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1,送られた国 決められた夫

 ガタガタと一台の馬車が進む。その馬車を引くのは一頭の馬と操る御者のみ。

 舗装されているわけでもない硬い土の道は石ころも転がり、小さな馬車に何度も振動を与える。またコツンと石を一つ弾いたようだ。


 それでも馬車はただ進む。国境を目指して。


 晴天の空の下を進んでいた馬車はやがて、辺境領の端にある国境へとたどり着いた。

 そこには辺境領を治める領主と、国境を守る騎士が揃う。緊張、軽蔑、憐み、交ざり合う表情と空気は、それでも揃って警戒が合わさっていた。


 それも当然。国境にいるのは彼らだけではない、国境の向こうの者たちもいるのだ。

 しかもそんな者たちは一様に人とは少々異なる容姿をしている。頭に生えた耳、腰元から生える尻尾。見た目こそ人と似ているものの、国境内側の者にとっては「蛮族」と称するに相応しい出で立ちの種族であり、獣人と呼ばれていた。


 人が治める国をノーティル国。獣人が治める国をオリバンズ国という。隣り合う両国は度々戦を起こし、いがみ合っていた。

 そして当代の王同士は繰り返すこの戦に区切りをつけようと、停戦交渉を行った。そこで出されたオリバンズ国からの条件の一つが『王族もしくは高位貴族の令嬢をよこせ』というものであった。


 ノーティル国の王は家臣たちと話し合った。そして一人の令嬢を選んだ。

 人間の国の者たちにとって、野蛮な国に嫁がせるに()()()()令嬢を。


 国境に馬車が着き、人も獣人たちも馬車を見る。御者はゆっくりと御者台から降りると馬車の扉を開けた。


「お嬢様。どうぞ。国境に着きました。あちらの方々がお迎えに来てくださっております」


 御者が声をかけ、そっと身を引いた。

 そしてギシィ…と踏み台を下り、一人の小柄な女性が出てきた。


 その姿に周囲の騎士や領主が僅か顔を顰め、嫌悪するかのように女性を見る。歓迎されていない空気を感じつつも、令嬢はなにも言わずすっとオリバンズ国へと足を向ける。


 正面からその容姿を見た獣人たちも、驚きの顔を見せたり、顔を顰めたりという反応をする。

 それでもまた令嬢はなにも言わず、表情を変える様子もなく、歩き進める。


 国境に風が吹いた。

 小柄な令嬢の体には不釣り合いにも感じるサイズの大きなドレスがバタバタとはためき、顔を隠してしまうほど長く白い髪が大きく揺れる。

 令嬢はその風を受けて足を止め、両手で顔の左側を押さえた。押さえた顔の左側にはすでに包帯が巻かれ、目すら包帯が隠し、さらにその上から長い前髪が顔を隠している。

 俯き加減の令嬢の姿には獣人からこそこそと声が漏れる。それは大きなものにはならず、国境を隔てた相手国を睨むものへ変わる。


 両国の間に立たされた令嬢は、風が止むとまたゆっくり歩いた。

 その足が国境を越える前に令嬢は一度だけ故国を振り返り、深く礼をした。それに応える者は誰もおらず、令嬢はそれが分かっているように礼を終えるとまた振り返り、その足は迷うことなく国境を越えた。


 ――それが、ノーティル国侯爵令嬢、ユフィ・ヒーシュタインの新たな生の始まりだった。






 獣人が治める国、オリバンズ国。

 ユフィが踏み越えた国境からは獣人たちの姿が途端に増える。国境から中央までは日数がかかるので、それまでは馬車の旅となる。


 道中は国や各領地の騎士たちが護衛についているので比較的何事もなく進んでいた。滞在は各領地の長の屋敷に泊まり、ユフィは手厚いもてなしを受けた。

 しかし、領主も騎士も、やってきた令嬢にどう接していいものか躊躇っていた。


 獣人と人間は長く争いの歴史があり、どちらの種族も互いに快い感情を持っていないのは周知の事実。なのに、停戦のためと国が求めたのは人間で、しかも声をかけるのを躊躇わせるのが、顔の包帯と常に俯いた姿だ。


 オリバンズ国は獣人の国と言われているが、国内には人間もいる。数は少ないが、獣人たちと良好な関係を築き暮らしているれっきとしたオリバンズ国の民である。

 獣人たちは解っている。そんな民がいる一方で、自分たちを「野蛮」と称し、敵対し見下す人間もいるということを。

 だから、そんな国から来た人間をすぐに受け入れることは難しい。


 そんな国から来たのがユフィだ。

 いっそのこと「嫌!」とか「帰りたい!」とか、泣くとか喚くとか怒るとかすれば分かりやすいのに、なにも言わない。


 世話になる領主邸では「お世話になります」「ありがとうございます」と言葉にするが必要以上に喋ることもなく、獣人たちも声をかけるのを少々躊躇うこともあった。土地によってはユフィに話しかけるメイドもおり、ユフィは俯いているもののかけられる言葉には応えていた。

