肩書だけでやってけるわけないじゃん
第七代聖女とされるイリア・ハーミットは男爵令嬢であった。
しかも三女。子の順番で言うと七人目。
貧乏な癖に子だくさんという困った家のみそっかすが、聖女として目覚めてしまったのだ。
しかしイリアは努力した。
発覚した七歳の時点で、自ら望んで大神殿での修行に向かい、厳しい修行と勉学にかじりついた。
その勤勉さを神も祝福したのか、イリアの治癒術と結界術はとてつもない強力さを誇った。
大神殿の広間に集まった人たちを範囲治癒術で一日何十回でも癒せたし、個別では四肢の欠損をいとも容易く再生させてしまう。
結界も、人間や物資は通しても、邪悪なるものや魔なるものを通すことはないものを一か月に一度張りなおすだけで維持できている。
そのため、王国は「どう?ウチの聖女。優秀やろ」と鼻高々であった。
イリアの努力の原点は、与えられた肩書に添うだけの人物になろうという純粋なものだった。
同時に。
俗物としては、塩なんてひとつまみしか入っていないような、肉も野菜もちょっぴりのほぼお湯なスープと、硬くてマズいパンの食事。体が小さいことで上の兄姉たちからほんのりいじめられる。
そんな日々から脱出したかったのだ。
大神殿ではさすがにそんな生活じゃないでしょ!と思った通りで、単体でおいしいスープにはソーセージを筆頭とした肉や野菜がたっぷり入っているし、パンだって柔らかくて美味しい。時には信徒の差し入れで菓子や果物がデザートについてくる。また、貴族からの差し入れだとかでステーキまで食べられる日だってあるのだ。
人間、まずいものを食わされて頑張れと言われても頑張れないが、おいしいものを食べれば頑張れるものである。
環境も決して悪くない。
勉強は難しいが、分かるように教えてもらえるし、きちんとできれば褒めてもらえる。
同時に、周囲は年上ばかりながら優しかった。暴力など以ての外だが言葉としてもきちんと接してくれる。時には厳しい時もあったが、それはイリアのためを思っての言葉ばかりだったので、イリアも素直に従うことができた。
ふわふわの綿毛でくるまれるような日々が続いた。
さて、イリアは自分の人生に満足していた。
聖女として活躍を認められるようになる少し前からは賃金さえもらっている。
休日だって十日に一度はある。その休日に外出したいと言えば護衛として神殿騎士がつくが、外出そのものは自由だ。
ワガママとして甘いものが食べたいとおねだりしたら、当日あるいは三日以内に菓子を与えてもらえる。
衣服だってきちんとしたものだ。古びる前に新しいものに取り換えてもらえもする。靴だっていつもきれいな状態だ。
寝床とて上等過ぎる。ふかふかで温かいお布団に、がっしりしていて頑丈なベッド。冬場なんて暖炉に火を入れてもらえるのでヌクヌクだ。
しかも、だ。
大神殿には神職を選び出家してきた若い神官などもいるのだが、これがまた恰好いいのだ。
これが年を重ねてもいわゆるイケメン、イケおじとなっていくだけなので顔面偏差値は高い。
女性だってそうだ。皆美女美少女で、イリアは目が肥えてしまった。
イリア自身も大層な美少女なのだが、それは本人的にはどうでもいいことだった。
そんなイリアが十六歳になろうという頃。
顔も見た覚えがない第二王子に求婚されたのだが、イリアは黙って大神殿の長にパスした。
教皇に当たる彼は、それだけで全てを理解してお断りの手紙を書いて返送したらしい。
その間に神官たちにおねだりして調べてもらったが、野心ばかりギラギラしているボンクラ王子だと判明した。
と、なると。イリアの威光を借りて玉座争奪レースに参加したいのだろうとしか思えない。
しかし、第一王子がとびぬけて優秀で、後ろ盾となる婚約者も公爵令嬢で、学友には近隣国の王族だの高位貴族だのを揃えていて、出来レースといって差し支えない状態なのだ。
それをイリア一人で勝とうだなんて甘すぎる。
というか、イリアはその手の教育もきちんと受けているので。
沈む泥船に乗っかるくらいなら生涯聖女として生きるべく神の嫁になります、と、正式に宣言したっていいくらいなのだ。
処女でなくなっても聖女の力は使えるし、出産したってそれは同様なのだが、俗世の厄介な事情に巻き込まれたくないと生涯独身を貫く聖女は多い。
聖人となるとまた事情が変わってくるのでまちまちだが、大抵は爵位をもらって高位貴族を目指す。そして失敗して大神殿に戻ってくる。
一番幸せなのは大神殿で暮らすこと。次に、高位貴族の嫁や婿になること。
それを内外色んな聖女聖人の人生をつづった書物で知っているので、イリアも面倒で厄介な王家などに関わろうだなどと思わない。
そもそもとして大神殿での暮らしに満足しているのだ。
片手で握手片手で刺し合いの政治的闘争に身を置くわけがない。
そんなところに行かなくても、今だって十分贅沢で自由でのびのびと暮らしている。
ついでに、王子の顔がどれだけイケメンでも、数と種類が無限大の大神殿ほどの充足感はきっとない。
特に、水の日に随行してくれる、カインという大神官と、アンネという神官がお気に入りなのだ。
カインは金髪碧眼で天使の如き美しさで、成人しているが色気が凄い。息遣いがもうえっち。
