの話にユフィは俯き加減ながらもオルガへ視線を向けていた。

 そして、そっとその本を撫でる。


「…初代王は、なぜ人間の国に戻らなかったのでしょう」


「神の加護を受けていることは人間から見れば異質だったのかもしれないし、従えている聖獣たちがいたからかもしれない」


 ユフィの瞼が震えた。また少し俯いてしまう姿に、オルガは静かに視線を向ける。


 今の獣人が人に近い姿をしているのは、その青年の近くに居たかった獣たちの想いだとも言われている。それならば獣たちが青年を選んだのだと考えることもできるが、中には、人間が多くなった大陸の中で生き延びるためだという説もある。

 だから、獣人と人間が共存するこのオリバンズ国は在る。


 建国から幾年経っても、人間種との争いは変わらない。それ故にユフィはここにいる。

 オルガが少し窺うようにユフィを見ると、俯き加減のユフィの視線がオルガに向けられた。


「教えてくださり、ありがとうございます」


「いや。…今度こちらの文字を教えよう。それなら書庫の本も気軽に読める」


「……ありがとうございます」


 少しだけ悲しそうな、諦めに似た声音に、本を戻そうとするユフィの手から本を受け取り、戻したオルガは視線を向けた。

 しかしもう、ユフィの視線は自分に向いてはいなかった。

 どころか、もうこの話は終わりだとでも言うように、ユフィは離れるように歩き出す。それを見てオルガもまた歩みを進めた。


「……この書庫の本は、どれほど読まれたのですか?」


「ある程度は。いろいろと知識は入れておかなければいけないと思って」


 半分は本当で、半分は嘘だった。

 オルガは公爵家の生まれとして、幼い頃から厳しい教育を受けた。両親ともに教育熱心というほどではなかったしできなくても責めることもなかったが、家庭教師は「四種聖獣の一体である獣種の血を引く公爵家のご子息なのですから」と厳しかった。

 本はたくさん読んだ。勉強を嫌だと思ったことはないが、少し窮屈だとは感じた。本も好きで読んだわけではない。


 剣も同じだ。今は騎士として仕事をしているが、それも、受け継いだ血と公爵子息としての立場から幼い頃に始めたものだ。

 身を守れるようにと学んだ剣は自分に合っていたらしい。それとも獣種の戦闘本能がそうさせたのかもしれない。


 生まれたときから恵まれていたことを、オルガは解っている。

 だからこそ、周りとは上手くいかなかった。一時期は周りの目が嫌になって荒れていたこともあった。近づく者を睨みつけ、毛を逆立てていた。


(贅沢な話だな…)


 内心で自嘲の笑みをこぼし、ユフィの後ろを追う。


「この量を…。…すごいです」


「そうでもない。ただなんとなく読んだだけだ」


「……己を磨くということは、意思がなければできないと思うので。……己を磨くこともしない方や…諦めるだけの人などより…ずっと…比べることも失礼なくらい……すごいです」


 一度だけ振り返ると少しだけ上げた視線をオルガに向け、少し寂しそうな目を見せた。

 その目を見てオルガの足が止まる。ユフィはすぐ歩き出すのに、オルガは後を追うのが少し遅れた。


(…今のは、褒められたのか? たったそれだけのことを?)


 大したことではないのに。とても誇らしいものであるかのような錯覚をさせる。

 ありえないと頭を振り、オルガは視線を前に向けた。


(嘘は、感じなかった。ただ純粋な、心からのものと感じたが、誰も気にもしないようなこんなことで?)


 小さな背中がそこにある。今にも消えてしまいそうな、噛みつけば簡単に命を奪えてしまうような、小さな儚い背が。

 なのに、今の言葉といい温かみを感じるのはどうしてか。


 ――…自分とは違うと、告げているように見えるのは何故なのか。






 そして翌日。王に謁見する日が訪れた。

 その日は朝からオルガは城へ仕事に出向き、ユフィは一人馬車で向かうことになった。


(オルガ様はお仕事なら、陛下との謁見に来られないはず……。なにも言わないのは心苦しいけれど)


 これは、自分の口で直接、国王に伝えなければいけない。そして全ての責任を取らなければいけない。

 とうに覚悟しているけれど、緊張はどうしようもない。


 身支度を整えていたユフィは、着せられていくドレスに見覚えがないことに気づいた。

 オルガからは屋敷への到着翌日にドレスをもらった。数着とはいえ勿体ないほどで、そのドレスは色も形も憶えている。

 けれどこれは見覚えのないドレスだ。上等な生地なのだろうというのは着心地から分かる。


「あの…このドレスは…」


「はい。坊ちゃまが若奥様のためにと」


「…そうですか」


 小柄で貧相な自分の身を包むドレス。着たことなどない質のものは、確かに王に謁見するに不足ないものだろう。


(そうよね…。みじめな服の女を王の御前に連れていくなんてできない)


 ここまでしてくれなくてもいいのに。王に謁見して何が起こるか分かっているからこそ、この心遣いが申し訳ない。

 例えそれが、オルガ自身のためだとしても。


 身支度を終えればすぐに執事が呼びにくる。それを受け屋敷を出る。

 ユフィは扉を出る前に、見送りに出てきた使用人一同に深々と頭を下げた。


 それを受けた使用人一同は驚きの眼差しを向けたが、もうユフィが振り返ることはなかった。






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