 それを見ていたその地の領主や護衛騎士たちは、思ったよりいい令嬢が来たのではないか、いや演技かもしれない、と各々推測をつけたりもしていたが、それをユフィは知らない。


 黙々と国内を走ることしばらく。王都の門をくぐった。

 王都を進む馬車は民の目を引く。しかし誰もその中を見ることはできなかった。

 馬車の窓はきっちり布で隠されていて、中の乗り人が外を覗き見るような様子も一切ないのである。


「ご令嬢。もうすぐ着きます。……貴女の嫁ぎ先です」


「…はい」


 貴族の邸宅が並ぶ中、騎士の一人が馬車の窓をノックして伝えれば中から小さな返事が聞こえた。人間ならば聞き逃してしまうだろうが、獣人の耳の良さで聞き取れた返事。


 ユフィはオリバンズ国の決定により、オリバンズ国内での待遇が決められた。

 ユフィがその待遇について知ったのはオリバンズ国内に入ってからだった。道中のとある地の領主が教えてくれた。国を出るまではどうせ人質のようなものだろうと思っていたが、どうやら想像とは違っていたらしい。

 話を聞いたとき、ユフィは唇を引き結び拳を握るしかなかった。


 貴族と婚姻を結ぶことでオリバンズ国に留め置かれる。つまり、結婚することになったのだ。

 争い合っていた国なので王族は避け、オリバンズ国はある貴族を指名した。ユフィが知っているのはその人物の名前だけ。


(確か、オルガ・ウルフェンハード様…。公爵家のご子息…)


 馬車の中で、ユフィは小さく息を吐いた。

 突然父に呼ばれ。突然国の決定に従わされ。突然家を出された。供は誰もいない。荷物もない。文字どおり身一つで。


(結局、それがオリバンズ国にどういう印象を与えようが、構わないということ…)


 厄介払いできた父も継母も喜んだだろう。おそらく自分から王に提示したのだ。娘を出すと。

 要求どおりに令嬢を出せばその令嬢がどうなろうと知らないし、どういう印象を与えようとそれは全て、罵倒、蔑み、あるいは攻撃として令嬢に返るだけだと。


(それに、こんなわたし…。不興を買って当然…)


 そっと、ユフィは自分の顔の左側に触れた。

 包帯の感触の下にある、ざらざらとした嫌な感触。手を放して無意識に唇を噛んだ。


 ガラガラと車輪が鳴り、やがて止まる。その際には「敷地内に入りました」とまた騎士が窓をノックして教えてくれた。細かな報告に感謝して、ユフィも「はい」と返事を返す。

 しばらく馬車は進み、やがて止まると外から声がかけられた。


「ご令嬢。到着しました」


 がちゃりと開けられた扉。外の光を遮った車内に光が射しこむ。

 身に沁みついた俯いた姿勢。一房垂れる前髪が右目すら隠そうとする中、ユフィは視線だけを動かした。


 オリバンズ国に入ってから馬車を操ってくれている御者が、頭を下げてそこにいる。そんな御者も獣人で、兎のように立った長い耳がはっきりと視認できた。


 促され、ユフィは席を立って馬車を降りた。

 馬車を守る騎士たちは獣人が多いが人間もいるようだ。獣人の多くは虎や熊、中には猫もいる面々は、この道中で見慣れた者たち。人間がいるのは今初めて知ったが、おそらく王都に入ってからか少し前に合流したのだろう。

 俯きの下から見て取ったユフィは前方へ視線を向けた。


 王都に来るとは聞いていたので、そこに驚きはない。しかし目の前の屋敷には少々圧倒される。

 広大な敷地。整えられた庭に咲く花。白壁の立派な屋敷は、これまで住んでいた屋敷よりも遥かに荘厳であった。


(…こんな立派な屋敷に住まわれている公爵子息様なら、本当に…わたしは不興でしかない)


 相手を決めたのはオリバンズ国とはいえ、本当なら王家に近い公爵家の敷居を跨げる身ではない。しかも不興を買うと分かっていてここにいるのだ。

 ノーティル国がなしたことにユフィは内心で息を吐いた。


 屋敷の前にある階段を上り、屋敷の扉が使用人らしい者によって開けられると、その先には執事を始め使用人たちが揃っていた。


「ようこそおいでくださいました」


 声を揃え、礼を揃える使用人には少々気圧される。握り合わせた両の手に力が入った。

 使用人はほとんどが獣人だ。猫や熊、山羊などさまざまいるが、その種類はさほど多くはないように見受けられ、中には人間もいる。


(人間も一緒に働いている…)