アンネは溌剌な美少女という感じで、逆に超絶健全な可愛らしさ。ちょっと日に焼けた肌と、赤毛に青目が爽やかで、かつイリアにフレンドリーなのが実にいい。
それ以外の大神官・神官のいずれもイリアは気に入っている。
時には集団に囲まれたいと、自由時間に洗濯場や物干し場に乱入して一緒に仕事をするくらいだ。
こんなにも自由でときめきに満ちていて幸せな生活を捨てるだなんてとんでもない! というのがイリアの考えである。
なので、しつこく送られてくる王子からの求婚は全て教皇にスルーパスだ。
読みさえしなくなった。
そんなある日。
教皇に呼び出されて、こう言われた。
「イリア。次の月から結界は更新せんでよいぞ」
「え、いいんですか」
「バカ王子のつきまといが酷いから、止まらぬ限り結界は更新させぬと通達した。
大神殿としても事の経緯を広く知らしめ、何かあればバカ王子のせいだと分かるようにした。
故にそなたはいつも通りでよい」
「はーい。でも教皇様?」
「うむ」
「そんな待たなくても今から結界撤去しちゃえばよくないですか?」
「できるか?」
「はい、すぐでも」
「ならば国内外に経緯を急ぎ伝えさせるので、儂がよいと言ったらその時に頼めるかな?」
「はーい」
はいお駄賃、と、リンゴ味の飴をもらってイリアはご機嫌である。
教皇は沢山飴を持っているので、何かある度くれるのだ。
聖職者の長として、酒、賭博、女は謹んでいるので、甘味を楽しみにしているのだ。
その後。結界は無事撤去され、治安はちょっとずつ悪くなっていると聞いた。
治安と言うか、魔物がやってきているらしい。
大変だねー、とイリアは他人事だ。
そこに至っても尚第二王子は求婚をやめようとしなかった。
大神殿にまで押しかけてくるようになったので、今度はイリアの治癒術が差し控えられた。
民衆の怒りは王家に向かい、聖女の邪魔をするなと怒りの声があちこちで巻き起こった。
イリアとしては困ってる人たちには手を差し伸べたいが、バカ王子に会うつもりなどさらさらなかったのだ。
会ったというだけで既成事実と見做してきそうなくらいバカなのだ。
会いそうになる機会など潰すに限る。
さすがのバカ親であるところの王も、事ここに至ってやっと第二王子を王族の牢たる高い塔に幽閉し、王家として正式にそれを広めた。
ので、イリアも意地悪せずに結界を元に戻し、治癒術を大盤振る舞いした。
ごめんね~今日からやるからね~の意味も込めて、王都全域に治癒術を使ったのだ。
それでもまだまだ力に余裕があるのだから、最強の聖女の名は伊達ではない。
後日。カインとアンネと一緒にお茶をしていたのだが、カインがふいに笑った。
「どしたの?」
「いえ。イリア様を味方にできたら確かに国一つくらいならとれたのだろうなあと」
「確かに!あ、でも、イリア様って自分に治癒術かけらんないから、いっぱい護衛が必要ですねぇ」
「そうだね。私弱いからなあ」
ぱく、と、サブレを一枚食べる。
そして新鮮なミルクをたっぷり使ったミルクティを一口。
「それに、私をお嫁さんにしたって、私が死んだら終わりだしね。
聖女って母から子へ繋がるわけじゃないもん」
「聖女が生まれる間隔もまちまちですもんねえ」
「確か、先代からは六十年でしたか。
となれば、聖女がいる時代に可能な限り恩恵を受けつつ地盤を固めるのが賢いように思うのですがね」
「人間便利なものは使いたくなっちゃうんだろうね~」
カインは面白そうにイリアを見ている。
「我々がイリア様を大教皇として、国を作ると言ったら信徒はついてきますが。
イリア様はどうなさいますか?」
「えっやだ!無責任に一日何回か治癒術かけて、結界たまに更新して、あとは好きに暮らせるのがいい!」
「ですよね」
「うん!」
くつくつと面白そうに笑うカインに、イリアはなんでそんなひどいことさせようとするのと憤慨している。
アンネはどうどうとイリアの肩を撫でる。
「イリア様はそんなこと出来るくらいすごいってことですよぉ」
「国とかなんとかより、私はチキンステーキ食べれる日が週に一回あるほうが幸せだよ。
王様みたいなのになったら毎日食べれるかもしんないけど、でもそういうのって時々だから幸せなの。
それに、私、ちゃんと働いて、ちゃんとご飯食べられる生活がいい」
勤労精神が宿りきっている愛しの聖女の言葉に、アンネもカインも可愛いものを見る目でイリアを見るしかなかった。
彼女が聖女の力に慢心してだらけきっていたら、今ほど優遇もされていなかった。
実家と大差ないような生活を送りながら、強制的に働かされていただろう。
しかし、イリアは熱心に働いている。まだまだ出来ることはあるだろうと努力もしている。
だから大神殿での生活が豊かなのだ。
それを知らぬイリアは、今日も明日も明後日も、元気いっぱいにお勤めを果たす。
恐らくきっと、その命の儚くなるその日まで。
タイトルは、「王子って肩書に甘えて、しかも今度は肩書目当てで自分に言い寄ってきたバカたれへのイリアのお言葉」です。
あと微妙に実家にもかかってる。「聖女の実家って肩書でメシ食えると思うなよ」って言う。これは教皇様たちからのお言葉かもしれない。言いそう。