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(眠れん)
この体、どういうわけか目を閉じることが出来ない。目を閉じられないので部屋の明るさがそのままで眠ろうにも眠れない。と言うかそもそも目を開きっぱなしだというのに目が乾く様子がないというのはどういうことだろうか?
(わからないことが多すぎる)
だが、とそこで少し考え方を改めることにする。転生の秘術はどこか他の場所で生まれ変わるという魔法であって、どこか遠くへ移動する魔法ではない。何度も確認し、認識しているが、自分はまだ生まれたての赤子である。世界を支配するための活動は早ければ早いほどいいのは間違いないだろう。だが、早すぎてもダメだ。わかりやすく言えば、今の状態で勇者の前に出たらどうなる?抵抗する間もなく八つ裂きにされて終わりだろう。つまり……
(今できることは何かをよく確認した上で、できる限り今後の成長のことを考えた努力をする。だが決して無理はしない。無理をしてもいいことはない。地道にコツコツだ)
なまじ、前世の魔王としての経験を記憶しているから、このひ弱な赤子の体をもどかしく感じてしまうのだが、焦りは禁物だ。ゆっくりでいいから力を蓄え、体を成長させていく。そしておそらく数年後から十数年後の間に訪れるであろう成長期に一気に力をつけるための準備を整えておく。
(焦るな。無理をするな。己の限界を知り、その限界を高めるための最善の努力をしろ)
己への戒めとし、今後の指針として決して破ってはならぬ誓いとしよう。
では、今から出来ることは何だろうか?まず肉体の強化は早すぎる。満足に動かない体に無理な運動をさせたところで逆効果になる。取り返しのつかない怪我などしたら最悪だ。それに何よりも、ここへ来てからまだ何も口にしていない。食事とは体を動かすエネルギーでもあり、体を成長させる大事な要素だというのは常識だ。だが、それがない。まさかと思うが、魔王だと気付かれた?気付いていないふりをして油断させて餓死させる作戦か?
だが、妙なことに空腹というのを感じていない。これは一体どういうことなのだろうか?
魔族軍には空腹を感じにくい、あるいは一般的な生き物のような食事をしない魔物もいた。そういうタイプの種族に転生していたのだとしたら、これは普通のことなのかも知れない。
と言うことで、肉体の成長、強化は一旦保留する。
では魔力の強化を試すのははどうだろうか?じっと体内に意識を集中すると僅かではあるが魔力を感じる。か弱く頼りない小さな魔力だが、前世でも何度も見たことがある赤子の魔力などこんな物だったと思い出し、まずはこれを鍛えることから始めようか。
魔力を鍛えるといった場合、色々な意味がある。大雑把に言うと魔力の総量である器を拡大する、魔力の緻密な操作を行えるように体内の魔力回路を鍛える。この二つに分類される。だが、最初に行うこととしては、魔力を動かし、操作する感覚に慣れることからだろう。
前世で諜報を担当させていた魔物の中には肉体がない、精神体だけで存在していて、死体に憑依して自在に動かせるという者がいた。精神体だけだとひ弱で初級魔法でも死にかけるのだが、死体に憑依するとその肉体の能力を使うことが出来るという優秀な奴だった。適当に人間を攫ってきて殺し、憑依させて人間の街に潜伏させ、色々な情報を引き出せるだけでなく、その人間の職業、身分によっては王侯貴族への面会も可能。つまり堂々と正門から入り、正規の手続きで国王に会い、その場で殺し、憑依した死体をその場に残して安全に逃走出来るのだ。
彼らに言わせると、肉体が変わると魔力の流れ方が変わるのだという。魔力が体内をどのように流れるのかについては諸説あるようなのだが、体が違えば骨や筋肉の付き方も違う。体を動かす体力……いわば生命エネルギーの通い方も違うだろうから魔力の流れ方が違うのも道理。つまり、この新しい体での魔力の流れ方をキチンと把握する必要があると言うことだ。