 てっきり全員が獣人なのだろうと思っていたが、人間が五人ほどいる。獣人に比べれば少ないものだが、いないと思っていたのでユフィは俯いた下で驚きを感じた。

 いくら国の決定とはいえ、敵国の者を屋敷の一員として迎えるなど快いものではないだろう。それなのにこの出迎え。


 一層の心苦しさを感じるユフィは視線も下げた。何かを言わねばと思っても、言葉など出てこない。


 両の手を握り合わせて視線だけを動かしていたユフィは、いきなり左側から入ってきた影に反射的に防御姿勢をとった。びくりと肩を跳ねさせ無意識に顔の左側を守るように手で庇う反応に、その影も足を止める。

 強張ったその体勢のまま右目だけで影を見上げる。しかして長身なのか、視線を上げるだけでは顔を見るのがしんどい。


「左は…見えていないのか? それならすまない。だが、それで俺が見えるのか?」


 声が降ってきてユフィは少しだけ顔を上げた。視線を最大限上げ、顔を最小限上げ、その人物を見る。


「坊ちゃま。ご令嬢が驚かれておられますよ」


「…そうだな」


 牛のような耳と角を持つ執事らしい男性と声を交わすのは青年だ。年のころは二十代前半、ラフな格好で、長身だから顔を見るのもユフィはとても苦労する。

 なんとか分かるのは、瞳が澄んだ金色で、少し跳ねた短い黒い髪をもち、精悍な顔つきをしていること。


 そして、その頭には髪色と同じ色の大きくぴんと立つ獣の耳が生え、腰からはふわふわとした大きな尻尾が生えている。


(坊ちゃまということは、この方がオルガ様…? この方も獣人…。そんな公爵家の方がわたしなんかと婚姻させられるなんて…)


 敵国の人間だ。不快だろうに。


 一目相手を見たユフィの視線は定位置へと下がる。

 そんなユフィの前では青年がユフィに向き直るが、ユフィからは足元しか見えず、青年からは俯いた頭しか見えない。

 目の前の下げられた頭……というよりもずっと身を小さくさせ俯いているユフィに、青年は怪訝と眉根を寄せた。ちらりとユフィを護衛してきた騎士たちを一瞥するが、彼らも困った表情を返してくるだけ。


(国の決まりで嫁がされた令嬢。さてどうするか…)


 青年――オルガ・ウルフェンハード公爵子息にとっても、これは戸惑う話であった。


 停戦のため令嬢を望んだのはオリバンズ国側だ。そこには当然思惑がある。

 それはオルガも理解しているし反対する気はない。


 その令嬢を「妻として迎え入れてくれ」と言われたときには流石に驚いたが。

 しかしこれも、令嬢への待遇と獣人故の理由あってのことであり、オルガとて納得して受けた話だ。なので不満はない。


(どちらにしろ、まともな令嬢が来るとは思っていない。まずはどういう令嬢か分からなければ陛下に報告もできないな)


 停戦交渉と両国の考えが頭の中を巡るが、ひとまずそれは片隅に置き、目の前の令嬢を見る。

 相も変わらず俯いている小さな令嬢。……想像していた令嬢とは随分と異なる。


「ご令嬢。俺がオルガ・ウルフェンハードだ」


「…ユフィ・ヒーシュタインと申します。この度は、ノーティル国とオリバンズ国の停戦のためまかりこしました。ご迷惑とならぬよう努めさせていただきます」


 俯いたまま深々と頭を下げるユフィをオルガはじっと見つめた。

 淡々とした声音は、この婚姻に何を思っているのかも読み取りづらい。ただの義務感なのか、怒りなのか。


 耳を立てても分からない。そんなユフィにオルガも調子を変えず続けた。


「ユフィ嬢。まずは部屋で一息ついてくれ。話は後でしよう」


「…はい。お気遣いに感謝いたします」


 ぺこりと頭を下げる令嬢に、オルガは人間のメイドを呼び部屋まで送るよう指示を出す。案内に出てきたメイドを見て「お願いします」と頭を下げたユフィは、そのまま続けてウルフェンハード公爵邸まで送ってくれた騎士たちに振り向いた。


「皆さま。ここまで護衛くださり、ありがとうございました」


 謝意を伝える言葉と下げられた頭に獣人騎士たちも驚き、オルガもユフィを見つめた。頭を上げたユフィはそのままメイドに案内され屋敷内へ足を踏み入れる。

 それを見送り、他の使用人たちもそれぞれに動くのを確認してから、オルガはユフィを護衛してきた騎士一同を見た。


「報告をくれ」


 やれやれと頭を掻き尻尾をひと振りしたオルガに、騎士たちは国境での一連から全てをオルガに報告した。






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