(18)
だが、一つわかったことがある。
後ろから抱きつかれているせいで、俺の腕がグイと持ち上げられており、俺の視界に腕が見える。うん、白くてふわふわした毛で覆われた腕だな。先端に黒いものが見えるが、爪だろうか?どう見てもやわらかそうで、攻撃の役に立ちそうにない。
やはり俺はぬいぐるみになってしまったのだと改めて実感。だが大丈夫。魔力鍛錬を続けていけば、いずれは自在に動けるようになるだろう。そうなれば、魔力鍛錬を全くしていない勇者など、赤子の手をひねるより簡単に倒せるはず。
と言うことで、今後の鍛錬の方針を何となく考え始めていたら、こちらに駆けてくる子供がいた。
「志帆ちゃーん!」
「あ、沙織ちゃん!」
どうやらこの子供の知己らしいその少女は、右手に持った猫のぬいぐるみをブンブン振り回しながらやって来て……あろうことか互いに持っているぬいぐるみをぎゅうっと押しつけあった。
何の儀式だよ。
「志帆ちゃん、コレは?」
「シロちゃんだよ。ママがUFOキャッ○ャーで取ってくれたんだ」
「へえ」
「沙織ちゃんのは?」
「これ?ふふん……ママが買ってくれたんだ。にゃーこって言うのよ」
イマイチよくわからない単語が飛び交うが、どうやらあちらのぬいぐるみは母親が買い与えたものらしいと言うのはわかった。
「ふーん、志帆ちゃんのは百エンなんだあ」
「う……うん」
「にゃーこは何と二千五百エンよ」
よくわからない単語が多いが、どうやらこの「エン」というのは通貨の単位らしい。
『百エンと言うのがどの程度なのかよくわからんが……仮にも魔王だし、この子供の住居などの環境は下手な王族以上。相当高額なんだろうな』
グイグイとネコのぬいぐるみが押しつけられている中、念話で思わず呟いたら、返事があった。
『まさか……魔王?』
『え?』
『おのれ魔王め、生きていたか!』
ギリギリ聞こえる程度に抑えた念話だが、間違いなく目の前のネコのぬいぐるみからの念話だ。
『よもやこの私のことを忘れたとは言わせんぞ!』
ネコのぬいぐるみに知り合いはいないんだがな。
とりあえず、思ったことをそのまま伝えるとしよう。
『すまないが、ネコのぬいぐるみに知り合いはいない』
『くっ……この私のことを忘れたとは!』
『もしかして……聖女か?』
『そうよ!』
思い出すのが遅いと言わんばかりだが、言ってくれなきゃわからんって。
魔王が一体どれだけの人族を相手にしてきたと思ってるんだ?って、出会う奴全て皆殺しが基本だから、生き残ってる奴は……それなりにいるな。
例えば、だ。一万の軍勢を相手に戦ったとしよう。一人残らず殺して回った場合どうなるかというと、こちらの戦力的には特に問題はない。と言うか、魔族軍の兵は数こそ多くないが、新兵でも人族の兵士を、三人程度を相手にできる程度には強い。軍という、仲間の連携を行かせる戦いならばなおのこと。だいたいの場合、一万の軍勢を相手にする魔族軍は千から二千と言ったところだったかな。で、こちらの損耗はせいぜい二桁。相当に不利な地形とかでもあれば三桁に届くこともあったかと思うが、その程度。つまり、人族の軍勢を一人残らず始末するというのは難しいものではない。
だが、実際には二割程度残してやる。と言っても、どう見ても経験の浅い若い兵とかを残しつつ、結構な重傷を負わせてやるし、軍を率いる偉そうな奴は生かして帰さないか、死ぬギリギリで生かしておく感じにする。
こうしてやると、魔族軍の強さが誇張されて人族に広まるので、その後の作戦が立てやすくなるのだ。
と言うことで、この魔王の姿を見て生きている人間は結構いるはず。つまり、いちいち俺が顔と名前を覚えているわけがないのも道理だ。
で、コイツは聖女か。いたな、勇者の仲間に。それっぽい格好の服を着た女が。
『ここで出会ったのが運の尽きね!覚悟なさい!』
『何の覚悟だよ』
『フッ……クマのぬいぐるみなんかに私が負けるとでも?』
そう言うお前はネコのぬいぐるみなんだが。
『勇者よ!ここへ!魔王を討ち滅ぼせ!』
……
『勇者よ!』
……
『くっ……どういうこと?私が呼んだらどこにいても五秒で駆けつけなさいと言っておいたのに』
『お前、割と無茶を言うんだな』
『ぐぬぬ……勇者よ!』
念話のボリュームを上げやがった。
しかも全方位に向けて。
結果、どうなったかというと、
「沙織ちゃん、今何か言った?」
「え?」
「大きな声で……ゆーしゃ?」
「大きな声なんて出してないよ?」
俺たちを抱えて何やら話をしていたらしい子供たちが話を中断したじゃないか。
「誰だろう?女の人みたいだったけど」
さすがにこれには聖女もうろたえ……
『おかしいわね。近くにいないのかしら』
聞いてねえし。
もっと言うなら気にしてねえし。
『なあ』
『何よ?』
『呼んだら来るようにって……どういうことだ?』
『当たり前のことよ。私は帝国の皇女なのよ?勇者が私に従うのは当然でしょう?』
『ああ、思い出してきたぞ。確かちょっと前にもそんなことがあったような』
『そう、思い出したのならちょうどいいわ!こうなった以上、私がお前を倒す!』
話が全然つながらないんだが。
勇者とはあの決戦の前にも数回、会ったことがある。大抵は戦場でこちらが勝利したあとにやって来て「待て!魔王!」なんてパターンだ。
「逃げるのか?!」「卑怯者め!」とか言ってた気がするが、三日三晩戦ったあと――数の差をひっくり返すというのはそれなりに時間がかかるのだ――にノコノコやって来ていたところで、こちらはもう帰還のための転移魔法を発動させ始めたあと。
しょうがないから、ノリで返したんだっけ。確か、こんな感じだったか。
「フハハハハ!勇者め、今頃やって来ても遅い!見ろ、お前たちが遅れたせいで死体の山だ!」
「畜生!まちやが
みたいなやりとりだな。ああ、勇者の台詞、最後まで聞こえなかったんだよ。途中で転移しちゃったからな。
『魔王!覚悟しろ!』
『……』
『……』
『……』
『……覚悟しろ!』
『……』
『……』
『で?』
『くっ!こんな屈辱っ!』
屈辱とかそういう以前に、お前ぬいぐるみじゃん。動けないじゃん。魔法を発動出来るならそれで何とかなりそうだけど、念話だけでいっぱいいっぱいみたいじゃん。
『お前……ひょっとして、馬鹿?』
『何だと?!』
『覚悟しろって言うけど、何をするんだよ』
『確かに私は聖女。攻撃魔法は苦手だが、貴様ら魔族相手なら……聖光弾!』
『……』
『……聖光弾!』
『……』
『……』
『何も起きないな』
『おのれ魔王……私に何を……まさか呪いを?!』
呪いねえ……出来ることならとっくの昔にやってるよ。