そもそも魔力とは……精神力とか気力である。
魔法というのはこの精神力を特定の術式に乗せることで火を点けたり、風を起こしたりするものである。細かい原理はよくわからないが、そういう風に世界が作られている、という説明をグレモロクがしていた。よくわからんけど。
実際、魔力が少ない頃に魔法をたくさん使うと精神的な疲労がやってくる。わかりやすくいうと、何だかだるさを感じる、やる気が出ない、といった症状だ。
対して生命力というものがあるが、こちらは文字通り、生命の力。怪我や病気の他、肉体の疲労などで失われ、食事や休息、治療などで回復する。基本的な話ではあるが、生命力を使って魔法を行使することは出来ない……一部の例外を除いて。
その一部の例外として魔王が知っているのが、禁忌の魔法「転生の秘術」だ。死ぬ瞬間に、残りの生命力全てを魔力に変換して発動する魔法だから使用と同時に死ぬのは当然。そして、生命力を使い果たしてどこかにトンネルを繋ぎ、そのトンネルを魂が通り、転生する。これが転生の秘術の仕組みということなのだが、正直に言って、よくわからん。
見つけた書物にも「原理はわからんがこれで発動するはず」と書かれていた。
「わからんが」
「するはず」
こんな状態で良く発動したものだと思う。
これの研究の経緯や、原理についての研究も読んでみたが、全く理解できる物では無かった。何よりも、「使ったら最後、どこかに転生してしまう」ので、使った本人以外、その結果を知る術が無い。他者から見れば、いきなり術者が死ぬ魔法だしな。そして使われた事例も少ない上に成功したかどうかの記録も当然無い。仮に成功したとしても使った本人が元の場所に戻ってきて続きを書くというのもなんだか妙な話だ。
さて、さすがにこの状態で転生の秘術を行使するつもりは無いが、その他の魔法は今後のためにも使えるようにしておきたい。
(魔法の練習としては四大元素魔法の初級がセオリーだが……ここで火や水はやめておこう)
燃えやすい物が多いように見えるから、火を使って万一延焼でもしたら、この身動きのままならない体では焼け死んでしまう。かと言って水なら安全かというと、魔法で作り出した水が床に落ちて水の跡が残ったら、この部屋の住人に不審に思われてしまう。では土の魔法はと言うと、アレは熟練した者ならばどこでも使える魔法だが、今のこの貧弱な魔力では地面の見えない室内ではまず間違いなく失敗する。
と言うことで、消去法ではあるが、風の魔法が無難だろうな。
風の初級魔法ならそよ風を作る程度のレベル。魔法を使っている実感は得にくいが、この体に魔力を循環させ、魔法を使う感覚になじむという目的を達するには充分だ。
地道にコツコツ、急がば回れ、千里の道も一歩から。
残してきた配下の者たちがどうなったかという心配は尽きないが、彼らには万一の時には転生の秘術を使うことを伝えてある。だから、魔王が倒れた時点ですぐに魔族領に引き上げ、どこに転生したかを探し始めるはずだ。
では彼らはどうやってこの魔王を探し出すのか?
鍵となるのが魔力だ。
魔法を使うと魔力が放出される。
そしてその魔力は波となって伝わる。使用する魔法にもよるのだが、初級魔法の場合、魔力が波紋のように周囲に広がる。
その波紋のパターンは基本的に同じパターンになる者はいない。つまり、魔力パターンを知っていれば、個人が特定できる。そして、人間は魔力を読み取ることが苦手だが、魔族は日常的に魔力を使っているせいもあって、魔力のパターンを読むことに長けている。
つまり、ここで練習として初級魔法を使い続けると、魔力を鍛えることが出来、魔王の魔力パターンを周囲に知らしめ、配下の者たちに魔王がここに転生したことを伝えることが出来る。この体の魔力量では、遠く離れた位置からは魔力パターンを感知できないだろうが、鍛えることも兼ねるために、無駄になることは無い。




